せんべつ【作者:青薇】

愛知県立旭丘高校

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I

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 僕たちは、とらえられた。
 とある貴族の家宝を狙って豪邸に忍び込んだところを、取り押さえられた。
 そして今、こうして縛られている。
 今回も難なくこなせると思っていたのに……あいつがやらかしたんだ。
 あなたの隣の、あいつが。
 僕が欲しくて欲しくてたまらない、あの場所を。
 お前はいつも独り占めだ。
 どうしてだ。僕のほうが……。
 あなたを、愛しているのに。

 「愚かですねえ、下衆が。真面目に働けば良いものを。」
 この家の令嬢が、縛りあげられた僕たちを見て優雅に笑う。
 ナイフを携え、軽く投げては空中で拾うのを繰り返している。
 「お嬢様、危ないですからお部屋にお戻りなさいませ…!」
 「…どうして?」
 お付きと思われる女性の一人が進み出ると、令嬢はふっと目をつぶる。
 そして、すうっと開かれた闇の世界。
 冷ややかな紅い瞳で彼女を突き刺した。
 「こんな愚か者共を近くで観察できる機会なんて滅多に無くってよ?…わたくし、なにか、おかしいのですか?」
 屋敷の護衛に見つかったときとは比べものにならないほど、鳥肌が立った。
 恐怖で汗が噴き出す。
 心臓からも血がだらだら流れてしまっているのかと錯覚するほどに。
 傍観していただけの僕でさえこんなに恐怖を感じるのだから、そのつららをまっすぐに突き立てられたお付きの女性はどれだけ恐ろしく感じただろう。
 「あ……あ…あ……。」
 恐怖で後ずさり、扉のところで派手に躓く。
 だがその痛みも感じ取れないくらいに、薄氷が。
 彼女の心臓の、隙間という隙間を支配していた。
 だが令嬢は急に笑顔になり、なにかわくわくした顔で顎に手を充てた。
 「この下衆共……どうしましょうかねえ。」
 満面の笑みで、じりじりと僕たちの方に近づいてくる。
 そして長い指で、あなたの頬に触れた。
 「やめろ、さわるな!!!」
 僕は体をめいっぱい動かし、令嬢にぶつかる。
 「いたっ…。ああ、びっくりした。なあに、あなた。なかなかおもしろい下衆さんですねえ。」
 「お嬢様、危険です!!」
 「…いいの。ほうっておいて…?あなたたちぜんいん、このへやからでていきなさい。…よろしくて?」
 「ひっ…。」
 令嬢のつららは、今度は使用人全員へと向けられる。
 彼らは主を守るという義務も忘れて、息も絶え絶えになりながら撤退した。
 「そのお方に触れるな!!何かしたいのなら、僕で試せ!!」
 あなたは僕を止めようと、先ほどまで左を向いていた体を右にねじる。
 「アモさん…!」
 そして…僕の名を呼ぶ。
 「ふうん…この下衆さんはアモというのですね。」
 「離れろ!!」
 「離れろと言われると……逆らってしまいたくなるのが、人間の心理というものでしょう?」
 「いいから離れろ!!噛みつくぞ!!!」
 「ふふっ…威勢の良いこと。あ、そうだわ。いいこと思いついちゃった~♪」
 令嬢を睨み付け喚いても、彼女にとっては子犬が唸っているようにしか見えないらしい。
 僕の脅しを完全に無視して、あなたの頬をくるんだ。
 「私の新しい実験、たったいま思いつきまして。あなた方がどのような生き物なのか…。興味をそそられました。」
 「…っ。」
 「さあ、被検体Aさん♪…命の選別を、おこなってもらいますよ。」
 「命の…選別…?」
 「はい♪」
 令嬢はあなたから手を放し、真っ黒な髪を耳にかける。
 「あなたの左隣に座っている男性と、アモ。選ばれた方だけを救ってさしあげます。」
 「…え…?そんな…。」
 「おっと、『無回答』は許しませんよ?貴重なサンプルになるのですから、必ずどちらかを選んでくださいね。」
 「…そんなこと言われたって…。」
 「…強情なモルモットですね。では、こういうのはいかが?選別した場合、あなたも救ってさしあげるというのは。」
 「!!」
 「あなたが選ばなければ、あなたたち三人共、全員死にます。ですがあなたが選べば…死ぬのは一人だけ。二人は生き残って、また自由に暮らせます。」
 「……。」
 「さあ…どうしますか?」
 「お前…何を言っている!!このお方にそのような選別をさせるなど…!!」
 「アモはお静かに。…ね?」
 右手の人差し指を立てて微笑む令嬢。
 「それにしても…被検体Bは一度も口をきかないのね、つまらない。」
 令嬢はあなたの左隣に座る男を横目で見た。
 うつむいたお前の目からは、何の生気も感じられない。
 無感情の眼。すべてを諦めた眼。
 …どうして黙っていられるんだ。
 お前のせいで、このお方は縛られて…残酷な選別を強いられているというのに。
 お前が転びさえしなければ、僕たちは無事に逃げられたのに。
 こんな出来損ないのくせに。
 どうしてお前が……選ばれたんだ。
 このお方の、パートナーに。
 
 僕は昔、難民自治区で暮らしていた。
 とにかく盗んで、盗んで、生きていた。
 家族はいない。支えてくれる人も、僕が生きるのを許してくれる人もいない。
 僕が盗んだのはパンだけではない。
 その持ち主の命も、奪った。
 僕がパンを盗んだ次の日、その持ち主は道端で死んでいた。
 それでも僕は、生きていた。
 僕が、ただ生きたかったから。
 そんなとき、僕に手を差し伸べてくれた人が、一人だけいた。
 それが、あなただった。
 あなたは私を仲間として受け入れ、共に罪を分け合い、罪を重ねていった。
 盗んで、盗んで、逃げて、盗んで。
 罪が積もるほどあなたへの想いも募り、罪は僕たちの共に生きた証となる。
 いくらあなたに恋焦がれても溶けないその残雪は、とてもあたたかかった。
 だが僕は知っていた。
 あなたはこいつが好きなんだと。
 僕に向ける笑顔とこいつに向ける笑顔はまったく違う。
 こいつを瞳に映したときのあなたの紅い頬ほど嫌いな赤はない。
 …なんでだよ。
 僕の方が、こんなやつよりずっと動けるのに。
 僕のほうが、頭も切れるのに。
 …ぼくのほうが……っ。
 あなたを……想っているのに……!!
 命に代えても……守れますようにと…!!
 心から……願っているのに……!!!
 
 「さて、どうします?あなたはどちらの命をお選びになるの?」
 「…っ。」
 あなたはきゅっと唇を引き結び、ゆっくりと右を向く。
 あなたの瞳に映る僕。
 僕は心の中で彼に問う。
 『君は、選ばれると思う?』
 彼は、なにも言わなかった。
 ただ泣きそうな目で、こちらをまっすぐに見つめていた。
 震える黄色い鏡のなかで、その輪郭はぼやけていった。
 そして彼は、消えた。
 あなたが、左を向いたから。
 そして、あなたはあいつだけを瞳に押し込めて、言った。
 「こちらを選びます。」
 …ははっ。
 あははっ…。
 やっぱり……そうだよな。
 僕が、選ばれるわけ…ないもんな。
 じぶんが、いちばんよく……わかっていたくせに……。
 でもさ……おしえてよ。
 僕のどこがだめだったの……?
 誰よりもあなたを愛して、命まで賭けると誓ったのに。
 なにがたりなかったの…?ねえ、教えてよ。
 どうして僕は……愛するばかりで、愛されないの…?
 こんなに愛しているのに、どうして捨てるの…?
 ねえ……おしえてよ。
 ……おしえ…てよ……っ。
 「わかりました。では、アモ。なにか言い残すことはございますか?そちらもデータに致しますので。」
 「……どうして。」
 僕は俺の左に座る女を精一杯睨み付けて、怒号のつららを浴びせた。
 「どうして愛してくれなかったの!!?俺は、こんなに貴様を愛していたのに!!!!!地獄に堕ちろ、糞野郎!!!!!!」
 「…っ。」
 女は僕の言葉にひどく驚き、固まった。
 当たり前だ、俺は自分でも十分すぎると思うほど、貴様に優しかったんだから。
 もらった恩は、もう全部返した、いや……返しすぎた。
 ならばせめて、最後に貴様の心を抉るくらいはさせてくれ。
 貴様に与え、貴様の中で放置され腐った愛の分……俺に貴様を傷つけさせてくれ。
 「…はい、貴重なデータをありがとう、アモ。これで実験は終了です。おつかれさまでし…」
 
 「 た 」。

 ビシャッ……。

 ……。

 …え…?
 
 斬られて……いな…い…?
 …え……え…、え、え……?
 「アモ。」
 混乱する俺の頭に降りてきた、あたたかい手。
 それは、令嬢のものだった。
 「被検体Aと被検体Bは、殺しました。あなたの隣で寝転がっていますよ。」
 「…な…。」
 「ふふっ。アモ、あなたは被検体なのですよ?実験者が被検体に真実すべてを教えるとは限らないでしょう?」
 「……。」
 そして令嬢はひどく切なげな表情で紅い瞳に僕を映し出した。
 「…あなたを一目見たときから、私に似ていると思いました。」
 「…俺が…お前に…?」
 「ええ。」
 目を伏せ、長く細い指を僕の髪に絡ませる。
 「愛しても愛しても愛されない孤独。虚しさ。私の愛は、世間からすればかなり異常なものだそうです。だからこそ、愛すれば愛するほど、みんな私から遠ざかっていく。遠ざかるほどに愛は狂気的になり、みんなはもっと私を恐れ、離れていく……。」
 「…。」
 「それに比べて、あなたの愛は、心地よいものですね。」
 「!」
 髪から頬へと、結露が窓をつたうように指はゆっくりと凍り付いた表面を滑る。
 「愛されなくても、その対象の幸せを壊さない愛し方ができる。それがとても苦しいものだとしても、あなたは愛する者のために痛みすら感じさせない。私もあなたのような愛し方ができたら、なにか違ったのでしょうか…。」
 「…。」
 「…その愛を……私にください。」
 「…は…?」
 令嬢は僕の縄を丁寧にほどいてゆく。
 「私はあなたを愛すると誓います。ですからあなたも、私を愛してください。」
 「……。」
 俺は、困惑していた。
 そんな要求、突っぱねてやると思うのに……言葉が出てこない。なぜだ。
 赤みがかった俺が言う。
 『この人に、愛されたい』。
 …俺は、誰でもよかったのか。
 愛されるのなら、誰でも。
 いや…ちがう。
 俺は、俺を救ってくれた人を、愛してきたんだ。
 俺はこいつに…救われたんだ。
 「…わかった。」
 「まあ、本当!?」
 「ああ。その代わり……札を一束、くれないか。」
 「ええ、いいわ。今すぐ持ってくるから、少し待っていて。」
 金を要求される愛を、それでもお前は愛と呼ぶのか。
 …哀れだな、お前は。
 まあ、俺が金を要求したのは…俺が使うためではないが。
 「持ってきたわ!」
 「ありがとう。」
 彼女から受け取る。
 ぎゅっと、握りしめる。
 そして、左を向いて…時が止まったかのような貴様とあいつを見下ろす。
 …最後まで、愛してくれなかったんですね。
 俺は……貴様を……愛していたのに……。
 俺だって血の通った人間だ。未練が全くないわけがないじゃないか。
 だが、もう決めた。
 「受け取れ。お前たちには、花束よりもこっちの方が嬉しいだろう。」
 俺は札束を両手で天に放つ。
 あたかも花嫁がブーケトスをするかのように。
 いや…違うな、これは。
 俺は貴様にとって、参列者でしかないのだから。
 これはフラワーシャワーの、ほんの一部にすぎない。
 お前の黄色い鏡の装飾でしかない、ただの花びら。
 …もう、いい。
 …さようなら、僕の愛する人。
 末永く、お幸せに。
 紙幣は花びらのように、羽根のように、ゆっくりと血の海へと舞い降りる。
 そして、たゆたう。
 …これでいい。
 さようなら…スイ様。
 「…待たせたな。」
 俺は沈黙の海に背を向けて令嬢に微笑む。
 令嬢は首を横に振り、俺に微笑み返す。
 「随分と申し遅れましたが…私はアネットといいます。これから末永くよろしくお願い致しますね、アモ。」
 彼女の手を取り、跪く。
 愛する人の手に、静かに口をつける。
 「よろしくお願い致します、アネット。あなたを、心から愛すると誓います。」
 視界の隅にとらえた花びらは、すでに息絶えていた。
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