最後にいなくなった、君は

松山秋ノブ

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第1章「失敗」⑥

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    芽以を見送ると、僕は裏に引っ込むことにした。とはいえ、楽屋に入るのは嫌だったので、楽屋のもっと奥にある裏口から出たところにある喫煙所に行く。ちょうど良いブロックがあって、僕はそこに腰を落ち着けた。禁煙ブームと言われていながら、この業界には喫煙者が少なくない。とはいえ、中で吸うには肩身が狭い世間体でこうして裏口に喫煙所を設けるライブハウスが増えた。僕は禁煙ブームとは別に大学時代に禁煙して以来、もう十数年吸ってはいない。どうして吸い始めたのかも忘れてしまったが、どうして止めてしまったのかも忘れてしまった。どうせ好きな女の子が煙草嫌いだった、っていう類のものだろう。思い出す価値すらない。

    しかし、こうして何もせずにただ座っているとさっきの出来事を思い出してしまう。思い出すのも気分が悪い出来事だった。できれば思い出したくはない、こんなことならいざという時のために煙草を1箱でも用意しておくんだった。仕方がないから気分は悪いが、さっきの出来事を振り返ってみる。真奈は芽以に僕に関わるとロクなことがない、と言った。真奈は僕と関わったことでロクでもない目に遭ったということだろうか。はっきりとは覚えていないけれど、真奈と明確な喧嘩をしたことはなかったし、真奈と別れた後も僕たちは何もなかった。何もないまま僕は故郷を飛び出してきた。それ以降の真奈の消息は分かっていなかったし、僕が関わっていたとしても直接的ではない。それを僕のせいにされても困る。
 だから思い返してみても、言い争いになった、と言えば別れ話の時くらいしかない。でも、あれもほぼ一方的に別れを切り出されただけで、何も答えてはくれなかった。一体僕は真奈に何をしてしまったのだろう。そんなことを考えているうちに物販を終えた芽以が裏口にやってきた。やっぱりここだと思いました、と物販道具の入ったトランクケースを預かり、いつものところにお願いしますね、と言い残すと、芽以は着替えのために楽屋に戻っていった。
 トランクケースを手に主催者や他の事務所の人に挨拶をしながら僕はライブハウスを後にした。駐車場に戻り車に乗り込むとライブハウス近くの開けたスペースに車を寄せる。しばらくすると芽以が衣装を手にドアを叩き、車に乗り込んでくる。これから僕は芽以の住む登戸まで彼女を送っていく。芽以は慣れた手つきで乗り込むと、いつものところまでお願いします、と前を向いたまま言った。あいよ、と簡単な返事の後、車を出す。神宮通りから国道246号線に入る。心なしか国道の渋滞もいつもより緩和されているように感じる。まだまだ自粛ムードなのか、渋滞にいらいらせずに済むのは好都合だった。芽以はスマホを片手に写真とにらめっこをしている。SNSに載せる写真を選んでいるのだ。大抵これで移動時間の多くは費やされる。2人で移動しているからといって、特に会話をするというわけではない。到着間際に次のスケジュールの確認やらなんやらをちょっと話して終わりだ。正直これは助かる。いくら所属タレントと事務所の人間とはいえ、年齢が親子ほど離れているというわけでもなく、ましてや成人した女性が相手である。変に仲良くなりすぎて距離感が近くなりすぎてはいけない。恋人だの愛人だの疑われることは絶対にあってはならない。もちろん同じ事務所なのである程度の信頼関係は必要なのだけれど、それ以上は必要ない。そういう意味でも僕は始め、芽以を車で送っていくのには抵抗があった。けれど、その辺は芽以の方がずっと弁えていて、僕たちはあくまで仕事上のパートナーであり、それ以上ではない関係が維持できている。芽以のファンも最初は僕に警戒をしていたようだけれど、芽以が「社長とは車の中で特に会話をしない」と積極的に言っているようで、今では話のネタにされることはあっても警戒されることはない。助かる限りだ。
 けれどこの日は写真選びもそこそこに芽以はスマホをカバンにしまった。まだ目的地までは30分以上かかりそうである。
「今日のことなんですけど」
芽以は先ほどの真奈との出来事を切り出した。
「ごめんね、変なことになって、
    あれから大丈夫だった?」
「はい、『昔の女性が文句言いに来たらしいよ』
    って言ったら、みんな『ありえるー』とか
  『ぽいわー』って笑ってました」
その時の光景が目に浮かぶ。きっと、あーあいつならあり得るわーくらいのテンションで笑っていたに違いない。正直僕の何を知ってるんだ、と思うけれど、今日に限ってはそれでうまく切り抜けられたので許すことにする。
「それで、ほら、『詳しいことは後で話す』って」
そっか、そんなことも言ったなと思って、うまくはぐらかせば良かったと後悔したけれど、芽以の物販をあと少しで台無しにするところだったこともあって、僕は正直に芽以に話すことにした。彼女が高校時代に付き合っていた恋人だったこと。うまくいっていると思っていたけれど、高3のある日突然振られてしまったこと。それから僕は地元を離れて一度も会っていなかったこと。昨日急に高校時代の友人から連絡が来て、同窓会に誘われたこと。その時に亡くなった同級生がいたけれども、すっかり忘れてしまっていること。同級生が真奈に連絡をして今日来てしまったこと。真奈は最後に僕に同窓会へ出席しないように言ったこと。ここまで話す必要はなかったかもしれないけれど、普段芽以と話さないこともあって、何故か饒舌になっていた。芽以もうんうん、と言いながら聞いていた。
「同窓会に出るな、ってどういうことでしょうね」
一通り聞いた後で、芽以は首をひねりながら言った。その佇まいはさながら若き名探偵のようである。
「さあ・・・オレにはなんとも」
ですよね、と言って芽以が笑う。歌っているときの芽以も良いけれど、こうして無邪気に笑っている芽以も良い。長年のファンが少なくないのも納得である。
「にしても、望月さんの忘れ具合も大概ですね。
    亡くなった同級生を忘れるなんて」
そうなんだよな、と運転をしながらため息をつく。
「そんな具合であの彼女さんに何かしたのも
    忘れてるんじゃないですか」
若き名探偵は現状で最適解と思われる答えを出す。僕も覚えてこそいないけれど、それが正解のような気がしてならない。忘れてるんだよな、きっと、とちょっと重く言ってしまったので、芽以はそれ以上追い打ちをかけてはこなかった。まずかった、と思った。急に車内を沈黙が支配する。これまではそれが当たり前だったのに、これまでとの落差でこの沈黙が急に重苦しいものに感じる。何か話さないと、と巡らせて、忘れっぽいといえばさ、と言って一昨日の駅ビルでの出来事を話した。急に久しぶりと言われたけれど、誰だか分からないんだよね、と。芽以もその重苦しさを感じていたのか、すぐに相槌を打ってきた。それから車内はその時の女性の話で持ち切りだった。サービスまでしてもらって人違いですかね、と芽以が言う。でも20年前にはオレは地元にいたしな、と返す。それからクイズのように、この時の人じゃないですか? と芽以が言ってくれるけれど、僕はとうとう最後までその時の女性が誰なのかを導き出すことができなかった。でもそれで良かった。答えを出すために会話をしていたんじゃなくて、沈黙しないために話をしていたのだから。
 府中街道に出て、多摩川沿いを進み、いよいよ着くぞというところまで話は続いた。それ以降沈黙になることはなかった。最後に次のスケジュールを確認する。次のライブは20日。同窓会の日だ。このライブは外せないものだった。あ、ここでいいですよ、と言って芽以はいつもの場所で降りようとする。車を寄せていると、
「同窓会、行った方がいいですよ」
と芽以が急に真剣な顔で言った。いや、ライブはどうするの、と言うと、何とかしますからと笑った。
「『行くな』って言われたら行かなきゃでしょ」
とんでもない論理だとは思ったけれど、確かに僕も真奈に「行くな」と言われて、何としても行ってやろうという気持ちになったことは間違いない。それに、と芽以は続ける。
「『失敗だった』って。あの言葉の意味、
    私も知りたいんですよ。何となくですけど、
    同窓会に行けば分かる予感がします」
何を根拠に言うのかは分からなかったけれど、芽以は妙に自信満々だった。
「もしあれが単に私に対しての言葉だったら
    文句を言いたいんで教えてくださいね」
芽以はそう言い残して自宅へと向かって消えていった。

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