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第一巻・我輩がゴアである

 混乱する光アイソレーション

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「――で、私は電磁生命体の利点を生かした方法でこの宇宙人をアメリカに送る方法を考えたのです」
 一時停止が解除された映像みたいに、スーパーキヨ子が再起動した。

「そんな面倒なことしなくても、ジイちゃんに頼んでスマホを向こうの研究者に送ってもらったらいいのに」
「そんなこと最初に考えたわよ」
 呑気な意見を言うアキラに突っ込むNAOMIさん。
「どうしてダメなの?」
 まったくこの青年は理解力に欠ける。まだ首をかしげておるし……。

 溜め息混じりの恭子ちゃんが、代わって答えた。
「博士やそのお友達が、スマホの中に入ってるのが生命体だと知ったら、こんな面白い研究対象はないでしょ。絶対に宇宙へは返してくれないよ」
「胸がじゃまして足元が見えてないと思っていたら、ちゃんと察していたのですね。そうあなたの言うとおりです。誰にも知らせず、我々だけの秘密としてそっとしておくべきです」

『我輩のためになんだか申し訳ないのだ』

「キヨ子、それ本心?」
 知的な幼女はちらりとアキラの目を見て、 
「こんな便利な宇宙人はいませんわ。このスマホ、無充電でずっと起動したままですよ」

『我輩は充電器ではない』

「居候のクセにへんなサイトばかり見て。それぐらい奉仕なさい」
『………………』

「そんなにいじめちゃかわいそうだわ。みんなで宇宙へ帰してあげましょうよ」
『うぅぅ。イヌの姿をしておるのに、なんと慈愛に満ちたお言葉。我輩は感動しておるぞ』

「もう失礼しちゃうわね。あたしだって昔はちょっとしたもんだったのよ」

「あの人は今、的なテレビ番組に出てる元アイドルみたいなこと言わないでよ、マイボ」
「それもなんだか失礼な話ね」
「元アイドルの家に生まれてきた子供って、どんな気分なんだろうね?」
「何とも思っていないんじゃありませんか? 栄光だと感じるのは親だけの話ですし」
「そうよねぇぇ」

 ――って、ブルブルブル(こら~)。バイブを激しく揺らす我輩。
 こいつらほっとけばどんどん脱線していくのである。

『それより具体的にどんなアイデアがあるのだ。そのために今日集まったのではないのか?』
 首をかしげる――ようにバイブを揺らす我輩に、
「光変換方式で電磁ノイズを向こうに送るのです」

『我輩を……であるか?』

「そりゃ光に変換できれば、海底ケーブルを通して向こうへ送ることは可能だけど……」
「前にも言いましたが、電磁ノイズを通さないための光ファイバーです。でも電磁ノイズをデジタル信号に変換してしまえば送れます。つまりただのアナログ信号だと思えばよいのです」

『さっきから聞いておれば……。我輩をノイズ扱いするのはやめてくれ。知的生命体であるぞ』
「キヨ子先生。どうやってデータ化するのですか」
 我輩の訴えなんて誰も聞いていないし……。

「NAOMIさんの協力とあのヘンタイマシンを使えば可能です。このあいだ試験的に計算してみました」
「あぁ。あのときのアルゴリズムね……。さすがキヨ子さんだわ」

「ヘンタイ爺さんが作ったヘンタイマシンのフィルターを通すと、電磁生命体の電荷は消えていきますが、それを構成する電位と場所を読み取ることができます。その電圧データと位置情報をデジタル化し、光アイソレーションで光に変換。ファイバーを通して向こうへ送り、構成データに基づき、電子を散りばめて復元すれば元の姿に戻ります」

 ヘンタイ、ヘンタイと連呼しておるが、それはほんとうにコンピュータなのか?
 地球にはそんなカテゴリーのマシンがあるのだろうか?

「ふぁぁぁあ」
 ほとんど学校の授業みたいな内容にアキラは大きなあくびを始め、我輩は正気に戻って慌てる。

『ちょ、ちょっと待ってほしい。つい『ヘンタイ』に惑わされていたが、今の会話の中に聞き捨てならぬ言葉が混じっておったぞ」
「なんですか?」

『我輩の電荷が消える、とおっしゃったが……』
「はい。言いました」

『軽く言うのではない。それはどういう意味である?』
「電荷が持つ情報を読み取ると同時にそれは消えてなくなるという意味です」

『ば、ば、ば、バカなことを言うな。消えたら死ぬのだぞ。我輩は最も死を恐れるデリケートな生命体である』

「あなたに死の概念があるかどうか知りませんが、今の説明が理解できていないようですね」
『バカにするな。理解しておるぞ』
「電荷は消えますが、その情報が蓄積され、向こうで新しい電子から同じものが生成されるのです。つまり一時的に身体の構成物質をバラバラにしてデータ化したものを向こうで再構築するだけです」

『それだとFAXじゃないか!』

「簡単に言えばそうなりますね」
『なんだか素直に喜べないな。ほんとうに上手くいくのか?』

「でもすごいアイデアですね。電磁生命体をデータ化して、それを光ファイバーで大陸間伝送するなんて前代未聞の話です」
 感心と驚愕の表情で、メイド服姿の恭子ちゃんがキヨ子の前に湯沸しポットの注ぎ口を向け、
「はい……お代わりどうぞ」
 6歳児のカップに紅茶を注いだ。

「ただ……」
 キヨ子は琥珀色の液体の中を覗くようにして口ごもった。

「ただ?」とマイボ。
「この宇宙人をデジタル化すると約200テラビットのデータ量になります」

『我輩の構成データがたったそれだけだと言いたいのか?』
「ご安心なさい。立派なもんです。この人の脳なら数キロバイトでじゅうぶんです」
「ねぇキヨ子。今の言葉、僕を褒めてないんだろ?」
 自信無さげに首を捻るアキラ。
「そんなことはありません。コンパクトだと言ってるにすぎません」

「ふ~ん……そうなの……?」
 この青年は大らかなのか、馬鹿なのかどっちなんだろ?

 恭子ちゃんは苦笑いを堪えるような仕草をして肩を揺らしていた。自らパソコンの自作もこなすメカ女子である彼女には、キヨ子の言う意味を理解しているのである。そしてキヨ子も平然と説明の先を続けた。

「そのデータをインターネット回線で送ると、約1千秒、17分ほど掛かります」
「それで?」
「復元にそれだけの時間が掛かると、途中で電荷が蒸発してしまいます」
『ということは?』

「つまり、幕切れですわ」
『バカな! それでは死を意味する。何度も言う、我輩は死を最も恐れる生命体であるぞ』
「そうは思えませんけど?」

 くそぉ。馬鹿キヨ子~。お前なんか死んじまぇ。

「ジイちゃんの回線を使わせてもらえば? たぶん日本で最も速いはずだよ」
 キヨ子は小さな割に凛々しい顎をうなずかせて、
「存じています。秒間64テラビットの速度を出せる海底ケーブル通信網と直結していますが、それでも3秒ちょっと掛かります」
 マイボがくいっと犬面を持ち上げる。
「復元速度の限界値は?」
「10秒以内」
「じゅうぶんじゃない」
「だめです。大陸間光ファイバーは回線を一定時間独占すると、他のデータの流れが止まりますので、タイムアウトエラーが起きて通信を遮断されます」
『通信の途中で止められると?』

「当然、『死』ですわ」
『ブルブル真っ平ごめんだ』
 我輩は派手にスマホのバイブを震わせた。

「データを全部送ってから一気に復元すれば?」
「それができないのです、NAOMIさん。200テラビットと言うと25テラバイト。保存先がハードディスクだと復元に時間が掛かり過ぎて問題外です。高速メモリーなら可能ですが、そんな大容量のメモリが搭載されるのは大型機です。となるとセキュリティが万全で侵入は不可能ですし……」
 自分自身で納得するように緩くうなずきながら、
「途切れることなくデータが向こうに届き、同時に復元を行うストリーミング処理なら可能なのですが……」

『せっかくのアイデアなのに、ダメであるか』
 ことりとちゃぶ台の上でスマホが動く。白い指がそれに触れられた。恭子ちゃんである。
「転送データを流し続けるあいだ、流れて来る他のデータが滞らないように何かに溜めたらどうですか?」
 その言葉にキヨ子の黒い目が深々と輝いた。
「胸が大きい割に、いいことをいいますね」
「胸は関係ないだろ」
 と言いつつアキラの視線はメイド服の盛り上がった部分へ移動しておった。

 キヨ子は数回瞬いてマイボに向き合い、
「NAOMIさんがあいだに入り、他から送られて来るデータを取り込んで、流れを滞らないようなバッファーの役目をすれば……」
 でも途中で頭を振る。
「いや。いくらなんでも、相手は高速通信網です。NAOMIさんがパンクしますわ」
「時分割でやればいいじゃない」
 NAOMIさんの意見に再び瞬いた。
「溢れる前に時々放出するのですね……なるほどそれなら何とかなりそうですわね」
「やるぅ。スーパーキヨ子さん」

「バッファーって何さ?」
「流れを滞らないように、回線ではなくNAOMIさんのメモリコアのほうにデータを流し込んで、そのあいだにゴアさんの転送を行うの。お風呂の蛇口から水を勢いよく流しても、浴槽がいっぱいになるまでは蛇口を絞らなくてもいいでしょ」
 説明を求めたアキラへ、恭子ちゃんが答える。さすがはメカ女子である。

「時分割って?」
「NAOMIさんのバッファーが一杯になる前に、時間を割り振って、浴槽の栓を時々開けて溜まったデータを流すの。そうしたらまたデータを溜めることができるでしょ。つまりNAOMIさんが浴槽の代わりになるの」

「なるほど……」
 本当に理解しておるのか?

「へんな風呂桶だね」
 やっぱり……。
 頭が痛くなる青年だな。




 みんなは留守をいいことに爺さんの研究室に移動した。見ると部屋の隅になんとも言えない形をした大きなオブジェが置いてある。
「あれが量子コンピュータです」
 忌々しそうに睨みを利かせるキヨ子。
『顔をしかめる理由がわかるな』
 ひと目見てヘンタイとカテゴライズされたマシンがどれだか判別できた。研究室内は乱雑に各種計器や測定器が並んでいるにもかかわらずである。

「これがラブマシンって言うジイちゃんの発明したコンピューターなんだ」
 アキラがスマホのカメラをそちらへと向けて説明。キヨコどのが後を続ける。
「世界最速の量子コンピュータですが、乳房という特異な形状が災いして未だに世間に発表できないのです」
「ジイちゃんは、形を変えるぐらいなら発表しなくていいって言うんだよ」
『もったいない話であるな。我輩としてはいい形であると思えるが……』

「ねぇ。ゴア?」
 キヨ子に背を向けて、アキラが小声でスマホ(我輩)に語りかけてきた。
「あのさ……。お前知ってんだろ。緑川のおばさんと比べてどぉ?」
 我輩も声を潜める。
『このマシンと比べることはできぬな』
「うん、うん」
 青年は興味津々である。
『ママさんのはひとことで言って……美しいだな』
「ど、ど、ど、どうキレイなのさ?」
 そんなに慌てるなよ、青年。
『そりゃぁ……カタチがこのマシンとは……』

「何をコソコソ話してるのです?」
 キヨ子の声にアキラは我輩を握ったままぴょんと振り返り、
「な、なにもしてないよ。さぁ始めようか」
 スマホをゴトリと作業台の上に置いた。

「――――――」
 訝しげな目で見遣るキヨ子をアキラは口笛を吹いていなす。
 漫画みたいな青年であるな。ほんと……。


「では、この復元プログラムをUSA側のパソコンに暗号化して転送します。準備ができ次第この宇宙人の転送を開始しますから。NAOMIさんはヘンタイマシンとあなた自身の準備をお願いしますね」
「了解したわ」

 マイボは乳房型の量子コンピュータの接続端子に自分の尻尾を突っ込み、ついでに我輩が潜むスマホとUSB接続も済ませた。つまり量子コンピュータを通してデータ化し、それを海底ケーブルを介して向こうへ送る、こんな高度な筋書きを6歳児が考え出しただけでも驚異なのに、それをいとも簡単に作りあげていくのだ。

 恭子ちゃんは好奇心溢れる熱い視線でキヨ子のキーボード捌きを見つめ、アキラはあくび半分で、研究室に持ち込んだティーカップの紅茶をすすり上げていた。

「では行きますよ。スマホのほうは準備いいですね」
『こちらはオーケーである』

 ひと呼吸して、我輩はお別れの挨拶をすることに。

『みなさんとは短いあいだであったが、イロイロと世話になりありがとう。例を言わさせてもらうぞ。宇宙に帰っても生涯忘れぬ出来事であった……。では達者でな』
「礼などいりません。たまにメールでもくれればそれでけっこうです」
 宇宙が身近に感じるような言葉を綴ったキヨ子は、エンターキーの上に人差し指を移動させて力を込めようとした、その時である。

「待って!」

 NAOMIさんの緊迫した叫び声で転送シーケンスが中断された。
「向こうからデータが流れてきたわ」
「どういうことです?」
「同じ種類のデータよ。あたしのバッファーに溜まっていくのよ」
 すぐに目を見開くマイボ。
「やっぱりそう。同じ系列のデータだわ。あ――っ。こちらの復元処理がスタートしちゃった」
「意味がわかりません。停止すべきです」
「ダメ。今止めたら向こうからの生命体が死んじゃうわ」

「生命体!?」
 ビックリして声を出したのは恭子ちゃん。

 キヨ子は冷静に尋ねる。
「向こうにも同じ宇宙人がいたわけですか?」
 勢いよくこちらを睨みつけるが、我輩のほうこそ同じ質問をしたい心境である。

『し、知らないのである……』
 否定の意味も込めてバイブをブルブルと震わせた。

「とにかく、復元させるわ」
「どこに? 入れ物がありません」
 焦り出す恭子ちゃん。
「仕方ありません。同じスマホに入れなさい」

『え? これ以上スペースが……ぐわぁぁぁ』
 狭いスマホの中に、もう一人の電磁生命体が詰め込まれていく不快な感触でいっぱいになる。

『く、苦しい……』
「もう少しで復元完了するから我慢して」

『ぐぇぇぇぇぇ』

《Helloで、おま……』

「誰?」と恭子ちゃん。

『My name is ギアでんがな』
「外人さんみたいだけど、方言が身近に感じるな」
 不思議そうにスマホを摘まみ上げるアキラ。

 すぐに謎の生命体は我輩の存在に気づき、
『おー、なんや。ゴアやないけ。久しぶりでんな』
『そ、その声はギア』
『それよりここメチャクチャ狭いがな。なんとかなりまへんの?』
『こ、こら暴れるな! 後から入ってきて勝手なことを言うのでない』
 限界を超え、激しい振動を起こしたスマホがテーブルを滑って落ちそうになるところを恭子ちゃんが取り押さえた。

『こらぁえらいベッピンのメイドさんや。ゴア。お前エエとこに住んでまんねんなぁ』
『そんな話はどうでもいい。NAOMIさん。早くコイツと引き離してくれ。でないと合体してしまう』
「合体?」
『こ、こらアキラ! スケベそうな顔するな。その合体とは別のものだ。融合とでも言えば理解してくれるのか?』

「電荷の融合ですわ」興味深そうに瞳の奥を煌かせるキヨ子。
『キヨ子どの。落ち着いている場合ではないぞ。男どうし融合する行為がいかに不気味かである。男のアキラならこの気持ちわかるだろう?』

「でもさ。そこから出るとなると、マイボか量子コンピュータに乗り移るしかないよ」
「いやぁぁぁぁ~~。お断りよ! そんな不気味な生命体に取り憑かれたくないわ!」
 背中をブルブル震わせて、マイボがUSBケーブルを引き抜き、部屋の隅に逃げた。

『NAOMIさん。我輩は妖怪でもオバケでもない。とにかく一時的でいいからここから出してくれ』
『まぁ、ゴア。よろしおますやろ。同じ電磁生物どうし仲よう融合しまひょうや』

『バカヤロ。我輩はカリンちゃんと融合するつもりなんだ。だれがお前みたいな、むさ苦しい大阪弁を使う男と一緒にならなきゃいけないんだ』

「なんだか面白そう」
『あ、アキラ。笑ってないで早く我輩を助けるのだ』
 我輩はゴアである。このままで行くと、我輩は『ゴギャ』になっちまう。

『絶対にこんな男と融合するのは嫌だ!』
『ほんならどないしまんねん。このスマホもうパンパンでっせ。爆発しまっせ』
『放出だ! お前と我輩とで電荷を半ずつ放出するのだ。それで辻褄を合わそう』

 次の瞬間、スマホから猛烈な白光がほとばしって、ボディがテーブルの上で激しく振動。
「うぁぁぁぁぁ。キヨ子のスマホがぁぁぁ!」
 それはアキラの叫び声をも打ち消す、とてつもない光の量だった。
  
  
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