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しおりを挟む「……本当に、大丈夫なわけ?」
普段言いたいことをシレッと言う、バブリー世代で昭和な大塚課長が、めずらしく気を使った感じで僕に言った。
「はい。大丈夫です。ビジネススーツも返してもらったし」
「高清水くん、そうじゃないだろう。………王子に、会わなくていいのか?」
「大丈夫ですって。課長こそ、そんなに気を使わないでくださいよ。課長が心配されるような………そんなんじゃ、ないですよ。僕と………王子は」
「………高清水くん」
「ほら、行きますよ!課長!飛行機に乗り遅れちゃいます!!」
渋る課長のスーツケースを無理矢理奪い取り、僕は足早に王室御用達のリムジンに乗り込んだ。
そう、僕たちは。
今日ようやく、日本への帰路に就く。
結構な量の医療機械の調整とセッティングという全ての工程を、予定どおりに終えて。
この、シャキームという国にも………。
もう、二度とくることはないんだろうな………。
帰りの便は、シャキームの国王のはからいで、人生初のファーストクラスになっていて。
完全に一人の空間を保てる状態となった僕に、離陸した飛行機のジェットエンジンが、フルパワーで動く音と、ゆったりと伝わるGがのしかかる。
小さな、小さな、飛行機の窓をのぞくと。
ついさっきまで滞在していたシャキームの白い王宮が眼下に広がって。
あっという間に、小さく、遠く、離れていった。
「………ムスタファ。元気で」
小さく独り言のように呟いたら、目の周りがジーンと熱くなる。
………言わなきゃ、よかったんだけど。
言わざるをえなかったんだよ。
忘れもしないあの日。
僕を連れ去ったのは、ムスタファの従兄弟のサイードという王族だった。
僕が最初に感じた違和感どおり、ムスタファとサイードは親の仇か、っていうくらい仲が悪かったらしく、それはもう小さい頃からそんな感じで。
涼しい顔をしてなんでもこなすムスタファと、それが面白くないサイード。
お互いを意識して、お互いの行動が気に入らず。
サイードは虎視眈々と、ムスタファの弱みを握ることを狙っていたんだ。
そして、僕が………何も知らない、僕が現れる。
ムスタファの唯一の弱点である、僕が。
ムスタファの弱みである僕を捕まえて、辱めて、痛めつけて。
おそらくサイードは、ムスタファの悔しがる顔を見たかったに違いない。
………ほっといてくれたら、よかったんだよ。
アラブの高貴な王子様らしく。
ド庶民の日本人の僕のことなんて、気にしなきゃよかったのに。
それなのに……。
ムスタファは、かつて牢獄として使われていた地下室まで、僕を助けに来てくれたんだ。
その際にムスタファは、サイードの手にしたサーベルで斬り付けられて………。
それでも僕を庇って孤軍奮闘したムスタファは、ムリがたたって………結果、意識が戻らず重篤な状態になってしまった。
よく分からない男に犯されまくって、後ろから血を滴らす、汚れた僕なんか………ほっとけばよかったのに。
縛られて、しばかれて、ボロ雑巾のような僕なんて………忘れてくれたら、よかったんだよ。
それからしばらく、僕はベッドをこっそり抜け出しては、目を覚さないムスタファの手を握って過ごして。
体の調子もだいぶ良くなった頃には、大塚課長がドン引きするくらい、がむしゃらに仕事をして。
それ以外はずっと、ムスタファの側で過ごす生活をしていた。
僕のビジネススーツは、キレイにクリーニングされた状態でムスタファの侍従によって、僕の手に返ってきたんだけど。
ムスタファが目を覚ますまでは、僕は相変わらずヒラヒラでスケスケした服を身につけていたんだ。
月が、すごくキレイな夜。
ムスタファの手を握りしめて寝ていた僕は、その手に微かな反発を感じた。
「………アオ…?」
懐かしい………僕を呼ぶ声に、僕はたまらず顔をあげる。
「ム……スタ………ファ………」
どんなに、この瞬間を待ちわびたか。
どんなに、その声を聞きたかったか。
………どんなに、その煌めく瞳で見つめられたかったか。
嬉しくて、嬉しいはずなのに………涙が止まらなかった。
「……泣くな、アオ」
「だっ……て、だって………」
「私は、アオが無事ならそれでよかったんだ」
「何……何、言ってんだよ……!……王子様だろ、ムスタファは………。僕のことなんて、ほっとけばよかったのに!」
「ほっとけるはずが………ない」
ムスタファはそう言って、月明かりに映えるライムグリーンの瞳を細めた。
………あの、小憎たらしい笑顔で。
たくましい褐色の肌の腕を僕の首に回すと、首がもげるんじゃないかってくらい、力強く引きつけて唇を重ねる。
「愛している………アオ」
………嬉しかった。
その言葉が、胸にギュッと刺さるくらい、とても嬉しかったのに………。
僕は、返事をすることができなかった。
………僕は、その〝愛してる〟に答えたらいけない。
僕は、ムスタファを好きになったらいけないんだ。
ムスタファは、いずれシャキームの国王になる。
国王になったら、いずれは世継ぎを望まれる。
ムスタファはあんな感じだけど、すごく真っ直ぐな人だから、きっと「僕しかいらない」って言うだろう。
僕がそばにいたら、ムスタファには僕以外の家族が増えるということはない。
子どもをその腕に抱く、それは一生叶わないことで。
………どんなに望まれても、結局僕では、ムスタファを幸せすることが、できないんだ。
今回のことだって、そう。
ムスタファを巻き込んで、傷つけて………。
だから、僕はただひたすら、泣くことしか出来なかった。
………仕事も、今日で全て終わったんだよ?ムスタファ。
明日、日本に帰るんだよ、僕は。
ムスタファとも、今日でお別れなんだ。
僕は………君に伝えなきゃ、ならないことがあるんだよ、ムスタファ。
キスをされて、この身をムスタファに預けて、僕は言った。
「………ムスタファ」
「何?アオ」
「お願いがあるんだけど、聞いてもらえる?」
「あぁ、なんだ?アオ」
「僕は、今が一番幸せだ。
今までもこれからも、今以上の幸せはない。
………でも、ムスタファには、今以上に幸せになってほしい。
ムスタファが家族を作って、子どもに囲まれて。
その中心でムスタファが笑っている。
そんな幸せなムスタファを、僕は見てみたいんだ」
それが、ムスタファと交わした最後の言葉で。
翌朝、僕は課長を急かして王宮を後にした。
最後に、ムスタファの笑顔が見られてよかった。
………よかったぁ。
「………っ!!」
………あれ……おかしい、な。
僕の涙腺は、どうやらぶっ壊れちゃったのかもしれない。
これで、よかった………のに。
窓の外を見ても、目を閉じても、ムスタファのあの笑顔がチラついて。
………涙が溢れて、止まらない。
僕は手で口を塞いで、シートに深く身を沈めた。
ビジネススーツからはムスタファの香りがして、余計に胸が痛くなって………。
………もう、忘れなきゃ。
強引で、俺様で、いかにもなアラブの王子様。
………さよなら、僕の……I LOVEの…王子様。
「先輩!医師会病院のメンテに行ってきます」
「……高清水、ちょい待て」
「何ですか?先輩」
「………これ、どれか持ってけよ」
「え?イヤですよ。それに消化器科の堺先生は、こんなのキライなんですってば」
「………そんなこと言ってる場合かっ!!だいたいおまえ宛に届くんだろ!!シャキームからの花束がっ!!見たこともないような、でかいバラの花の花束が!!毎日、毎日、毎日!!」
シャキームから帰国して、2週間。
なんとなく、吹っ切るように仕事に邁進して。
ムスタファのことを忘れようとしているにも関わらず。
嫌がらせの域で、毎日僕宛にバラの花束が届く。
王宮の中で栽培されていると思しき、見たこともないような色のバラの花が、毎日毎日、花束になってシャキームからの空輸便で届くんだ。
………たかだか花束を送るのに、あの王子様はチャーター機を使用しているらしい。
………やっぱり、アラブの王子様のやることは違うな。
はじめは、さ。
フロアの女の子たちも「わぁ、きれーい!」なんて言っていたんだ。
最近じゃさ、宅配便の人の足音が聞こえただけで、女の子たちの眉間にシワがよる。
ほぼ自社ビルを埋め尽くすようなバラの花の存在が、医療機器メーカーにも関わらず、ビル中がバラの香りで満たされて。
………甚だ、バラ園みたいになっているんだ。
「だって、相手はお得意様で王族ですから。無碍に、断れないじゃないですか。じゃ、行ってきます!」
「高清水ーっ!!逃げんなーっ!!」
先輩の絶叫を背に、僕はフロアを足早に飛び出した。
……….これじゃ、忘れたくても忘れられないよな。
ムスタファのことをちゃんと忘れなきゃいけないのに、バラの花束を見るたびに強制的に思い出しては………。
心が妙なバランスになった僕は、変態になってしまうんだ。
思い出して、オナってしまう。
とりあえず仕事中は、なんとか我慢しているけど。
一旦集中力が切れると、もう我慢ができなくて。
ムスタファを思い出しては、こっそり通販で買ったオモチャで後ろを弄る。
家までもたない場合は、駅のトイレの個室でひたすらオナって………変態だよな、マジでさ。
それなら、誰かとヤりゃいいんだろうけど。
僕は意外とわがままだったようで………ムスタファ以外とは、ヤリたくない。
言い訳がましいけど、一度、そういう出会いの場に行って、ムスタファのことを根本から忘れようとしたんだ。
でも………サイードに乱暴されたことがフラッシュバックして………。
他人に触られるのがどうしても、無理だった。
……ムスタファじゃなきゃ、本当にダメだったんだ。
「………んっはぁっ………あぁっ」
今日はなんとか、家までもった………。
どうにもこうにも体が火照って。
僕は速攻で服を脱ぎ捨てると、うつ伏せにねっ転がって腰を高くして………エグいオモチャを後ろに突っ込む。
………ムスタファのは、大きくて熱かったよなぁ。
ムスタファの手はどこまでも優しくて、気持ちよくて………。
体に残るムスタファの僅かな感覚を思い出しては、僕はその記憶を強く蘇らせるように、自分の体を手でなぞった。
「………ムスタ…ファ」
………好き、ムスタファ。
でも、この想いは………絶対に、表に出せない。
一生、隠して、沈めて………生きていかなきゃいけない、んだ。
「高清水くん、聞いてくれる?とうとう、俺ん家の仏壇の生花が、バラになっちまったよ」
データの集計作業中、僕の背後に立った大塚課長が、ボソッと呟いた。
「素敵ですね。御先祖様も、お喜びになってるんじゃないですか?」
「そうかもね。でも、もうそろそろウチも限界かな?」
「そうですか」
「嫁さんがね。嫁さんの頭が変形して、ツノが生えてきてんだよね。うっすらと。『またバラなんか持って帰ってきて、いい加減にせぇよ』って」
「………またまたぁ。昭和のギャグは通じないですよ?課長」
「高清水くん。王子に連絡して、やめてもらうよに言ってくれない?」
「無理ですよ。アラビア語も話せないのに」
「王子は、日本語を話せたじゃないか」
「直通の電話番号も知らないのに。直通電話があったとしても、本人と直接話せるかどうかも分からないんです。………そのうち、飽きますよ。王子も」
「………高清水くん、それ……本気で言ってる?」
「めちゃくちゃ本気です」
「………高清水くん。ちゃんと王子と話した方が、いいんじゃないかな」
「………話すことなんて、もう………。何にもないんですよ、課長」
「高清水くんは、ないかもしれないけど………」
何かを言いかけた課長は、少し戸惑った顔をして黙ってしまった。
………課長は、僕を説得しようとしている。
ムスタファの、バラの花束攻撃をやめさせるようし仕向けることはもちろんのこと。
僕が一方的に手放した、ムスタファへの思いとか。
そんなことをされても、今の僕には、全然効果がないんだけどな………。
プルルルルー。
僕と課長の間に流れた微妙な沈黙を、不意に鳴った内線電話の音が引き裂く。
僕は受話器をとった。
「はい。インフラ第一、高清水です」
『たーかーしみずさーんっ!!』
聞きなれた受付の女の子の、電話越しの絶叫に。
僕は思わず受話器を耳から離す。
『大変っ!!大変なんです!!高清水さん!!』
「え?!何?!何言ってるの?!え?!」
興奮しすぎて、何を言っているかようを得ない受付の女の子の言葉を、なんとか聞き取ろうとした瞬間。
フロアが、ざわついた。
一斉にフロアの人の視線が、エレベーターに集まる。
つられて僕も、エレベーターの方を見た。
「………え、な………ん……で……?」
そこにいたのは、忘れたくても忘れられない。
………褐色の肌の王子様が……フロアの空気を一気に変えて、僕に近づいてくる。
『アラブの!めっちゃカッコいい方が、高清水さんを訪ねて来られてますぅ!!』
大音量で受話器から響く、受付の子の声が無意味に漏れ出した。
………遅いじゃんよ、言うの。
もう、逃げられないじゃん。
夢や妄想で、幾度となく思い描いたその人の笑顔が、目の前20センチの距離まで近づいて止まる。
「アオ」
「………ムスタファ。………何で………?」
「アオを、迎えにきた」
あの小憎たらしい笑顔で………。
ムスタファは言ったんだ。
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