最後にいなくなった、君は

松山秋ノブ

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最終章「彷徨」後編

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望月唯人君へ

君は私のことを覚えていますか? 多分覚えていないでしょう。
私は君の恋人だった人です。

君との日々はとても楽しかったよ。君が脚本を書いた舞台を観に行って、声を掛けて、私は君を好きになった。世の中には凄い才能の人がいるんだ、って思った。話せば話すだけ、私はもっと好きになった。練習風景を見ていると、あんな繊細な話を書ける人なのか疑わしいくらいに、自信家で、デリカシーが無い人なくて、真奈ちゃんも最初は文句ばかり言ってたよ。でも私は知ってる。君は誰よりも傷つきやすいくせに、世の中の嫌なものをその感性で背負って、それでも純粋であろうと抗っている。脚本に出てくる人物の悲しみや孤独を一緒に感じてしまう人なんだって。

あのね、世の中には伝える人と受けとる人がいる。それはもうどうしようもなく決まっている。君は間違いなく伝える人だよ。そして、それは続けていくべきだと、私は思う。君は今も伝える仕事を続けていますか。君の才能は確かなものです。まだ気づかれていないだけです。続けてください。辞めているのなら、また始めてください。

ここまでは私のお願い。
そしてここからは君に謝らないといけないことがあるんだ。

君は真奈ちゃんとの思い出を覚えていますか?
それすらも忘れているとしたら、君の忘れっぽさに呆れます。
本当に君は忘れっぽいね、それも好きだったんだけど。

あのね、信じられないならそれで良いからね。
私はね、おまじないが使えるんだ。
訳わかんないよね、おまじないっていうか、
催眠術みたいなものなんだけど。

私はいなくなってしまうから、それでも君は生き続けるから、だから私は、真奈ちゃんにお願いをしたの「私が死んだら望月君と付き合って」って。君には「私のことを嫌うように」というおまじないと「真奈ちゃんと付き合ったら、私を忘れる」っていうおまじないをかけておいたの。君が私を忘れているのはそのせい。

真奈ちゃんはね、最初は断ったけれど、でもね、私はわかってたの、真奈ちゃんはきっとやってくれるって。真奈ちゃんは君のことが好きだったから。真奈ちゃんには入院中に君のことを見ていてもらって逐一報告してもらっていたの。いつの頃からかな、君のことを話す真奈ちゃんの表情が変わっていったの。すぐに分かったわ。真奈ちゃんが君に恋してるって。

だからね、最後はOKしてくれるって思った。
それに真奈ちゃん、優しいし。

でもね、それは本当は「私を忘れるように」したことじゃないんだ。真奈ちゃんには保険のために、私との思い出を君と辿ってもう一度経験してもらうように頼んだの。なんでだと思う? 君の記憶を撹乱するため? それだけじゃないわ。

私はね、真奈ちゃんに君を取られたくなかったの。

私が死んで、いつか忘れられて、望月君たちは前を向いて歩き始める。その時に君の隣に真奈ちゃんがいるのが悔しかった。だから、こうすれば、きっと堪えられなくなった真奈ちゃんが君の前から消えるって思ったの。だって、真奈ちゃんが積んだ君との想い出は、全部私とのものなんだから。真奈ちゃんはいつまでも私から逃れられない。そして君は真奈ちゃんを通して、私を見ていることにもなる。そんなの、私なら堪えられない。

だからね、真奈ちゃんには「別れても私のことを思い出さない」っていうおまじないの仕方を教えてあげたの。真奈ちゃんと一緒にいないってことは、きっと私の目論み通り、それを使ったんだと思う。

全ては私の思った通りだった。そして私の思った通りになった。

でもね、考えれば考えるほどに、満足感よりも罪悪感が生まれてきたの。そんなこと、許されないことなんじゃないか、って。君には君の、真奈のちゃんには真奈ちゃんの人生を歩く権利があって、私がそれを奪っていいはずが無い、って。私はすぐに真奈ちゃんに連絡をしようとした。でも…それでも…私はダメだった。それでもなお、私は君を取られたくなかった。

私のワガママに付き合わせて本当にごめんね。これを受け取ったとしたら、あれから10年経ったということでしょう。これ以上は私もいいわ、もう満足。

許してなんて言えないけれど、罪滅ぼしのつもりもないんだけれど、
おまじないを説く方法を教えてあげる。君の信用している人から言ってもらうの。

「全部嘘だったんだよ」って。

それで終わり。君は私を思い出して、それから本当に忘れていく。
それで良いんだよね。

今度こそバイバイ
好きだったよ
                  緑川恵美


「この手紙は10年後に望月さんと真奈さんが付き合っていなければ渡してほしい、と書かれたものだそうです」
「望月さん、私には、何が本当か分かりません。でも」
「真奈さんは本当に望月さんが好きじゃないから別れたんですか? 恵美さんとの約束のためだけに付き合ったんですか? それだけのために、20年経っても望月さんに会いに来たんですか?」

「望月さんは、もうわかってるんじゃないですか」


 僕は慌ててその手紙を持って店を飛び出した。僕には会わないといけない人がいる。伝えないといけない人がいる。その人が何処にいるのかもわからないけれど、僕は彼女を探し出さないといけなかった。とにかく何処でもいい、ここではない場所にいる彼女を探しに僕は行かないといけなかった。摂取した大量のワインが僕の思考と視界を奪っていく。僕は走っているのだけれど、視界は一向に変わらず、僕は何処に進んでいるのか、自分でもわからない。会わなくちゃ、伝えなきゃ、それだけが僕を動かしている。僕は勘違いをしていた。全てを思い出した時、真奈が近野と組んで、意図的に忘れさせようとしたのではないか、と思っていた。どうしてそんなことをしようとしたのか、なんて微塵も考えずに、僕は柳町さんと同じように、あの2人を憎み、そして何よりも自分のことを憎んだ。そして恵美のことを偲んだ。芽以が歌っていたのは僕と恵美のことだと思っていた。僕は僕と真奈によって、恵美を最後に消したのだ、と思っていたんだ。違う、そうじゃなかった。真奈は、真奈はどんな気持ちで恵美の願いを受け入れたんだろうか。僕との日々を過ごしたのだろうか。そして僕から離れていったのだろうか。別れ方は最悪だった。それだから僕も真奈とのことは悪い想い出にして、もう忘れてしまおうと思っていた。だから20年ぶりに会ったときも、「何を今さら」という気持ちが強くて、やっぱり彼女の気持ちなんて微塵もわかっていなかったし、わかろうともしていなかった。今でもわかるとは言えない。恵美の手紙の通りなんだろうか、芽以が歌った通りなんだろうか、知りたい、訊きたい、そして、知ったうえで謝りたい。何もわかっていなかったことを、わかろうとできなかったことを、今日まで先送りにしてきたことを。このままじゃ君はいなくなってしまう。もう二度と君と会えなくなってしまう。
 夜の風が僕の酔いを少しずつ醒ましてはくれないか。僕はまだここで酔い潰れるわけにはいかないんだ。視界が左右に揺らぐ、真っ直ぐに進めない。自分が何処に行けばいいのかわからない。誰かにぶつかる。人の形をしたものが僕を避けていく。耳元で「ふざけんなよ!」という大きな声が聴こえる。ふざけんなよ、オレはふざけてなんかいないんだよ、恵美のことも真奈のことも、ふざけてなんかいないんだ、芽以のことも、これからのことも全部全部、オレは何一つふざけてなんかいなかったんだ。

 行かなくちゃ。電車に乗らなきゃ。何処まで行けばいいのかわからないけれど。近野に訊けばいいのか、やつなら真奈が何処にいるのか知っているのか。僕はスマートフォンを取り出す。誰かが僕を呼んでいる、明るい画面が僕の視界を狭くする。青いボタンを押すと、芽以の声が聴こえた。僕は芽以に謝る。オレは本気だったんだ、芽以のことを考えていたんだ。ちゃんと君の人生を考えていたんだ。言いながら涙が溢れた。嗚咽が溢れ、余計に人が離れていくのがわかる。

 不意に身体が軽くなった気がした。誰かに肩を持たれていた。大丈夫ですか、芽以の声が聴こえた。僕は芽以に謝った、何度も何度も謝る。ちゃんとするから、オレはちゃんとしたいんだ、と何度も何度も繰り返す。涙はまだとめどなく流れる。嗚咽で上手く言えていない感覚もある。芽以は大丈夫です、わかってます、としか言わない。でも、それだけでいい。僕は芽以と行かなきゃいけない。真奈に伝えないといけないんだ。

 ふらついて絡まった足で前につんのめる、芽以の力がぐっと強くなって、僕は立て直す。二人三脚みたいだった。僕の遥か前を誰かが走っている。そこにいるのは誰か、まだわからない。真奈だろうか、真奈ではないだろうか。真奈、と僕は叫ぶ。もう叫んでいる声も声にならない。頭の中だけで響き、僕は何度も必死に叫ぶ。もう前を行く背中は見えないけれど、僕らは必死で追いかける。僕には転びそうになっても、支えてくれる人がいる。僕もいつか誰かを支えていく。それだけで進んでいける。たとえ嗚咽が吐き気になって胃液を運んだとしても、それでも僕たちは進んでいかないといけない。恵美との想い出を全て引き受けて、最後に消えていった君のところまで。こんなにも広い世界で、渋谷の真ん中で、僕と芽以の2人きりだった。真奈を探して、2人きりだった。

 最後にいなくなった、君は今、何処にいるの?

                                                       (了)

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