舞い落ちて、消える

松山秋ノブ

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episode.13(2007/3/30)

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2007年3月30日

 乗り込んだ新幹線は多くの若者で溢れていた。見ると大きな手荷物が目立つ。また、改札のあたりでは見送りの家族が大勢いた。恐らく就職か進学かで故郷を離れるのだろう。僕も数年前に経験したのだけれど、遠い昔のように感じられた。この1週間は不思議というより他に言いようが無い体験だった。記憶を失くした朝美と対面し、自分が遠い未来に行ってしまったような気がした。そして朝美と話すために自分もまた朝美の記憶の果てに戻る必要があった。そして朝美に思い出を語るうちに自分も朝美と同じように過去から現在へと少しずつ時間を進めているように感じた。そして、今、また僕は新幹線の中で自分自身の時間軸に戻ろうとしている。そんな気が遠くなるほどの時間旅行のような感覚の中で、僕は自分が数年前に体験したことすら、もうそれがどれくらいの時間的距離であるのかが分からなくなってしまったのだ。啜り泣きのような声が車内に漏れ広がる。どこかで誰かが別れを惜しんでいるのか。場所が変われば時間軸も変わる。遠い空の下では同じ時間は紡げない。空も繋がってはおらず、どこかで分断されてしまう。関門海峡のトンネルの中で僕はぼんやりとそんなことを考えていた。トンネルを抜けると空が変わる。そして時間も変わる。啜り泣く誰かもこのことに気づいているのだろうか。もちろん僕にはわかる由もない。わかろうという気すらない。僕はそれきり考えることを止めて、深い眠りに落ちていった。


 目が覚めると新幹線は神奈川県内に入っていた。もうすぐ新横浜に到着するようだ。僕の中には体内時計でも埋め込まれているのであろうか。無駄な時間をほとんど過ごすことなく、新幹線の時間を終えることができそうだ。僕は少ない荷物をまとめて、降りる準備を進める。

 新横浜駅の空が変わっていた。特に何を思うわけでもないけれども、何となく僕は安心する。横浜に戻ってきたとて、僕は自分が元の時間に戻れているのかを心のどこかで不安に思っていた。大丈夫、この場所の時間は僕が故郷でどんな時間を過ごそうとも変わることなく流れ続けている。僕は在来線に乗り換え、そのままバイト先の塾に向かった。本来ならスーツに着替えないといけないのだけれど、それには一度家に戻らないといけない。塾長にメールで訊いてみると、二つ返事でそのままの格好でOKという返信がきた。 とにかく早くきてほしいということが文面から見て取れた。それに反発する理由も特段ないので、僕はその通りに出勤する。
 私鉄を使うと駅前すぐにある個別指導塾だが、新横浜からそのまま在来線を使ったため、少し距離のある駅で降りた。それでも歩けば10分足らずである。塾に到着すると、待ってましたと言わんばかりの顔で塾長が迎えてくれた。もう、遠山さんが何度もメールを送ってきて、中村さんがいつ帰ってくるか訊くんですよ、今日って言ったらもう早速来てるんです。奥でずっとお待ちかねですよ、そういうと奥の教室を指した。なるほど、それで着替えなくて良いわけか、と合点がいった。この塾はありふれた個別指導塾と同じようにオープンスペースに簡単な仕切りでブースを分けている。しかし面談用に奥に1室だけ個室が用意されている。外から見えない、というわけではないが、奥へ行こうという意思がなければ、一見することはできない。担当生徒は良いとして、オープンスペースで僕が私服で指導しようものなら、どこからクレームが来るか分からない。けれど、奥の個室なら別だ。生徒さえ了解してくれれば良いのだ。

 奥の個室では遠山鈴が勉強道具を広げて待っていた。僕が扉を開けると、開けるか否かのところでもうこちらを振り向いていた。
「遅いですよ」
彼女は目に見えて頬を膨らませて言った。ここまでわかりやすいと、本心かどうかも怪しくなってくる。普段からそんな感じだが、今日は拍車がかかっている。
「福岡から帰ってきたんだ、仕方がないよ」
僕はやれやれと言いながら向かいに腰を下ろした。広げている勉強道具は数学だった。彼女の高校は英語に力を入れていて、彼女がしてくる質問も英語に関するものが多かった。稀に苦手な数学を訊いてくることもあり、今日はそれだった。早速始めようとすると、
「ねぇ、こんなに待ってたんだから、ちょっとは謝ってくれないの?」
と身を乗り出してきた。僕は反射的に少し仰反る。
「それでなくてもお土産とか」
何だ、やっぱり物か、と僕はポケットからお土産を取り出す。女子高生が好きなものなんかわからないから、とりあえず既存のキャラのご当地ものキーホルダーを渡した。お土産はこれと、塾に買ってきた簡単なお菓子だけだ。
「ふーん、一応女の子の趣味に合わせようと思ったんですね、合格」
どの立場で物を言っているのかはわからないけれど、とりあえず喜ばれたので安心した。

 それから約70分、彼女は数学の分からない問題の解答法を僕に求めてきた。ほとんどが等差数列と等比数列のことで、数学が得意だった僕は難なくそれに答えることができた。個別指導の講師は、カリキュラムの計画性や綿密性はいい加減だが、いつ、どんな質問が出てくるか分からないので、即座にそれに応える知識の幅広さが求められる。自分が人にものを教えることに向いているとは微塵も思わないけれど、ある程度の知識量なら自信があった。それで何とかここまでアルバイトを続けられている。
 そろそろ終わろうか、というときに、彼女は勉強道具を仕舞いながら、不満そうな顔を僕に向けた。
「ねぇ、今日の私、何か気づきませんか?」
女性のそういう質問が1番困る。そこまで僕は他人に興味を持って生きていない。だから細かい変化に気づくはずがない。適当に言っても当たらないし、当たらないと不機嫌になる。僕はこれまでの経験から、この質問における最適解を学んでいた。
「鈍感だから分からないけれど、なんかいつもと感じが違うね、良い感じ」
これで大概のピンチは凌ぐことができる。細かいところに気づけなかったけれど、良くなったのはわかるよ、と言っておけば墓穴を掘ることもないし、大概大丈夫なのだ。けれど、今回はちょっと違った。彼女は全く嬉しそうな顔をしない。
「いや、鈍感にも程があるでしょ。本当にわかんないの?」
ここまではっきりと言われたらどうしようもない、僕は素直に謝る。
「ほら、私、今日、私服なんだけど」
そう言って彼女は両手を広げて服を見せつけるような仕草をしてきた。なるほど、確かにいつもは制服姿で、私服は初めてかもしれない。少し大人びた印象の私服ではあるが、もともと大人びているな、と制服姿でも思っていたから気づかなかったのだ。
「大人っぽいね」
というと、彼女は少し表情を緩めて、
「大人『っぽい』じゃなくて、大人だからね」
と言った。背伸びをしたい年頃なのだろうか。
「それで、佑矢さんはどうしてこんな時期に実家に帰ったの。私を置いて」
私を置いて、という意味は分からなかった。あと、先生、という呼び名は慣れないし好きではないけれど、下の名前で呼ぶのは止めてほしい。せめて苗字で呼んでもらえないものか。まぁ、さん付けなのが彼女の育ちの良さを表しているのだけれど。
「ほら、お盆でも、お正月でもないのに、変だな、って」
確かに言われてみるとそうだった。今まで盆と正月以外で帰ったことがない。
「もしかして、向こうの彼女に逢いに行ったの?」
少し悪そうな顔で彼女が言う。僕は少しドキリとしてしまった。いや、彼女ではないのだけれど。
「え、図星?」
驚く彼女に、
「いや、恋人じゃないよ、全然」
と返すので精一杯だった。
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