元王太子妃候補、現王宮の番犬(仮)

モンドール

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番犬(仮)の牙

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 ルイーザは朝から気分が良かった。昨日、ノアから、解呪薬の材料が半月後に届く見込みだと告げられたのだ。
 今日明日届くわけではないが、正確な目途が立った上に今のルイーザの状況であれば半月後はまだ自我が保てているだろうとのことだった。人間に戻れるか否かの瀬戸際に立たされていたルイーザにとっては、これ以上ないほどの朗報だった。

(ああ、戻ったら何をしようかしら)

 まずは、早く人間に戻って父や母に自分の言葉で感謝と謝罪を告げたい。本だって読みたいし、身の振り方も考えなくてはいけない。番犬生活は、考える時間だけは山ほどあったけれど、逆に考えることしかできなかったのだ。
 幼いころからの性分で、思いついたことに対して全力で行動するルイーザにとっては、やりたいことが募るばかりだったのである。

 尤も、犬生活も悪いことばかりではなかったのだけれど。普段の令嬢生活では触れることのなかった、飼育員や他の使用人たちと触れ合えたこともルイーザの中で大きな経験となっていたし、いつの間にか芽生えた犬たちとの絆も、一歩間違えば塞ぎこんでしまいそうな生活の支えになっていた。

(人間に戻っても、犬たちは私のことがわかるかしら?)

 流石に飼育員にはわからないだろうが、同室の犬たちくらいはルイーザのことをわかってくれるかもしれない。そっけないがいつも助けてくれるマリーのつややかな毛並みを、人間として犬舎に訪れたら撫でさせてくれるだろうか。

 城に訪問する機会があっても、一貴族が王宮の番犬が住まう犬舎に訪れることは殆どないが父に頼めば一度くらいは連れてきてくれるかもしれない。

 今までは、先の事を考えても不安と絶望しかなかったけれど、今は時が経つのがひたすらに待ち遠しい。
 隣国の王女が到着するのは既に4日後。王女は既に国を発った頃だろう。城内は輪をかけて慌ただしくなってはいるけれど、王女が到着するころはまだ犬であるルイーザにはあまり関係がなかった。

 いつもよりも少し人の多い裏庭を意気揚々と歩いていると、犬の聴覚によって、多少離れたところの声も拾うようになったルイーザの耳が、言い争うような声を拾う。ぴくりと立ち耳を動かして声を拾おうとすると、裏庭から少し外れたところから聞こえるようだった。

『──、いくら何でも、刺客はやりすぎではありませんか!?
 私はそんな危険な計画に賛同した記憶はありません!』

『何、少しあのお綺麗な顔に怪我をさせる程度だ。王女歓迎の催しに欠席させる程度でいいのだから、何も殺しはしないさ。──刺客が加減を間違えない保証はできかねるがな』

 ぴりりと背筋を針で刺すような緊張が走る。明らかに、誰かを襲う計画だ。本当であれば、こういった類のやりとりには近づいてはならないとノアや父に言われた──けれど放っておける内容でもない。
 片方の声の主は、この頃きな臭い話題の渦中にある、アーデルベルトのものだった。別に彼らの前に姿を現すつもりはルイーザにもない。しかし、この内容であれば話を聞いて父に伝える必要がある。そう判断したルイーザは、話しが問題なく聞き取れるところまで近づき、番犬の行動範囲ぎりぎりにある生垣に身を潜ませた。

『王女が婚姻前に訪問するのは私としても想定外だ。
 ──あの、男好きの王女のことだ。顔だけの男とは言え、ヴィクトールを見たら乗り換えたいと言い出しかねん。そうなれば計画はすべて無駄になる』

 本来であれば、隣国の習わしにのっとり、向こうで婚儀を挙げてからこちらへ輿入れし、再度婚儀を挙げることになる。その前に王女が訪問するというのはアーデルベルトにとっても予想外のことだったようだ。

(どう考えても、燃え上がるような恋に落ちた男の言う台詞ではないわね……)

『しかし! 王太子に刺客を送ったことが露呈すれば──』

『煩い! どちらにしても私の方が次期王に相応しいのだ! 周りの者たちからもずっとそう言われてきた!
 だというのに……! 国の重鎮も、伯父上も伯母上も私を認めない!
 ──母上すらも、腰抜けの王太子を支えろなどと寝惚けた事を言う!

 私の方が相応しい筈なのに、あいつは私が手に入れられない唯一を持っている! おかしいと思わないか!?』

 激情に任せるように、アーデルベルトが吠える。ルイーザからすると、王の子が次期王になるのは至極当然のことだ。いくら優秀とは言え、降嫁した王姉の息子が王位を継ぐなどと、それこそ王太子に何かがあったとき位しかありえない。
 思わず呆れた表情になるも、次に発された言葉が衝撃的で、ルイーザは彫像のように身を固めた。

『このために、あいつの後ろ盾になりそうな令嬢たちは皆排除してきたのだ!
 ヴィクトールの奴も、あの愚かな伯爵令嬢をさっさと選べば良いというのに……!』

(──排除?)

 王太子妃候補を辞退した令嬢は、ルイーザだけではない。ルイーザが犬になる前にも後にも辞退した令嬢はいたと聞く。
 すぐに辞退を決めた、マイヤー公爵令嬢──最有力と言われた王太子の再従姉妹にあたる令嬢のほかにも、ある令嬢は幼馴染との恋を成就させ、ある令嬢は身分違いの恋に駆け落ちし、またある令嬢は神の道に目覚め神殿に入ったと聞く。
 ルイーザの所に情報が来ていないだけで、他にもいる可能性はある。

『王太子殿下は元々王位を継ぐことに執着しておられません!
 もう少し穏便なやり方もあるのではありませんか!?
 このやり方には、バルツァー家として賛同しかねる!』

『ふん。もう遅い。既に刺客は中庭に潜ませた。あいつが休憩のために外に出た時に、すぐに行動する手はずになっている』

 バルツァー家。ルイーザの記憶によるとそこそこの歴史を持つ侯爵家だった筈だ。最近は懐事情がよくないという話も耳にしていたが、そこを突かれて利用されているのだろうか。
 ここで言う、「あいつ」とは間違いなくヴィクトールのことだろう。命を取るつもりはない、と言っていた。ここで、ルイーザがとるべき行動はわかっていた。
 命の危険さえないのであれば、ここは知らなかった振りをして父とノアにこの情報を渡せばいいだけだ。令嬢と違い、男であるヴィクトールであれば多少顔に傷が残ったところで、アーデルベルトさえ失脚すれば王位を継ぐ疵にはならない筈なのだ。

(こいつが黒幕だということはわかったわ。その情報さえあれば十分よ。
 ポンコツ王太子が、怪我をしようと関係ない……)

 そこまで考えたところで、ルイーザは本能に引っ張られて走り出していた。令嬢の時には全力疾走などというはしたない真似はしたことがないけれど、犬の体は驚くほどの速さで駆けられる。




 王宮の作りを熟知しているわけではないけれど、何度も出入りをしていたルイーザは、裏庭から中庭への大まかな道筋くらいは把握している。本来の番犬の行動範囲を超えて、中庭に向けて駆けだしていた。何か作戦があったわけではない。ただ、行かなければならないと思っていたのだ。

 すれ違う使用人は、ぎょっとした様子でルイーザを見る。普段であれば裏門から王宮までの範囲を出ることがない、大きな犬が城内を駆けているのだから当たり前だ。しかし、ルイーザにそれを気にする余裕はなかった。

 豪奢な柱で飾り立てられた回廊を抜けると、中庭が見える。丁度目的の人物──ヴィクトールが中庭に出ていたところだった。
 危機を伝えるように、できるだけ大きな声でルイーザは吠えると、ヴィクトールは金の瞳を丸くして驚愕の表情を浮かべる。

「わん!」

「ショコラ!?」

 非常に驚いた表情をしたヴィクトールの後ろにあるガゼボの屋根から、軽い身のこなしで黒い服を纏った男が降り立ったところだった。
 手には長剣を持っている。もしかしたら、飛び道具のような武器を持っているかもしれない。一刻も早く、止めなければ。駆ける勢いを殺さずにヴィクトールを通り過ぎると、男が長剣を握る右肩に噛みついた。

「クソ! なんだこの犬は!」

「グルルルル」

 噛みついた傷口から、ルイーザの口の中に血が流れ込んで鉄の匂いが充満する。犬になってから、地に置いた器から食事を取ることは受け入れたし、物を咥えることも慣れた。しかし、なんとなく人を舐めたり甘噛みしたりという行為は、懐いた人物──飼育員や父であっても、人間である部分が抵抗を感じていた。
 しかし、今は余計な事を考えている余裕はなかった。抵抗し唸る男の肩に、更に牙をめり込ませる。

(早く逃げなさいよポンコツ王太子……どうせ武の腕もたいしたことないんでしょう!?)

「この……」

 男が何かを呟いたと思ったら、ルイーザの腹部が焼き鏝やきごてを押し付けられたかのように熱くなる。痛みに耐えていっそ食いちぎってやろうと力を込めた瞬間、顎の下を殴られたことで牙が外れ、ルイーザは弾き飛ばされた。

「ショコラ、ショコラ!
 誰か来てくれ! 侵入者だ!
 レーヴェ!」

 悲痛なヴィクトールの声に呼ばれるように、誰かが中庭に駆け付ける音をルイーザの耳が拾った。いくら刺客とはいえ、肩に大怪我をした状態であればすぐに取り押さえられるだろう。

 どうやら、ルイーザの腹には短剣が刺さっているようだ。毒でも塗ってあるのか、足先が震え頭も痺れるかのように朦朧としてきた。
 薄目を開けると泣きそうな表情でヴィクトールが声をかけている。徐々にヴィクトールの声が遠くなっていくのを感じながら、ルイーザはそっと瞳を閉じた。


「くぅん」
(馬鹿ね。犬は親しい者を守らずにはいられないのよ──)

 一声かけた後、馬鹿は自分の方だと内心自嘲する。人間に戻れる目途が立ったというのに、犬の本能に引っ張られてしまった。もう、何の音も聞こえないし、痛みも薄れてきた。

 暗闇に包まれた視界の中、どこかルイーザは満足していた。最期を犬として迎えてしまうけれど、犬であってもルイーザ自身の感情だ。己の感情のまま行動して、目的を果たせたのだから。幼い頃から目的のために努力を惜しまなかった自分らしいではないか。

 両親とノアには悪い事をしたなあと思いながらも、達成感の中でそっと暗闇に身を委ねた。
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