desire

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#5

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「一年半、くらい前からかな………。あの人が来だしたの。毎日じゃないから、あんまり気にも止めてなかったんだ。誰に声をかけるわけでもなく、1人でカウンターの端っこに座って飲んで………。でも、たまに視線を感じる………目は決して合わないのに、視線を感じるんだ」

………なんか、引っかかる。

雫が昨夜言っていたあの言葉が、頭の中を駆け巡って離れない。
一年半くらい前といったら、まだあのサイコパスは現れてないのに……。
情報収集のために、単独であの周辺をうろついていたんだろうか、澤村は。
本部の一課に行きたがってたもんな、アイツ。
誰よりも早くホシを見つけて、引っ張って貰いたいに違いない。
でも、結構ハッキリ言う雫が、澤村に対して何も言わないのも………どうも、スッキリしない。


スッキリしない、まま。


潜入先の店が休みの日である今日、僕は一週間ぶりに捜査本部に顔を出した。
松本の眉間のシワがより深く刻まれて、若干、やつれているような感じがする。

「おつかれさまです、松本補佐」
「あぁ、駒高。おつかれ」
「中山の足取り、わかりましたか?」
「いや………。あの店を出たというとこまでは真向かいのビル防犯カメラでも確認できてんだけどなぁ。それ以降、どこのカメラにも写ってないんだ。直後に店から出た客もいないし………あれだな、神隠しとしかいいようがないな。………いっそのこと、神様が犯人だったらいいんだけどな」

こんなこと、百戦錬磨の一課の松本が言うなんて………よっぽど、切羽詰まってんだろうな……。

「僕ももう少し、その〝神様〟の正体を探ってみてもいいでしょうか?」
「あぁ、頼む」

僕は自席に戻ると、量販店の安物のジャケットを椅子の背もたれにかけて、机の上に溜まりにたまった資料に目を通しはじめた。
資料を読んでも、結果は一緒だ。
パズルのピースは、てんでバラバラで。
どれもピッタリ当てはまるものが、1つとして無い。


でも、何か………何か………。


「お、美波!おつかれ!」
「あ、澤村。おつかれ」

連日の聞き込みをした後でも、澤村のその表情はいつも明るい。

………そうだ。
僕はこういう澤村しか知らない。

雫が言う澤村と180度違うから、なんか引っかかってたんだ。

「どうした?久しぶりの刑事で、カンが取り戻せないか?」
「いや……。なんでかなぁ、って」
「何が?」
「店の前のビルの防犯カメラには写ってるのに、その後の足取りが掴めないって。途中のビルとかに入ったのかなぁ、中山は」
「さぁな。でもあの辺は他に入るところないだろ?」
「うん………真向かいのビル以外はね………」


自分で言ってて、ビックリした。


なんで今まで気付かなかったんだろう。


向いのビルが1番の死角だ。


いつになく真剣な表情の澤村が僕に顔を近づけて、静かに口を開いた。

「………それ、上に報告したか?」
「いや………今、閃いただけだから………」
「なぁ、美波。それ、俺に貰えないかな」
「え?」
「俺、どうしても一課に行きたいんだ………。美波も分かってるだろ?」
「………澤村」
「これしかチャンスがないんだ。………な、美波」

僕は澤村ほど、一課に行きたいと思っているわけではない。
澤村には世話になってるし………一課に行かせてあげたいと、思ったんだ。

「分かったよ、澤村。でも、無理するなよ?なんかあったらすぐ僕を呼べ。あの店にいるから。いいな?」
「分かってるよ!!明日、店だろ?久しぶりに行くから!!」
「澤村………」
「何?」
「いや………なんでもない、明日………待ってるから」

やっと、手がかりが掴めた。
掴めたのに………嬉しいはずなのに………。
終わってしまうと、もう………雫の側にいられなくなる。
雫に………本当のコトを言わなければならない………んだ。








向いのビルは大概年季の入った古い雑居ビルで。
一階は、アダルトグッズを取り扱う店舗になってるけど、複数の闇金みたいな看板が掲げられている割には、その2階から最上階までは真っ暗で皆目見当がつかない。
中からブラックフィルムでも貼ってあるのか、店の窓からその様子を伺っても、人影すら見えないから………まぁ、怪しさ満点だよな。

「どうした?美波」
「いや、向いのビル。真っ暗だな、って」
「こんなトコじゃ、当たり前じゃない?それよりさ、店終わったら………家来る?」
「うん、いく」
「………美波?何、考えてる?」
「うん………カウンターの端に座ってるその人と、何かあった?」
「どうして?」
「イヤならイヤってハッキリ言うのに、一年以上も雫が放置していたって思って………。あの人、かっこいいし。雫の………タイプかな、って」
「何言ってるの?俺のタイプは美波だけど?」

開店前の店内で、僕と雫は軽くキスをかわした。
多分、向いのビルから丸見えなんだろう……。
犯人はそのどこからか、形を潜めて獲物を物色しているんだ。
その日、久しぶりに澤村が店に来て、相変わらずカウンターの端っこでハイボールをあおる。
特に雫に絡んでくる客もいなかったし、無事に閉店してシャッターを閉めたところだった。

「あの、すみません」

近からず遠からず、僕を呼ぶ声に思わず振り向いた。
………向いの雑居ビルの4階の窓が開いて、そこから若い男性が僕を見下ろしている。


………ゾワッ、と。


全身の身の毛がよだつ。


「僕、ですか?」
「はい」
「仕事してたら、閉じ込められちゃったみたいで………。オレ、今から飛び降りるんで、布団かなんか準備してもらえませんか?」
「は?!飛び降りるって!?………危ないから、そこにいてください!!今行きますから!!」
「でも、閉じ込められちゃってて………」
「大丈夫ですから!!待っててください!!絶対に飛び降りないでくださいよ?!」

4階から非常にあり得ないことを口にしていた男性に念を押すように叫ぶと、僕は雑居ビルの狭い階段を2つ飛ばしで駆け上がった。
アルコールを少し体の中に入れたせいか、いつもよりかけ上がる足に勢いがつかない。
情けなくも、息まで上がってようやく4階にたどり着いた。

「どこですか?!ドアを叩いてください!!」
古臭いステンレス製のドアを1つ1つ叩きながら、僕は男性に呼びかける。

『ここです!ここですよ!!』

ドア越しのこもった声とともに、一番奥のドアがガタガタ揺れた。
「ドアから離れてください!!」
強行犯係にいながら、あんまりこういった強行突破は経験は機動隊訓練以外ほとんどないけど、僕は狭い廊下いっぱいにさがって、勢いよくドアに体当たりをした。


ガタガタッ。


ドアの以外な脆さと自分の力加減に驚きつつ、あと数回体当たりすればドアが開きそうだという算段がついて、僕はもう一度、ドアに体当たりすべく勢いをつけて体を弾かせた。


ガチャ。


急に視界が、銀色のドアの色から暗闇に変わる。
かなりの勢いがついていた僕の体は止まる場所を失って、そのまま室内に転がり込んだ。

「いらっしゃい。ハンサムなバーテンダーさん」


………ヤバい……!!


罠だったんだ………!!


よく考えたらおかしなことだらけだ。
僕が店を出たタイミングで声をかけて、飛び降りるって切羽詰まった感じでワザと助けを求めて。


………こいつは、犯人かもしれないっ!!


床に体を強烈に打ち付けて、犯人とおぼしき男性を見ようと体を反転させようとした瞬間、背中に激痛が走った。

「っ!!」

硬い何に殴られたような………途端に体に力が入らなくなって、うまく立ち上がれない。


………マズい…………。


制圧、しなきゃ……はやく。


「美波っ!!」


………澤村…?


うまくコントロールできない体をなんとか動かして、ドアの方にようやく目を向けると、澤村が男性と格闘しているのが見えた。

「………澤…村っ!」
「美波!!大丈夫か?!あっ!!待てっ!」

澤村と揉み合っていた男性が、僕に注意を向けた澤村の隙をついて逃げ出して、澤村がそれを追う。
………澤村の怒号と、階段を駆け上がる音。
行かなきゃ………澤村に、無理させちゃいけない。
僕は無理矢理、体を引き起こすとヨタヨタしながら、階段を昇った。

屋上……?
なんで、屋上に逃げたんだ?

手すりにつかまりながら、屋上の出入り口のドアに手をかけた。
下から見る、繁華街から見上げる空がとても近くに感じるくらいに、まるで宇宙に投げ出された感覚に陥る。
犯人に対峙していたなんて思えないくらい、澄み切って、吸い込まれそうで。
その空間に圧倒されて、視界の隅に映る澤村と男性の姿が霞んで見えてしまった。

それでも次の瞬間、僕は声が出なくなるくらい男性のその表情に釘付けになったんだ。


今にも、泣き出しそうな………。


怯えたように、目を震わせて………。


………あんなに、残酷なことをする犯人が………。

死をも楽しむかのような、残虐な死体を量産する犯人が………。

あんな、生に執着した表情をするのか……?


たまらず、叫んだ。


「澤村っ!!」


その声が合図だったかのように。
男性の体がグラッと大きく傾いて、そのまま僕の視界からも、おそらく澤村の視界からも消えた。


ドサッ。


鈍い音が、静かになった繁華街に響き渡る。

「………落ちた…」

澤村の声が力なくかすれて………悔しさが滲み出る声音で呟いた。

「多分、ヤツだ………終わったよ、美波」








大田聖司 32歳、外資系証券会社勤務。
有名私大卒のエリートで、独身で。
そういった異常を感じさせるような素行は、今まで家族でさえもわからなかったそうだ。
叩いても埃すらでない経歴の持ち主だったのに、大田の自宅からは、一連の犯行と一致するロープやサファイバルナイフが見つかった。
あとは、科学捜査を題材とした海外ドラマのDVDやその手の本まで発見されて、状況証拠ながら決定的な証拠と位置付けた捜査本部は、大田を被疑者と断定して、この猟奇的連続殺人事件は、被疑者死亡のまま検察庁に送致された。

呆気ない、というか。
気が抜けた、というか。

そんなに長くはない警察人生の中で、こんな危ない目に遭うのも初めてだったし、被疑者死亡という後味の悪い事件も初めて経験した。
凝縮されすぎて、あっという間の出来事のようだ。

と、同時に。
雫に本当の事を言わなければならないという、気の重たさが首をもたげる。

雫は………騙していた僕を、許してくれるだろうか。

「美波のバーテンダーも、もう見れなくなるんだな。結構、似合ってたのに」

今回の事件の功績が評価されて本部長賞誉をもらったし澤村が、歯を見せて笑いながら僕に言った。

「うん……。ちょっと、寂しいけどね。し……店長の上野に本当のことを話してくるよ。………よくしてもらったし」
「そうだな」
「そういえば、さ。あの店、澤村の行きつけなの?」
「どうして?」
「店長が澤村をよく見かけるって言ってたからさ。情報収集とかしてたんだろ?」
「うん、まぁな。優秀な情報屋がいるんだよ、あの辺は」

澤村は結構、喜怒哀楽がハッキリしている。
裏表のないイイヤツなんだ。

なのに、今。
その真っ直ぐな目が、澤村の本心を隠すように小刻みに揺れている。


………何か、を……隠してる………?


かつて、澤村に抱いた違和感が、再燃した瞬間だった。










「今まで騙してて、ごめん」
開店前のわずかな時間を見計らって、僕はdesireのバックヤードで雫に本当のことを打ち明けた。
嫌われることを、恨まれることを覚悟で、僕は雫に頭を下げたんだ。

「………そんなこったろうと思ってたけどさ。………結構、ショックだなぁ」

少し苦笑いをして、雫は僕と視線を合わせて言う。

「本当にごめん。殴るでも、なんでも。雫の気がすむんだったらなんだってしてくれてかまわない。………本当に…」
「なんでも?………なんでも、するって?」
「………あぁ………なんでもする」

僕が発した言葉に反応した雫の、笑顔が………ゾッとするくらい冷たかった。

「なんでもするってよ、零」
「あぁ、ちゃんと聞いたよ。雫」


この聴き慣れた、声……。


血の気が引く思いで、僕はその声の方向に視線を投げた。


「澤村………なんで………」


澤村はゆっくり僕に近づくと、硬直して動かなくなった僕の体をなぞるように、その手を動かす。

「無駄にカンだけは鋭いからな、美波は」
「零、動かなくしちゃダメだよ?美波は、今から俺たちの玩具になるんだから」


………玩具?


何でもするとは言ったけど………あまりにも、話が噛み合わなさすぎて。
澤村と雫の関係性が見えなくて………僕の体温が一気に下降した。


呼吸も浅くて………頭が、回らない………。


「そんなことしないよ、雫。俺も美波を気にいってんだ。こんな綺麗な玩具………初めて手に入れたよ」
「結構、いい反応するんだよ?美波は。楽しみでしょ?零」

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