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松山秋ノブ

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 運ばれてきて暫く経ったコーヒーを口に運ぶと、伊藤は「あっ」と思いついたようにカップを置いた。遠山にとって、夕方のカフェに入ることは久しぶりだった。小説を書き始めた頃には、仕事が休みの度にカフェに籠って執筆をしていた。書き始めた頃は、文章をどう書いていいか分からないこともあったので、一日中好きな小説家の本と睨めっこをすることもあった。思えば、小説が軌道に乗り始めてからは、一度もこの場所に来ていない。小説を書きながら一番苦痛に思うことは、小説の中で人物が世界と繋がりながら動いているにも関わらず、それを書いている自分自身が世界と繋がっていないのではないかと感じることだ。そんな時、遠山はふと登場人物を咄嗟に殺してしまって、自分自身も死んだ方がいいのではないかと感じることもあった。

 遠山が自分の書いていた小説をネット上で公開するようになったのも、自分自身が世界と繋がりを持とうとした結果であるものだった。目立ちたいとか、誰かに読んでもらいたいとか、そういうことではなくて、ただ自分自身が世界と繋がっていることで、登場人物が世界と繋がっていることを許そうとしたのだ。

 

    何やらカバンの中をごそごそとやっている伊藤の前で、遠山はひどく落ち着いた様子でカフェオレを口に運んでいた。しかし、伊藤のバッグは編集者とは思えないほど小さくて使い古されたショルダーバッグのようなもので、それは遠山に不信感を抱かせた。この編集者は本当にまともな記事を書く人間なのだろうか。そもそもそんなバッグを使っている社会人すら見たことは無い。インタビューを受ける前、初めての取材ということもあり、遠山は伊藤が書いた記事を数点読んでみた。どれも主観だらけで、自分の「好き」・「嫌い」というフィルター越しにもっともらしく理屈を並べただけの文章のような気がした。しかし、その「好き」と「嫌い」のフィルターは自分とすごく似ている気がした。極端な人間は好きではなかったけれど、初めてのインタビューならば、出来れば感性が近い人と話がしたい。遠山はそう思い、インタビューのオファーを受け入れた。「これだ、これだ」と伊藤はその小汚く小さなバッグからメモ蝶を取りだした。もしかしてこの日の為に用意したのか、それともたまたま買い直しただけだったのか、汚いバッグとは対照的に新品同様だった。

「これに質問したいことを書いていたのですよ」

と得意げにメモ帳の頁を数枚捲ったところで、伊藤は先程飲みかけてしまったコーヒーを一気に口の中に注いだ。

「お姉さん、おかわりを」

と呼ぶ伊藤の声は、お客にしては傲慢なものだった。もし自分が店員なら、この男の頭にコーヒーをぶっかけてやるかもしれない。遠山は自分の立場を利用して、強気な態度に出る人間が嫌いだった。旅館や新幹線、お店でやたらと「オレは客だぞ」という態度を取る客、治療しないと大変なことになる、と半ば脅迫めいた口調で話しかける歯医者、どれもヘドが出るくらいに嫌いだった。だから、自分自身は出来る限り店員の人には優しく丁寧に接することに決めていた。もしも注文した料理と違うものが例えやって来たとしても。自分の為に作ってくれたものを文句ひとつ言わずに食べよう、と心に決めている。

 

それで、早速なんですが。と伊藤はペン先を持ち、

「最初の質問ですが、好きな食べ物は何ですか」

と訊いてきた。へっ、と遠山は一瞬も二瞬も肩透かしを食らったような顔をした。この男は何を考えているのだろう。仮にも小説のインタビューでそんな質問、聞いたことがない。

「本気で質問してるんですか」

もう相手に遠慮することはないと思い、遠山は真顔で訊き返した。質問をした伊藤もまた真顔だったのだ。えぇ、本当に訊いてますよ。と伊藤は少し表情を緩めた。

「小説と全く関係ないですよね」

「確かに」

笑って伊藤はカウンターの方を二・三度振り向いた。さっき頼んだコーヒーのおかわりが来ないことを気にしているらしい。

「小説のインタビューだからと言って、小説の話だけをしなければならないと誰が決めたんですかね」

おかわりが来た時の為に砂糖を手元に用意しながら伊藤は答えた。

「ねぇ、遠山さん。私はね、あなたに興味があるのですよ。出来ればあなたのことは事細かく聞いておきたい。」

またカウンターの方を見た伊藤は、なかなかおかわりが来ないなぁと遂に口に出して愚痴りはじめた。

「・・・・プリンシェイク」

遠山はそれ以上は答えなかった。いろいろと反論したいこともある。目の前の伊藤にいけすかない部分もある。でも、この目の前の男の奇妙な行動を放っておけるはずもなかった。幸い、今日は他に何の仕事も入ってはいない。この伊藤という男に乗ってみるのも面白い気がした。そうこなくちゃ、と質問に答えた遠山に伊藤がペン先を進め始めた。

「これからゆっくりオレと話しましょう。なぁに、今日はまだまだ始まったばかりなんですから」



時計はもうすぐ午後四時を指そうとしている。遠山がふとカウンターを見ると、伊藤のコーヒーのおかわりがやってくるところだった。
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