“魔剣" リルムリート

さよなら本塁打

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第二章 大隅秘湯、夜這い旅? 人気ゴルファーの謎

第29話 猪熊の過去

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 猪熊豪三郎は東京都の出身である。現在48歳。大学ゴルフでタイトルを獲得したことがある彼は卒業後、鳴り物入りでプロに転向した。 


 トーナメントプロとしての猪熊は、“まあまあ有名な"選手だった。テレビ中継に映る程度の成績は残し、獲得賞金もそこそこ。シード権を取るには至らなかったが、食っていけるレベルの職業ゴルファーだった。 


 記録以上に、人々の記憶に残る存在だった。“ちょっと変わった"ファッションセンスと巨体を活かした豪快なドライバーショットで人気を博した。オフはバラエティ番組にも出演していた。 


 “守りのゴルフに夢はない。攻めて、魅せてこそプロなのだ、ウヒョヒョヒョヒョ" 


 と、断言した積極姿勢は、弟子である林原緑にも受け継がれている。優勝がかかった最終ロングホールで二打目にドライバーを選択し、結果OBになったとき、猪熊は人目もはばからず泣いたが、観客は歓声をおくったものである。魅力的な選手だったのだ。


 怪我に泣かされた人生でもあった。パワフルなプレーを生み出す原動力だった巨体の重量は、慢性的な腰や膝の故障につながり、やがて満足のいくゴルフが出来なくなった。腰痛に悩まされた寺山素子にキャディーへの道をすすめたのも、自身の苦い経験からではなかったか。トーナメントプロとしての活動は短期に終わり、猪熊は“副業"のほうに手を出していった。 


 タレント業の他、講演会活動で地方を飛び回り、濃いキャラクターと軽妙なトークを武器に第二の人生はそこそこのスタートを切った。お笑い番組だけでなくスポーツニュースのレギュラーコメンテーターも務め、出演依頼が途切れることはなかったようである。その一方、自身が経営していた飲食店は長続きしなかった。商売より芸能のほうが向いていたようだ。 


 鹿児島市で講演を行ったとき、地元の有力議員と知り合った。えらく気に入られたようで、県内の各業界の著名人を次々と紹介された。後にその者たちをスポンサーとし、猪熊を中心とした青少年更生施設『猪熊ゴルフスクール』が開校することになる。 


 少年たちの非行や暴力が相次いでいた時代だった。犯罪の低年齢化が憂慮され、社会問題化していた時期に、地元の有力者たちが金を出したのである。もちろん、それは世間に対する“アピール"という側面もあったのだが、教育県のイメージが強い鹿児島の土地柄に合致もしていた。猪熊のほうも、飲食店経営で結構な負債を抱えており、弁済のため話を受けることにしたのだ。 


 猪熊ゴルフスクールには開校後、すぐに入校希望者が殺到した。当時はそれだけ、問題児や不登校児が多かったのである。子育てに疲れた親だけでなく、更生に白旗をあげた学校の教師たちからも支持された。他人に任せたいという大人たちの存在が、経営を軌道にのせたのだ。 


 “ゴルフを通じ、豊かな心を育むことが目的の青少年更生施設" 


 設立当初のキャッチコピーだった。だが、猪熊はすぐに方針を変更した。札付きのワル共に、そんな甘い考えは通じなかったからだ。生徒同士の喧嘩や脱走未遂など、問題は日常茶飯事だった。 


 “論理的に説明し、模範的に実践させ、それで言うことをきかなければ、暴力的にぶん殴る" 


 という、スパルタ上等の教育方針を掲げなおし、すぐさま実行に移した。早朝五時起き。毎朝二十キロのランニング。朝食後、ゴルフの練習に入り、言うことをきかない者や上達しない者は暴力でひれ伏させた。空振りしただけで二発殴り、三発蹴ったものである。コースに連れて行き、スコアが100を切らなければメシ抜きの挙句、一晩中、外で正座させた。 


 猪熊からすれば、借金の返済という個人的な事情も絡んで受けた仕事だった。だが、子供たちと接するうちに、それぞれに事情があることがよくわかった。グレた理由の中には同情出来るものもあったのである。 


 “ガキのころから、毎日のように親に暴力をふるわれ続けた" 

 “学校でいじめにあっていた。親が前科持ちだということがバレたからだ。先公にまで犯罪者の子供と言われた"

 “水商売の母親が毎日のように男を連れ込みやがる。ある日、とうとうブチ切れて相手の男をぶん殴ってやったら、ここに放り込まれた" 

 “親父が女を作ってどっか行った。お袋は酒浸り" 

 “血の繋がらない養父からレイプされた。妊娠したら、中絶させられた" 


 生徒たちの言葉を聞き、猪熊は驚いた。理由の大半が、周囲の大人にあるではないか。不良たちにも言い分があるのだと知ったとき、ここに来て綺麗事ばかりをぬかし、子供を預けた親や教師の実態に呆れた。大人こそ反省すべきではないのかと。 


 そんな生徒たちの面倒を見ているうちに、不良共に対し愛着がわいてきたものである。同時に猪熊にとっての“第三の人生"にやりがいも感じ始めた。スパルタと暴力による指導は変わらなかったが、生徒たちとは真摯に向き合った。何人かを更生させ、再び社会に送り出すことにも成功した。“卒業"した者たちは、校長のおかげと今でも言っている。猪熊の心が、彼らに届いたのだ。 


 そんな猪熊の指導は、全国ネットのテレビ番組で放送もされた。『猪熊豪三郎と不良たちの熱血ゴルフ塾』というタイトルで。過激な内容に賛否が分かれ、テレビ局には投書が相次いだ。 


 ある日、猪熊ゴルフスクールに一人の少女が入校した。不登校で引きこもりだった彼女には稀有な才能と卓越したゴルフセンスがあった。初めてクラブを握ったその日のうちに、先輩生徒の半数を実力で追い越し、わずか数日で、スクールのナンバーワンプレイヤーとなったその少女。それが林原緑だった。 


 “吾輩の指導人生の中で、最高の才能である" 


 プロでもある猪熊は、緑の才能を見抜いた。小柄な体に似合わないほどのパワーがあったのだ。男子顔負けのそれは持って生まれたものである。小手先の技術など、あとからいくらでも身につく。これからのゴルフは飛距離がものをいう。彼女はいずれ、トッププロになれる逸材であった。 


 その才能に惚れ込んだ猪熊は緑につくことが多くなり、基礎から徹底的に教え込んだ。スパルタ指導もまじえた厳しい練習が続いたが、緑はついてきた。根性もあったが、吸収力も抜群で、飲み込みの早さに猪熊は唸った。 


 ある程度のレベルまで教えたところで、猪熊は自分の指導力の限界を知った。この猪熊ゴルフスクールはあくまでも競技を通じた青少年更生施設にすぎず、抱えている強面のスタッフたちもゴルフレッスンの専門家ではなかった。プロである猪熊自身も、プレイヤーあがりの存在であり、確固たる指導理論を持っているわけではなかった。だが、緑は、こんなところで終わる存在ではない。将来的に、日本女子ゴルフ界を支える天才だ。 


 猪熊は、緑一人のために、レッスンプロを招聘した。専門の栄養士を雇い、食事の内容も他の生徒とは差別を設け、腰痛に悩まされていた寺山素子を専属のキャディーに転向させた。“緑プロジェクト"とでも言うべき体制を作り上げたのだ。それを贔屓だと言う他の生徒には容赦なく鉄拳を振るった。 


 技術的に成長する一方、緑のメンタルは弱かった。すぐに大会に出場するようになるが、最終日になるとスコアを崩すことが多く、特に接戦をものにしたことは一度もなかった。彼女の好待遇に不満を持つ者からは、“予選女王"などと陰口を叩かれたものである。素子は緑の精神面をケアするために四方八方手を尽くしたが、効果はなかった。猪熊も心理カウンセラーや心療医に相談してみたが、結果は出なかった。 


 だが、一年ほど前から“神風"が吹き始めた。それは、緑を恨んでいた素子とリーゼント頭の“復讐計画"だったのだが、結果的に日本中で愛される“神風ガール"を作り出すこととなった。緑のピンチに決まったように巻き起こるそれは、ドラマティックな逆転劇を生み、彼女を一躍スーパースターの座に押し上げたのである。今では老若男女問わず、知らない人などいない人気者となった。 


 緑ブームを受け、師であり育ての親でもある猪熊のもとには今までと違う仕事が舞い込んできた。 


 “本を書いてみませんか?" 


 それは、出版社からの依頼だった。林原緑という人気者を作り上げたことで、プロの最前線から姿を消した猪熊の存在は再び注目されたのである。緑との出会いから現在までを書き綴った処女作『私と緑。夢を見続けた600日』はベストセラーとなり、著者の猪熊はテレビ等のメディアに引っ張り出された。世間でも先生扱いされるようになったのである。 


 仕事が増え、羽振りが良くなった猪熊は考えた。更生施設ではなく、本格的なプロ予備校の代表者として振る舞うほうが世間体も良く、儲かるのではないかと。現にこのころから、更生目的ではなく真剣にゴルフを学びたいという入門希望者が増えたのである。子供たちはみな、“猪熊さんに教わって、緑ちゃんみたいなゴルファーになりたい"と言っていた。早急に指導能力があるレッスンプロを数名雇い、意識の高い者に対する体裁を整えた。 


 さらに猪熊は、以前から在席していた問題児たちの“受け入れ先"を探した。芸能活動をしていたころのコネやスポンサーたちの助力により、就職先や引き取り先を見つけることで、スクールの体質変化に邪魔な更生施設時代の生徒たちを卒業させることに成功したのである。リーゼント頭ら五人は、受け入れ先に気に入られず居残った“古株"だったのだ。










「わかりました。もし、わたしが勝ったら、彼らの“退校"を取り消してください」


 その和美の言葉に、猪熊は苦笑いをした。彼女はゴルフで、プロである自分を負かそうというのだ。


「これはこれは、冗談のつもりだったのですが、ウヒョヒョヒョヒョ……」

「わたしは本気ですわ」


 と、和美。細い二重まぶたは真剣なものだった。


「ちょっと、和美ちゃん……」


 敏子が間に入った。


「和美ちゃん、ゴルフなんてしたことないでしょ?それなのに勝負するなんて……」

「いくらなんでも“本職"のゴルファーと、まともにゴルフ場をまわろうなんて言ってないわよ」


 言うと和美は、もう一度猪熊を見た。


「ゴルフには“ドライビングコンテスト"というものがあると聞いています。それで勝負しませんか?」






 
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