水晶剣伝説2~ジャリアの黒竜王子

緑川らあず

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慟哭

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 そこには、信じられないような光景が広がっていた。
「ここが……本当に、レンゼー村なのか」 
 つぶやいたのはシャネイの若者……ラビだった。
 横にいたドーリとサビーも、その問いに答えられるはずもなく、ただ呆然と、目の前の恐るべき光景を見つめていた。村を焼く炎はよほど下火になっていたが、それでもまだもうもうとした黒い煙と熱風が上がりつづけ、彼らが近づくのを拒んでいた。
「なんて……ことだ」 
  村の家々は跡形もなく崩れ、辺りには焼け焦げた木材が散乱していた。そのところどころにはまだ、ちろちろと炎のくすぶりが見えている。
 目の前に黒々と焼けただれた死体を見つけると、サビーは悲鳴を上げて飛びのいた。
 だがよく見ると、崩れた家の残骸のなかや、道に転がっている一見ただの焼けぼっくいのようなものも、それらは全て、村人たちの死骸や死体の一部であることがわかった。だが、それが死体だと見て取れるものはまだよかった。ほとんどは、それが男なのか女なのか、子どもなのか大人の死体の一部なのか、それすらもまったく分からない有り様だった。
「ひどい……ひどすぎる」
 沈痛にドーリがつぶやいた。死体から目をそむけたラビは、心配するようにサビーを見た。少年の顔は強張ってはいたが、恐怖に声を上げたり泣きだしたりする様子はなく、気丈な様子で辺りに目をやっていた。
「どうするかね……ラビ」 
「とにかく……、村を回ってみて、もし……誰かが……」
  彼は言いかけて口を閉じた。この無残な焼け野原で、まだ生きているものが発見できるとは到底思えなかった。
 三人は無言のまま、それでもかすかな希望を求めるようにして、瓦礫と焼け焦げだらけの通りを歩いていった。しかし村の中ほどまでくると、まだくすぶっている炎の熱気と煙がひどく、引き返さざるをえなかった。いったん村の外に出て、外から村の周りを回ってみようとラビは言った。
「あまりこういう話はしたくないが……、どうも妙だ」
「なにがだい?」
 村の外を囲む木柵にそって歩きながら、ラビは考え込む様子でドーリに言った。
「うん。村で見た死体の数が、どうも少ない気がする」
「そういえば……そうだね。でも、どこかへ逃げ延びたのかもしれないよ」
「……だといいが」
「どうしたのさ?なにが少ないって?」
  二人の後ろを歩いていたサビーが寄ってきた。
「うん……いや」
 困った顔をしてラビが言葉をにごす。ドーリが立ち止まった。
「ちょっとまって」
「どうしたのさ、ドーリ……」
「しっ」
 ドーリはぴんと耳を逆立てていた。なにかを聞きつけたように耳を澄ます。
「今ね、声が聞こえたんだ」
「声?」
 ラビとサビーも耳を澄ましてみる。 
 風の音、炎のくすぶりの音に混じって、確かに声のようなものが聞こえる。
「あっちだ」
 ドーリが指さした。
 村の外壁にそってそちらに走ってゆくと、辺りには焦げ臭さとも異なるような、異臭がたちこめはじめた。それが血の匂いであると、ラビとドーリには分かった。
「ああっ、見て!」 
 サビーが指さした地面には、無数の馬蹄の跡が残っていた。
「これは、きっとジャリア兵のものだね」
「あっ、見て、あっちにもなにかが……」
「おい、待てサビー」
 走り出したサビーの後を二人も追う。
「わあああっ」
 いきなり、少年が悲鳴を上げた。
 追いついたドーリとラビも、息を呑んだように立ち止まった。
「な、なんだ、これは……」
 彼らの前に、「それ」があった。
「あああ……あ」 
 言葉にならない呻きが、自然と口からもれる。
 そこに積み重なっていたもの……
  それは、死体だった。
 ジャリア兵が凌辱し、まるで獣を狩るようにして殺していった、女たちの死体……裸にされて乱暴され、耳を切り落とされた女たちの、ぼろぼろにされた見るも無残な死体がそこにあった。
「こんな……こんなことが」
  無造作に積み重ねられた死体は五十以上はあったろうか。どれもがその顔に苦悶と恐怖の表情を浮かべている。大人の女も、まだいたいけな少女のシャネイも、同じように暴行され、傷つけられて、血だらけでこと切れていた。
「ひどい。ひどすぎる……
「う……ううっ」
 顔を歪ませるドーリの横で、少年は地面に突っ伏して嗚咽した。
 皮肉なことに、村の外までは火が届いておらず、遺体がそのままの形で残っていたのだろう。切り落とされた首や手足、耳などが、そこかしこに散乱し、辺りには大きな血だまりができていた。
「こんな……ことは」
 唇を震わせてドーリがつぶやいた。
「許されない……こんな、こんな残酷な仕打ちはないよ……」
「これが、ジャリアの……残虐王子のやり方か……」
 ラビは放心したように、青ざめた顔で首を振った。二人の横では、サビーが地面に手をついてまだ吐き続けている。その背中をさすってやることも忘れ、彼らはしばらく、この悪夢のような光景を前にして、ただ立ちすくんでいた。 
 この中に生存者がいないかと、ドーリは死体の山を探しはじめた。だがすぐに、とても生きているものはいそうもないことに気づかされた。首を落とされたもの、胸を深々とえぐり取られ、血の海に横たわる恐怖に歪んだ顔、両手両足を切り落とされ、芋虫のように投げ出されているもの……そこに知っている顔を見つけると、彼女は顔をくしゃくしゃにして嗚咽した。
「なんてことだ……なんてことだ」
 だがサビーやラビの手前、年長者の自分がしっかりしなくてはと、かろうじて自分を抑えると、彼女は気丈に探索を続けた。
「確かに、声がしたんだよ……誰かの」
  自らへ希望をもたせるようにつぶやきながら、彼女は月明かりを頼りに、血の匂いの中を探し回った。だが、どこにも、息のある者は見つからなかった。
  顔を上げふと見ると、ここからやや離れたところにも死体があった。
「あれは……」
 そこに転がった首が見えると、彼女はひどくいやな予感にとらわれた。
「ああ……まさか」
  見たくなかったが、自分が確かめるしかなかった。
 ぶるぶると体が震えた。
 両手の拳をぎゅっと握りしめ、彼女はそちらに近づいていった。
 土の上に十人あまりの遺体が並んでいた。女たちのように服を剥ぎ取られたり、体に傷はつけられてはいなかったが……そのすべてが、首を切り落とされているようだった。
「ああ……神様」
  口の中でつぶやきながら、ドーリは恐る恐る死体を覗き込んだ。 
 おそらく押さえつけられたまま、次々に首を刎ねられていったのだろう。一列に並ぶようにして転がった、その首のひとつを見ると、彼女は思わず呻きとともに顔をそむけた。
「ああ……」
  その顔には確かに見覚えがあった。嗚咽をこらえながら、なんとか全員の顔を確かめると、その中にはサビーの友達のリンジの顔もあった。こちらの村にも何度か遊びに来ていたので知っている。まだ少年めいたその顔が、今は血の気を失い、恐怖に引きつった目を見開いて地面に転がっているのだ。
 サビーの話によれば、このリンジを中心とした少年たちが、ジャリア兵の襲撃を計画していたということだった。すると、ここに並んでいる首を落とされた少年たちが、計画に加担した仲間たちなのだろうとドーリは理解した。
「なんて、ことだろう……」
  切り落とされた少年たちの頭を一人ずつ撫でて、目を見開いている者は閉じさせてやり、ドーリは何度か息をついた。ここで声を上げて泣いてしまえば、サビーに知られてしまう。
「う……」
 ドーリは込み上げてくものをぐっとこらえ、胸の中に飲み込んだ。
 結局、ここにも生存者は見つからなかった。
 この場を離れて、いったいん落ち着こうというラビの提案にドーリも同意した。これ以上ここにいたら、どうにも気がおかしくなりそうだった。すべての遺体を葬るのは自分らだけでは無理だろうし、いったん村に戻ってオダーマにも報告するべきだろうと、ラビは言った。
「さあ、サビー。立って。村へ帰ろう」
「リンジは……リンジたちは、どうなったの?」
 ドーリは何も言わず首を横に振った。少年の頬が涙に濡れた。 
「ラビ。サビーをお願い。先に村に連れて帰っておくれ」
「あんたはどうするんだ、ドーリ」
「ちょっと……あとちょっとしたら、帰るから」
「わかった」 
 サビーを背負ったラビが歩きだすのを見送ると、ドーリは、再び女たちの遺体に駆け寄った。
「……」
 もはや動くもののない同族の亡骸を前にして、彼女はぐっと唇を噛みしめた。
 しだいにこみ上げてくる感情に、ぶるぶるとその身を震わせ、
 そして叫んだ。
「ああああ!」
 近くにあった少女の遺体を抱え、ドーリは大声で泣いた。転がった女の首を見つめて絶叫し、乱暴に犯された娘の血の滲んだ体に怒りをみなぎらせた。
「あああ……ああああ」
 血に濡れた土に顔をつけ、叫びながら、彼女は何度も地面を叩いた。
「何故だ。ああ、何故……こんな、年端もいかぬこどもまでを……」
 血に濡れた少女の裸体に覆いかぶさると、先程まで抑えていた涙がとめどなく溢れ出た。
「許さない。こんなことは……許されるはずがない。何故……どうしてだ!」
  猛烈なる怒りと悲しみ、そして不条理への憤り、やるせなさが、体の内側から一気に吹き出すようだった。彼女は今ここで、自分の体が砕けることを願った。
「ああ……、あああ!」
「ジャリアども、許さないぞ。悪魔どもめ……、こんなことを……絶対」
 目の前の殺戮の跡が、これまで彼女の経験してきた全ての悲惨な情景、その記憶と重なり、そのときの怒り……ジャリア兵士への、そして人間への憎しみの、それらすべてが、頭の中でまざまざと甦った。
「決して忘れぬ……。決して……、きさまらのやったことを……けっして」 
 彼女は、叫んでは息をはき、また涙を流した。
 自らが流すのは血の涙に違いないと、彼女は疑わなかった。女たち、少女たちの、今はもうなにも映さぬ、うつろに見開かれたたくさんの目が、彼女を見つめていた。恨みをのんだ顔、苦悶の顔、なにが起こったのかすら分からぬような、まだあどけない少女の顔……それらから、どうしようもない悲しさと、何かを呪いたくなるような、どろどろとしたどす黒い思いが、ドーリの中に伝わってくるようだった。
「ああ、あ……、なんで……、神様……こんなことを、おお……お」
 彼女は、そう苦しそうにつぶやき、また地面に突っ伏した。彼女の顔や体も、死体からついた血でべったりと濡れていた。 
「うう……、うーっ……ふ……ぐうう」 
 夜闇の中を、声を押し殺した呻き声が響いた。
 彼女はときおり呪いの言葉をつぶやき、また地面に伏せて煩悶した。頭も体も熱くなり、自分がこのまま狂うのではないかと彼女は思った。 
 どのくらいそうしていたのか、
 冷たい風が吹きつけるのを感じ、彼女は顔を上げた。血と涙で濡れた自分の頬を触ってみる。
 ふと見上げると、黒々とした木々の枝が風に吹かれ、さわさわと揺れている。空には星が見えていた。
「……」
 彼女は地面に座り込むと、血だらけの自分の手を見つめ、静かにすすり泣いた。
「わ……わたしたちは……」
 それは、ひどくしわがれた、年老いた老婆のような声だった。 
「なぜ……生きているんです?このような世界で……なぜ?」
 誰も答えるものはない。
「どうして……こんな、ことが……」
 まだこちらを見ているかのような、死せる少女の顔を見つめながら、
 彼女はつぶやいた。
「わたしたちは、なんなのです……。人間でもなく……動物でもなく……」
 姿のない、なにものかに問いかけるような、静かな言葉。
「どうして……こんな目に。どうして、こんなふうに、なんの価値もないように殺され、わたしたちは、辱められなくてはならないのです。どうして……」
 もがくように手を伸ばし、力なく土をつかむと、
  彼女は再び嗚咽した。静かな、とても悲しげな泣き声で。 
 そうして、激情の時間は過ぎ、彼女は空を見上げて横たわっていた。まるで他の死体と同じように。
 じっと身じろぎひとつせずにいた、その彼女の耳が、ぴくりと動いた。
  こんなときでもシャネイの感覚は鋭敏である。耳をたてたドーリは、なにかの気配を感じて身を起こした。
「……」
  それは確かに生きているものの気配だった。だが、まだ彼女はその場を動かなかった。
 ジャリア兵が戻ってきたのだろうか。それでも、隠れることも、逃げることも頭に浮かばなかった。
  殺すなら殺せばいい。彼女は本気でそう思った。
 すぐ近くの茂みが、かさかさと音を立てる。
 ドーリは身構えた。だが、次に彼女が聞いたのは、思いがけぬものだった。
 すすり泣くような子供の声……
 そして、茂みからひょっこりと顔を出したのは、シャネイの少女だった。 
「ママは?」
 少女はドーリを見ると、涙にぬれた目を向けた。
 それはまだ年端のゆかぬ、ほんの小さな少女だった。土や灰に汚れたボロボロの服を着て足は裸足、茂みでこすれたのだろう、顔にはいくつもすり傷がついている。
「あんたは……」
 ドーリは驚きながら、ゆっくりと少女にいざりよった。 
「ママがいないの……」
「あんたは……、この村の子かい?」
 少女はうなずいた。そしてまた「ママがいない」とつぶやくと、しくしく泣きだした。
「あんたは、どうして……」
 助かったんだい……などと訊いても分かるはずがない。ドーリは言いなおした。
「ずっとここにいたのかい?」
 少女は首をふった。
  その目が動いて、女たちの死体の方に向いても、その表情は変わらない。ここでなにが起こったのか、理解していないのだろう。
「ママにひっぱられておうちの外にでたの。それから、大きな音がして……それで、気がついたらママがいないの」
「他の……他の大人たちはどうしたんだい?」
 少女は小さく「分からない」と言った。
「でもこわいから、戻ってきたの。そしたら火が怖かったの。村が赤くなってたの。熱くて、怖くて……だからずっと隠れていたの」
「そうかい……そうか」
 少女を怖がらせないよう、ドーリはその体をそっと抱いた。
「よく……、よく助かったね……よく」 
「ねえ、ママは?ママがいないの」
「ああ……大丈夫さ。探してあげるから……ね」
 そう囁いて、ドーリは強く少女を抱きしめた。 
「本当?」 
「ああ……本当さ」
 ドーリは泣いた。
 小さな少女を抱きしめて。その暖かな、小さな命にすがりつくようにして、
 彼女はいつまでも泣いた。
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