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5-3 一波纔かに動いて、万波随う(2)
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「更に願いをとおっしゃいもすれば……有馬晋祐殿も、一緒にお願いできもはんかい?」
『蛤御門の変』にて、来島又兵衛を狙撃した川路利良に対し、指揮官・西郷隆盛は報償を与えることを申し出た。その答えが、江戸への遊学希望だった。
しかしこの時、行動を共にしていた晋祐の遊学までをも同時に願い出るとは、流石の西郷も思っても見ないことだったに違いない。
実際、西郷は利良に対し「更に願いを」などとは言っていない。
多数の目がある状況下。ほぼ確信犯的に「更に」を付け加え、有無を言わさぬ追加の願いを申し出たのだ。
あまりのことに、ちょっとやそっとじゃ驚かない肝っ玉の太い西郷でさえ、目を見開き言葉を失った。
「あの時の西郷様の表情を、俺は一生忘れないぞ」
鹿児島から一路。
商船に乗り込み大阪へと向かう船中。船の心地よい揺れと、酔いが相まって。幾分上機嫌な晋祐は、黒い猪口を片手にさらに続けた。
「大きな目をさらに大きく見開いて。肝っ玉の太いと言われている西郷様が、絶句なさるなんて。あんな顔は、後にも先にも見ることはできないだろうな」
饒舌に語る晋祐に、利良は困ったように笑う。そして、黒猪口の中身を一気に煽った。
どこから持ってきたのか。酒の肴には、酢に漬けたハスイモが用意されており、二人は小さな塊になったハスイモをつまんで、ちびりちびりと焼酎を飲む。何の目も気にせず。自由を全身に感じながら、船旅を満喫していた。
穏やかな洋上を眺め、利良は晋祐の語るあの時を思い返した。
あの場にいた晋祐も大概、驚いていたと利良は記憶する。
思いの丈を西郷にぶつけた利良は、口角を僅かに上げた。そして、斜め前に座していた晋祐に視線を投げる。ちょうど勘定方として、その場に居合わせた晋祐は、西郷以上に驚愕し、腰を抜かさんばかり硬直していた、と。
思い出し笑いを噛み殺した利良は、空になった猪口の縁を親指でなぞった。
「あれは、俺だけの力だけで、成す事ができんかった事じゃっで……晋祐殿がおってこその功労じゃっとぉ」
「いやいや、利良殿の腕が良かったんだ」
「それに……」
「それに?」
含みを持たせて笑う利良の顔を、晋祐は不思議そうに覗き込む。
「新世界ば、晋介殿と共に見んならっち。約束しぃもしたで」
晋祐は、さらに目を丸くした。あまりにも昔の約束。
初対面で交わした約束を掘り起こされ、晋祐はほろ酔いが一気に冷めた気がした。
「二十年ほど前の約束を……。利良殿は、良く覚えてるなぁ」
「俺は記憶力が良かで」
「利良殿、どういう事だ?」
「さぁ、どういう事じゃろかいなぁ」
「俺だって覚えてるぞ! 忘れていたあれは故意だ!」
つい子どものように頬を膨らまし、晋祐は怒ったそぶりで言い返す。その様子が大層可笑しかったのか。利良は「あはは」と、体を退けぞして笑った。
「分かっちょいもんど。晋祐殿は頭が良かで」
「おい! 今の! 馬鹿にしてるだろ!」
酒の効果も相まって。利良の言うことに何でも喰いつく晋祐は、膨らました頬をさらに膨らまして猪口に焼酎を注いだ。
「本当の事ごわんさぁ」
今にも焼酎を煽らんとする晋祐の腕を、利良はしかと握った。真っ直ぐに、晋祐を見つめる真剣な光を放つ利良の眼差しといい。あまりにも突然で強い力に、晋祐から酔いがサーッと抜けていく感覚がした。
「俺は洋式練兵を。晋祐殿は外国ん言葉を」
意志が強い眼差しとは裏腹に。利良の聲は相変わらず凪いで穏やかに響く。
(あぁ、この感じ。利良殿と初めて会った時と変わらない、琵琶の音に似てる)
心地よく、それでいて明瞭に耳に入る利良の聲。「そうだ! そのとおり!」と言わんばかりに、晋祐は無言で首を縦に振り返事をした。
「そして、しかとこの眼で見いもんそ! そして、言葉にしぃもんそ! 新しい世界ん事を!」
「言葉に?」
「参勤交代じゃ、そげん余裕はなかったどん。今度はしっかい見て聴いた事を、言葉に記さんにゃ」
「書き記すのか?」
「書き記せば忘れんじ、偽りもなか」
「いいな! 是非いたそう!」
遊学中、利良は西郷隆盛や大久保利通に、江戸の情勢や町の生活を記し手紙として送付している。遠く南の地で、具に江戸や幕府の動向を知ることができる、貴重な情報源だ。
遊学は僅か一年にも満たず終わるのだが。川路はこの手紙の甲斐もあってか、薩摩帰還後、すぐさま役職に登用された。維新の立役者として、手腕を振るう第一歩を踏み出すことになるのだ。
『蛤御門の変』の功労として、晋祐はイギリスをはじめとする諸外国の言語を。利良は、洋式練兵と兵を動かす『太鼓術』を学ぶ名目で、江戸へと遊学した。
『太鼓術』とは、戦闘において兵士の進退懸引を決めるもので、太鼓役という。指揮系統の声が届かない乱戦になっても、太鼓の音は遠くまで響く。指揮系統を正確に伝えるため、また、指揮官に代って兵に合図を送らなければならない等、重要な役割を担っていた。正確無比にバチを刻む。乱すことすら許されないのだ。
この太鼓術。現代警察における『教練』に近いものがある。
幹部候補になる警察官は、指示をする側として、教練を受ける一個小隊若しくは一個中隊に指示をする。かつての太鼓を自らの号令に変え、列を乱さず、方向転換をし、駆け足をさせたりと。的確・正確そして短く明瞭に、自分の号令を響かせ元の位置に戻す。側から見れば簡単そうに見える教練だが、一度間違えたり指示を詰まらせたりすると、立ち所に隊列は乱れ機能を失う。
後に大警視として、日本警察の父となる川路利良は、この時学んだ事を大いに活かし、警察の礎を築いたに違いない。
「あれ? 君は……」
瀬戸内海を移動する船の上。ふと、二人の背後で声がした。知り合いなど、こんな所にいるはずもない。晋祐は訝しげに振り返った。
「川路君じゃないか?」
発せられた一言が、利良の記憶に残るその声と合致する。利良は慌てて振り返った。
「桂殿!?」
「あぁ! やっぱり、川路君だ! 懐かしいなぁ! 元気だったか?」
「元気やったち……! 俺は死ぬほど心配したが!」
「あはは! やっぱりいい聲をしてるなぁ!」
「そげん事を言ってる場合じゃなかが!」
「まぁまぁ」
「蛤御門じゃ、貴殿と切り合いになったら、どげんすればよかたぁろかいっち! ずっと悩んじょったが!!」
「今、無事再会できたからいいだろう? あはは」
終始笑う桂という男と、その男に稚児の如くくってかかる利良と。突然始まった嵐のような会話に、晋祐は焼酎が入った猪口を手にしたまま、目だけをキョロキョロさせる。
その時、動かす晋祐の視線の中に、一人の男が入った。
男は晋祐同様、困った様子で桂と利良の言葉の応酬を見つめている。晋祐は腰を浮かせて、男に近づいた。
「俺は薩摩藩の有馬晋祐と申す。貴殿は?」
「あ……あぁ! 拙者は土州浪人、南太一朗と申す!」
南と名乗る男は、動揺しつつもはっきりとした口調で応える。
「貴殿等も江戸へ?」
「いや、桂殿と共に京へ行くんだ」
「京?」
瞬間、晋祐の頭の中で、何かがパチンと嵌まった音がした。思わず、叫び声が口から溢れる。
「あーっ!!」
「有馬殿、いかがされたか?」
どうして直ぐに気がつかなかったのか?
目の前で利良に絡む桂という男に、京にいくという脱藩浪人の南太一朗。
薩摩の末端にいる晋祐でさえも、その名を一度は耳にしたことがある長州藩の桂小五郎と。三条実美ら急進派公家の邸に出入りしながら、諸藩の志士と親交を深めている南太一朗そのものだったからだ。
利良が何故、桂とこんなに懇意なのかは不明だが。目の前にいきなり現れた大物に。晋祐は閉口して、顔を真っ赤にした。
「有馬殿」
「は、はいっ!!」
慌てふためく晋祐に、南は申し訳なさそうな顔をして言葉を続ける。
「このハスイモの酢漬けは、一体どうされたのか?」
「あぁ! これは……利良殿が、船に乗る前に拵えたんだ」
「どうやって切ったんだ?」
「利良殿が、竹製の鬼おろし持っているのだ」
「……へぇ、準備がいいもんだ」
「手先が器用だからな。利良殿のお手製なんだ」
「え!? それは真か!?」
「あぁ」
「大変言いにくいことだが……」
「何だ? 南殿」
「その……少し分けてもらえないだろうか?」
「え?」
「実は……」
言葉を濁しつつ、恥ずかし気に笑う南は懐から酒瓶を取り出して笑った。
偶然は必然なり--。
屈託のない南の笑顔や、未だ猫の子のように戯れ合う利良と桂を見て、晋祐はそんなことを考えていた。晋祐は口角を上げて表情を緩め、利良の肩に手を添える。
「まぁまぁ、二人とも」
晋祐は自分の猪口を、強引に桂に握らせた。
「船旅は長い。ここで会ったのも何かの縁。ゆっくり酒など飲みながら語ろうではないか」
しかし、この偶然による必然の出会いは、これだけでは終わらない。
一年ほどの遊学を終え、薩摩に戻る船で利良と晋祐は、再び南太一朗とばったり居合わせた。
しかも、利良が手製の鬼おろしで拵えた大根おろしで一杯、酒を嗜んでいる時にだ。
この時利良は、三条実美の手足となって動く南から、より精密で深度のある政治情勢を聴くことになる。薩摩以外の事を見聞きすればするほど、自分の世界が一つ大きくなり、少しずつ近くなる黎明の足音を身近に感じるようになった。
小さな維新の波は未だ燻り、大波になる予兆すら見せなかったが。いずれ日本が、世界が一変する。
新世界はすぐそこにある--!!
利良は船に揺られながら、まだ手に届かない黎明の先へと思いを馳せていた。
『蛤御門の変』にて、来島又兵衛を狙撃した川路利良に対し、指揮官・西郷隆盛は報償を与えることを申し出た。その答えが、江戸への遊学希望だった。
しかしこの時、行動を共にしていた晋祐の遊学までをも同時に願い出るとは、流石の西郷も思っても見ないことだったに違いない。
実際、西郷は利良に対し「更に願いを」などとは言っていない。
多数の目がある状況下。ほぼ確信犯的に「更に」を付け加え、有無を言わさぬ追加の願いを申し出たのだ。
あまりのことに、ちょっとやそっとじゃ驚かない肝っ玉の太い西郷でさえ、目を見開き言葉を失った。
「あの時の西郷様の表情を、俺は一生忘れないぞ」
鹿児島から一路。
商船に乗り込み大阪へと向かう船中。船の心地よい揺れと、酔いが相まって。幾分上機嫌な晋祐は、黒い猪口を片手にさらに続けた。
「大きな目をさらに大きく見開いて。肝っ玉の太いと言われている西郷様が、絶句なさるなんて。あんな顔は、後にも先にも見ることはできないだろうな」
饒舌に語る晋祐に、利良は困ったように笑う。そして、黒猪口の中身を一気に煽った。
どこから持ってきたのか。酒の肴には、酢に漬けたハスイモが用意されており、二人は小さな塊になったハスイモをつまんで、ちびりちびりと焼酎を飲む。何の目も気にせず。自由を全身に感じながら、船旅を満喫していた。
穏やかな洋上を眺め、利良は晋祐の語るあの時を思い返した。
あの場にいた晋祐も大概、驚いていたと利良は記憶する。
思いの丈を西郷にぶつけた利良は、口角を僅かに上げた。そして、斜め前に座していた晋祐に視線を投げる。ちょうど勘定方として、その場に居合わせた晋祐は、西郷以上に驚愕し、腰を抜かさんばかり硬直していた、と。
思い出し笑いを噛み殺した利良は、空になった猪口の縁を親指でなぞった。
「あれは、俺だけの力だけで、成す事ができんかった事じゃっで……晋祐殿がおってこその功労じゃっとぉ」
「いやいや、利良殿の腕が良かったんだ」
「それに……」
「それに?」
含みを持たせて笑う利良の顔を、晋祐は不思議そうに覗き込む。
「新世界ば、晋介殿と共に見んならっち。約束しぃもしたで」
晋祐は、さらに目を丸くした。あまりにも昔の約束。
初対面で交わした約束を掘り起こされ、晋祐はほろ酔いが一気に冷めた気がした。
「二十年ほど前の約束を……。利良殿は、良く覚えてるなぁ」
「俺は記憶力が良かで」
「利良殿、どういう事だ?」
「さぁ、どういう事じゃろかいなぁ」
「俺だって覚えてるぞ! 忘れていたあれは故意だ!」
つい子どものように頬を膨らまし、晋祐は怒ったそぶりで言い返す。その様子が大層可笑しかったのか。利良は「あはは」と、体を退けぞして笑った。
「分かっちょいもんど。晋祐殿は頭が良かで」
「おい! 今の! 馬鹿にしてるだろ!」
酒の効果も相まって。利良の言うことに何でも喰いつく晋祐は、膨らました頬をさらに膨らまして猪口に焼酎を注いだ。
「本当の事ごわんさぁ」
今にも焼酎を煽らんとする晋祐の腕を、利良はしかと握った。真っ直ぐに、晋祐を見つめる真剣な光を放つ利良の眼差しといい。あまりにも突然で強い力に、晋祐から酔いがサーッと抜けていく感覚がした。
「俺は洋式練兵を。晋祐殿は外国ん言葉を」
意志が強い眼差しとは裏腹に。利良の聲は相変わらず凪いで穏やかに響く。
(あぁ、この感じ。利良殿と初めて会った時と変わらない、琵琶の音に似てる)
心地よく、それでいて明瞭に耳に入る利良の聲。「そうだ! そのとおり!」と言わんばかりに、晋祐は無言で首を縦に振り返事をした。
「そして、しかとこの眼で見いもんそ! そして、言葉にしぃもんそ! 新しい世界ん事を!」
「言葉に?」
「参勤交代じゃ、そげん余裕はなかったどん。今度はしっかい見て聴いた事を、言葉に記さんにゃ」
「書き記すのか?」
「書き記せば忘れんじ、偽りもなか」
「いいな! 是非いたそう!」
遊学中、利良は西郷隆盛や大久保利通に、江戸の情勢や町の生活を記し手紙として送付している。遠く南の地で、具に江戸や幕府の動向を知ることができる、貴重な情報源だ。
遊学は僅か一年にも満たず終わるのだが。川路はこの手紙の甲斐もあってか、薩摩帰還後、すぐさま役職に登用された。維新の立役者として、手腕を振るう第一歩を踏み出すことになるのだ。
『蛤御門の変』の功労として、晋祐はイギリスをはじめとする諸外国の言語を。利良は、洋式練兵と兵を動かす『太鼓術』を学ぶ名目で、江戸へと遊学した。
『太鼓術』とは、戦闘において兵士の進退懸引を決めるもので、太鼓役という。指揮系統の声が届かない乱戦になっても、太鼓の音は遠くまで響く。指揮系統を正確に伝えるため、また、指揮官に代って兵に合図を送らなければならない等、重要な役割を担っていた。正確無比にバチを刻む。乱すことすら許されないのだ。
この太鼓術。現代警察における『教練』に近いものがある。
幹部候補になる警察官は、指示をする側として、教練を受ける一個小隊若しくは一個中隊に指示をする。かつての太鼓を自らの号令に変え、列を乱さず、方向転換をし、駆け足をさせたりと。的確・正確そして短く明瞭に、自分の号令を響かせ元の位置に戻す。側から見れば簡単そうに見える教練だが、一度間違えたり指示を詰まらせたりすると、立ち所に隊列は乱れ機能を失う。
後に大警視として、日本警察の父となる川路利良は、この時学んだ事を大いに活かし、警察の礎を築いたに違いない。
「あれ? 君は……」
瀬戸内海を移動する船の上。ふと、二人の背後で声がした。知り合いなど、こんな所にいるはずもない。晋祐は訝しげに振り返った。
「川路君じゃないか?」
発せられた一言が、利良の記憶に残るその声と合致する。利良は慌てて振り返った。
「桂殿!?」
「あぁ! やっぱり、川路君だ! 懐かしいなぁ! 元気だったか?」
「元気やったち……! 俺は死ぬほど心配したが!」
「あはは! やっぱりいい聲をしてるなぁ!」
「そげん事を言ってる場合じゃなかが!」
「まぁまぁ」
「蛤御門じゃ、貴殿と切り合いになったら、どげんすればよかたぁろかいっち! ずっと悩んじょったが!!」
「今、無事再会できたからいいだろう? あはは」
終始笑う桂という男と、その男に稚児の如くくってかかる利良と。突然始まった嵐のような会話に、晋祐は焼酎が入った猪口を手にしたまま、目だけをキョロキョロさせる。
その時、動かす晋祐の視線の中に、一人の男が入った。
男は晋祐同様、困った様子で桂と利良の言葉の応酬を見つめている。晋祐は腰を浮かせて、男に近づいた。
「俺は薩摩藩の有馬晋祐と申す。貴殿は?」
「あ……あぁ! 拙者は土州浪人、南太一朗と申す!」
南と名乗る男は、動揺しつつもはっきりとした口調で応える。
「貴殿等も江戸へ?」
「いや、桂殿と共に京へ行くんだ」
「京?」
瞬間、晋祐の頭の中で、何かがパチンと嵌まった音がした。思わず、叫び声が口から溢れる。
「あーっ!!」
「有馬殿、いかがされたか?」
どうして直ぐに気がつかなかったのか?
目の前で利良に絡む桂という男に、京にいくという脱藩浪人の南太一朗。
薩摩の末端にいる晋祐でさえも、その名を一度は耳にしたことがある長州藩の桂小五郎と。三条実美ら急進派公家の邸に出入りしながら、諸藩の志士と親交を深めている南太一朗そのものだったからだ。
利良が何故、桂とこんなに懇意なのかは不明だが。目の前にいきなり現れた大物に。晋祐は閉口して、顔を真っ赤にした。
「有馬殿」
「は、はいっ!!」
慌てふためく晋祐に、南は申し訳なさそうな顔をして言葉を続ける。
「このハスイモの酢漬けは、一体どうされたのか?」
「あぁ! これは……利良殿が、船に乗る前に拵えたんだ」
「どうやって切ったんだ?」
「利良殿が、竹製の鬼おろし持っているのだ」
「……へぇ、準備がいいもんだ」
「手先が器用だからな。利良殿のお手製なんだ」
「え!? それは真か!?」
「あぁ」
「大変言いにくいことだが……」
「何だ? 南殿」
「その……少し分けてもらえないだろうか?」
「え?」
「実は……」
言葉を濁しつつ、恥ずかし気に笑う南は懐から酒瓶を取り出して笑った。
偶然は必然なり--。
屈託のない南の笑顔や、未だ猫の子のように戯れ合う利良と桂を見て、晋祐はそんなことを考えていた。晋祐は口角を上げて表情を緩め、利良の肩に手を添える。
「まぁまぁ、二人とも」
晋祐は自分の猪口を、強引に桂に握らせた。
「船旅は長い。ここで会ったのも何かの縁。ゆっくり酒など飲みながら語ろうではないか」
しかし、この偶然による必然の出会いは、これだけでは終わらない。
一年ほどの遊学を終え、薩摩に戻る船で利良と晋祐は、再び南太一朗とばったり居合わせた。
しかも、利良が手製の鬼おろしで拵えた大根おろしで一杯、酒を嗜んでいる時にだ。
この時利良は、三条実美の手足となって動く南から、より精密で深度のある政治情勢を聴くことになる。薩摩以外の事を見聞きすればするほど、自分の世界が一つ大きくなり、少しずつ近くなる黎明の足音を身近に感じるようになった。
小さな維新の波は未だ燻り、大波になる予兆すら見せなかったが。いずれ日本が、世界が一変する。
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