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第一巻・我輩がゴアである

 まいど~

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 一人でさえ狭い空間なのにギアまで転送されて、限界を超えたキヨ子のスマホを爆発から守るため、我輩たちはお互いの電荷を半分ずつ放出することで、辻褄を合わせようとした。

 放出した電荷の勢いは凄まじく、スマホは激しい振動と猛烈な光に包まれた。それは何分も続いたように感じられたが、実際は数十秒程度だとあとでアキラが教えてくれた。

 ほどなくしてようやくスマホの振動が収まった。
 痛みを感じるほどの強烈な光は消えており、部屋の中はさっきまでの静寂を取り戻していた。


 我輩は茫然自失状態である。何の言葉も浮かんでこなかった。
 台の上でことりとも動かなくなった黄色いスマホを誰もが息を飲んで凝視する。
「壊れたのかな?」
 エプロンドレスにしがみついていたアキラが、恭子ちゃんの後ろから不安げに顔を出した。

 両膝を床に落とした無様な青年に我輩が応える。
『ぶ……無事だ。ほんとにこのスマホは頑強な作りをしておる。地球製はたいしたもんだ』
『ほんまでんな。ベルセウスのなんちゅう星やった? あそこなら落としただけで木っ端微塵やで』
『アルゴルだろ。あそこは重力が大きいからだ』

「ちょっと宇宙人さん、たち……」
 腕を組んでいたキヨ子が顎の先で我輩が入っているスマホを示し、
「いつから地球は電磁性生命体の溜まり場になったんです?」
 額の前で揃えたサラサラの髪の毛を手で払って憤然と尋ねた。

『いや、それは我輩のほうが訊きたい』
「それよりゴアさん……」
 ドレスを握り締めて手を放さないアキラに白い目を向けながら、恭子ちゃんが強引に裾を引っ張って前に出る。
「あの……電荷が半分になっても大丈夫なんですか?」

『心配してくれてありがとう恭子ちゃん。我々はほんの少しでも電荷が残っておれば再生可能なのです』
「あらま。ゾウリムシと同じですわね」
 淡白な反応を見せるキヨ子に怪訝な視線を送り、
『そんな原生動物と一緒にしないでほしいな。我輩は電磁生命体なのだ』
『まぁ。まぁ。そんなことより自己紹介といきまひょか』
「どっちでもいいですけど。宇宙人がその言葉使いだととっても複雑な気分ですわ。何とかなりませんの?」

『………………』

(このちっこいガキは誰でんねんゴア? さっきから高飛車な口調やけど)
(ガキと言うな。この方はキヨ子どのと言ってだな。とても偉い方で)
『キヨ子はんでっか。よろしゅうたのんます。ワテはギアちゅうモンで宇宙からの使者ですわ』
 相変わらずこいつは人の話を聞かない。というか、誰もが我輩の話を聞こうとしないのはどういうわけであろうか。

「何が使者よ?」
 首をかしげながらNAOMIさんが歩み寄る。
「その口調で言われると、何かを売りつけに来たとしか思えないわ」
 戸惑いの表情で台の上に載るスマホに、その長い鼻面を近づけスンスンとした。

(この口が利ける物体は何でっか? イヌのように見えるんやけど、金属製のボディをしてまっせ)
(NAOMIさんといって、スーパーロボット犬である)
「失礼ね。あたしは女だって何度言えばわかるの」

『こ、これは失敬……』

(ギアに忠告しておくぞ。この人は電磁波を検知する能力を持っているので、我々の内緒話は筒抜けになってしまう。地球人に聞こえないと思って電磁波で囁いても無駄だから注意することだな)
(なんや複雑な環境におりまんねんな? それとも地球ってこんな星でしたんか?)
(この家だけ特別なのだ……てなことはどうでもいい。オマエ、)
 我輩はスマホのスピーカーから大きな声を出した。
『それより、お前はバーナード星の見世物小屋に捕まっていたのではないのか?』

『そうでんがな。苦労して逃げ出してきたんや』

「逃げ出したって?」
 顔を寄せてきたアキラに説明する。
『こいつはギアと言って、数年前から行方不明になっていた……まぁ。遠い友人だ』
『アホか。友人ちゃうワ。ワテらは電荷の量で分裂する生命体でんねん。せやから男女の区別はおますけど、同性なら全部同じなんや。電磁生命体は全てが親族や。父でもあり、叔父でもあり、兄でも弟でもあるんや』

『我輩には大阪弁を使う親族はいないぞ』
『あぁ。これでっか。せやな……話すと長い話になるんやけど……』

「あ、じゃあいいです」
『そ……そない気持ちよう切り捨てんといてぇな、キヨ子はん。ほんま殺生やで』

「宇宙人には興味ございませんから」

『冷たいお人やで…………ほんでな。見世物小屋を追い出されて宇宙を彷徨って……』
 さすが大阪弁をマスターしただけのことはある。バイタリティ溢れる打たれ強いヤツなのである。

「あの……。さっきは逃げ出したって言ってましたよ?」
『ほぉでっか? それにしてもおまはんベッピンでんな。名前はなんちゅうんでっか?』

「藤本、」
「乳本デカ子です」
「キヨ子ぉ……」
 すばやく口を挟む居丈高幼女と、それに眉をひそめるアキラ。

『ほうぅ。デカ子はんでっか? 変わった名前でんな』
「ウソに決まってるだろ。この子は『藤本恭子』ちゃんていうの」
 アキラが口を尖らし黄色いスマホを指先でピンと弾く。それは台の上でくるりと回転するものの、気にもせずにギアの説明は続く。
『――ほんでな。宇宙を彷徨っていたんやけどな。気がついたらここや』
『えらく省略したもんだな。宇宙はそんなに狭くはないぞ』

 訝しげに見つめる我輩にギアは当然のように言い切る。
『無駄は省くんや。それがナニワの商人(あきんど)や。それが肝(きも)でんがな』
『お前は電磁生命体だ!』
 と叫んだところで、こいつは我輩の話など聞く耳を持っていない。

『――ほんでな、あとはこいつとおんなじや。日本のナニワちゅう土地に住み着いて、みっちり勉強させてもらいましたんや』

「宇宙に帰ろうとしなかったの?」と訊いたマイボの問いに、
『しましたがな。このあいだのJAXXの打ち上げなんか、いっちゃん先に乗り込んだんでっせ。せやけど打ち上げ延期になったんや。ほんま日本製のロケットはデリケートでんな。打ち上げシーケンスのデータを1ビット反転させただけやのに。あんな大騒ぎになってしもて……』
「原因はあんただったの? 経済的にも大損害だったのよ。どうしてくれるのよ!」
『し、知りまへんがな。なんや怖いお人やな……いや、おイヌはんや』

「それよりその口調なんとかならないのですか。とても気分が滅入りますわ」
 キヨ子が切れ長の目をさらに細めて眉根を寄せた。

『そうだ。お前アメリカまで移動していたのになぜ大阪弁を使う?』
『何言うてまんねん。大阪弁は世界に通じる万能言語だっせ。英語より断然通じるんや』
『ほんとなのか?』
 どこまでも胡散臭いヤツである。

 だが当然のようにギアは言い返す。
『Shut up ! より、じゃかましいぃ! や。How much is it ? より、それなんぼでっか? のほうが伝わるんや』
「あぁ鬱陶しい!」
 キヨ子が鼻の付け根を小さな指で摘まみ、頭を小刻みに振った。
「大阪弁講座はもう結構です。私が訊きたいのはどうやってアメリカへ渡ったのか……です」
 眉間にシワを寄せて苛立ちを抑える仕草は6歳児が出し得る雰囲気ではなく、それはベテラン女優が醸し出す焦燥めいた表情であった。

『はあ? あ……さよか。簡単な話や。空港の充電施設で待機しとったらエエねん。渡米する人の携帯に忍び込んで向こうへ渡たれまっせ」
『空港の充電施設とは?』
「旅行者のために携帯電話を有料で充電する施設があるのよ」
 尋ねる我輩に恭子ちゃんは涼しげな声で応え、なぜかキヨ子は渋い顔をした。

「なんということだ。知らなかったぞ」
 我輩は急いでキヨ子へレンズを向けた。
『何故にその存在を知らせてくれなかったのだ?』

「密航は死刑に値する重罪です」
「え、そうなの?」
 我輩と同じく怪訝な表情で、こともなげに言う幼女の顔を覗き込むアキラ。キヨ子はそれに平然と答える。
「地球では昔からそうですわ」
「そうだったかな? それなら海底ケーブルを乗っ取るほうが罪に……痛ててててて」

 むむ? どういうことだ?
 一抹の疑念が浮き上がった。
『キヨ子どのは本気で我輩を心配してくれていたのではないのか?』
 幼女がアキラの尻を抓り上げている光景をスマホのレンズからすがめながら訊いた。

「おにいちゃ~ん。あそぼ~」

『――って! NAOMIさん、都合悪くなるとガキモードにするのはやめてくれ』
「うふふふ。まァいいじゃない。お友達と再会もできたんだし」

 再びスーパーモードに戻ったキヨ子が、スマホに向かって言い訳めいた口調で語る。だがその視線は揺るぎない自信で満ちていた。
「黙っていたのは量子コンピュータのセキュリティをあざむくためです。あなたのデータにヘンタイ爺さんが送信するデータの監視アルゴリズムも混ぜて送るつもりでしたの。でないと、不埒(ふらち)なデータばかりが通信網を行き来していて、いつまで経っても研究成果が日の目を見ないのです」

『いろんな思惑があなたにはあるのだな。幼少の割に苦労が絶え間ないんだ……』
 言い淀む我輩にキヨ子は鼻から息を抜いて応える。

「分かっていただければそれで結構です。それよりこれからどうするのです?」

『そうだ。ギア。我輩と一緒にNASAの打ち上げに付き合わぬか? そして共に宇宙へ帰ろうではないか』
 ところが我輩の熱き提案に対し、ギアは思わぬ言葉を返した。
『なにゆうてまんねん。もうすぐ宇宙へ帰れまっせ』

『どういうことだ?』

『救難要請をしましたんや。もうすぐ救助用の宇宙船がやってきまんがな』
『ほんとか!』
『ほんまほんま。向こうからの確認メッセージも受け取ってまっせ』

 メイド服姿の恭子ちゃんが、柔らかな仕草で両手をパチンと打ち鳴らし、
「これで宇宙に戻れるわ。よかったね、ゴアさん」
 反動でズレたブリムを直しながら、天使のような笑顔をスマホへ向けた。

『うん。これでひと安心である。すべて皆さんのおかげだ』
『なにゆうとんねん。ワテのおかげやろ』
『すまん。お前がいてくれて助かったぞ。これからも仲良くやろうではないか、同じ電磁生物としてだな……』

『ようゆうわ。さっきはおもっくそ嫌ってたくせに』

「まぁよかったじゃない。じゃあさ。生還を祝ってミルクティーで乾杯しましょ」

 不意にギアが音声を電磁波に切り替え、怪訝な態度で尋ねてきた。
(なぁゴア。あいつロボットなんやろ? お茶なんか飲めまんの?)
(うむ。NAOMIさんは高性能だからな。たぶん飲めるのであろう……)
  
  
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