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42)頭が高い! 秀吉公であらせられるぞ
しおりを挟む紀元前四〇〇万年に現れたすげえ豪華絢爛な着物を着た女性。こっちはリクルートスーツのねえちゃん。デタラメな時代設定であるにもかかわらず、話は平気で進んでいく───。
で、どうなんだそこんとこ。こらイケ面忍者。なんとか言いやがれ。藤吉に何をやらせる気なんだ。さっきから頭下げたままじゃないか。
「うっ……」
怖い顔してイチが横目で俺を睨め上げた。
その光った目玉は俺に頭が高い黙れ、と威圧していた。
「え? この女の人そんなに偉いの?」
イチの顎がわずかに引かれ、
「時間族の皇后様であらせられるぞ」
再び地面にその精悍な顔を伏せた。
そうかクルミの母親だから、そうなんのか………。
そんなに偉い人の娘をベースケな目で見てまずかったかな?
ミニスカートからはみ出たクルミの白い太ももへ向けそうになった視線を慌てて外す俺だった。
それよりも──。
くだらない時代劇はまだ続くようだ。しばらく辛抱してくれ。
「藤吉とやら、では参るぞ。心つもりはよいか?」
「ははっ。織田家に奉公できるのなら、この身、すべてを捧げます」
「そうじゃな。では帰って殿に伝えましょう。一緒に来るがよい」
クルミの母親は野武士の前に回ると、少し屈み込み小声で伝える。
「それとそなた……名前を問われたれば、これからは『藤吉郎』と名乗るがよい」
「なぜ故(ゆえ)に?」
日焼けの勇ましい顔をついっと上げ、クルミの母親、じゃなかった。ヤツには将軍の奥方様と信じ込んでいる、美しい女性に首をかしげた。
「お主のファミリーネームは、いや苗字は何と申す?」
おいおい。英語はまずいだろクルミのかあちゃん。
「『木下』でござる。奥方様」
このおっさん、木下って言うのか……初めて聞いたぜ。
「その名には三文字が似合っておる。今日から、お前は『木下藤吉郎』じゃ。よいな」
「……藤吉郎。よき名にてございます。生まれ変わった気がいたします」
ぐいっと上半身を上げた瞬間、二人の姿がフラッシュと共に閃光の向こうへと消えた。
「おいイチ! 消えたぞ。どこ行ったんだ、あの二人」
「藤吉を連れて一五五四年、天文二十三年へジャンプしたんだ」
「ジャンプって………じゃあ本当に連れて行っちまったのか」
呆れてぽっかりと開けた口を下から突き上げられた。
「あだだだだ! 痛ぇな。舌噛むだろ、サクラ!」
「て、テル。テル」
「だから連呼するなって、明日の天気は晴れだって」
「すごいシーンを見ちゃった、あたし」
「あぁぁ。時間跳躍するところを外から見られるなんて、そうそう無いからな」
サクラは呆れた目で、一拍ほど俺を見つめてから視線を外すと、その先を忍者に振った。
「ねぇ。イチさん今の本当の話なの?」
なに言ってんだだこいつ?
サクラが問題とする部分と、俺のとが食い違っている気がするのだが……?
イチもクルミもコクリとうなずいて見せる。どうやら俺だけ蚊帳の外……みたいな。
「そうだ。天下の将軍が誕生する瞬間を見たのだ」
「はぁ? 意味がさっぱり分からん。織田信長ぐらいは俺だって知ってんぜ」
日本史の成績は最悪だし、時代劇はあくびが出るから嫌いだ。でもそれぐらいは知ってて当然だ。
「なんで? 野武士が織田家の家来になるだけだろ。ま、山賊に近い今よりかは出世したと言えるわな」
「テル、ほんとに知らないの?」
マジで唖然とするサクラに、こっちのほうが驚愕する。
どうやら、常識として知っておくべきことが俺の頭脳に入っていないようだ。亜空間やタイムラインレベルの意味よりも重要なことがあるのか?
「何だよ、その馬鹿にしたような顔。おいおいクルミたちも……え? なに? 俺だけが知らないの?」
自分の鼻先を指差しながら、もう一度、目を丸くする俺へ、サクラが戸惑いつつも興奮した声を出した。
「木下藤吉郎って言えば、十七才で織田信長の家来から出世して、豊臣秀吉になった人なのよ!」
「十七才って……そうか。俺とタメだと言っていたな。それがどうした?」
じわじわと灸(きゅう)が効き出すように頭ん中が熱くなり、
「……ずっと一緒に旅をしていたおっさんが……えぇ? 秀吉に……なる……の?」
ようやく事の重大さに気づいた。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇ──────────────えっ! うっそ!!」
紀元前四〇〇万年のジャングルに俺の絶叫が木霊する。
「マジっすか──っ!」
声に驚いて、数匹のプテラノドン(翼竜)が飛び上がったのをクルミが楽しそうに見上げた。
「ど、どうすんだ。俺たち歴史上の大人物と一緒に飯食ったり、スイカ食ったり、」
「え? いつ食べたの? 隠れて食べたのね、こらテル!」
いきなりサクラに突き飛ばされた。
「ば、バカ。お前だって美味そうに食っていたじゃないか。挙句の果てには日本刀でスイカ割りしたいって……」
イチとクルミの冷たい視線を受けて、やっと気づく。
そうか。こいつにはそんな歴史は無いんだ。
「す、スイカがなんだ! テツに言えばいつでも盗んで、いや買って来てくれる。そんなことより俺たち藤吉に、い、いや。秀吉様に粗相はなかったのか。大丈夫か? いきなり打ち首とかされないだろな」
うろたえた。俺は思いっ切りうろたえた。考えれば考えるほどに問題は複雑化してくる。
「やっぱ、これはまずいだろ。一五九六年の人間を四十年以上も過去の一五五四年に飛ばして豊臣秀吉を作っちまったんだ。やっべぇーぞ。ぜったいに打ち首だ。と、とにかくサクラ。逃げるぞ……」
「落ち着け!」
イチが白い手で拳を作り、指の角で俺の頭をごんっ、と叩いた。
「…………いっ」
深呼吸をして、俺はイチを睨む。
ヤツは無表情の石像状態のまま、長い前髪を払って俺へと説明を始めた。
「藤吉がここで豊臣秀吉になるのは必然なのだ。そのためにお前が宇宙を救ったのだ。それも必然だ」
「い、意味解らない……」
「ニーナの時空修正はこれから始まる」
「あ……」
マリアと館長が漏らした言葉が甦った。
『ニーナは過去から変えていく』
「だ、だけど。あいつが秀吉になったとしたら、元々の秀吉はどうしちまったんだ? 消滅したのか」
「まだ解らないようだな。元からアイツが秀吉になるべき男だったのだ。何も歴史を歪めてはいないぞ」
「ニーナが正しい歴史に変えていくんだろ? ということは変える前があったということだ」
「それはすべてお前が消した」
「………………………………………」
やっぱ何か俺が仕出かしたみたいな物の言いだな。
教育実習で学校へやって来た女子大生みたいな姿をしたクルミが、すくっと立ち上がって小枝を振った。
「歴史が変わるのではありません。新しく生まれ変わったのです。これまでと同じ歴史れすが、どこかほんの少し変えらたのです。だから秀吉ちゃんもこれまでとおり天下を取り大阪城を造りました」
「秀吉ちゃんって……お前の友達かよ」
クルミの説明で尻がモゾモゾしてきた。なんだ落ち着かない気分に苛まれる。過去形で話すからだ。
今度はニーナの言葉が蘇る。『川の流れのように捉えるのは悪い癖よ』
そうちっとも流れてなんかない。平面なんだ。ニーナは膜のようなものと言っていた。過去も未来もない。菌糸でもつれあったカビのようなもの。あっちの影響がこっちに出て、それが向こうに伝わり、いろいろな場所に影響し合う、壮大なカラクリなんだ。
それをニーナは瞬間に導いたと言うことか?
理解できないわけではないが、過去の記憶がある以上どうもしっくりこない。
「ふぅう………」
俺は両手を頭の後ろに回して、そのまま仰向けに倒れて青空を見上げた。紀元前四〇〇万年の空は信じられないぐらいに晴れ渡っていた。
「でっけぇ~な」
自分のちっぽけさを曝け出された俺は、空に向かって溜め息を漏らし、隣で横座りになったサクラも同じ晴天を仰いで感嘆の声を上げる。
「歴史に残る重要なシーンにあたしたちは関わり合ったのよ。すごいねテル」
こいつにはあの未来は無い。
「あ……………」
俺のやったことはすでに過去の事。それよりもだ。
がばっと半身を起こし、
「すごいで済まんぞ。藤吉は未来のことを色々知り過ぎている。ぜってぇ歴史が変わるぜ」
イチは涼しい顔して前髪を左右に振った。
「もしそうならお前の記憶が変わるだろ。どうだ? 歴史が変わった気配があるか?」
ちょっと考えて……。
「そんなもの解るわけないだろ。俺の記憶が変わったかどうかなど、比較するものがあってのこそだ。何が正しいか解るもんか」
「そんなことはないだろう。お前はデバッガーだ。もし異なる歴史が流れたのなら、記憶違いが生じるはずだ。どうだ?」
「そうだったな……」
しばらく考えるが、何も変化がない。
「そういうことだ。藤吉は無事に秀吉を全うした証ではないか」
諭すように言うイチだが……。
「あの男が豊臣秀吉になるなんて………知らぬとはいえ、俺が一歩間違えれば大阪城どころじゃない。世界が変わっていたかも知れないんだ……」
再び仰向けで空を見上げた俺の横で、サクラがつぶやく。
「でもさぁ………」
言葉はそこで途切れた。不審に思い顔を横に向けるとサクラは青空を見上げていて、
「………………………………」
そのまま固着した仕草が気になり、桜色した横顔を斜め下からじっと眺める。
「何が言いたいんだよ?」
サクラは満面の笑みをこちらに落とし、
「みんなで時間旅行ができて楽しかったね」
屈託のない表情はいっそ清々しい。
「けっ。何だその顔は。この極楽トンボが……」
ドキッとしつつ、みたび空を仰いで思考を巡らせる。
これでよかったのか…………サキ。
「……………………っ!」
不意に銀狼が俺を覗き込んできた。
ヤツは何も言わず俺とサクラのあいだで尻を落とすと、前に突き出た鼻面を近づけて、そのでっかい舌で俺の顔を舐め上げた。
「いいよテツ。慰めてくれなくて……」
なんとなく銀狼が笑った風に見えたのは──気のせいだろう。
「あ───! クルミちゃんの人形が消えていくわ!」
サクラの悲鳴じみた声が、感慨に沈んだ俺を揺り起こした。
きょとんと可愛らしい顔を披露していたクルミの胸ポケットがおかしい。
差し込まれていた布切れの人形が半透明になり、まさに消え去ろうとしていたのだ。
だけど時間族のお姫様は平然と言う。
「刻(とき)が修正されたのです。秀吉ちゃんが行った刀狩で、野武士の数が激減し、あの村を襲った連中も消滅しました。それでお人形さんも元の時代に帰って行くのです」
電池の切れかけた液晶時計みたいに、薄っすらと消えていく人形を見つめて、クルミはけろっとして微笑んだ。
俺の記憶ではアイドルのステージ衣装みたいなクルミの胸ポケットにもこの人形が入っていたのを見ていた。
だがそれも今や夢となって消されていく。ニーナの存在が確かにそこにある。小さなことだが確かに変わりつつある。
「俺がやったことは無駄じゃなかったというワケか………」
「そうーれす。ここにみんなが集まっていられるのもテルさまのおかげなんです。時間族一同感謝しております」
いや、俺のネーちゃんに頭下げられたみたいで、こっぱずかしいが、それにしてもイチ。お前の態度は頭を下げてねえ。
忍者野郎は、ふっと鼻息を吹かし、
「それがしは、サクラ殿のインスタンスだ。簡単にはお前になびかない」
「いけ好かないヤツ………ん?」
イチの創造主であるサクラの様子がおかしい。さっきから頭をかしげては唸っている。
「どうした? どこか具合でも悪いのか?」
ミミズを食ったって平気なヤツなんだが……。
「あのね。なんか記憶がおかしいの」
「何が?」
「藤吉さんと出会った広場の近くで何かあったような気がするんだけど、どうしても思い出せないの」
「はぁ? あの村の話か?」
「村って? そんなのあったかな?」
「あったじゃないか。焼き打ちに遭い、」
言いかけた俺の肩をイチが引いた。
「記憶の消滅だ。それで正しい。歴史が変わったからだ」
「俺だけは消えないのか……」
イチとクルミが同時に首肯した。
「やっぱ、何だか損な役割だな」
脱力して深いため息を吐いていると、極楽トンボが俺に語った。
「あのさ。帰ったら、あたしも寝袋買うから付き合ってね」
ダメだこいつ…………。
マジで頭ん中消えてやんの。
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