“魔剣" リルムリート

さよなら本塁打

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第三章 怪奇、幽霊学習塾! 退魔剣客ふたたび

第22話 光の壁

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 土砂降りの雨の中、傘もささず、びしょ濡れになりながら駆けつけた久美子が見たものは異様な光景だった。誰も住んでいない市営住宅の自転車置き場、仮面を被った長身の男の目の前で女が自慰をしている。淫猥と呼ぶにもふさわしいが、女の様子は尋常さから、かけ離れすぎている。


「ひいい、ひいい……もっと、もっとォ……」 


 スカートの中に手を入れ、自分でこすりながら高子は喘いでいた。ストロング・エンジェルの効果により、取り憑いている人外の表面化は免れたが、代わりに忍耐不可能な快楽に身を委ねている。目は虚ろで口から涎を流していた。 


(遅かったか……) 


 間に合わなかったことを久美子は悔いた。あと、ほんの少しでも早く到着していれば、高子が経口する前に止められたのかもしれない。だが、それは叶わなかった。 


「誰だ?てめぇ」 


 男が訊いた。神話に登場する獣と同じ顔をした仮面を被るその者を久美子は知っていた。見た目通り“バロン"という名の“密売人"である。 


 ストロング・エンジェルは闇ルートで高値売買されている。退魔連合会と超常能力実行局は警察と連携し、その根絶に力を注いでいた。久美子自身は退魔連合会内に存在する対違法薬物取引掃討班のメンバーではないが、外見の特徴から目の前の男のことは聞き知っていた。主に北薩、川薩地域で暗躍する悪党である。 


「貴様……」 


 久美子の顔に怒りがともる。雨に濡れた前髪の下にある美しい目が嫌悪と憎悪をむき出しにしていた。 


「なぜ、こんなことをするのかって?」 


 訊かれてもいないのに、バロンは話し始めた。 


「もちろん、“金"のためさ。おいしい商売だぜ」 

「そのために、人を薬漬けにするのか?」 


 久美子の言葉にバロンは笑った。いや、仮面の下の素顔が笑ったように感じられた。 


「おいおい、この女は“末期"だぜ?どのみち助からねぇのなら、望む快楽を与えてやるのが人情ってもんだろ?」 


 たしかに、薬物に頼るほどに“症状"が進行した者の肉体は既に末期にあるとも言われる。どのみち助からないのなら人工の快楽を授け、痛みと不安から解放してやることこそが正しいのか?


「黙れ……!」 


 だが、久美子は怒った。この女の中に薬物依存を正当化するような思考回路など存在しない。困難に立ち向かってこそ人なのだ。廃人を作り出す毒物と、それを売りさばく男を許すことは出来ない。 


 久美子はコートの中に手を入れた。裏地に仕込んであるものは紫色の細長い絹袋。その封を解くと、中から鍔のない日本刀があらわれた。愛刀、花切丸だ。 


「只者ではないようだな……」 


 言ってバロンは両手をポケットに入れた。取り出した物は大小二本のナイフである。右手の物は刃渡り30センチほど。もう片方はそれより短い。 


「ひひいィー、“殺し合い"が見られるのォ……?やって、やってぇ!!」 


 高子は、まだ自慰の真ッ最中である。少しずつ強くなる快感にテンションも上がっているのだろう。笑っていた。


「行くぜ……」 


 バロンが先に動いた。一方の久美子は下がる。大雨の中だが、地面はアスファルトなので行動に支障はない。市有の敷地であるため、出来れば遠距離からの剣圧攻撃は避けたいところだ。構築物を壊すわけにはいかない。 


 前進と後退のスピード差から間合いは次第に詰まる。バロンが持つ長いほうのナイフが繰り出され久美子はのけぞるも、逆に刀を突いた。それはかわされたが、次に上段から振った。相手をビビらせるには充分な剣の速度と威力だ。 


 だが、バロンは、それを左手の短いナイフで受け止めた。さらに右の大ナイフを一閃する。予測の範囲内だったため、久美子は上手く避けた。そのまま横へと走り、距離をとる。 


「おいおい、逃げるだけかよ?」 


 というバロンの台詞は挑発なのかもしれない。一方の久美子からすれば、応援が駆けつけるまで時間を稼げばよいのである。首払村で独断専行の末、失敗した経験から、そのように考えていた。以前に比べれば柔軟になったのである。 


 ここは元々、駐車場だった場所であるが、小さな市営住宅であるため、縦に狭い。逆に横には広く、道路に繋がっている。久美子は円を描くように回り込んだ。そこにバロンが駆け寄ってきた。二刀流であるため剣捌きは速い。しかも受けたとしても、すぐに二の太刀が飛んでくる。久美子は相手の顔を狙い、片手で突いた。直線的な攻撃はナイフでしのぐことが難しい。バロンが直前で動きを止めると、飛び退き、またも距離をとった。互いの足が水たまりをはねる。


 刀の間合いというものは、見た目よりも短いものである。だが、ナイフはそれ以上に近い。一刀分の距離を保てば久美子が攻撃を受けることはないが、懐に入られると大変に不利となる。そうさせないためには、ある程度攻撃を見せることも重要だ。待ちに徹すると、どんどん踏み込まれる。怖れず斬りかかってくるナイフ使いが最も厄介である。 


 両者、10メートルほど離れた。美しい退魔士は、花切丸を正眼の位置に構えた。雨雫こぼれる先端は敵の喉元を向いている。そのまま横に足をすり、ふたたび円を描くように回る久美子。そして、それに合わせるバロン。彼が土手を背にしたとき、久美子は刀を下段に下げた。


 反射的に動いたのか?それとも、意図的に“誘い"にのったのか?バロンは突進してきた。視界に構築物がないことを確認した久美子は花切丸を片手逆水平に払った。瞬時に発生した剣圧が光の矢の如く仮面の男を襲う。その速度、直線的に猛スピードで迫るバロンが避けるには不可能なほどである。


 だが、剣圧が命中する直前、バロンの前に“光の壁"があらわれた。久美子の攻撃は、それに阻まれ、降りしきる雨に割れたガラス片のような輝きを映しながら消えた。
 
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