夫の仇である死ぬほど憎い男を愛してしまったどころかドロドロの沼に落とされた話

花山院静

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 何度か笑顔の練習をし、ベルタはペルネ公のドアをノックした。

「ねえ、聞いて。今日は私が料理を作ったのよ。珍しいでしょ」

 椅子に腰を掛けていたペルネ公は、ベルタを一瞥いちべつすると、ニッコリと微笑んだ。その笑顔はなんとも陰のある悲しげなもので、ベルタはさきほどのドア前での練習した笑顔を披露せざるを得なかった。

「なんだと思う?お肉たっぷりのスープよ。病院で約束したでしょ。たっぷり食べてね」

「あまり食欲がなくてね」

「駄目よ。そんなこと言ってちゃ。天下のペルネ公の名がすたれるわよ」

「もう槍も持てない天下のペルネ公さ」

「立派な左腕があるじゃない」

「それに、この脚じゃあ、あぶみを踏ん張り愛馬を操ることもできない。東洋の故事で言うところの髀肉ひにくの嘆そのものさ」

「明日から乗馬の練習をしましょう。ねえ、私を乗せてね。いつかほら、私を森へ連れて行ってくれた時のように」

 いつも私を笑顔にさせてくれたのは彼だった。ベルタは今、彼を笑顔にする順番が私に回ってきたことを強く思った。これは私の使命だ。

 神が与えた使命。

 いや、自分自身が進んで、望んで、選んだ使命だ。

「ペルネ。私は何があっても貴方と一緒よ」

 ペルネ公はベルタの目を見ると、すぐにその目を逸らせた。そしてそれを、まるで自信のない初心うぶな少年のように何度か繰り返し、最後には机の当たりに目を落とし、意味ありげな笑みを浮かべた。

「貴方もそんな色気のある憂いのある笑顔をするのね。いえ、からかってなんていないわ。ますます素敵よ。私ね、あの怪我がなければ、貴方はもっと横柄で傲慢な人になっていたんじゃないかって思う時があるの」

「君に対して不遜な私だったかな」

「いいえ、私には最高の夫です。今も以前もね。だけど、部下に対しては思いやりに欠けていたかも。戦続きの貴族のさがかも知れないけど」

「君の邸に初めて訪れた時に付き従ったルカランブ。彼がよくそんなことをボヤいていたな。君は私の危うい欠点を見抜いていたんだね。確かに私には、将軍として兵に接するにあたり、必要以上に厳しい面があった」

「だけど、その憂いのある笑顔ができる人なんだから、もう大丈夫かしらね」

「牙の抜けたボスライオンさ。従う群れの仲間は一頭もいないだろう」

「ここにいます」

「花嫁は最初、いやいや私のもとへ来たね」

「ふふ。初めはそうだったわね」

「私は痛いほどに感じていた。不憫だったが、それ以上に私は君を愛していた」

「毎日感じていたわ。だから、私、今、貴方の隣にいるの。いられるの」

 ペルネ公は机から目を移し、今度はベルタを凝視した。ベルタはずっとペルネ公から目を離していない。

 ペルネ公の表情が一瞬強張り、それが不安定に崩れ、やがて眼から大粒の涙があふれた。

「こっちへおいで。ハグをさせてくれ。この残った左腕で。この左腕で、君を守ってみせる。守り続けて見せる」

 ベルタは歩を進め、彼の膝にすがりついた。
 
 
 
 その時、部屋のドアを激しくノックする音がこだました。
 
 
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