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壱章 切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ
拾弐話 名前付き
しおりを挟む「お? いらっしゃい、坊ちゃん。今日はどうしたの?」
小鬼の耳を持ってギルドに向かうと、いつも通りの笑顔でかぐやさんが出迎えてくれた。
かぐやさんに「次は小鬼の耳を持ってきます」と言ってからまだ三日しか経っていないためか、珍しく察しの悪い彼女は俺が何をしに来たか分かっていないようである。だから俺は自然と頬が緩むのを理解しながら口を開いた。
「珍しくかぐやさんにしては察しが悪いですね」
「言うね~! じゃあ何かな、坊ちゃんは小鬼の耳でも持ってきてくれたのかね?」
ビンゴである。しかし答えを当てにいったというよりは、売り言葉に買い言葉……要するに俺を挑発するために言ったみたいだった。そう言えば俺の出鼻でも挫けると思ったのだろう。つい、笑みがいっそう深くなる。
「流石、その通りです。……じゃあこれ、お願いします」
そう言って丸々と膨らんだ小袋をカウンターに置くと、かぐやさんはそれに負けず劣らず目を丸くした。
「え? その通りって……」
笑みを消し、訝しみながらも紐で縛られた小袋の口を開ける。水洗いしたとはいえここまで中身のにおいが漂ってきた。
においのためかそれとも別の理由か、かぐやさんは細い眉をきゅっと寄せてその内の一つを手に取った。
「これは全部君が?」
「もちろんです。言ったじゃないですか、次は小鬼の耳を持ってきますって」
「なる、ほど……」
何やら思案しているらしく、朗らかなかぐやさんにしては珍しく歯切れが悪い。
しかしそれもほんのわずかな時間。すぐにかぐやさんは笑みを浮かべ、しかもカウンター越しに俺の両手を掴んだ。
「ねえ、期待の新人さん、お名前は?」
「うぇ!?」
科(しな)を作りながら上目遣いでこちらを見るかぐやさんに、俺は思わず一歩下がる。だが握った手がそれを許してくれず、それどころかさらに一歩分引っ張られる。凄い膂力だ。
「く、内蔵助です。赤穂、内蔵助です」
「そう、内蔵助くん……いい名前ね」
「あ、ありがとうございます……?」
いったいどういう状態なんだこれは、と周りを見回すが、皆は酒を片手に語らうだけで助けてくれそうな人はどこにもいない。くそったれな呑兵衛土どもめ! と心の中で毒吐くがもちろん状況は良くならなかった。
「ねえ、内蔵助くん。今うちのギルドは未曾有の人手不足なの。それこそ居酒が妖怪退治の収入を超えちゃうくらいには。だからね、君みたいな優秀な新人くんは大歓迎だわ。これからもこうして依頼を受けてくれないかしら……?」
うるうると瞳を潤ませて、かぐやさんは言う。
待て、冷静になれ。女は皆女優であると、母から教わったじゃないか。これは俗に言う泣き落としというやつだろう。
それに今の今まで俺のことを坊ちゃんとどこか馬鹿にしていた。そんな相手に何故配慮しなければならないのか!
……でもまあ、少なくとも今月は金がないのは事実であるし、そうなればむしろ頼るのは俺の方だ。それにかぐやさんは与り知らぬ話だが、この世界のことを知らない俺にギルドというものを通していろいろと教えてくれた。
だから別に、定期的に依頼を受けるくらい構わないだろう。
「いいですよ。元々そのつもりでしたし」
「本当に!? わーい! ありがとー! うちで何か食べてく時があれば、おまけしてあげるね!」
俺の手を握ったまま上下にぶんぶん振ると、かぐやさんは満面の笑みを浮かべた。そこに涙は痕跡すら残っていないが……気にしないことにしておく。それよりもやはり、彼女には笑顔が似合うな。
「じゃあ納品物の確認をするから、ちょっと待っててね」
「はい」
そう言うとかぐやさんは鼻歌を歌いながら一つずつ削ぎ落とされた小鬼の耳を数え始めた。
やはりにおいがキツイ。しかしかぐやさんは全く意に介さず、数が増えるに連れて笑顔が深まる。最後の方は鼻歌じゃなくて普通に歌っていた。
よくこんなにおいの中、飯が食べられるな……と思って立ち飲みしている連中を見ると、遠くの席に移動していた。そりゃそうか。
「んー、三十! 確かに小鬼の右耳三十個ちょうだいしました。これは報酬の五匁銀ね!」
「……あれ? ろ級の常駐依頼って、小鬼十頭で銀一匁じゃありませんでした?」
もしかしてかぐやさんは計算に弱いのだろうか。あんまり意外ではないけど。
「……内蔵助くん、失礼なこと考えてない?」
「滅相もない!」
……本当に察しのいい人で困ってしまう。
「まあいいけど。……小鬼だからろ級、ってわけじゃないのよ。小鬼一頭討伐でい級、十頭討伐でろ級、三十頭討伐では級、五十頭討伐でに級、百頭討伐でほ級……みたいな感じで等級が上がっていくの」
かぐやさん曰く、ギルドの仕事は基本的に国からのものであり、たとえば小鬼なら討伐の証である右耳を提出することで代わりに手形……まあ小切手のようなものがもらえるらしい。そしてその手形は一頭ずつよりも十頭、百頭と一気に提出した方が記入される額面が高くなるとのこと。
当然手形を発行しているのは国の上層部になるため、人件費がかかる。だからなるべく一度に多くの討伐証を提出させるため、そのようになっているらしい。
「へえ。じゃあ討伐証は貯めてから提出した方がいいんですね」
「そうなるわね。でも当然、お金に余裕がない人は早くお金に換えたがるし、お金に余裕がある人はそんなにちまちまと交換したりしないわ。それに時間が経って状態が悪くなると、こちらとしても納品拒否をさせてもらうこともあるから……貯めても数日程度、って感じかしらね」
なるほど。討伐証はお金と等価値だが、その代わり価値が変動するためさっさとお金と交換した方がいいってことか。においも凄いし。
「そんなわけでこの五匁銀は間違いじゃないから、遠慮なく受け取ってね」
「はい、ありがとうございます」
かぐやさんから五匁銀をいただく。銀一匁は丸みを帯びた四角の形をしているが、五匁銀はそれよりも少し長くてもっと角ばった四角形をしていた。
現代日本の感覚で言えば二万円ほどの収入。最初は随分と割に合わない仕事だと思ったが、蓋を開けてみればなかなかどころか普通にいい感じだ。
「あっ、そういえば一つ聞いていい? 前に教えた小鬼の住処、あそこって小鬼が三十頭もいるような場所じゃないんだけど、何か異常繁殖している様子とかあった?」
「いえ? 特にそんな感じでは……というか、そもそも普通の状態を知らないので異常かどうかが分からないです。ただあの屋敷、めちゃくちゃ小鬼がいましたよ。中まで入るのは危険と判断したので入っていませんが、少なくとも百頭以上はいるかと」
そう言えばあれは民家じゃなくて屋敷じゃないですか! と文句を言う前に、かぐやさんが首を傾げて言った。
「……屋敷?」
「はい。あの寝殿造りの――――」
「そんな所まで行ったの!?」
「……へ?」
「屋敷って、あそこは名前付きがいて、それよりもよく無事だったというか……ああもう! 何から説明すればいいのよ!」
バンバン! と荒ぶった様子でカウンターを叩くかぐやさん。俺はどういうことか分からないため取り残されていた。
「結論だけ言うとね、私が言ってた小鬼の住処はもっと近くにあるの。ただ鬱蒼と生い茂った草木で分かりにくいから、多分内蔵助くんは気付かず先に行ってしまったと思うの」
「あ、通りで小鬼の住処まで遠いと思いました」
「めちゃくちゃ呑気! いやその様子から何もなかったのは分かったけど、あそこは名前付きの鬼がいるのよ!?」
「名前付き?」
「……そ。小鬼とか見分け付かないし、どうせすぐ死ぬ雑魚だから名前なんて誰も把握してないわけ。内蔵助くんは蚊に名前とか付けないでしょ? でも中には何十年何百年と生きて、他とは姿形の違う鬼が存在するの。そういったやつらには何人も殺されてるから、優先討伐妖怪として名前が付けられるのよ。前にを級の冊子を見たでしょう? 鵺とかと一緒よ」
鵺。
まさか再びその名を耳にするとは思わず愕然とする。もしかして俺、かなりやばかったのでは?
「ようやく事態が飲み込めたようね。もちろん鵺に比べるとかなり格は落ちるけど、それでも今内蔵助くんがここにいるのは幸運でしかないのよ」
有り得たかも知れない「もしも」にぞっとした。
小鬼を簡単に仕留められたことで少し調子に乗っていたというか、鬼といえどもこんなものかという思いがなかったと言えば嘘になる。
「内蔵助くんには本当に期待してるから、あまり無茶はしないでね? 分からないことがあったら教えるから絶対私に聞くこと! いい?」
「は、はい」
そう念を押され、俺はこくこくと頷いた。きっとかぐやさんもきちんと説明しなかったことを反省しているのだろう。いやまあ、こういう世界なら名前付きの妖怪がどこにいるかくらいの情報は持っていて当然で、そう考えるとかぐやさんは全く悪くないわけだが。
日本人ですらどこどこで毒ヘビが見つかった、という情報を持っているのだ。偶然というか運悪く俺が常識を知らなかっただけである。
……どうでもいいが、我ながら毒ヘビと鬼を比べるのもどうかと思う。
「それじゃあ、自分はそろそろ」
「じゃあね。いってらっしゃい」
「え? あ、はい。いってきます」
かぐやさんに見送られながら俺はギルドを後にする。
いってらっしゃいとかぐやさんに見送られ、ただいまとここに戻ってくるのだろう。幸いにして俺には帰るべき場所があるが、中にはここがその帰るべき場所である人もいるかも知れない。
「居酒が本業、か」
それは人手不足ももちろんあるだろうけど、単純にかぐやさんのもとへ帰ってくる人が多いからじゃないかな、なんて思った。
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