“魔剣" リルムリート

さよなら本塁打

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第三章 怪奇、幽霊学習塾! 退魔剣客ふたたび

第1話 久美子の溜息

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 ここは、退魔連合会鹿児島支部S市出張所。ある日、美人退魔士、天宮久美子あまみや くみこは所長室に呼び出された。 


「天宮君、担当してほしい“仕事"が出来たのだ」 


 そう言ったのは、所長の村島健康むらしま たけやすである。薄い髪をサイドからなでつけているが、それでも頭頂部の地肌は隠しきれていない。これまでに試した育毛剤は二十種類以上。そのどれもが“不毛"に終わった。 


 “なにか、事件ですか?" 


 などという返事はない。この久美子という女、大変に無口であり、滅多に声を出すことはない。ただ、その美しい瞳に宿る鋭い輝き、それは彼女が興味を持ったことを示すのだ。 


「実はだね……」 


 デスクの引き出しを開ける村島。取り出したのは一枚の紙きれだ。緊張の一瞬。久美子は思わず、唾を飲み込んだ。ごくり。 


「君に、ここの講師をやってもらいたいのだよ」 


 見ると、“バーニング・ゼミナール、生徒募集中!"とある。それは学習塾のパンフレットだった。つまり村島は彼女に、そこの先生をやれ、と言っているのだ。 


 久美子は、まわれ右をした。そのまま、つかつかと出口のドアへ向かう。 


「待ちたまえ、天宮君……」 


 村島は退室しようとする黒い後ろ姿に言った。なぜ黒いのかというと、久美子は修道服を着ているからだ。対する村島は狩衣姿である。シスターの格好をした美女と神主の格好をした男。ちょっと異様な光景にも映る。 


「これは“事件"なのだ。君は目の前にいる困った人たちを見捨てておけるのかね?」 


 上司の言葉は痛い所をついてくる。根が真面目な久美子には効果抜群なセリフだ。 










 “はぁ……" 


 一階の女子トイレの個室。便座に腰掛けた久美子は大きく溜息をついた。頭に被っているヴェールを外すと、ゆるくウェーブのかかったロングヘアが、ぱさり、と落ちる。彼女の美貌にふさわしい上質なフローラルの香りが漂うはずであるが、数ヶ所に設置された安物の芳香剤の匂いがきつすぎて、まったく感じなかった。そもそも便所なので、いくら桁外れの美女でも絵にならない。 


 村島の説明によると、くだんの学習塾、バーニングゼミナールにて“幽霊"の目撃情報があったのだという。“人外の存在"である可能性が高いため退魔連合会の出番となったのだ。そして“仕事"は久美子にまわってきた。 


 塾生たちが不安がらぬよう“潜入調査"の形をとってほしい、という依頼であるため、新人講師のフリをしなければならなくなったわけだが、果たして無口な彼女にそれが務まるのか?そして最も不安に思っているのは、久美子自身なのである。 


(私に塾の講師をやれと言うのか。“ハゲヤス"め……) 


 心の中で大変ひどい罵りよう。その仇名はS市出張所に勤務する者たちが村島の陰口を叩くときに、よく使われるものである。もちろん、無口な久美子は言葉になど出さない。ならば“陰心"とでも言うべきか。 


(しかし、子供たちに勉強を教えることなど私に出来るのか……) 


 それもまた不安材料である。少女のころから退魔道を歩んできた彼女にとって、学業など二の次であったことも事実だ。ましてや、イマドキの子供の授業は難しいと聞く。 


 久美子の名誉のために言っておくと、彼女は勉強が苦手だったというわけではない。だが今年、二十歳になる身。何年も前に習ったことなど忘れているのも事実だ。不安に思うのも無理はない。 


 ロングヘアを抱え、悩む久美子。そんな姿もまた美しい。便座の上だが。 


 “はぁ……" 


 またも大きく溜息をついた。口数少ない美貌の退魔士が抱える悩みなど誰も知らない。すべては彼女自身が解決しなければならないのだ。 










「あっ、天宮さん!」 


 廊下で呼び止められた。振り向くと、久美子より年少の娘が立っていた。こちらも同じく、修道服を着たシスター姿である。 


「天宮さん、新しい“仕事"を担当することになったそうですね」 


 この娘、出張所内では、えらく情報が早いことで知られている。特に久美子に関することは、誰よりも早く聞きつけるとか。 


 彼女の名前は向遥むかい はるか、17歳。小柄な身体と、セミロングヘアを持つ少女だ。猫を連想させる愛くるしいルックスがかわいらしい。だが、侮るなかれ。こう見えても、立派な退魔士なのである。 


「わたし、応援してます!がんばってください」 


 と、遥。彼女、久美子を見るときの目が少々、アヤしいとの評判だ。うっとりしている。 


 “ありがとう" 


 などと言う久美子ではない。その代わり、遥が被っているヴェールの上から、頭を撫でてやった。それが彼女なりの辺礼である。 


「ゴロゴロ、ふにゃ~」 


 と、遥。本物の猫の如く喜んだ。反応がおもしろいので、次に、指で顎のあたりをくすぐってみた。 


「にゃ~、にゃ~」 


 すると、猫娘は恍惚の表情で、頬を擦り寄せ、なついてきた。久美子の“愛撫"が効いている。もし、人に前世というものがあるのなら、彼女は猫だったに違いない。 


(ああ、お姉様……) 


 遥は心の中で、そう呼んだ。そして、自身が信仰する神に祈った。 


(わたしの久美子お姉様……!この世で、もっとも美しく愛しいお姉様……男なんて、いやらしいことしか考えていない汚くて醜いケダモノです野獣です変態です。わたしにとって、お姉様だけが情愛の対象なのです……神よ、どうかこの想い、かなえてくださいませ……) 


 たしかに久美子の美しさは群を抜くものである。ヴェールの下にある奥二重の目は大きく、それが清楚かつ、クールな正統派美女という印象を我々に与えている。形の良い眉と鼻は、バランスよく配置されており、これら各パーツが居座る美肌は透明感あふれるほどに白く、きめが細かい。 


 そして極めつけは唇である。乾燥防止にリップクリームを使用しているだけにも関わらず、グロスを塗ったかの如く艷やかではないか。それが端正なルックスに、エロティックなエッセンスを描き足している。清楚と色香、相容れないはずの両側面が同居しているのだ。久美子の顔は美の女神を参考に、彫像の神が作り上げた最高傑作なのか?そう、疑いたくなるほどの美しさなのである。 


「天宮さん、今度また、お昼ごはん連れてってください。わたし、あそこのラーメン、結構好きなんです」 


 遥は、そう言い残すと立ち去った。 


(あのラーメン屋、そんなに美味いものだろうか……) 


 廊下に、ひとり残された久美子は思った。その店は大変に評判が良く、タウン情報誌やローカル番組のグルメ特集の常連なのだが、甘口の醤油スープが久美子の舌には合わなかった。自分の味覚がおかしいのではないかと一瞬、疑ってしまった。 


 “はぁ……" 


 そして、ひとりになった彼女、またまた溜息をついた。新しい“仕事"のことを考えると、憂鬱にしかならなかったのだ。 










 さきほど村島と話をした所長室は、この建物の二階にある。階段を降り、久美子は一階にたどり着いた。 


 彼女が勤務する退魔連合会鹿児島支部S市出張所。ここは“出張所"というだけあって、さほど大きな建物ではない。だが、賑やかである。“客"が多いのだ。それを懸命にさばいているのが“職員"たちである。複数あるカウンター式の窓口で差し向かい、今日も親切丁寧かつ迅速に対応していた。その光景は市町村役場に似たものである。 


 客たちは配布された番号カードの数字が読み上げられるまで待合席に座って待っていた。ある者は笑いながら連れた子供をあやし、またある者は貧乏ゆすりをしながら退屈そうに。 


「そこの綺麗な退魔士さん、ちょっと聞きたいことがあるんですけどねェ……」 


 声をかけられた。久美子が振り返ると、そこに一人の老婆が立っていた。







 
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