舞い落ちて、消える

松山秋ノブ

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episode.10(2007/3/27)

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2007年3月27日
 
 秋が過ぎて冬になろうかという頃、新平と知里、朝美と桂木の関係はそれぞれ変わろうとしていた。新平は知里とどんどん仲を深めていった。ダブルデートは相変わらずだったが、最近は2人だけでもデートに出かけているらしい。週明けの休み時間は新平が恥ずかしそうに、けれど自慢げに知里と何をしたか僕と桂木に話すのが恒例になっていた。初めてキスをした話は、他人のことながらドキドキした。
「あんなぁ、昨日、デートの帰り道についにしたんやけど」
「何を」
「アホか、付き合ってる男女がすることなんかキスに決まっとるやろ」
何がアホかは分からなかったけれど、キスという言葉に僕は驚いた。
「マジか」
僕は前のめりになって言った。
「どうやって、何て言ってしたとや」
「帰り道にな、手を繋いどったら、向こうが何となく握った手をギュってしてさ」
新平は目の前で起きたことのように思い出しながら言う。
「それで知里を見たら、向こうも見てきて、それでそのままよ」
「何も言わんかったとや」
「いや、『キスしようか』って言った」
「そしたら」
「『うん』て」
そうかぁ、と僕は深く言った。確かに付き合って数ヶ月経つのだから当然だった。中学生の僕たちがそれに敏感でないはずがない。けれどもそれはテレビや雑誌の向こうの出来事だと思っていて、こんな身近に起こることとは思っていなかった。
「あれはな、すごかぞ」
新平が尚も続けて言った。
「口と口が触れたらな、あれは・・・そうやな、飴を噛んどるようやった」
よく分からない例えだったけれど、何も知らない僕は、そうなんだろうな、と思った。理解は出来なかったけれど、自分も経験すれば、そう思うんだろうと。それから僕らはキスをすることを「飴を噛む」と隠語で表現するようになった。
 ファーストキスが終わると、堰を切ったように新平は何度も飴を噛み、その都度僕に話をした。少し前までダブルデートしか出来なかった人間が、毎日のように飴を噛む。恋というのは恐ろしいと思った。そして、恋人同士はそういうものだと悟った。好き同士、付き合っていれば、自然に数えきれないくらいするものだと理解した。
 対して桂木は朝美と進展しないどころか、呆気なく別れてしまった。ダブルデート中の出来事だった。キスどころか、手も繋ごうとしない朝美に対して、桂木は新平にアドバイスをもらい、手を繋ごうとしたところ、朝美が強く拒否をしてしまった。引っ込みがつかなくなった桂木が強引に朝美の手を持つと、朝美は振り解いて、桂木に平手打ちをした。時間が止まったみたいだった。朝美だけがそのまま足早に帰っていった。桂木は何が起こったか分からない、という顔をしていたけれど、打たれた頬を一度さすって、ちぇっ、と言うとバツが悪そうに帰って言った。一瞬睨まれた気がしたけれど、僕はずっと黙って見ていただけだった。そして週明けにはもう2人は別れていた。

 僕は正直、その知らせを聞いて、踊り出しそうになった。世界中のパレードを並べてハイタッチをして回りたい気分だった。ビートルズの『Hello good-bye』が何度も頭の中で響いた。最高だった。けれど僕は桂木の逆鱗に触れないように、極めて冷静に努めた。朝美は平然としていて、これまでと同様に僕や新平たちと話している。僕も平然と普段通りに楽しく過ごす。その輪からいなくなったのは桂木だけだった。



  
 今日も朝美との面会を終えて、朝美の家を出ようとすると、バイト先の教室長から電話が掛かってきた。早く戻って来てほしい、という旨だった。期間限定で代わりの教師を当てがってもらっていたけれど、早くも拗れたらしい。僕じゃないともう来ないと言っている、と。やれやれとため息をついた。どうせ大学の履修登録もあるから、3月末には戻ると言ったけれど、週末にお願いしたいと言われた。何とかならないか交渉したけれど駄目だった。終いには時給を2倍にすると言われ、僕は折れ、金曜に戻ると伝えて電話を切った。今日は火曜日。とりあえずあと3日で一度戻らなければならない。

  朝美の母親にそのことを告げると少し困惑したようだったけれど、元々の予定が少し早まっただけなので、すぐに納得してくれた。また早ければGW前にはこちらに来られると伝えると、安心したように深く頷いた。
「もう中村さんしかいないんです」
確認するように母親は言った。
「中村さんが来てから、あの子の表情が柔らかくなったんです」
柔らかくない朝美の表情を想像すると、あの平手打ちをした顔が浮かんでくる。
「それに、最近笑うようにもなったんです。ずっと塞ぎ込んでいたのに•••」
笑った朝美の顔はとても美しい。
「当然ですが、あの子は私のことも覚えていませんでした。家に帰ったときも、部屋に戻った時も、あの子にとっては他人のもので、病院と変わらなかったと思います。あの子はずっと、他人と他人の家で暮らしているんですから」
想像しても追いつかないような世界の話だった。それだけでも彼女の苦しみが伝わってくるようだった。
「そんなあの子が、私のことを『お母さん』と呼んだんです。もちろん思い出した訳ではありません。あの子なりに、現状を受け入れようとしているんだと思います」
そこまで言うと、母親は僕の手を取って言った。あまりに突然のことで驚いたけれど、僕はそれを振り払うことをしなかった。
「私はあの子の記憶をどうしても戻してあげたいと思います。そして苦しみから解放してあげたい。例え、思い出した方が傷ついたとしても・・・中村さん、あの子の記憶を戻してあげてくださいね」
僕は、はい、としか言えなかった。朝美と彼女の苦しみを考えると、それ以外の言葉が浮かんでこなかったのだ。

 帰り際に、僕が大学に戻ったときに、朝美の籍をどうするかを母親に問うた。進学予定の大学院を休学するか、近い復帰を見据えて履修登録だけ済ませておくか。どちらにしても僕が手続きに行くことを伝えると、母親は一晩待ってほしいと答えた。今晩、朝美に話してゆっくり考えたいというので、僕は了解して家を後にした。
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