舞い落ちて、消える

松山秋ノブ

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episode.2(2007/7/4)

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2007年7月4日

 少なくとも僕はずっと独りだった。誰といたって本当の自分を全て出した時なんか一度たりともなかったと思う。基本的に僕は卑怯で汚い人間だ。僕は自分が嫌いだ。だから皆も僕を嫌いだと思う。人が僕にやさしく接しているのは僕がその人にとって利となる存在だからだ。もちろんそんなことを口に出したことは無いのだけれど、口に出せば「そんなことないよ」という友人もいるだろう。けれども、そんな友人に対しても何処かでそんな気持ちに支配されている。今日久しぶりに大学の構内を歩いてみた。特段何も変わるところはない。この大学に一度落ちている。不合格の後に僕は福岡の大学に1年間だけ通うことになるのだが、その頃はこの大学の風景が羨ましくて、愛しくてたまらかった。どうしてもここを僕は学生として歩きたかった。そして僕は1年後、福岡の大学を辞めて、もう一度この大学を受験し、晴れて念願の大学に合格することが出来た。ところが、通い始めて改めて比べてみればどちらも大して変わりはしない。どうにも大学生活はつまらない。気分転換に僕は横浜の街へ出かける。地下街を歩けば、どこかの読者モデルもどきのような格好をした若者が練り歩き、繁華街を歩けば、千鳥足の恋人たちが淫らな様子で交わる姿を頻繁に目にする。お前等の愛って何だ?とその度に心の中で唾を吐く。こういう奴らはやたらと格好つけた言葉や飾り付けられた綺麗事を並べたがる。空気のような存在、相手を大事にしたい、信頼から成り立つ、僕はそれをロマンティックバカだと思っている。本当に大事なものは失わないとわからない。何かを失えば、その分が空白になる。失った時の空白がその大切さの度合いであり、それは重さになって自分自身に返ってくる。自分自身にとっての比重を思い知ったときに、僕は大切なものを失ったことに気づくのだ。でも、失くなったものは失くなってしまったのだから、もうそれは実体をなくしたものになってしまう。愛が大切なのだとしたら、愛を大切だと気づいたときには無になっているのだ。「無」なものは言葉にも出来ない。そんなことを失う前から言ったところで、それは机上の空論。机上で議論したならまだいい。結局は分からないまま感覚だけで相手のことを言葉にするような、そんな信頼性の欠片もないものが、彼らの放つ「愛」なのだ。つい今し方また一組の恋人連れが私を横切った。胸を極限までアピールした女性は安物のブランドバッグを手に男に寄りかかっている。男は訳のわからない模様の帽子にぶかぶかのズボンで彼女の胸に腕を当てている。愛が「無」なら、そこに愛はない。もし言葉にするなら、それは本能と欲望。人間にとってこれ以上に汚いものはない。きっと彼らはお互いに「愛」を感じているのではなく、その体と性欲に酔っているだけなのだ。つまり相手は誰でもいい。もしどちらかがレノンのように銃殺されても、きっと3日も経てば違う相手とセックスしているだろう。

 大学に来ても受けるべき講義はない。ゆっくりモノを書く空間と時間が欲しかった。とりあえず図書館に行ってはみたものの、試験前でいつもに増して騒がしく、とても集中できる状態ではなかった。研究棟のゼミの部屋なら誰もいないだろうと思いゼミ棟に行くと、学会前のようでこれまた集中できそうにない。そのまま居ると、学会の準備に駆り出されそうな雰囲気だったので、僕は駄目元でフレンドシップ活動の授業で確保されている部屋に行ってみた。社交性の欠片もない僕が、唯一所属しているサークルのような活動が、このフレンドシップ活動だ。1人でいることが多く、誰とも話そうとしない僕を見かねた教員が、半ば無理やりここへ連れてきたのだった。年に2回、小学校に出向いてオリジナルの出前授業を行う。数人の班に分かれて出前授業の計画や準備を行う。そこでも僕は特に社交性を養うことはなかったけれど、そこに行けば誰かがいて、温かく出迎えられ、なんとなくそこにいることが居心地良くて、気が付けばもう何年もこの活動に参加している。今日も誰かいるかもしれないと思っていたが、部屋は予想に反して珍しく誰もおらず、また今後も誰かが来る気配さえしなかった。確かにフレンドシップ活動である小学校訪問も終わった時期ではあったが、この状況は滅多にない。それでも、誰も居ない空間があったことは嬉しかった。椅子に座る、窓から光りがいっぱいに射し、風がカーテンをゆらした。とても気持ちのいい部屋の状態に、僕は始めは心地よい気持ちで文章を書き始めたが、余りの気持ちよさに刹那に寝てしまった。

「先輩?」
誰かに肩を揺すられた気がして目が覚めた。やっぱり佑矢先輩だぁ。そこに居たのは後輩の藤井香織だった。驚かすなよと怪訝な顔で答えると、驚かしてなんかないですよ、先輩久しぶりに会うのに他に言うことないの?と香織は笑ってきた。香織はフレンドシップ活動の2年後輩である。昨年同じ班にになったことから知り合いになった。
「先輩、いつ横浜に帰ってきたんですか?」香織は手に持ったグアバジュースを飲みながら言った。まぁちょっと前かなと軽く答えると、帰ってきたなら帰ってきたとちゃんと私に報告してくださいよぉ、と少し不機嫌そうな顔をして見せた。どうして僕が帰ってくるこないを香織に報告しなければいけないのだろうか?女性はたまにこういう思わせぶりなことを平気で言う。香織に至っても、そんなに深い意味で使っている訳ではないということくらいは分かっていたので、僕は大して気にはしていないのだけれど。
「あっ、これですね。記憶喪失者の記録は」
香織は机上の僕のノートに手を伸ばしてきたので、慌てて取り戻した。
「記憶喪失のことなんて誰から訊いたの?」
「有名ですよ。先輩が記憶喪失者の記憶回復を研究してたって」
そうか、そんなところまで広まっていたのか、と僕はため息をつく。確かに教授やゼミ生を前に啖呵を切ったのは僕なのだけれど。けれど、それはその空間だけの話で終わっていると思っていた。まさか香織までが知っているとは思わなかった。しかし、僕は平静を装って、確かに研究はしてたけど、このノートは関係ないよ。とおどけてみせた。香織はまだまだノートに興味を示しているらしかった。実際にそれに関わるノートではあったので、僕は彼女の女性的な勘にただただ驚いていた。僕は手に持ったノートを自然に置いてから香織を見ると、彼女はずっと僕を見ていたらしく、必然的に目が合ってしまった。恥ずかしさと意外性を隠すために、どうしたんだよ、と僕が笑ってみせると、香織は、それで聞いた話なんですけどね、と前置きした上で、今までにないほどの真面目な顔で訊いた。

「その記憶喪失者が先輩の初恋の人だっていうのは本当ですか?」

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