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その思惑は

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──慣れぬ人に触れさせて嫌な思いをさせてしまったね

(いやいやいやいや)

 今日の昼間、ヴィクトールに言われた言葉を思い出してルイーザは顔を左右にぶんぶんと振った。初対面の時にルイーザのことをわしゃわしゃと無遠慮に触りまくった男のセリフではない。棚上げもいいところである。

 しかし今日、ヴィクトールに撫でられ抱きしめられたときにとても安心したのは事実だった。あの手のひらは絶対に自分を傷つけることはないと、無意識に信頼を寄せてしまったのだ。
 例えるのであれば、父に撫でられたときのような、母に抱きしめられたときのような。暖かいもので包まれるような感覚。
 そう、ルイーザの犬的な部分が、まるでヴィクトールのことを飼い主と認めているような──

(美味しいものをくれて沢山撫でてくれるからって懐くって、単純すぎるでしょ!!)

 オペラや恋愛小説の心理描写のように胸がたかなったりとか幸福感に満たされたりとかはなかった。初恋すら未経験のルイーザには確証が持てないが、多分恋慕の類ではないのだと思う。令嬢としてはまるで飼い主と認識するほど懐くも恋に落ちる方がまだ正常なのだけれど。

(そんなことよりも、問題はメリナのことよ……!)

 メリナ・ノイマン伯爵令嬢の意味深な言動。これはすぐにでもノアと父に相談したい。今までは、2~3日に1回か、長くても7日以内にはノアに呼ばれて研究塔に行っていた。しかし、いつも当日迎えが来てから連れて行かれるので、ルイーザからノアに連絡を取る術はない。父は余程忙しい日でなければ仕事前か仕事後にルイーザの様子を見に来てくれるが、ノアが通訳をしてくれなければ言葉が通じない。
 さらに、ノアは解呪薬の材料が届いたらすぐに調薬に入れるよう、今の内に資料をもう一度読み込んでおくと言っていた。今は忙しい時期だろう。一刻も早く相談したいのに、自分からではどうにもできないことにルイーザは焦燥に駆られた。

(あれだけで疑うのは早計かしら?
 ……でも、犬が嫌いだからっていう態度ではなかったわね)

 ルイーザは犬舎の自室を、うろうろと歩き回る。同室の犬たちにとってはさぞ鬱陶しいことだろうが、今は体を動かしていないと落ち着かないのだ。

 下手をすれば、相談する前にまたヴィクトールがメリナを連れてくるかもしれない。今まで彼が連れてきた令嬢たちの中で、大型犬から逃げなかったのは彼女だけだ。ヴィクトールはルイーザの怯えた様子に気付いてくれたけれど……だからこそ、メリナと犬を慣らすために連れてくることは十分に考えられる。

 犬になってから、ルイーザに対して不審人物からの接触は一切なかった。魔術師と父を除けば、飼育員や裏庭を通る犬好きそうな使用人たち、王太子たち。接する人物は大抵同じだ。
 犬そのものが苦手な人が裏庭を通ったことはあるけれど、犬になったルイーザに対して個人的な負の感情を抱いていたのは、メリナが初めてだった。

(どうしよう、メリナの匂いがしたら逃げればいいのかしら?それで解決する問題?
 ……もし、犯人がメリナではなく──!!?)

 うろうろと歩き回っていたところに、不意に脇腹をつつかれたルイーザは「キャン!」と驚きの鳴き声が漏らす。恐る恐るつつかれた方を向くと、隣に同室の黒い雌犬マリーが立っていた。落ち着きのないルイーザを止めるために、鼻先で押したのだろう。

(ご、ごめんなさい、睡眠の邪魔をしちゃった……わよね?)

 気配にも音にも敏感な犬たちのことだ。他犬・・が室内を歩き回っていては落ち着いて眠れるはずもない。ルイーザは気まずくなって謝罪をしてみるが、通じているかは謎である。犬心がわかるようになって、感情くらいは読み取れるものの彼らの細かい心情までは未だに謎なのだ。
 マリーは謝罪を気にすることもなく、鼻先でぐいぐいとルイーザを押す。

(え、何、どうしたのマリー?)

 強く押されているわけではないのだけれど、なんとなく逆らえずにマリーに押されるまま移動すると、ルイーザの脚がぽすんとベッドにぶつかった。

(……大人しく寝ろってこと、かしら?)

 確かに、考えても考えてもルイーザがどうにかできることではない。ノアに呼ばれるのを、大人しく待つほかないのだ。
 渋々とルイーザがベッドに上がると、マリーも隣に乗ってきた。ルイーザの隣に伏せる体制を取ったマリーは、フンと鼻を鳴らして顎を床に乗せた。やはり愛想はなく見えるけれど、黒い毛の中で輝く金の瞳はどこか優しかった。



*****



 同室の姉貴分マリーに添い寝されて、なんとか眠ることができたルイーザは思いのほかすっきりと翌朝を迎える。人間の頃と変わらず、犬の体でも睡眠は大事だと思いながら朝食を終えた頃に、待っていた来客があった。父である。

「わふっ!!」
(お父さま!!)

 ルイーザは登場した父の姿を見て思わず飛びついた。言葉は通じなくとも、どうにか異変を感じ取ってもらえたらノアに話をつけてもらえるかもしれない。

「わふん! わふん!」
(お父さまお願い! 研究塔へ連れて行って!)

「どうしたルイーザ、遊んでほしいのかい?」

「わん!」
(違うわよ!)

 秋に入って他の犬たちと同様、ルイーザにも換毛期が訪れているため、父が着ているジュストコールに毛がついてしまうがそんなことを気にしていられない。父の胸に前足を置いて、ぐりぐりと頭を押し付けた。言葉は通じなくとも、親子の絆的なもので思いが通じますようにと願いを込めながら。

 ルイーザとしては、いつもはしない仕草と行動で異変を伝えたつもりなのだが、父はそう受け取らなかったらしい。ルイーザの頬に両手を添えると、震える声で問いかけた。その顔面は、蒼白である。

「る、ルイーザ……まさかとうとう精神まで犬に……」

「わん!」
(なってない!)

「そ、そんな……! いや、昨日は普通だった。まだどうにかなるかもしれない。
 すぐにノア殿に相談してこよう!」

「くぅん……」
(違うんだけど……)


 親子の絆は言語の壁には勝てなかった。

 尋常ではない慌てようで、犬舎を出ていく父を茫然と見送ったルイーザは、ノアの所へ行ってくれるのであれば結果オーライである。……と思う事にした。



*****



 いつもの研究塔の一室。ふあ、と欠伸をする魔術師の前で、一人と一匹──父娘は頭を下げている。

「凄い剣幕で伯爵が飛び込んできたから何かと思ったよ」

(ごめんなさい……)

「面目ない……」

 朝一番、研究塔で仮眠を取っていたノアを父は叩き起こしてしまったそうだ。ノアは近頃、明け方近くまで研究し、家にも帰らずに研究室でそのまま仮眠を取っているらしい。ルイーザの件で睡眠時間を削り忙しくしている彼を叩き起こしてしまったルイーザと伯爵は非常に申し訳ない気持ちで項垂れる。

「いや、まあルイーザ嬢から僕に連絡する手段がない事を失念していたのも事実なので。
 伯爵が毎日犬舎に行っているのであれば、ルイーザ嬢から僕に連絡を取ってほしい時には仕草で伝えられるようにサインなどを決めてはどうでしょう」

(そうね)

「う、うむ。緊急度高・低のサインがあれば十分か」

 話し合ってサインを決めた後、いよいよ本題に入る。昨日ヴィクトールと共に訪れたメリナ・ノイマン伯爵令嬢の話だ。ルイーザは、感じたことと起こったことの一部始終を2人に説明した。


「ノイマン伯爵は、気の小さい男だ。一人の令嬢を消すような悪事を企てるようには見えなかったが……」

「そもそも、呪薬の購入自体難しいと思います。価格のこともそうですが、薬の輸入元と思われるギーベル国は閉ざされた島国です。現物も技術も、余程のコネがないと入手できないでしょう。
 この研究塔にも、最低限の資料しななかったくらいですから」

「うむ……。輸入の形跡も見つかっていないことから、間違いなく密輸入だろう」

(……気のせいだった、のかしら……)

 しかしルイーザには、そうとは思えなかった。犯人ではないにしろ、何か関わりがあるのではと踏んでいた。昨日の態度も、瞳に乗せられた心の内も。確かに最初はただの犬嫌いなのかと思ったが、もっと強い感情……個人的な悪感情に思えたのだ。

「いや、犬でいる時のルイーザ嬢の勘自体はある程度信頼していいと思うよ。動物は言葉が話せない分、悪意や好意には敏感だから。
 どこまで関わっているのか、何を知っているのかはわからないけれど、何かしらの意味はある筈だ」

「陛下には話すつもりではあるが、確証がないため王太子殿下にはどう言っていいのかわからんな……」

 メリナを犬舎に連れていかないでほしい、と国王がヴィクトールに伝えたところで理由の説明はできない。更に言えば、ヴィクトール本人がメリナ・ノイマン嬢との婚姻を望んだ場合、彼女の危険性がまだ疑惑・・でしかなく確証も持てない段階で、表立って反対もしづらい。

(とりあえず、メリナが犬舎に近づいたと思ったら顔は合わせないようにするわ。匂いはもう覚えたもの)

「ノイマン伯爵令嬢本人だけでなく、今の段階で知らない人にも近づかない方がいいね。
 ノイマン伯爵令嬢が”協力者”で犯人が別にいる可能性、または逆の可能性もあるから」

 ノアの言葉に、ルイーザは頷いた。経済的にも人脈的にも、ノイマン家だけでルイーザを犬にしたとは思えない……ということは、必ず第三者がいる。
 対抗派閥の家か、ルイーザを個人的に疎んでいる人間か。ルイーザは犬になる前、王太子妃の筆頭候補の一人と言われていたけれど、ほかにも王太子妃候補は大勢いた。確かにルイーザは、教養面等で頭一つ分秀でてはいたのだけれど、ルイーザよりも身分の高い令嬢や美しい令嬢はいくらでもいたのだ。その中で、ルイーザ一人を蹴落として得をするのは誰だろうか。特定できそうで、できない状況である。

「しかし、ノイマン伯爵令嬢が何かを知っている、ということが判っただけでも進展だろう」

(そうね、今までは何一つわからなかったのだから)

「執務の方が忙しくなるから、暫く帰宅時間が遅くなる。帰りは犬舎に寄れない日も多いが、朝は必ず顔を出そう」

(お父さま、ありがとう)

 父は少々申し訳なさそうな顔で、ルイーザの頭を撫でた。そのぬくもりに嬉しくなったルイーザは、父の腕に頬を摺り寄せた。その腕が毛だらけになったのは言うまでもない。


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