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第3章「消失」②
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しばらく駐輪場で考え事をしていると、階段を上る音が聞こえてくる。音が大きくなったと思ったら、用務員さんが見回りに来ていた。
「ここしばらくは休校だから入れないよ、
あんた、何の用?」
中年と言うよりは還暦近いんじゃないか、という風貌の用務員さんは、一瞬その風貌で分からなかったけれど、間違いなく僕らが高校生だった頃からいた人だった。演劇部が下校時間ギリギリまでこの駐輪場で練習をしていると、早く帰るようにしばしば注意をしに来た、あの人だった。
「いや、すみません。卒業生なんですけど、
すぐに出ますね」
彼の風貌は年月の流れを感じさせた。僕は懐かしさ声が出そうになったけれど、余計に不審がられそうで止めてしまった。僕は覚えていても、向こうが覚えているはずがないのだ。
「お願いしますね」
言葉だけかけて階段を降りようとしたところで、用務員さんがもう一度僕をまじまじと見る。そんなに怪しい人間ではないのだけれど。
「あの…何ですか」
と言う僕に、さらにまじまじと見つめた用務員さんは、突然目を見開いて
「君はもしかして、演劇部の子かい?」
と驚いたように言った。僕も驚いて、
「え、僕のことを覚えてるんですか?」
と答えた。彼は目を細くして
「覚えているよ。君は…確か、ほら、
ここの部活の子と仲良くしてたね」
と軟式テニス部の方を指さして言った。恐らく真奈のことだろう。
「そうです、テニス部の子と付き合ってました」
「毎日のように早く帰れと言ってたからね、良く覚えてる。それにしても君は全く変わらないなぁ」
さっきまでの不審者扱いは何処へ行ってしまったのか、懐かしい旧友に会ったかのように僕らは気を許し合っているように感じた。まさか、用務員さんが覚えていたなんて。それならば、と僕は彼に訊いてみる。
「あの…僕はテニス部の子以外に誰か仲良くしている子はいましたか?」
何の質問をされているかわからない、といった表情をした後に、少し考え事をしてから
「いやぁ、それは覚えてないね」
と答えた。
「ほら、演劇部も男女混合だったでしょ。
いろんな人と一緒にいたからね。
私が覚えているのはテニス部のお嬢さんくらいだ」
もしかすると用務員さんに訊けば恵美さんとの関係がわかるかもしれない、と思ったけれど、その考えは甘かった。他人に過度な記憶を求めるのは酷だ。それならば、と僕は続ける。
「1ヶ所だけ思い出の場所を見たいんですけど、いいですか?」
用務員さんは1ヶ所だけなら、と言うと、僕は一緒に来てくれるよう頼んだ。もとい、彼の仕事は僕を外に出すことであり、見届ける必要があったから、頼まなくても付いてくるのだが。
向かったのは裏門だった。一人の時は正門から出入りしていたけれど、真奈が裏門の方が家に近いということで、僕らは裏門から帰っていた。正門に比べて、裏門を出た先は道は細く、坂も急であった。その下り坂を一気にブレーキをかけずに下るのが僕と真奈の日課だった。今思えば何て危ないことをしていたんだ、と思うけれど、その時はそれが楽しくて仕方がなかった。裏門の坂を前にして僕は記憶をじっと掘り起こす。真奈が珍しく自転車で来なかった日。僕は真奈を自転車の後ろに乗せて、坂道を一気に下っていった。さすがに僕もそんな危ないことはできない、と言ったのだけれど、真奈がどうしてもそうしてほしいと駄々をこねるので、僕は仕方なく自転車に乗せた。加減をしてブレーキを踏みながら下る僕に、真奈は僕の腕を外して一気に加速させる。慌ててブレーキを握っても、もう加速した自転車を止めることはできない。下りきる直前にある段差で身体が少しだけ浮く。一人のときはいいけれど、二人では危険すぎる。そう思ったけれど、そのままスピードを落とすことが出来ずに段差に差し掛かった。車輪が段差を蹴り上げると、腰が重力に逆らって浮いていく。背中と肩に真奈の重さと感じていたのに、一瞬にしてその重さがゼロになった。え、と思って僕は全力でブレーキを踏む。やっと止まって振り返ると、真奈は見事に着地を決めて、えへへと笑っていた。うまいでしょ、って笑いかけるその遥か後方から、何をやってるんだ、という用務員さんの怒鳴り声が響いている。
その鮮明な想い出を柳町さんに話すと、彼女は、それは恵美さんとやったことだ、と訂正した。どうしてそんなことがわかるのか、と問うと、次の日に恵美さんが嬉しそうに話していたからだ、と言う。そんなことをいちいち覚えているのか、と言うと、本当は着地に失敗して捻挫していたということで包帯をしていたから覚えている、と。
真奈は捻挫こそしていなかったけれど、ここまで記憶は人物だけが違って一致していた。確か、最後に用務員さんに叱られたことも一致していたはずだ。
「用務員さん」
「どうした」
「僕、この坂を女の子を後ろに乗せて全速力で下りたことがあるんです」
「そんな危ないことを」
「その子、下でジャンプして着地するんです
…その子が誰だったかわかりますか」
彼はまた変な質問をされた、という顔をしたけれど、律儀に考えた結果、
「当時はそういう子がいっぱいいたからね
…テニス部のお嬢さんじゃないのかい?」
と訊くと、それが思い出せないんです、と僕は言った。
結局僕は、あの想い出が真奈とのものか、恵美さんとのものか、決定づけることができなかった。
「ここしばらくは休校だから入れないよ、
あんた、何の用?」
中年と言うよりは還暦近いんじゃないか、という風貌の用務員さんは、一瞬その風貌で分からなかったけれど、間違いなく僕らが高校生だった頃からいた人だった。演劇部が下校時間ギリギリまでこの駐輪場で練習をしていると、早く帰るようにしばしば注意をしに来た、あの人だった。
「いや、すみません。卒業生なんですけど、
すぐに出ますね」
彼の風貌は年月の流れを感じさせた。僕は懐かしさ声が出そうになったけれど、余計に不審がられそうで止めてしまった。僕は覚えていても、向こうが覚えているはずがないのだ。
「お願いしますね」
言葉だけかけて階段を降りようとしたところで、用務員さんがもう一度僕をまじまじと見る。そんなに怪しい人間ではないのだけれど。
「あの…何ですか」
と言う僕に、さらにまじまじと見つめた用務員さんは、突然目を見開いて
「君はもしかして、演劇部の子かい?」
と驚いたように言った。僕も驚いて、
「え、僕のことを覚えてるんですか?」
と答えた。彼は目を細くして
「覚えているよ。君は…確か、ほら、
ここの部活の子と仲良くしてたね」
と軟式テニス部の方を指さして言った。恐らく真奈のことだろう。
「そうです、テニス部の子と付き合ってました」
「毎日のように早く帰れと言ってたからね、良く覚えてる。それにしても君は全く変わらないなぁ」
さっきまでの不審者扱いは何処へ行ってしまったのか、懐かしい旧友に会ったかのように僕らは気を許し合っているように感じた。まさか、用務員さんが覚えていたなんて。それならば、と僕は彼に訊いてみる。
「あの…僕はテニス部の子以外に誰か仲良くしている子はいましたか?」
何の質問をされているかわからない、といった表情をした後に、少し考え事をしてから
「いやぁ、それは覚えてないね」
と答えた。
「ほら、演劇部も男女混合だったでしょ。
いろんな人と一緒にいたからね。
私が覚えているのはテニス部のお嬢さんくらいだ」
もしかすると用務員さんに訊けば恵美さんとの関係がわかるかもしれない、と思ったけれど、その考えは甘かった。他人に過度な記憶を求めるのは酷だ。それならば、と僕は続ける。
「1ヶ所だけ思い出の場所を見たいんですけど、いいですか?」
用務員さんは1ヶ所だけなら、と言うと、僕は一緒に来てくれるよう頼んだ。もとい、彼の仕事は僕を外に出すことであり、見届ける必要があったから、頼まなくても付いてくるのだが。
向かったのは裏門だった。一人の時は正門から出入りしていたけれど、真奈が裏門の方が家に近いということで、僕らは裏門から帰っていた。正門に比べて、裏門を出た先は道は細く、坂も急であった。その下り坂を一気にブレーキをかけずに下るのが僕と真奈の日課だった。今思えば何て危ないことをしていたんだ、と思うけれど、その時はそれが楽しくて仕方がなかった。裏門の坂を前にして僕は記憶をじっと掘り起こす。真奈が珍しく自転車で来なかった日。僕は真奈を自転車の後ろに乗せて、坂道を一気に下っていった。さすがに僕もそんな危ないことはできない、と言ったのだけれど、真奈がどうしてもそうしてほしいと駄々をこねるので、僕は仕方なく自転車に乗せた。加減をしてブレーキを踏みながら下る僕に、真奈は僕の腕を外して一気に加速させる。慌ててブレーキを握っても、もう加速した自転車を止めることはできない。下りきる直前にある段差で身体が少しだけ浮く。一人のときはいいけれど、二人では危険すぎる。そう思ったけれど、そのままスピードを落とすことが出来ずに段差に差し掛かった。車輪が段差を蹴り上げると、腰が重力に逆らって浮いていく。背中と肩に真奈の重さと感じていたのに、一瞬にしてその重さがゼロになった。え、と思って僕は全力でブレーキを踏む。やっと止まって振り返ると、真奈は見事に着地を決めて、えへへと笑っていた。うまいでしょ、って笑いかけるその遥か後方から、何をやってるんだ、という用務員さんの怒鳴り声が響いている。
その鮮明な想い出を柳町さんに話すと、彼女は、それは恵美さんとやったことだ、と訂正した。どうしてそんなことがわかるのか、と問うと、次の日に恵美さんが嬉しそうに話していたからだ、と言う。そんなことをいちいち覚えているのか、と言うと、本当は着地に失敗して捻挫していたということで包帯をしていたから覚えている、と。
真奈は捻挫こそしていなかったけれど、ここまで記憶は人物だけが違って一致していた。確か、最後に用務員さんに叱られたことも一致していたはずだ。
「用務員さん」
「どうした」
「僕、この坂を女の子を後ろに乗せて全速力で下りたことがあるんです」
「そんな危ないことを」
「その子、下でジャンプして着地するんです
…その子が誰だったかわかりますか」
彼はまた変な質問をされた、という顔をしたけれど、律儀に考えた結果、
「当時はそういう子がいっぱいいたからね
…テニス部のお嬢さんじゃないのかい?」
と訊くと、それが思い出せないんです、と僕は言った。
結局僕は、あの想い出が真奈とのものか、恵美さんとのものか、決定づけることができなかった。
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