舞い落ちて、消える

松山秋ノブ

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episode.9(2007/3/26)

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2007年3月26日

 朝美は僕がダブルデートについてこないと聞くと、いつも悲しい顔をした。そしたら僕はもうダメだった。僕にはもう「行く」という選択肢しか与えられない。僕は同行しながら、自分には必要性なんて全く無いことを自覚していた。いつも後ろから2組を眺めては必要な時には冗談で盛り上げる。盛り上がっていないから気を利かせて話しているのに、それによって盛り上がりを見せると、桂木は嫌な顔をして見せた。もう役目は終わったんだから下がれと言わんばかりだった。悔しくて悔しくてたまらなかったけれど、でも、それが僕に課せられた役割だったのだ。僕は毎回、頃合いを見計らって、その2組から離れ、その後の2組のデートをアシストするまでが役割だった。

 ある日も、いつもの様にゲームセンターまでの道のりで会話を盛り上げ、到着したところで自然に輪から離れる。2組のカップルは流行りのプリント型シール機に盛り上がったまま入っていった。プリント機から漏れる軽妙な電子音の指示と、4人の楽しそうな会話が離れていく僕にも聴こえてきた。さっきまで僕は確かにその輪の中にいたはずなのに、これから映し出されるシールに僕の姿はない。僕の盛り上げた証くらいは空気として残るのだろうか。それも映し出されないとなると、僕はシールには残ることは無い。数日後、数ヶ月後、数年後、見返してみても僕はそこにいないのである。不思議な気持ちになった。そこにいたはずの僕が、記録に残ることなく、そしていつの間にかそこにいたか、ということすら曖昧になり消失してしまう。僕は今、本当にここにいるのだろうか。ここにいる僕は実在しているのだろうか。透明人間ならまだ「透明の実体」がある。そんなものもなく、僕はそもそも何でもないのではないのか。
 僕は考えを巡らせながら発狂しそうになる。大声を出しそうになる。僕は確かにここにいるのだ、と。実在しなければ、僕は一体何なのだ、と。大きな声で、よりもっと大きな声で、電子音がかき消されるくらいに、4人の声が鎮まってしまうほどに大声を出したかった。そうしなければ、僕はもう生きていなかった。
 けれでも、そんなことをできるはずもなく、僕は距離をとり、自動販売機でカフェオレを買うと、ベンチに座って飲みながら心を落ち着けた。今すぐ帰っても良かったのだけれど、次の目的地までまた僕が必要なのだという。

 耳を塞ぐようにして座っていると、気がつくと誰かが目の前に立っていた。
「どうしたの? 具合悪い?」
朝美が僕を覗き込んでいた。僕は慌てて手を耳から離す。持っていたカフェオレをこぼしかける寸前で何とか防ぐ。
「いや、大丈夫」
そして僕はそのままカフェオレを喉に流し込んだ。
「中村君、一緒に来ても、いつも途中でいなくなっちゃうよね」
朝美は僕の隣に腰掛けた。いや、そんなのお前ら4人のために嫌々やってんだろ、こっちだってこんなことしたくないわ、と頭では思っていても口にすることができない。朝美の前で格好悪いことは意地でも言うことができない。
「そんなことより、桂木はいいの? 待ってるんじゃないの」
隣に朝美がいることに緊張して、そしてそれを嬉しいと思う自分がいることに気づいたけれど、僕はそれを隠すようにぶっきらぼうに問うた。
「桂木君には『中村君と話してくる』って言ったから大丈夫」
いや、それは大丈夫じゃない、全く大丈夫じゃない。遠くの視線の先に桂木が見える。遠目でもわかるくらいに僕のことを睨んでいる。
「中村君は、どこの高校を受験するの?」
朝美は構うことなく、いや、桂木の様子に気づくことなく僕に尋ねた。しばらく考えて、僕は
「大学に行きたいから、公立なら港高校かな」
と答えた。
「私立は考えてないの?」
「落ちたら行くんだろうけど、うち、金持ちじゃないし」
朝美は満面の笑みで
「そっか、それじゃ同じだ。良かった」
と言った。その笑顔が眩しくて、そしてそれがどんな言葉にも形容できないくらいに可愛くて、僕はもうこれ以上はないと思った。
「ほら、みんなのとこに戻ろうか」
僕は立ち上がって桂木たちと合流した。

こうして秋が過ぎていった。



 いつもの時間に朝美の家を尋ねると、朝美はサッカーのことを気にしていた。かといってサッカー部の写真を見ても朝美は何も思い出せなかった。僕は思い切って桂木の話をした。朝美が生涯で初めて付き合ったと思われる男の話である。心にできた空洞に一本の蜘蛛の糸を垂らすこの話を全くする気になれなかったが、桂木が朝美の記憶に強く焼き付いているなら、記憶も戻るかもしれなかった。けれど、そうでないと思わずにはいられなかった。朝美の心に桂木が焼きついているはずがない。だから僕は賭けに出たのだ。
 朝美は桂木の名前を出しても写真を見ても、話を聞いても、何も引っかかるものがないような顔をした。そして、何も覚えていない、と言った。朝美の記憶の中に桂木は残っていなかった。僕は心の中で勝利宣言をする。あの日のシールに写っていなかったのは僕だけじゃなかった。桂木もまた実体のない偶像だった。そして、あの日朝美がわざわざ僕のところまで来て、そして笑顔をむけてくれた意味を考える。心繋がらぬまま何年もの歳月を経てなお、朝美は当時は僕を意識していたのではないかと淡い期待を寄せていたのかもしれなかった。


<3/26 17:46 ASAMI>
今日で5日目ですね。時間が掛かってごめんなさい。最近ふと記憶が戻ったときのことを考えています。私は私に還るはずなのに、そうしたら今の私は消えてしまうんですよね。それは少し怖いです。



予想だにしない言葉だった。



<3/26 20:42 YUYA>
君が辛いんだったら、記憶だって無理に取り戻さなくていい。でも、このまま諦めても結局記憶のことが君を縛り付けてしまうんじゃないかな? 記憶が戻ったからと云って今の君が消える訳じゃないと思う。人間はシャボン玉じゃないから。


 
 僕は思っていることと正反対のことを朝美に返信した。
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