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第三章 怪奇、幽霊学習塾! 退魔剣客ふたたび
第63話 ラストバトル
しおりを挟む「隼人君、さっきは、すまなかった……」
久美子は言った。彼女の胸に抱かれている隼人に意識はないはずだ。力を使い果たし、眠っていた。
その謝罪は、さきほどとった冷たい態度を詫びたものである。優しい隼人は体調を心配をしてくれただけなのだが、久美子は拒絶した。まだ11歳の少年にいやらしい妄想を抱き、自慰にふけった自分自身にとまどったのだ。
「いいよ、気にしてないよ……」
隼人は言った。か細い声だった。
「起きていたのか……?」
久美子は少し赤くなってしまった。聞かれていたのだ。
「僕が、久美子さんを守るから……死んでも、守るから……」
自分の胸に顔をうずめている少女の如き美しい少年は、そんなことを言っている。彼は、まだ戦う気のようだ。
「さっきは、疲れていただけだよね……?久美子さんは、とっても優しい人だよね……」
久美子の背にまわした隼人の手の力が弱まっていく。本当は声を出すのも、つらいのかもしれない。気力体力が低下しているのなら、危険な状態といえる。
「違う……私が、馬鹿なだけだ……」
という久美子の言葉が聴こえただろうか?隼人の返答はない。今度こそ意識を失ったようだ。
またも、一本の青白い手が、壁から伸びて襲ってきた。久美子は御神刀、雷光を一閃させ斬り払った。だが、まだ大量の手がうごめいている。
(例え自身が滅んでも、この子だけは……)
久美子は、隼人を抱きとめたたまま、返り魔の力を発揮した。雷光から照射された光が何本かを消し去るも、まだ大量に残っている。もはや我慢比べの様相を呈してきたが、問題は久美子の気力がもつか否かということになる。バロンとの戦闘を経た上、負の気が蔓延している環境下に長く晒され続けた。彼女自身の疲労も激しい。そんな中で、異能力を使わなければならない。
──天宮さん!天宮さん、どこですか?天宮さん!
声が聴こえた。遥だ。どうやら応援が突入に成功したようである。
(隼人君、もう少しの辛抱だ……)
久美子は隼人を床に寝かせると、雷光を構えた。ここがラストスパートと心得たのだ。消耗のせいで足下が重く感じるも、なんとか踏ん張った。
「天宮さん、天宮さん!」
拡声器を片手に遥は叫び続けた。無口な久美子の返事など期待していないが、応援が辿り着いたことを知らせることが役目だった。そして、先行する三人が戦闘を担当する。
「いやはや、愉快愉快」
両手で錫杖を振り回しながら東田が言った。一階は二階ほどに幽霊の“侵食"を受けていないようであるが、通り抜けようとすると、壁から青白い手が伸びてくる。それを彼が殴打すると、弾けて消えた。
「しかし、建物に取り憑くとは、厄介な敵じゃのう」
と、片岡。こちらは片手で杖をふるっていた。腰が曲がったままで、老人らしからぬ機敏さを見せている。
「お二人とも、余裕がありますのね」
と言う麗華に手が伸びてきた。すると、彼女の手甲が一瞬で変形した。手首から肘部分までを覆う分厚い装甲がスライドし、拳の先端まで伸びたのである。特殊な力の入れ方をすると、そうなる仕組みらしい。そのまま殴ると、青白い手は砕け散った。彼女は拳法を良く使うようだ。
三人は、それぞれの武器に“返り魔の力"をのせ、近接戦闘を行っていた。遠距離だけでなく近距離でも発揮出来る力である。物理戦の技術を心得ているからこそ出来る芸当と言えるが、退魔士とは本来、そういうものである。
行く先を阻む手を、麗華は蹴り上げた。足にも甲を着けてある。修道服のスカートの裾が大きくめくれた。
「サービスカット、ですかな?」
東田がニヤけた。
「本当に見たのなら、あとで殺しますわ」
と、麗華。ギロリ、と睨みつけた。
「漫才をやる余裕があるうちは大丈夫じゃな」
とは、片岡。もっとも、久美子と同じ理由で気力体力の消耗はすすむので、傍で見るほどに余裕はないものである。急ぎ、事態を解決しなければならない。
一行は二階へとやって来た。こちらのほうが壁から伸びる手の本数は多い。いや、隼人と久美子が何本か退治しているので、これでも減ったほうである。
「天宮さん!どこですか!?」
遥が再び拡声器で問いかける。返事はない。
「あの無口で無愛想な“仏頂面"に、返事など期待しても無駄ですわよ」
という麗華の言動は随分とひどいものだが、長いつきあいだからこそ言えるのかもしれない。元々、口の悪い女である。
「とは言え、返事をする余裕がないのかもしれんぞ。急がねばならんのう」
片岡が言った。そもそも久美子が無事でいる、という確信もない。
「わたくしが探しに行きますわ。みなさんは、掃討に力を入れてくださいませ」
と、麗華。そんなに広い建物ではない。すぐに見つかるはずだ。
「じゃあ、わたしも行きます」
遥が言った。
「わたくし一人で充分です。あなたは、おふたりのサポートに徹してくださいな」
「でも……」
麗華に対し、遥は反論しようとした。愛する久美子のピンチである。
「あなたのような未熟者に同行されるのは、迷惑ですわ」
手厳しいセリフである。麗華のこういったところも遥は嫌っていた。
「まァ、戦力分散の愚をおかすことなどありませんな。“本隊"三名と“別働隊"一名でよいでしょう」
坊主頭をかきながら東田が言った。仏教の僧とキリスト教のシスターが各々二名ずつ。そんな奇妙な組み合わせは、退魔連合会ならではのものである。
「では、よしなに……」
一言を残し、青白い手がうごめく中を麗華は駆け出した。左右の壁から一本ずつ伸びてきたが、彼女は上手くかわし、通路の向こうへ消えた。
「わしとは違って、若者は元気じゃの……」
その勇姿を見ての片岡の感想……ではない。彼は天井から伸びてきた手を杖で撃退しながら言った。
「師資ほどではありませんな」
と、東田。若干の呆れ顔で、そう言った。屈強な老体というものがあるのなら、多分、目の前の老人の姿のことをさすのだろう。
「では、我々は一歩一歩、進みましょうか」
東田が提案した。男二人が先を歩き、遥が後方から返り魔の力を発揮する。青白い手どもの“出所"がわからない以上、そうするしか方法がなかった。
少し進むと、倒れているバロンの姿があった。幽霊に精を吸いつくされ、勃起こそおさまっているものの、下半身は剥き出しである。直視出来ず、赤くなった遥は目をそむけた。
「こいつが“犯人"かの?」
と、片岡。
「出回っている違法薬物の密売人ですな。お手柄ですよ」
とは、東田。彼はバロンを錫杖で突っついた。
「息はありますな、残念……」
「坊主らしからぬ言葉じゃ」
「悪党にかける情けなど持たぬのが今時の僧です」
「なるほど、わしは時代遅れということじゃな」
「いえいえ、そういうわけでは……」
なぜ、この状況下で二人は平静を保つことが出来るのか?それが遥にはわからなかった。
久美子は、さきほどの場所から動いてはいなかった。気力体力の消耗が激しい今となっては、意識を失った隼人を抱えて移動することは難しいと判断したのである。突入した応援の退魔士たちとの合流を待ったほうが賢明だった。
『よくも、やってくれたわね……』
突如、闇の中から目の前に現れた少女……幽霊である。それに取り憑かれた裏山松子を救わねばならないが、この状況は大変に不利である。床に寝ている隼人を守らなければならない。
『あなただけでも、ころすわ……』
幽霊は言った。長い髪に隠れた表情を伺い知ることは出来ない。憎悪に歪んでいるのか、それとも笑っているのか。
『しになさい……』
そんな幽霊の声が、暗く冷たく響いた。これが最後の戦いとなる。
(例え死しても、隼人君だけは守らねば……)
久美子は、御神刀、雷光を片手正眼の位置に構えた。果たして、勝機はあるのか?
意識を失っている隼人は暗闇の中にいた。目を開けていないので当然のことである。正確に言えば“その中"での意識自体は存在する。
(動かなきゃ……立ち上がらなきゃ……)
そう思っても体がいうことをきかない。戦おうという意志を実現できないほどに、小柄な肉体の疲労感が強かった。
(おじいさん、啓子ちゃん、元気かなぁ……)
隼人はなぜか、昨年夏の首払村での出来事を思い出していた。奈美坂精神病院から脱走した彼は、伝説のストリートファイター、首払一郎と孫娘、啓子に出会った。一郎とともに、首払村の化け物を倒した日が随分と昔のことに感じられる。そのときの経験が、ほんのひと夏の冒険が隼人を少しだけ大人にした。汗にまみれて一郎の農作業を手伝ったこと。啓子と何度もキスをしたこと。それらは青春を形成する重要なファクターであるが、まだ幼い彼にその自覚はない。あくまでも想い出である。
『起きなさい、隼人……』
声がした。目を開けると、周辺が身に覚えのある乳白色の空間となった。適度な気温に包まれ、居心地が良い。体が軽くなり、隼人は起き上がった。視線の先に純白のドレスを纏ったひとりの女が立っていた。
(リルムリート……?)
彼は目の前の女を確認した。ここは、首払村で神と相討ちになり消えた“魔剣"の心の世界だった。
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