最後にいなくなった、君は

松山秋ノブ

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第1章「失敗」①

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    夢か分からない夢を見ていた。

 過去に起こったことかもしれない。自分の中に潜在記憶として残っていて、それが今になって夢として出てきたから、夢なのか夢じゃないのかの区別がつかないのかもしれない。見覚えのない深夜の道、いや、見覚えのない、というのは表現が違う気がする。家の近くの道か。深夜だから分からないのかもしれない。でも微妙に違う気がする。脇道に見えるのは故郷にある実家近くの道か。実感のない道を当てもなく歩いている僕は急に呼ばれた自分の名前に驚いて振り返る。

 真っ暗な道の真ん中に
    ゆらりと浮かぶ白い服の女の子

 この世のものとは思えない姿に僕は声を上げそうになってすぐに正気を取り戻す。僕はその女の子に見覚えがあった。正確には見覚えがあった「らしい」という表現がこれも適切か。顔がはっきりとしない。もやがかったモンタージュのようだ。手にはピンクの袋に僕の知らないアニメのキャラが膨らんだ綿菓子らしきものを持っている。彼女は笑ってその袋を開けると、中からはやはり真っ白な綿菓子が顔を出す。彼女はそれを嬉しそうに口に含むと、僕に向かって差し出してくる。僕は、いや大丈夫、と作り笑いで受け流し、彼女はちょっと不満そうに手を引っ込めた。僕はまた歩き出すと、彼女は小走りで後ろをついてくる。ひらりと風に舞うワンピースと髪から微かな春の香りを感じる。近づいてきて彼女の髪が長いことに気がつく。少しだけ横を向くと綿菓子から彼女の白い頬が覗く。彼女が誰なのかはわからないけれど、僕はその子を知っていた。ずっと前から知っている気がした。
 僕たちは無言で道を進んで行く。無言と言っても、彼女は綿菓子を食べているので、無言なのは僕一人だ。しばらく進むと綿菓子を食べ終わったらしい彼女が不意に前に駆け出した。僕もそれにつられて前に駆けようとしたけれど、身体が前に進まない。物理的に進まないのか、理性が抑えているのかは知れない。どちらにせよ僕にはその理由が分からないまま、彼女の姿を目で追っていた。
 数十メートル先に進んだところで彼女は振り返る。やはり顔ははっきりとは分からない。けれど、笑っている。

「ほんとさ、君は忘れっぽいな。そこが好きだったんだけど」

 声にならない声が聞こえてきた。テレパシーみたいに聞こえた。その言葉の意味や、声の高低や、誰の声だったかを反芻して確かめていくうちに、気が付くと、彼女の姿は消えていた。そして目の前にはまた真っ暗な道が続いているだけで、僕はそこを歩き出す。



 ぼーん、ぽーん、という音で目が覚めた。


 僕は仰向けで自宅のソファの上にいた。音はスマートフォンからしたようだ。アラーム音はかけていないので通知を確認する。電力会社からのショートメールが届いていた。本日中に電気料金を払うようにとの催促だった。遂にこのメールが届いたか、と体を起こす。このメールが届くと翌日には電気の供給が止まってしまう。最終通告だ。別に払うお金が無いというわけではない。特別余裕がある生活をしているわけではないが、お金に困るような生活もしていない。ただ僕のもとには毎月このメールが届く、そして届いたら払いに行く。公権力への反抗心でもなく、単に僕が忘れっぽい性格だからだ。鞄の中に請求書を入れて、コンビニで払い込むだけの作業なのだが、どうにも忘れてしまう。店に入るまで「今日は払うぞ」と思っていても忘れてしまう。店を出た後に気づいて戻ろうかともするけれど、面倒で次に払えばいいやとなってしまう。そうした結果の積み重ねがこの現状だ。口座からの引き落としにしたらとアドバイスをもらい、用紙をもらったこともある。けれど、またそれを出すのを忘れ、そして面倒が勝って結局やらないのである。そう考えたら、あの夢の中の女の子が言っていた「忘れっぽい」という指摘は間違いではなく、それこそ色々な人から何度も言われたことである。忘れっぽいうえに面倒くさがり、30代半ばの独身男子としてはなんとステレオタイプに仕上がってしまったか。立ち上がって大きなため息をつく。
 簡単に着替えを済ませ、僕は家を出た。もちろん、電気料金の振込票を持って。時刻は19時を回ったところで、外はもう暗い。さっきの夢のデジャヴではないかとも思った。少しだけまだ肌寒い3月の街を駅に向かって歩く。お腹が減って夜ご飯でも食べようかと思ったけれど、近所の飲食店は軒並み店を閉めていた。世間では大陸から入ってきた新型の感染症の影響で外出を控えるようになった。メディアでは毎日のように感染者が増える報道がなされ、やれ何が危ない、だの何が感染を広める、だのいった本当かそうでないか分からないような話が飛び交う。終いには政府も外出を自粛するように言い出したせいで、僕の近所のお店は開いても客が来ず、採算が合わないということで鎮静化するまでは店を閉じてしまった。コンビニはかろうじて開いているけれど、30代の独身男性が夜ご飯にコンビニで弁当を食べることに哀愁を感じざるを得ない。出来ることなら違うものを食べたい、何を食べたいというわけでもないのだけれど、という心持で、とりあえず駅まで行けばお店も開いているだろう、と思ったのだ。こんなことにならなければ、好んで駅に行くことなんか滅多にしない。人が多いところが苦手だし、人の会話が耳に残って気分が悪くなる。自分の両端に人がいる、ということも苦手だ。だからサラリーマンを辞めた時に、もう電車に頼る生活は止めようと思った。都心から離れたところに住み、車で生活するようになったのもそのせいだ。30歳を越したころで漠然とこれからの生活を考えたときに、自分がさほど好きではない仕事を乗りたくもない電車に乗ってこれから何十年もしていくのか、と思ったら、もう続けられなかった。会社を辞め、退職金を資金にやってみたかった劇団の経営に挑戦しようと思った。けれども劇団を始めようにも縁者も裏方もいない。まずはそのコネクションを広げないといけない、ということで小さな芸能事務所を設立した。芸能事務所といっても、そんなに立派なものではない。フリーでイベンターをやっていた大学時代の友人に協力してもらい、紹介されたバンドやアイドルグループのライブイベントを行うのが主な仕事だ。その収益を元手にして、ライブに出ているアイドルを演者に年に1~2回の演劇の公演をする。それだけの本当に小さな会社。事務所も今住んでいる自宅を簡単に改造しただけ。最初はやりたいことをやれる仕事だと鼻息荒くしていたけれど、安定した収益を上げるためにブッキングに冒険心はなくなったし、そうしてやっと得た演劇公演の機会も、芝居とはいえないお遊戯会みたいな演技しか出来ない演者と、それに満足する観客とで辟易としていた。
 それでもまぁ辞めずに何とか続けているのは、それなりの生活が出来ていることと、これを辞めてサラリーマンに戻りたくないというのが大きい。
 ただ、昨今の外出自粛の流れは、僕の仕事にも大きな影響をもたらしていた。もともと満員とは言えないライブイベントに来る客の数は激減してしまったし、大きなイベントが自粛を発表する一方で、僕のような小規模の会社が行うイベントも自粛を求められるようになった。ライブを行おうとすれば必ずといっていいほど自粛を求める抗議の連絡がくる。出演する演者のほうにも抗議がくるらしく、出演をキャンセルされることも増えた。客も演者もいなくなり、収益が出ない状態で無理に開催しても、残るのは赤字と悪い評判だけ。3月は企画している大きなイベントを全て中止にしてしまった。仕事という仕事はほとんどなくなり、本当はイベントに駆り出されている平日の夜にこうしてのんびり歩いていられるのもそのおかげだ。幸い、そろそろ演劇公演を打とうかと資金を貯めていたところだったので、しばらく会社も生活も傾くことはない。演劇公演を1回流せばいいだけである。この状況が数か月続けばちょっと苦しくなるかもしれない。それこそ手元にある電気料金が払えなくなるほどに。

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