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1章 ダンジョンは稼げない
2話 焼き殺します。
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「なるほど……つまりあなたは獣人を知らなかったというわけですね?」
「は、はい、そうです。まさか本物とは思わなくて……」
少女を襲った経緯を話し終えた朔は、まるで十三階段を登る死刑囚のような気持ちでそう答えた。
「ダ・ウ・ト♪」
「そんな!?」
「残念ながら獣人の存在は五つに満たない幼子でも知っていますよ。それこそ、余程の田舎じゃない限り」
(んな馬鹿な!? 確かに俺が住んでいた町は控え目に言っても田舎だけど、獣人の存在なんて聞いた事も無い!)
それともテレビなんて物は世界の情勢を知らせる物と見せかけて、田舎を情報統制するための物だったのか、と朔は謎の疑心暗鬼に陥る。
「……お姉ちゃん、この人嘘吐いてないよ」
頭を抱える朔を尻目に、少女は姉に耳打ちする。
「うそ……数百年前ならまだしも、人間と共存して何百年も経った今でそんな事有り得るのかしら?」
「でも私の力、誰よりもお姉ちゃんが知っているでしょ?」
「それは……そう、だけど」
何やら朔の都合の良い方に話が進んでいるが、朔はそんな事に気付かずひたすら生きるための選択肢を探していた。
(くそ、詰将棋かよ!)
知らない、という王手は有り得ない、という言葉で逃げられた。ここから更に王手をかけるにはどうすればいいのか。まだ二手目であるというのに、朔自身が詰まされていた。
(いっそ無実の罪を認めて……いや、それでも俺はやっていないと最後まで無実を主張するべきか……)
現実に待ったは存在しない。ちょっとした見逃しで逆に王手をかけられる事もあるのだ。そう簡単に答えは出ない。
しかし何が起こっているのか理解出来ないまま詰まされるわけにはいかない。せめてもう少し足掻こう。そう思い次の手を模索する朔の努力を嘲笑うように、姉は口を開いた。
「分かりました。あなたの言う事を信じましょう」
「俺はそれでもーーーーえ?」
いきなり手の平を返した物言いが逆に怪しい。
一体何を考えているのだろうかと一挙一動に注目するが、相手は今までのやり取りが夢だったのかのように振る舞う。
「それよりオハウも出来ていますし、先にお昼ご飯と致しましょう」
「オハウ?」
「私たちイアンパヌが好んで食べる鍋料理ですよ」
(イアンパヌ?)
何か一つの疑問に対する答えに、新たな疑問が浮かんでくる。いちいち聞くのも時間の無駄だし、話を聞くに先ほどから良い匂いを漂わせている鍋料理が食べられるらしいので、朔は黙って囲炉裏の前に敷いてある座布団に腰を降ろした。
「お姉ちゃん、この人は粥(サヨ)じゃなくても大丈夫?」
「大丈夫よ。その代わりお肉は少なめで、葉ものを多めにね」
「分かった!」
やはり聞き慣れない言葉が飛び交うが、見るからに違う民族であるためそもそも言葉が違うのだろう。何故日本語が通じるのかは分からないが、まあ日本で育って長いのだろうと結論付ける。
「……どうぞ」
ややこちらを警戒しながらも、姉の言葉に従い葉ものを多めに入れた椀を差し出して来る。恐らく胃がびっくりしないようにする配慮なのだろう。朔は有り難くいただく。
「ありがとう」
オハウという言葉からして日本食では無く特殊な民族料理だと思ったが、中身はちゃんこ鍋に近い気がした。魚の切り身につみれ、見た事の無い葉もの野菜が沢山入っているが、どれも美味しく食べられそうだ。
「それじゃあ、いただきましょう」
「いただきます!」
どのくらい寝ていたのかは不明だが、腹が減って仕方が無かった。
朔は飛び付くような勢いで椀に口を付け、ずずずと汁を吸った。
「美味い!」
程よい塩気の汁が腹に沁みる。色々な材料が溶け込んでおり、何とは表現しがたい深い味わいがある。
「ヒンナ!」
何を言っているかは分からないが、少女も美味しそうに汁を吸っていた。
「これって……」
材料は何ですか、と聞こうとして、お互い名前すら知らない事にようやく気が付いた。
「あ、すみません、本当なら先に言うべきでした。……自分は如月 朔と申します。自分の身に何が起こったのか完全に理解出来ていないのですが、助けていただいた事は分かります。ありがとうございました!」
「これはご丁寧に。私はリウです。見ての通り獣人で、こっちは妹のハルです」
「……ハルです」
リウに紹介されハルは小さく頭を下げる。尻尾を触られた事を気にしているのか、そのふわふわの尻尾を自分の腕で抱き締めている。耳はぺたりと元気なく寝ていた。
(……そういえば耳もちゃんとあるんだな。先に耳の方に気が付けばこんな事にはならなかったんだが)
しかしあの大きくもふもふとした尻尾を前に、他の場所へと目をやる余裕が生まれるはずも無い。これはなるべくしてなったのだ、と諦める事で憂いを断つ。
「俺はどこでどんな状態だったんですか?」
「キサラギさんですか? ここの近くに川があるのですけど、血だらけで川上の方から流れて来たんですよー。それはもう驚きました!」
「川上から?」
何故川に、と必死にトラックに轢かれた時の事を振り返り、ようやく自分が川に落ちた事を思い出した。
(そういえば、吹き飛ばされてそのまま川に転落したんだっけか)
だから川上から流されて来たというのは分かる。しかしそのまま流されたとして、川下には朔が住む町より大きな市がある。ビル群が立ち並び、テントを張るような場所は無かったように思えるが……。
「ちょっと失礼します」
立ち上がり、朔は天幕の外を覗いた。
「……………………は?」
森だった。燦々と木漏れ日が辺りを照らし、ここが森の中である事を教えてくれる。少し歩いて辺りを見渡せば、どこまでも木、木、木。遠目にもビルなんてものは存在せず、張られた天幕がやけに馴染んでいた。
「えーと」
朔はテントの中に戻った。
「ここはどこです?」
少なくとも朔が住んでいた町では無いし、その川下にある市でも無い。日本であるかどうかも怪しかったが、屋久島辺りなら普通に広がっている光景だろう。そして朔が住んでいたのはそこまで深い自然があるような場所では無かった。
「どこって、森の中ですけど」
「いやいや、それは見て分かりました。地名的なものが知りたいんです」
「エルフの森、と言えば分かりますか?」
「……いえ、全く」
「……? でしたらここは、王都エルサレムの東にある森ですよ」
「……どこですか、それ」
果たして日本にそんな地名があっただろうかと考える。考えるまでもなく答えは出た。あるわけが無い。
拉致と考えるべきか? そんな馬鹿な。答えは最初から出ていたのだ。獣人なんて存在が目の前にいる時点で、気付くべきだったのか。
(……ああ、ここってもしかしなくとも、異世界か)
「エルサレムを知らない?」
「ええ……一応日本出身なんですけど……っていうかさっきから喋ってるこの言葉って日本語だと思うんですけど」
「にほん語?」
(ああ、そうだよね。異世界だもんね。日本知らないよね、そして何故か言葉は通じるよね)
どこか遠い目で朔は諦めたようにオハウを啜った。
「……一応言っておくけど、この人やっぱり嘘吐いてないよ」
「もしかして|神の国(カムイモシリ)から? それとも穢神(パコロカムイ)の仕業かしら? ……どちらにせよ、祖母(フッチ)から聞いた事があるわ。川は遠い異国と繋がっていて、稀にそこの人たちが迷い込むって」
またも朔を尻目に姉妹二人の密談は続く。
「遠い異国ってどんなところ?」
「お姉ちゃんもフッチから詳しく聞いたわけじゃないから分からないけど、キサラギさんの反応を見る感じ獣人はいないみたいね」
悩むように唸る二人の姉妹を見ながら、朔は呑気に仲が良いんだななんて感想を抱いていた。
「あのー、ところで俺ってどうなるんですかね、これから」
「そう……ですね。一つ確認ですが、キサラギさんはもしかしてカムイモシリから参られたのですか?」
「カムイモシリ?」
「正確にお伝えするのは難しいのですけど、こことは異なる世界の事ですね」
「異世界!?」
「ひっ!」
ガタ、と音を立てて立ち上がると、その勢いに驚いたハルが座ったまま後退った。
「あ、ご、ごめん……えーと、リウさんの言う通り俺は異世界から来たんじゃないかって思っています。俺の世界には当然獣人はいなかったし、俺が落ちた川もこんな森の中じゃありませんでした」
予想もしていなかった『異世界』という言葉に逸る気持ちを抑えながら、朔は自分がその異世界の住人である事をアピールする。もしも信じて貰う事が出来れば、いつの間にか無かった事にされているセクハラ問題も確実に致し方なかった事だと理解して貰えるだろう。
「やはりそうですか……」
「ですです。ちなみにですけど、俺が元の世界に戻るって方法はあるんですか?」
相場は『無い』の一択。だがそれはそもそも異世界の存在を知らなかったりする場合が殆どで、朔の知るアニメや漫画の知識だと、現地の住人が異世界の存在を知っていた場合高確率で帰る事が出来る。無論何か制約があったりするのだが、一般的な異世界召喚と違い朔の場合はただ迷い込んだだけだ。もしかすると、と期待してしまうのも無理が無い。
「ありますよ。イヨマンテと言われる私たち部族の重要な儀式の一つで、ほぼ毎年カムイをカムイモシリへと送り返しています」
「おお! それですそれ! よく分からないけど、俺も送って貰えるんですよね!?」
「その……一応説明させていただきますね?」
無事に帰る方法があると知れば、すぐに帰るのちょっともったいないかな、なんて呑気に考える朔だが、リウの説明を聞きその顔を青褪めさせていく。
カムイとは神の事。そしてカムイモシリは神の国の事で、イヨマンテはカムイをカムイモシリに送る祭事の事だ。
リウたち|賢き者(イアンパヌ)は万物にこの神(カムイ)が宿っていると信じている。これは言うなれば八百万の神に通ずるものがあり、朔は素直に飲み込む事が出来た。
そしてそのカムイだが、例えば兎や狸などの獲物はカムイがイアンパヌに恩恵を施すために、兎の衣服(にくたい)をまとって現れた姿だと信じられている。
その中でも特に熊は特別な存在だと思われており、冬の狩りで小熊を得た場合は一、二年ほど大切に育てたあとその魂をカムイモシリに送り返す……ようするに殺すわけだが、これをイヨマンテと呼んでいる。
「殺す……のですか」
「ええ、焼き殺します」
無論その肉も骨も全てカムイから賜ったものであるため、一片の無駄にもしない。これはあくまで日々糧を得られる事の感謝の気持ちを、改めて知るための大切な儀式である。
「ええと、俺は……」
「一、二年ほど美味しいご飯を毎日与えられた後、焼き殺されます」
「ひっ!」
今度はハルではなく朔が恐怖で後退る番であった。
「もちろん、キサラギさんが望まないなら無理に行ったりはしませんよ?」
「望みませんから!!」
となると元の世界に帰る方法の一つは潰えた事になる。当然ながら朔はそれを残念だとは思わなかった。
「人の姿をしたカムイが現れるなんて祖母からも聞いた事がありませんからね……何か、この世界で変化が起きているのかも知れません」
杞憂かも知れませんが、とリウは薄く笑った。
「イヨマンテでお送り出来ない以上、私たちには何も出来ません。確か人間には召喚や送還を得意とする者がいたはずですので、そちらを頼ってみるといいかも知れません」
「そうですね。送還ってのは確かにそれっぽい響きだし……」
この世界の右も左も分からないが、まあなんとかなるだろうと楽観的に考えながら朔は冷えたオハウを搔き込んだ。
「は、はい、そうです。まさか本物とは思わなくて……」
少女を襲った経緯を話し終えた朔は、まるで十三階段を登る死刑囚のような気持ちでそう答えた。
「ダ・ウ・ト♪」
「そんな!?」
「残念ながら獣人の存在は五つに満たない幼子でも知っていますよ。それこそ、余程の田舎じゃない限り」
(んな馬鹿な!? 確かに俺が住んでいた町は控え目に言っても田舎だけど、獣人の存在なんて聞いた事も無い!)
それともテレビなんて物は世界の情勢を知らせる物と見せかけて、田舎を情報統制するための物だったのか、と朔は謎の疑心暗鬼に陥る。
「……お姉ちゃん、この人嘘吐いてないよ」
頭を抱える朔を尻目に、少女は姉に耳打ちする。
「うそ……数百年前ならまだしも、人間と共存して何百年も経った今でそんな事有り得るのかしら?」
「でも私の力、誰よりもお姉ちゃんが知っているでしょ?」
「それは……そう、だけど」
何やら朔の都合の良い方に話が進んでいるが、朔はそんな事に気付かずひたすら生きるための選択肢を探していた。
(くそ、詰将棋かよ!)
知らない、という王手は有り得ない、という言葉で逃げられた。ここから更に王手をかけるにはどうすればいいのか。まだ二手目であるというのに、朔自身が詰まされていた。
(いっそ無実の罪を認めて……いや、それでも俺はやっていないと最後まで無実を主張するべきか……)
現実に待ったは存在しない。ちょっとした見逃しで逆に王手をかけられる事もあるのだ。そう簡単に答えは出ない。
しかし何が起こっているのか理解出来ないまま詰まされるわけにはいかない。せめてもう少し足掻こう。そう思い次の手を模索する朔の努力を嘲笑うように、姉は口を開いた。
「分かりました。あなたの言う事を信じましょう」
「俺はそれでもーーーーえ?」
いきなり手の平を返した物言いが逆に怪しい。
一体何を考えているのだろうかと一挙一動に注目するが、相手は今までのやり取りが夢だったのかのように振る舞う。
「それよりオハウも出来ていますし、先にお昼ご飯と致しましょう」
「オハウ?」
「私たちイアンパヌが好んで食べる鍋料理ですよ」
(イアンパヌ?)
何か一つの疑問に対する答えに、新たな疑問が浮かんでくる。いちいち聞くのも時間の無駄だし、話を聞くに先ほどから良い匂いを漂わせている鍋料理が食べられるらしいので、朔は黙って囲炉裏の前に敷いてある座布団に腰を降ろした。
「お姉ちゃん、この人は粥(サヨ)じゃなくても大丈夫?」
「大丈夫よ。その代わりお肉は少なめで、葉ものを多めにね」
「分かった!」
やはり聞き慣れない言葉が飛び交うが、見るからに違う民族であるためそもそも言葉が違うのだろう。何故日本語が通じるのかは分からないが、まあ日本で育って長いのだろうと結論付ける。
「……どうぞ」
ややこちらを警戒しながらも、姉の言葉に従い葉ものを多めに入れた椀を差し出して来る。恐らく胃がびっくりしないようにする配慮なのだろう。朔は有り難くいただく。
「ありがとう」
オハウという言葉からして日本食では無く特殊な民族料理だと思ったが、中身はちゃんこ鍋に近い気がした。魚の切り身につみれ、見た事の無い葉もの野菜が沢山入っているが、どれも美味しく食べられそうだ。
「それじゃあ、いただきましょう」
「いただきます!」
どのくらい寝ていたのかは不明だが、腹が減って仕方が無かった。
朔は飛び付くような勢いで椀に口を付け、ずずずと汁を吸った。
「美味い!」
程よい塩気の汁が腹に沁みる。色々な材料が溶け込んでおり、何とは表現しがたい深い味わいがある。
「ヒンナ!」
何を言っているかは分からないが、少女も美味しそうに汁を吸っていた。
「これって……」
材料は何ですか、と聞こうとして、お互い名前すら知らない事にようやく気が付いた。
「あ、すみません、本当なら先に言うべきでした。……自分は如月 朔と申します。自分の身に何が起こったのか完全に理解出来ていないのですが、助けていただいた事は分かります。ありがとうございました!」
「これはご丁寧に。私はリウです。見ての通り獣人で、こっちは妹のハルです」
「……ハルです」
リウに紹介されハルは小さく頭を下げる。尻尾を触られた事を気にしているのか、そのふわふわの尻尾を自分の腕で抱き締めている。耳はぺたりと元気なく寝ていた。
(……そういえば耳もちゃんとあるんだな。先に耳の方に気が付けばこんな事にはならなかったんだが)
しかしあの大きくもふもふとした尻尾を前に、他の場所へと目をやる余裕が生まれるはずも無い。これはなるべくしてなったのだ、と諦める事で憂いを断つ。
「俺はどこでどんな状態だったんですか?」
「キサラギさんですか? ここの近くに川があるのですけど、血だらけで川上の方から流れて来たんですよー。それはもう驚きました!」
「川上から?」
何故川に、と必死にトラックに轢かれた時の事を振り返り、ようやく自分が川に落ちた事を思い出した。
(そういえば、吹き飛ばされてそのまま川に転落したんだっけか)
だから川上から流されて来たというのは分かる。しかしそのまま流されたとして、川下には朔が住む町より大きな市がある。ビル群が立ち並び、テントを張るような場所は無かったように思えるが……。
「ちょっと失礼します」
立ち上がり、朔は天幕の外を覗いた。
「……………………は?」
森だった。燦々と木漏れ日が辺りを照らし、ここが森の中である事を教えてくれる。少し歩いて辺りを見渡せば、どこまでも木、木、木。遠目にもビルなんてものは存在せず、張られた天幕がやけに馴染んでいた。
「えーと」
朔はテントの中に戻った。
「ここはどこです?」
少なくとも朔が住んでいた町では無いし、その川下にある市でも無い。日本であるかどうかも怪しかったが、屋久島辺りなら普通に広がっている光景だろう。そして朔が住んでいたのはそこまで深い自然があるような場所では無かった。
「どこって、森の中ですけど」
「いやいや、それは見て分かりました。地名的なものが知りたいんです」
「エルフの森、と言えば分かりますか?」
「……いえ、全く」
「……? でしたらここは、王都エルサレムの東にある森ですよ」
「……どこですか、それ」
果たして日本にそんな地名があっただろうかと考える。考えるまでもなく答えは出た。あるわけが無い。
拉致と考えるべきか? そんな馬鹿な。答えは最初から出ていたのだ。獣人なんて存在が目の前にいる時点で、気付くべきだったのか。
(……ああ、ここってもしかしなくとも、異世界か)
「エルサレムを知らない?」
「ええ……一応日本出身なんですけど……っていうかさっきから喋ってるこの言葉って日本語だと思うんですけど」
「にほん語?」
(ああ、そうだよね。異世界だもんね。日本知らないよね、そして何故か言葉は通じるよね)
どこか遠い目で朔は諦めたようにオハウを啜った。
「……一応言っておくけど、この人やっぱり嘘吐いてないよ」
「もしかして|神の国(カムイモシリ)から? それとも穢神(パコロカムイ)の仕業かしら? ……どちらにせよ、祖母(フッチ)から聞いた事があるわ。川は遠い異国と繋がっていて、稀にそこの人たちが迷い込むって」
またも朔を尻目に姉妹二人の密談は続く。
「遠い異国ってどんなところ?」
「お姉ちゃんもフッチから詳しく聞いたわけじゃないから分からないけど、キサラギさんの反応を見る感じ獣人はいないみたいね」
悩むように唸る二人の姉妹を見ながら、朔は呑気に仲が良いんだななんて感想を抱いていた。
「あのー、ところで俺ってどうなるんですかね、これから」
「そう……ですね。一つ確認ですが、キサラギさんはもしかしてカムイモシリから参られたのですか?」
「カムイモシリ?」
「正確にお伝えするのは難しいのですけど、こことは異なる世界の事ですね」
「異世界!?」
「ひっ!」
ガタ、と音を立てて立ち上がると、その勢いに驚いたハルが座ったまま後退った。
「あ、ご、ごめん……えーと、リウさんの言う通り俺は異世界から来たんじゃないかって思っています。俺の世界には当然獣人はいなかったし、俺が落ちた川もこんな森の中じゃありませんでした」
予想もしていなかった『異世界』という言葉に逸る気持ちを抑えながら、朔は自分がその異世界の住人である事をアピールする。もしも信じて貰う事が出来れば、いつの間にか無かった事にされているセクハラ問題も確実に致し方なかった事だと理解して貰えるだろう。
「やはりそうですか……」
「ですです。ちなみにですけど、俺が元の世界に戻るって方法はあるんですか?」
相場は『無い』の一択。だがそれはそもそも異世界の存在を知らなかったりする場合が殆どで、朔の知るアニメや漫画の知識だと、現地の住人が異世界の存在を知っていた場合高確率で帰る事が出来る。無論何か制約があったりするのだが、一般的な異世界召喚と違い朔の場合はただ迷い込んだだけだ。もしかすると、と期待してしまうのも無理が無い。
「ありますよ。イヨマンテと言われる私たち部族の重要な儀式の一つで、ほぼ毎年カムイをカムイモシリへと送り返しています」
「おお! それですそれ! よく分からないけど、俺も送って貰えるんですよね!?」
「その……一応説明させていただきますね?」
無事に帰る方法があると知れば、すぐに帰るのちょっともったいないかな、なんて呑気に考える朔だが、リウの説明を聞きその顔を青褪めさせていく。
カムイとは神の事。そしてカムイモシリは神の国の事で、イヨマンテはカムイをカムイモシリに送る祭事の事だ。
リウたち|賢き者(イアンパヌ)は万物にこの神(カムイ)が宿っていると信じている。これは言うなれば八百万の神に通ずるものがあり、朔は素直に飲み込む事が出来た。
そしてそのカムイだが、例えば兎や狸などの獲物はカムイがイアンパヌに恩恵を施すために、兎の衣服(にくたい)をまとって現れた姿だと信じられている。
その中でも特に熊は特別な存在だと思われており、冬の狩りで小熊を得た場合は一、二年ほど大切に育てたあとその魂をカムイモシリに送り返す……ようするに殺すわけだが、これをイヨマンテと呼んでいる。
「殺す……のですか」
「ええ、焼き殺します」
無論その肉も骨も全てカムイから賜ったものであるため、一片の無駄にもしない。これはあくまで日々糧を得られる事の感謝の気持ちを、改めて知るための大切な儀式である。
「ええと、俺は……」
「一、二年ほど美味しいご飯を毎日与えられた後、焼き殺されます」
「ひっ!」
今度はハルではなく朔が恐怖で後退る番であった。
「もちろん、キサラギさんが望まないなら無理に行ったりはしませんよ?」
「望みませんから!!」
となると元の世界に帰る方法の一つは潰えた事になる。当然ながら朔はそれを残念だとは思わなかった。
「人の姿をしたカムイが現れるなんて祖母からも聞いた事がありませんからね……何か、この世界で変化が起きているのかも知れません」
杞憂かも知れませんが、とリウは薄く笑った。
「イヨマンテでお送り出来ない以上、私たちには何も出来ません。確か人間には召喚や送還を得意とする者がいたはずですので、そちらを頼ってみるといいかも知れません」
「そうですね。送還ってのは確かにそれっぽい響きだし……」
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