最後にいなくなった、君は

松山秋ノブ

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第2章「錯乱」③

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 翌日、指定された時間通りに行くと、店の前には誰もいない。連絡をすると、近野の名前でもう既に入っているというので、店に入り近野の名前を言うと奥のテーブル席に案内された。近野が手招きして呼ぶ。テーブルには近野を含めて6人がいた。空いている席に座ると、店員がおしぼりを持ってくる。僕は飲み物をオーダーし、腰を落ち着けた。飲み物は事前に用意されていたかのようにすぐに運ばれてきた。案内されている時に気が付いたが、僕ら以外に他の客がいない。がらんとしているのに奥の方に通されたということは貸し切りではないのだろう。単純に僕たちしかいないのだ。それは時間が早いせいか、それとも世にはびこる感染症が問題なのかは分からない。どちらにせよ、すぐに飲み物が来たのは嬉しかった。
「今回は望月が久しぶりにきてくれたので、
    こうして集まってもらいました。
    今日は久しぶりに昔に戻って楽しもう、乾杯」
近野の音頭で会が始まった。声を聞いていたから何となく誰が近野かは分かったけれど、他のメンバーは約20年ぶりということもあって、ほとんど分からなかった。
「オレ、忘れっぽいからさ、1回自己紹介しない?」
おどけて言うと、本当に昔から望月はすぐに忘れるな、と笑いが起こり、空気が悪くなることなく自己紹介へと進む。高2の頃は何となくクラスの中心メンバーからは距離を取るような人間だったので、思い起こすような思い出はほとんどない。正直名前を言われたところで覚えていない方が多いのだけれど、それでも名前が分からないよりはマシだった。順番に自己紹介と簡単な近況報告がされていく。集まったのは僕も含めて男5人と女2人。聞いたような、聞いたことのないような名前がどんどんと並べられていく。女性は2人とも名字が変わり、わざわざ旧姓で言ってくれたけれど、その名前にもおまり聞き覚えがなかった。
    そうして全員の自己紹介を聞くと、あと1人遅れてくると近野が言う。柳町さんと呼ばれるその人の名前はちょっと聞き覚えがあった。もしかしたら席が近かったのかもしれない。記憶を掘り起こそうとすると、近野が今度は僕に自己紹介をするように促す。今更人に言うような報告なんて何もないのだけれど、自分だけ言わないのはフェアではない。仕方なく僕も近況を報告した。途中で近野の野次が入り、テーブルでは何度も笑いが起きた。こういうのは得意ではないから、ちょっと居心地が悪くなるかと思ったから、近野のそれは少し助かった。一通りの自己紹介の後は、各々が自由に話し出した。会話の内容のほとんどは最近のお互いのことであり、昔の思い出に浸るような会話はなかった。本当はすぐにでも恵美さんのことを訊きたかったのだけれど、変な勘繰りをされるのが嫌で、自分からその話題を振ることは避けた。したくもない会話をしながら、アルコールだけが体内に吸収されていく。
「ねぇ、芸能事務所って、有名な人が誰かいるの?」
時間が経ち、席がどんどんと変わっていく、先ほど片山と名乗った同級生の女性が隣に座って質問をしてきた。この質問はこれまで何百万回とされてきた。片山さんには関係がないことかもしれないが、僕にとってはうんざりする質問である。
「いや、ほとんどイベント運営だけで
    タレントは1人しかいないんだ」
ここからの質問の流れは決まっている。イベントって何の? から始まって、インディーズアイドルのこと、知り合いに有名人はいるか、ということ、どれくらい儲かるのか、ということ、世間に言われているようなゴシップは本当にあるのか、ということ。例に違わず片山さんも同じ質問をしてきた。違うと言えば感染症の影響はどうか、ということを訊いてきたくらいか。途中、近野が入ってきて、色々と補足をしてくれたので、いつもよりはフラストレーションを溜めずに済んだ。とはいえ近野が僕の何を知っているのか、という話であるが。そう言いながら、僕のやっているイベントや芽以のことをよく調べているようだった。芽以の名前も僕からではなく、近野から出たものだった。
 すると前に座っていた石原という男がiPadを手に
「この子がもっちーのタレント?」
と訊いてきた。動画サイトが開かれていて、芽以のライブ映像やら何やらが羅列されている。僕がそうだ、と答える前に近野がそうだと言って返した。いくつかを指さして、これとこれが最近のやつで、望月が作詞してるんだって、と説明まで加えて。へーすごい、すごい、とテーブルはにわかに盛り上がる。聴こう、と片山さんが言い、石原が再生ボタンを押す。一応僕は、盛り上がる曲じゃないよ、と忠告した。イントロがかかり僕は曲名を知る。それは僕が詞を書き、芽以が曲を書いた『歩き出せない季節』だった。



 君がいなくなる季節まで  
   1つ数えて 2つ数えて
 渡さない 渡せない  
    後ろを歩き出すことさえできない
 君がいなくなった季節を 
    3つ数えて 4つ数えて
 忘れたい? 愛おしい 忘れられない

 感情をなくした君の顔に
 伝える「さよなら」は
 君の名前を呼ぶように


 
 片山さんが「いい感じだね」と言った。思っていたのと違っているようではあることは動画を観ているときの空気である程度分かっていたことだった。それが期待外れのものだったのか、それとも思っていたより良かったのかは分からない。石原が、すげーな、と言って持っていたグラスに残っていたビールをぐいと飲みほした。その言葉すら本当のものかはわからないけれど、そのまま受け取ることにした。これが本音かどうかはこの場では特に重要なことではなかった。大切なことはこれから訊かなくちゃいけない。慎重に飲み続ける僕に対して、周りはハイペースでどんどんとお酒を飲んでいた。客も全く増える気配がない。近野に訊くと、ここは友人の店で、今日は本来貸し切りの送別会が入っていたらしいが、この感染症の騒ぎで急遽キャンセルになってしまったらしい。食材も発注してしまったし、困っているということだったので、そういうことなら都合が良いとこの店に決めたそうだ。料理も廃棄前提のものなので、格安で提供してくれているらしい。道理でみんなどんどんと飲み食いしているわけだ。19時半に近づくころには、もうみんなすっかり出来上がってしまっていた。未だ冷静に話しているのは僕くらいだった。これなら、と見計らって、僕は片山さんに恵美さんについて訊いた。片山さんは少し呂律が回らない様子で答える。
「恵美ちゃんね…ごめん、私さ、
    そんなに仲良くなかったんだ、席も遠かったし」
「オレも覚えてないな…物静かなことくらいかな、
    オレも席が遠かった」
聞くと、恵美さんはとても大人しいタイプの子だったらしい。夏休みが明ける頃にはもう入院をしていて、高3になる前に担任から亡くなったことを聞いた、と。あまり接点がなかったらしく、思い出らしい思い出もない、と。
「でも、望月君は席が近かったんだから、
    仲が良かったんじゃない?」
片山さんが逆に僕に訊いてきた。僕は恵美さんと席が近かったらしい。
「そうだよ、思い出した!」
石原が真っ赤な顔で大声を出す。テーブルが石原に注目する。
「もっちーさ、体育祭のときに恵美ちゃんと
    ペア組んでたじゃん、二人三脚リレーの」
二人三脚リレーという響きが僕を高校生に引き戻す。うちの高校の体育祭は全学年、クラス対抗の男女混合二人三脚リレーをやることになっていた。1年では訳もわからないまま、出席番号順で知らない女子と組まされた。あの気まずさは一生のトラウマものである。高3では当時付き合っていた真奈が同じクラスだったから真奈と組んだ。高2は…と思い出すときになって、自分が高2のときのペアを思い出せないことに気づいた。恵美さんだったかどうかはおろか、どんな人と組んで、どんな思い出があったかも全く思い出せない。記憶がすっぽりと抜け落ちている。
「そうだったっけ? 違う気がしたんだけどな」
近野が石原を諫めようとするが、石原は
「いや、そうだよ。それで恵美さんともっちーが
    付き合ってるんじゃないかって噂になったんだから」
あー、そうだった、と片山さんも笑って同調した。

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