Star's in the sky with Blood Diamond

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3-1 出立(1)

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「空路で一気に……と、行きたいところだが」
 遠野は、机に指を滑らせた。
「相手が相手だからな。ハイジャックなんかされたら堪らんな。できれば陸路で行きたい」
 警察本部F会議室。
 心許ない蛍光灯が、長机に広げられた地図をぼんやりと浮かび上がせる。ピン留めされた地図には、無数に赤い線が引かれている。遠野は腕組みをしながら、地図を見下ろして言った。
「車で行くにもを踏まえると、一瞬たりとも車から目を離すことができません。レンタカーを借りるにしても、いつハッキングされるかわからない状況下、こちらの行動も筒抜けてしまうでしょう」
 市川はさらに、遠野の意見を補足する。
「防犯カメラを避けて行くのも、かなり難しいしな。結局は、行き当たりばったりになっちまうのかもな」
「最初に引いたルートを基本に、進めた方がよさそうですね。遠野補佐」
「あぁ、そうなるな」
 三ツ谷すばるを警察庁本庁に護送--。
 被疑者を逮捕し引致する通常の護送とは異なる今回の計画。遠野は、正直行き詰まっていた。どの計画を立てても、必ず壁にぶち当たる。予測不能な行動を見せる、実態すら掴めない〝ブラッド・ダイヤモンド〟に、こうも後手後手にならざるをえないのか、と。地図に引かれた無数の赤い線が、机上の計画立案すら難航を極めさせていることを物語る。実際に護送となると。計画以上に困難となることが容易に想像でき、遠野は深くため息をついた。
「お疲れではないですか?」
「まぁな」
「少し仮眠をとってください」
ルートをもう一度、頭に叩き込んだらな」
「あまり、無理をなさらずに……」
 --コンコン。
 絞り出すほど掠れた市川の声を途切れさせるように、入口の鉄扉の乾いた音が会議室に響く。
『すみません、緒方です』
「入れ」
 鉄扉が開くと、緒方が両手にたくさんの荷物を抱えて入ってきた。
「スミマセン、遅くなっちまいました」
「気にすんな、緒方」
「その分、経費は潤沢じゅんたくらに用意したんで、安心してください!」
「補正予算の作業だろ? 忙しいのに、悪ィな」
「気にしないでくださいって!」
 警察官でありながら、緒方は今、F県警の予算を一手に担う予算編成室に身を置いている。時期的にも忙しい部署にいながら、常に楽しげな緒方は、幾分疲弊していた遠野の気分を軽くした。
「ついでに、すばるくんの様子も見てきました。逮捕術がキいたのか、ぐっすりですよ」 
「だろうな。俺だって緒方にしごかれて、全身ガタガタだ」
「またまたぁ! 遠野補佐はバリバリッすよ! 模擬刀がマジで本物に見えたッすから!」
「人を散々投げ飛ばしといてよく言うぜ、緒方」
 遠野は、肩を大袈裟に回して言った。潤滑油が切れて、今にもミシミシと体中から音がしそうな遠野を横目に。緒方はバツが悪そうに苦笑いすると、両手に抱えた荷物を長机に置く。
「市川さんが本庁に掛け合ってくださって、国費予算をかなり融通していただきました」
 煮詰まって重く漂う、会議室の雰囲気を払拭するかのように。随分と明るい表情で言う緒方に対し、市川がめずらしく恥ずかしそうに表情を崩して目を伏せた。
(市川のそんな顔、久しぶりに見たな)
 遠野は、一人無意識に口角を上げる。
「国費旅費と装備費は概算で準備しています。足りない分は、県費予算から補助します。その都度、俺に連絡をください。電信送金がハッキングされる可能性もあるので、送金方法はアナログになっちまいますけど」
「了解」
「あと、装備係から許可が出ましたので、予備弾の携行をお願いします。相手が相手ッすからね。気をつけてください」
 緒方は手際よく、荷物を順番に取り出し遠野の前に並べる。
「最後に、傍受追跡・ハッキング防止のため、スマートフォンの使用は原則禁止です。連絡手段は無線機でお願いします。一日一回、あとは県境に差し掛かる前に受令コードをお伝えしますから、コードを合わせてください」
「おう、分かった」
「バックアップは俺と市川さんで対応します。何かあったら、必ず連絡くださいよ。遠野補佐」
「ったく、至れり尽くせりしやがって。俺は新人じゃねぇんだぞ、緒方」
 遠野は予備の実弾の数を数えながら、強い口調で言った。
「って、強がりてぇけどな」
 黒い小さな鞄に荷物を一つ一つ詰め込むと、小さく言った遠野は苦笑いをする。
「かなり頼ることになりそうだ。頼んだぞ。市川、緒方」
 長い出張になりそうだ。
 遠野はブラインドから微かに見える線状の宵闇に、最良の結果になるよう願いを込める。そしてその先にある、どこまでも続く広い宇宙に視線をうつした。

 鋼製の机に置かれた時計は、午前三時三十五分を回っている。中途半端な時間に目を覚ました割に、ぐっすりと眠ったすばるの頭は驚くほど覚醒していた。
「んー」
 簡易的な狭い寝床の上で、すばるはグッと伸びをする。普段使わない体のいたるところが、鈍く疼く痛さで悲鳴をあげた。しかし、その痛さも不快ではない。心身ともに久しぶりに満たされる充足感。
 無理矢理やらされた逮捕術は、すばるのなまった体と疲弊した頭をリフレッシュさせた。
 遠野が言っていたボリュームのあるオムライスは、すばるの腹を活性化させる。ふわとろ卵のオムライスじゃない。ケチャップで薄めに味がついたご飯に、薄焼き卵を巻いたシンプルなもの。そのオムライスは、どことなく母親が作るそれに似ていた。
(懐かしいな……)
 今まで家族を思い出すと、すばるの心を必ずと言っていいほど不安定にさせた。しかし、今は違う。母親のことを思い出しているにも拘らず、気持ちに波が立つことはない。
 短期間でこんなに色んなことがあったにも拘らず、何故か安定する心を分析するように。すばるは、ぼんやりと直近の出来事に思いを巡らせた。あの日以来、初めてのことだ。時間がただ過ぎるばかりで、空虚だったすばる自身に。入り込んだ優しさや安心感は、やたらと満ちて落ち着いていた。
(不思議だ。近くに人がいるだけで、手を差し伸べてくれるだけで。こんなにも安心できるなんて)
 すばるは、自分の右手を左手で包み込むように握りしめる。すばるの手を握ってくれた遠野の手の感覚が、擬似的にあの温もりを思い出させた。今度は自ら手を離すことがないように。すばるを無条件に信じて、守ってくれる人に対して。ちゃんも向き合い、答えなければならないと思った。
『すばる、起きてるか?』
 何も音がしなかった室内に、突然、遠野の声がドアの向こう側から聞こえた。驚いたすばるは、慌てて飛び起きる。
「うん、今起きた」
『入るぞ』
 金属の擦れる甲高い音を響かせ、遠野がドアを開けた。いつもの緊張感のない遠野の笑顔。その笑顔に、思わず喉が鳴る。
「よく寝れたか?」
「うん。久しぶりにいっぱい食べたし、いっぱい寝られた」
「そうか、よかった」
 遠野は、すばるの横に腰掛けた。
「そろそろ、行こうか」
 一言の重み。遠野の言葉がすばるの安定した心を揺さぶる。喉につか閊える空気に阻まれて、すばるは短く「うん」と応えることしかできなかった。
「怖いか? すばる」
「……うん、ちょっと」
 固く握りしめたすばるの両手は、先ほどまでの安心感を忘れたかのように。漠然とした不安に、心なしか小刻みに震えはじめた。一斉に受けたクラッキングの恐怖や爆発の衝撃。目に見えない何かが、向ける敵意が頭の中を駆け巡り圧迫する。遠野は、すばるの若い手に自分の無骨な手を重ねた。
「お前の身の安全が確実になったら。必ず迎えに行く」
「……」
「ちゃんとお前の帰ってくる場所を、守っているからな、すばる」
「うん……」
「じゃあ、行こうか」
「ねぇ、遠野さん」
「なんだ? すばる」
「オレのパソコン……持っててくれない?」
「え?」
「荷物パンパンでさ。重いんだよ、リュック」
 すばるは徐にリュックサックからノートパソコンを取り出し、遠野に手渡す。
「着くまででいいからさ。お願い、遠野さん」
「あぁ、いいよ。分かった」
 すばるは遠野の手を振り解き、立ち上がった。逮捕術で受けた筋肉が、足をこわばらせる。辿々しく二、三歩足を動かしたすばるは、よちよち歩く子どもみたいに思えて、恥ずかそうに笑った。            
 遠野はそんなすばるに笑いかけると、ゆっくりとドアの方へ歩き出した。ドアノブに遠野が手をかけると、金属の擦れる甲高いが再び室内に響く。
「行こう、か。すばる」 
 返事の代わりに大きく頷いたすばるは、親しみすら覚えた無機質な部屋を見渡すと、一歩外に踏み出した。
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