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壱章 切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ
拾壱話 依頼達成
しおりを挟むそうやって考えを巡らせていると、自分がこの世界について何も知らないのだと気付く。
異世界に迷い込んでから十日。もう十日なのかまだ十日なのか、それは個人の心の持ちようではあるが、俺にとってはどうだろう。
綱吉さんから「不用意に外出するな」と言われたのをいいことに、俺は逃げていたんじゃないのだろうか。そう思えば無作為に十日を消費したことになる。
「……はぁ」
ため息を吐く。止めだ止め。ネガティブに考えてもいいことはない。それよりもこうして、異世界で生きようと足掻いている自分を褒めるべきだ。
「良くできました……って、いねえし」
自分で自分を褒めてみたが、早速小鬼を見失った。最悪である。
何でこう、前向きに生きようと思った時に限って不幸は訪れるのだろうか。
我ながら自分の不幸さを不憫に思いながら、小鬼を追うために走り出――――したところで、門から追加とばかりに小鬼が五体、俺を嘲笑うかのように姿を見せた。
「っ!?」
もちろん門の前を通ったわけじゃない。だがついでに門から中の様子でも確かめてみようと、俺は無防備だった。当然中途半端に姿を隠していた俺は小鬼たちに見つかり、五体の敵はギャアギャアと騒ぎ始める。
心のどこかで冷静な俺が、人語をしゃべるわけじゃないんだなと安堵した。
「グギャアッ!」
「ギガ、グガガッ!」
小鬼は子供と変わらない背丈、と言っても一メートルは余裕で越える。一メートル三十か四十……確かにまあ、十歳程度の身長だ。しかし「十歳と変わらない身長」と「一メートル四十センチ」では受ける印象に差がありすぎる。
十歳頃の兄弟だとか子供がいる身ならまだしも、当然独身で一人っ子の俺にはそのサイズ感が全く分からなかった。
つまり武装した小鬼五体というものは、なかなかに驚異的な存在なのである。
「ちっ!」
敵は迷わずこちらに殺到してくる。その速度は遅いわけじゃないが、競争して負けることはない程度。
逃げるなら今だ。今ならまだ逃げられるだろう。しかし小鬼たちは屋敷の中に援軍を呼びに行ったりはせず、各々の武器を持って突撃してきた。
動きを見る限り戦闘力は決して高くないだろう。先ほどの小鬼四体の中には弓矢を持ったやつもいたが、このグループは全員鉈しか装備していない。
「……勝てる、な」
冷静に戦力を分析した結果、俺の結論はそれだった。負ける道理などない。であれば当然、戦うべきだ。何しろ俺はそのためにここまで来たのだから。
「――――はっ!」
素早く抜刀し、一番手前の小鬼を袈裟斬りにする。
「な!?」
しかし俺は自分で斬っておきながら、目前で起こったことが理解できなかった。
袈裟斬りとは肩口から鳩尾に向けて斬る技だ。鎖骨の骨は人体の中でトップクラスに折れやすく、鳩尾……横隔膜を斬られると呼吸がわずかに止まるため、万が一仕留めそこなっても敵の反撃を受けるより早く二撃目を繰り出せる。
基礎的な技と言ってもいいし、だからこそ突き詰めれば必殺の奥義にもなるのだ。
そんな袈裟斬りの一撃を受けた小鬼は――――呆気なく倒れた。斜めにではあるが、上半身と下半身に分かれた状態で。
わずかに抵抗はあった。だが青竹のない巻藁どころか、豆腐より少し勝る程度のもの。
「なんだ、これ……」
思わず戦闘中ということも忘れ、俺は呆然と右手に持った愛刀「白国」を見つめる。
白銀の刀身は降り積もった雪を連想し、下がった切っ先から滴る血がいっそう映えた。
「グギャアッ!」
「っ!?」
だが忘れてはいけない。今は殺し合いの真っ只中。
俺は「振り上げ、振り下ろす」というだけの雑な一撃を足捌きで避け、返す刀で先ほどの小鬼同様に両断した。やはり驚くほど簡単に刃が通る。
妖刀白国。七ツ胴落。
俺はそのことをきちんと認識していなかった。七ツ胴落とは七つの胴を落としたというだけで、八つの胴を落とせなかったわけじゃない。
見ればこんなにも薄くて軽い刀だというのに、刃こぼれ一つなかった。
「ガガギ!?」
「グガ!」
やはりある程度の知能があるだけあって、同朋を殺された怒りや恐怖という感情をきちんと感じているらしい。だが恐怖に負けて逃げられても面倒である。
俺は素早く残った二体に肉薄すると、並んだ二体をまとめて一太刀で斬り伏せた。
「……ふぅ」
前回のように不意打ちから始まった戦いではなく、お互いを敵だと認識した上での斬り合い。それは確かに気を張るものだった。だがこうして終わってみれば、素振り百回の方がよっぽど心身共に疲弊する。
……人間を殺せるかどうかはまだ分からない。だが少なくとも俺にとって、人型の生き物を殺すことは大して負担にもならないようである。
つくづく生まれる時代を間違ったと思うし、この異世界に迷い込んで正解だったのかも知れない。
何か充足感のような感情に満たされながら、俺は討伐証明となる右耳をそぎ落とすために脇差を抜いた。
「いただきます」
正座したままおそらくお雪さんがいるであろう方向に頭を下げ、俺は白銀に輝く三角のおむすびにかぶり付いた。
「美味しい……」
力任せに握るのではなく程良い力加減で作られたおむすびは、口に運ぶとほろりと崩れ、米一粒一粒が口の中に広がる。米が潰れていないため冷めていても美味しい。軽く運動した身体にはお米の塩気がありがたかった。
「ふぅ」
一緒に包まれていた沢庵をぽりぽりと噛みながら、水筒に入れてきた水を喉に流し込む。
「くはぁ……!」
五臓六腑に染み渡るとはこういうことだろうか。もちろん水筒は魔法瓶じゃなくただの竹で、氷なんてものもないのでどちらかと言えばぬるいかも知れない。だがその水のぬるさは一週間この世界で過ごすうちに早くも慣れてしまっていて、ほとんど気にならなかった。
前の生活に比べると全体的に味は薄いし、白雪様はどうか知らないが少なくとも俺のご飯は結構質素である。
しかしそれでも夜中に「豚骨うまいっちゃんラーメン」が食べたくて死にそうになったりしていないのは、きっとお雪さんの料理が美味しいからだ。というか、美少女が作ってしかも配膳までしてくれた料理が不味いわけがない。
異世界に来ていきなり死にかけるという事件はあったものの、俺はかなり運のいい人間であることを自覚しなければ。
早速その運の良さに感謝しながら、最後のおむすびに手を伸ばす。
だがそれと同時にいきなり風向きが変わり、生ぬるく鉄臭い空気が辺りを覆った。
「うっ……」
小鬼を殺すことに何か精神的なトラウマを負ったりしなかった俺だが、だからといって死体のにおいを胸いっぱいに吸い込んで心地いいわけがない。
反射的に酸っぱいものが込み上げてきて、喉をちりちりと焼く。
しかしお雪さんが作ってくれた弁当を吐き出すわけにはいかないため、彼女の笑顔を脳裏に思い浮かべることでなんとか飲み込むことに成功した。
「……ふぅ」
目の前には残った一つのおむすびと、ふた切れの沢庵。
そして眼前に広がるのは、小鬼三十体の死体。それにより生まれた血だまり。
その血の池から百メートルほど離れ、そぎ取った耳も布に包んでまとめて置いてある。全ては快適な食事のためだったのだが、見通しが甘かったらしい。
おそらく近いうちに「次」があるだろう。その時はもっと距離を取るか、この死臭の中でも飯が食えるように鍛えなければ。
……でもきっと、俺なら慣れるだろう。
小鬼を斬ってその感覚に慄くどころか、昂揚してしまったあの時からそんな確信が俺の中にあった。
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