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9-1 有馬手記(9)
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「……?」
リビングの異様な雰囲気に、目覚めたばかりの爽子の思考でさえ警鐘を鳴らす。
リビングのソファーでは、相変わらず長男の英祐が眉間に皺を寄せて古書を読み。
リビングの床には、苦悶の表情で瞑想のようなことをしている次男・洋祐の姿。
静かな空間であるにも拘らず、リビングに漂う不思議な空気に、爽子は思わず身震いした。
「ねぇ、お母さん」
「んー? 何ー?」
キッチンでおにぎりを拵える母親は、爽子の問いに無関心を露わにした平坦な返事をする。
「お兄ちゃん達、何してんの?」
「英祐は、古書を読んでるわよ」
「そりゃ見たらわかるよ。何であんな顔して読んでるの?」
「内容が佳境に入ったんじゃない?」
「佳境? 古書で? しかも手記なんでしょ?」
母親の回答に、爽子はため息混じりに答えた。
「本でも、日記でも、人生でも。何でも、クライマックスってあるでしょ?」
「だからって……」
半ば呆れながら、爽子は悟りでも開くんじゃないかと思われるほど。苦しげに正座をする洋祐に視線を移した。
「で、洋祐兄は?」
「洋祐は今。人生の佳境というゾーンにいるみたいね」
「はぁ?」
〝人生の佳境というゾーン〟って、なんだよ。
母親の頓珍漢な回答に、爽子は変な声を上げる。
いや……答えなんだか、答えになってないんだか。
でも、こうなった原因は分かる。
爽子は飄々とした母親に視線を向けた。二人の兄がこうなってしまった何等かの原因は、母親が多少なりとも影響しているはずだ。
昔からそうだった。
一所懸命に家のことをこなして、自分達三兄弟を、恐らく多大な愛情をもって育ててくれた良き母親にも拘らず。
同性というハンディを貰いながらも、母親のなんたるかが、どうにも掴めない。
自分の知っている母親には、自分の知らない母親がいるんじゃないか? どうしてそう思うのか?
いつもタフで愚痴も言わない母親の弱いところや、裏の部分が垣間見えないからかもしれない、と。爽子は自分を無理矢理納得させて、ダイニングの椅子に座った。
「爽子、今日は遅いの?」
「うん。今度のコスプレの打ち合わせしなきゃなんないから、ちょっと遅いかな?」
「次は何をするの?」
「うーん、まだ決めてない」
「そう。あまり無理しないように。あと、遅くなっちゃダメよ」
「はーい」
そう、これだ。
子ども達のやる事に、決して否定的な事は言わない。
結構自由にやりたい事をやらせている。
それでも、伝えなければならない自分の腹積りはストレートに言ってくる。
過保護でもないのに、放任なわけでもない。絶妙なバランスが、母親の得体の知れなさを増幅させているのだ。
「ねぇ、お母さん」
そんな母親を、少し動揺させてみたい。爽子の脳裏によからぬ考えが過る。
「んー? 何ー?」
「お母さんも、コスプレしてみない?」
母親は、何と答えるだろうか?
笑って、照れながら「いやねー」というのか。
「馬鹿な事言ってないで、早く準備しなさい」と一喝するのか。爽子は、目覚めたばかりの頭でそれぞれの回答の三つ先の会話まで想定した。
「コスプレー? お母さんが?」
「うん」
「いいわよー」
「え?」
今……? いいわよ、って言った?
予想以外の母親の答えに、爽子の方が少なからず動揺する。
「お母さん、キラキラした着物とか着てみたいのよねぇ」
「キラキラ……?」
「ほらぁ! お母さんの時代の成人式って、着物を着れなかったから」
「え? そうなの?」
何だか夢見心地な表情をする母親に、爽子は食い気味で返事をした。
「お母さんが住んでいた地域が、そうだったのかもしれないけどね。成人式はスーツって言われてたから」
「え!? マジで!?」
「おばあちゃんの振袖で写真は撮ったのよねー。昔の良い着物だったんだけどねー。中振袖(※ 袖の短い振袖)だし、丈は短いし。髪は乙姫様みたいにされちゃうわで、あんまり良い思い出がないのよ」
自らの過去を反芻し、饒舌に語る母親に爽子は「それは、大変だったね……」と呟くように返す。しかし、爽子の相槌を受けたとて、母親の記憶の吐露は止まらない。
「今みたいな素敵な着物、着てみたいわー」
思いもよらない形で、爽子は母親の核心に触れた気がした。そう思った瞬間、目の前でにこにこと笑っているこの人の中には、一体どれほどの押し殺した願望が眠ってるいるのか。
一つの太い心というべき、信念が見えた気がした。
〝生魂〟
昔、祖父が言っていた言葉が、母親の中で強く根付いているのを感じる。
「じゃあ……着てみる?」
爽子の口は、そう母親に言っていた。
ならば! 一瞬見えた願望の一つを、叶えてやろうじゃないか!
爽子は、母親を真っ直ぐに見つめた。
「お母さんのそれ、叶えようよ。そのかわり……」
「そのかわり?」
母親は、いつもと変わらない笑顔で爽子に問う。爽子は待ってました、と言わんばかりに大きく息を吸った。
今が、少なからずとも。爽子が自覚した人生の佳境だと。それを、素通りしてはいけないんだと、思ったのだ。
「そのかわり、私のコスプレを見に来て欲しい! 私が何を考えて、どういう思いでコスプレをしているのか、見て欲しい! 私が魂から好きなこと、見て感じて欲しい!!」
リビングの異様な雰囲気に、目覚めたばかりの爽子の思考でさえ警鐘を鳴らす。
リビングのソファーでは、相変わらず長男の英祐が眉間に皺を寄せて古書を読み。
リビングの床には、苦悶の表情で瞑想のようなことをしている次男・洋祐の姿。
静かな空間であるにも拘らず、リビングに漂う不思議な空気に、爽子は思わず身震いした。
「ねぇ、お母さん」
「んー? 何ー?」
キッチンでおにぎりを拵える母親は、爽子の問いに無関心を露わにした平坦な返事をする。
「お兄ちゃん達、何してんの?」
「英祐は、古書を読んでるわよ」
「そりゃ見たらわかるよ。何であんな顔して読んでるの?」
「内容が佳境に入ったんじゃない?」
「佳境? 古書で? しかも手記なんでしょ?」
母親の回答に、爽子はため息混じりに答えた。
「本でも、日記でも、人生でも。何でも、クライマックスってあるでしょ?」
「だからって……」
半ば呆れながら、爽子は悟りでも開くんじゃないかと思われるほど。苦しげに正座をする洋祐に視線を移した。
「で、洋祐兄は?」
「洋祐は今。人生の佳境というゾーンにいるみたいね」
「はぁ?」
〝人生の佳境というゾーン〟って、なんだよ。
母親の頓珍漢な回答に、爽子は変な声を上げる。
いや……答えなんだか、答えになってないんだか。
でも、こうなった原因は分かる。
爽子は飄々とした母親に視線を向けた。二人の兄がこうなってしまった何等かの原因は、母親が多少なりとも影響しているはずだ。
昔からそうだった。
一所懸命に家のことをこなして、自分達三兄弟を、恐らく多大な愛情をもって育ててくれた良き母親にも拘らず。
同性というハンディを貰いながらも、母親のなんたるかが、どうにも掴めない。
自分の知っている母親には、自分の知らない母親がいるんじゃないか? どうしてそう思うのか?
いつもタフで愚痴も言わない母親の弱いところや、裏の部分が垣間見えないからかもしれない、と。爽子は自分を無理矢理納得させて、ダイニングの椅子に座った。
「爽子、今日は遅いの?」
「うん。今度のコスプレの打ち合わせしなきゃなんないから、ちょっと遅いかな?」
「次は何をするの?」
「うーん、まだ決めてない」
「そう。あまり無理しないように。あと、遅くなっちゃダメよ」
「はーい」
そう、これだ。
子ども達のやる事に、決して否定的な事は言わない。
結構自由にやりたい事をやらせている。
それでも、伝えなければならない自分の腹積りはストレートに言ってくる。
過保護でもないのに、放任なわけでもない。絶妙なバランスが、母親の得体の知れなさを増幅させているのだ。
「ねぇ、お母さん」
そんな母親を、少し動揺させてみたい。爽子の脳裏によからぬ考えが過る。
「んー? 何ー?」
「お母さんも、コスプレしてみない?」
母親は、何と答えるだろうか?
笑って、照れながら「いやねー」というのか。
「馬鹿な事言ってないで、早く準備しなさい」と一喝するのか。爽子は、目覚めたばかりの頭でそれぞれの回答の三つ先の会話まで想定した。
「コスプレー? お母さんが?」
「うん」
「いいわよー」
「え?」
今……? いいわよ、って言った?
予想以外の母親の答えに、爽子の方が少なからず動揺する。
「お母さん、キラキラした着物とか着てみたいのよねぇ」
「キラキラ……?」
「ほらぁ! お母さんの時代の成人式って、着物を着れなかったから」
「え? そうなの?」
何だか夢見心地な表情をする母親に、爽子は食い気味で返事をした。
「お母さんが住んでいた地域が、そうだったのかもしれないけどね。成人式はスーツって言われてたから」
「え!? マジで!?」
「おばあちゃんの振袖で写真は撮ったのよねー。昔の良い着物だったんだけどねー。中振袖(※ 袖の短い振袖)だし、丈は短いし。髪は乙姫様みたいにされちゃうわで、あんまり良い思い出がないのよ」
自らの過去を反芻し、饒舌に語る母親に爽子は「それは、大変だったね……」と呟くように返す。しかし、爽子の相槌を受けたとて、母親の記憶の吐露は止まらない。
「今みたいな素敵な着物、着てみたいわー」
思いもよらない形で、爽子は母親の核心に触れた気がした。そう思った瞬間、目の前でにこにこと笑っているこの人の中には、一体どれほどの押し殺した願望が眠ってるいるのか。
一つの太い心というべき、信念が見えた気がした。
〝生魂〟
昔、祖父が言っていた言葉が、母親の中で強く根付いているのを感じる。
「じゃあ……着てみる?」
爽子の口は、そう母親に言っていた。
ならば! 一瞬見えた願望の一つを、叶えてやろうじゃないか!
爽子は、母親を真っ直ぐに見つめた。
「お母さんのそれ、叶えようよ。そのかわり……」
「そのかわり?」
母親は、いつもと変わらない笑顔で爽子に問う。爽子は待ってました、と言わんばかりに大きく息を吸った。
今が、少なからずとも。爽子が自覚した人生の佳境だと。それを、素通りしてはいけないんだと、思ったのだ。
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