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弐章 親思ふ心にまさる親心
陸話 上方最新ファッション
しおりを挟む翌日。
辰の刻から待っている俺を嘲笑うように綱吉さんは姿を見せなかった。
時刻は既に牛の刻、正午頃になる。
「……店主、お代わりを」
「はいよ」
もう何杯目か分からないぬるい茶を飲み干し、お代わりを要求する。
一応綱吉さんと昼を食べる予定だったので団子を一つしか食べていないのだが、お茶でお腹いっぱいになってきた。
「……ふぅ」
もしかしたらすっぽかされたのかな、という考えが頭をよぎる。無論殿の前でした約束を反故にする人じゃないし、道中鵺に襲われても撃退しそうな人だ。何か事件に巻き込まれたのか心配になりもしないし、ただただ困惑したまま時間がすぎる。
どちらかと言えば俺が待ち合わせ場所を間違えている可能性の方がまだ大きそうだ。
「しかしそれは有り得ないし…………ん?」
突然肩を叩かれ、俺は振り向いた。
「すま……ない、……はぁ、はぁ……待たせたな」
そこには現代風の服に身を包んだお嬢さんがいた。誰と間違えているのだろうか。
「髪結いに思いの外、時間が取られてな……この詫びはいずれ――――どうした?」
どうした? と首を傾げる動きでさらりと丁寧に結われた髪の毛がさらりとなびく。
暑いからかそれとも白く長い脚を見せるためなのか、デニム生地のホットパンツ。上はヘソが見えるほど短い黒のシャツで、まるでモデルのような出で立ちだ。
相変わらず世界観が迷子になる世界だな、と思考が彼方に飛んでいく。
「内蔵助?」
どうやら俺の名前を知っているところを見るに、人違いじゃないらしい。だが俺は目の前の人物に思い当たる節がなかった。誰だろうか。御伽衆の人間は数も少ないため、全員顔と名前は一致する。となるとお城勤めの方だろうか。
……思い出せない。失礼ではあるが、分からないまま返事をするわけにもいかないため俺は思い切って聞いてみた。
「……すみません、どちら様でしょうか」
「――――え?」
すると相手は一瞬酷く傷ついたような表情を浮かべた。そりゃ知り合いに話かけて「どちら様ですか」なんて言われたらショックを受けるだろう。
「……遅れたのは悪かった。謝る。だがそんな酷いことを言わないでくれ……」
うるうると目に涙を浮かべて彼女はそう言った。
しかし俺は本当に誰なのか分からないのだ。
……………………声とか顔は綱吉さんに似ているけど、まさかあの人はこんな格好をしない。
だから察してくれ。俺もかなり困惑していた。
「…………つ、綱吉さん」
「ああ!」
名前を呼ぶと彼女は……否、綱吉さんは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「本当に綱吉さんなんですね……」
「ん? 何を言っている。私以外に誰がいるというのだ」
「ですよね」
ん? とさらに首を傾げる綱吉さん。
そうか。当事者にはことの重大さが分からないのか……。
俺の中で最強の侍が、デニムのホットパンツを穿いて江戸風の茶屋に待ち合わせでやってくるというこの状況で、冷静でいられる方が凄い。なんなんだこの世界は。
「め、珍しいですよね、綱吉さんがそういう格好するの」
「変か!?」
「……似合ってますよ、最高に」
違和感で頭がショートしそうではあるが。
「……そうか。それは良かった」
安心したのか、ふうと息を吐いて胸を撫で下ろし笑みを浮かべる。
ああもう、今日の綱吉さんは何故そうも乙女なのか。いつもの綱吉さんであれば俺ももう少し余裕があったというのに!
「この服はな、殿が選んでくださったんだ」
「白雪様が?」
「ああ。上方はいろいろな国からあらゆるものが集まるから、こういう珍しい服がたくさんあるんだ。その中から着なかったものを『せっかくのデートなんだから、これ着て行きなさい』とくださったんだ」
どうでもいいがデートの発音は「でえと」だった。
しかしそうか。白雪様の見立てだったのなら納得だ。普段ドレスを着ているだけあって、洋物には詳しいだろうからな。
……とはいえ視界からガンガンに受ける違和感には未だ慣れはしないが。
「それで、今日はどこに行くのだ? 内蔵助がえすこぉとしてくれるのだろう?」
「ええ、もちろん。でもまずは軽く団子でも食べませんか?」
「それはいいな。私もちょうどお腹が空いたなと思っていたんだ」
もう昼時ですから、という言葉を飲み込む程度の器量を持ち合わせている俺は、黙って店主に合図をした。
「へいよ」
「ん? 何か頼んだのか?」
「あらかじめ、連れが来たら団子を出してくれるように頼んでいたんですよ」
「なるほど。流石は内蔵助、気が利くな!」
男前にそう褒めると、綱吉さんはにこにこと笑顔を浮かべながらじっと俺を見る。……かなり気まずい。
てっきり綱吉さんは慣れないデートに調子を崩したりするんじゃないかと思っていたのだが、そんなことはなかった。むしろ俺の方が調子を崩されっぱなしだ。
「……随分と楽しそうですね」
疲れた表情を隠さずにそう言うと、綱吉さんはきょとんと目を丸くする。
「楽しそう? ……ああ、そうだな。私は今、楽しいぞ。こうやって誰かと出かける機会なんてなかったからな」
「そうなんですか? 意外です」
確かに綱吉さんは俺なんかに比べると驚くほど忙しい人ではあるが、それでも休日がないわけじゃない。知っての通り人当たりも面倒見もよく、人に好かれるタイプだ。……出会った当初は恐ろしい人だったが。
「殿以外に心を許せるやつがいないからな」
「心を許せる、ですか」
「ああ。ちなみにお前は数少ない例外だ」
「え!?」
嬉しさよりもまず驚きの方が勝った。出会いは決していいものではなかったし、そもそも白雪様に雇われてからたった数ヶ月の俺を信頼できる方がおかしい。
綱吉さんはそんな人じゃないと知っている俺でも、何か裏があるのではと訝しんでしまう。
「ふふ、意外そうだな」
「そりゃまあ……」
「だけどな、私にとって何らおかしな話ではないんだ。あの時――――お前が一歩踏み込んできた時から、私はお前を誰よりも認めていたんだよ。生と死の二つが迫った時、お前は間違いなく死を選ぶと……殿のために死ねる真(まこと)の武士(もののふ)だと、そう確信したんだ」
俺は再び思い出さずにはいられなかった。「葉隠聞書」の一節を。
「……武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」
「それは?」
「俺がいた国の……武士にとっての教科書とも言える本の言葉です。武士とは生か死か二者択一の時、死を選ぶ者だとそれには書いてありました」
「……良い教えだな」
俺は無言で頷いた。間違いなくいい教えである。何せ俺は今、一人の偉大な武士の信頼を勝ち取ることができたのだから。
それに死を選ぶとは犬死にすることではない。綱吉さんが言ったように、自分が守るべき者のために命を懸けることを差すのだ。
「内蔵助。改めて言うが、殿のことを頼む。殿もまた、私以上に心を許せる人間が少ないお人。……お前だけは殿の味方でいてくれ」
「言われなくてもそのつもりです」
俺だけ、というのは少し大げさな言い方である。何故なら白雪様には綱吉さんがいるのだから。
だけど俺が殿の臣下であることに変わりはないため、強く首肯する。
「それを聞いて安心した」
何故か本当に安堵したかのように笑みを浮かべる綱吉さんに、俺はほんの少し引っかかりを覚える。
だがその違和感を指摘するよりも、茶屋の店主が頼んでいた甘味を持ってくる方が早かった。
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本当に、ありがとうございます。
【これまでの主な実績】
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