“魔剣" リルムリート

さよなら本塁打

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第三章 怪奇、幽霊学習塾! 退魔剣客ふたたび

第24話 久美子のぬくもり

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 “大丈夫か?" 


 などとは訊かない女である。だが、バーニング・ゼミナールへと続く暗い道、久美子は自身が身に着けているロングコートの中で隼人の肩を抱きながら、とぼとぼと歩いた。共に行く小さな少年を包むような格好である。降りしきる雨の中、彼女がさしている傘は子供用のものであるため、面積が狭い。 


「久美子さんが濡れちゃうよ」 


 それはさきほど、隼人がバロンを攻撃した傘だった。そのときの衝撃で少し曲がっていた。


「風邪ひくよ?」 


 と、優しく気遣う少年の頭上にさしているため、久美子の顔は、ずぶ濡れである。長い髪から滴り落ちる水が街灯の光を反射し、美しい彼女を彩るが、今は極寒の中である。いつもと違い、自身の色香を意識することなどない。 


 二人に遅れて到着した退魔連合会の退魔士たちが現在、逃げたバロンを追っている。彼らと違い、対違法薬物取引掃討班の一員ではない久美子は、簡潔に事情を話し、あの場を離れた。このままでは隼人が凍えてしまう。裸で自慰にふけっていた富井高子は保護された。しかるべき“施設"へと送られるだろう。 


(異なる二つの能力を持つ存在か……) 


 久美子は、バロンが発揮した二つ目の異能力を思い出していた。“W型"と呼ばれる超常能力がある。それは“水を生み出し、操る能力"と呼ばれ、文字通り体内の気を水に変質させることが出来る。極めれば人間や人外を傷害できるほどの水圧で放出することも可能な力だ。戦闘時には後方からの支援砲台となり得るが、逃走する犯罪者に対し背後から適切な加減で使用すれば無傷で転倒させることも出来るため、警察との連携でも重宝する。放水量には限界があるため、建物等の消火活動には向かない。 


 その身に複数の超常能力を持つ者は“デュアル"、または“マルチ"と呼ばれる。極めて珍しい存在であり、数が少ない。戦闘方法に幅が生まれるため、味方にすれば頼もしいが、敵にまわせば厄介となる。 


 バロンは障壁展開能力である“B型"と併せ持つ。彼が二つの異能力を駆使することは、久美子も噂に聞いていた。失念していたわけではないのだが、その目で確かめるまではピンと来なかったのも事実である。もっとも、わかっていたからこそ、攻撃をかわすことが出来たのだ。反応が遅れていれば、敗戦していたかもしれない。


「あれって、デュアルなのかなぁ……」


 久美子のコートの中で隼人が呟いた。この少年は、人の心が読めるのか?


「なんか、違うような気がするんだよね」


 なぜ、そう思うのか?同じ超常能力者の“勘"なのだろうか?彼のほうがバロンに近しい存在である。疑おうという気にはなれない。学業成績が悪くとも、隼人の感性は大きく発達しているのかもしれない。


 雨の中、美男美女が寄り添って歩く姿は、非常に絵になるものである。隼人は11歳にしては大変、小柄であるため、身長差がかなりあるが、互いに浮世を遠く離れた美貌であるせいか芸術的な光景に映る。街灯が照らし出すふたりを他人が見れば、美しい姉弟とでも思うのだろうか?姉が盾となり、豪雨から幼い弟を守っているように見えるものだろうか?


 “僕は、もう、友達を失いたくはないんだ……"


 隼人はさきほど、そう言っていた。人の過去に興味など持たない女でも、少々、気にかかる台詞ではあった。彼に何があったのか?いずれ、訊く機会があるのだろうか?


 “あたしたちは人のために生きていくべきなんじゃないかしら。特別な力を持っている以上、どこの誰だか知らない人であっても、その人たちのために“


 戦場で現地難民の子供を救い、死んだ香代の言葉。それは隼人が背負った宿命であり、同時に“枷"でもある。彼は誓った。例え、自身が危機に陥っても、誰かを守る。だからこそ、一度は脱走した奈美坂精神病院へ戻り、今はEXPERを目指している。バロンに立ち向かったのも、それが理由であるが、久美子は知らない。


「久美子さんの身体は、あったかいね……」


 コートの中で、隼人が言った。久美子の腰を抱くようにして、共に歩いている。吐く息が白い。


「母さんも、あったかかったよ……」


 親元を離れ、戦士を目指す少年の言動が、いちいち重い。


「隼人君……」


 立ち止まり、久美子は傘を隼人に向けたまま、しゃがんだ。そうすると、目線の高さが、やや逆転する。


「なに……?」


 首をかしげる隼人。その顔は端正で愛らしい。久美子は、さきほどまで彼の肩を抱いていたほうの手で頬を撫でてやった。そして、形の良い額にキスをした。


 “どうして……?"


 などと隼人は訊かなかった。突然の行動に赤く染まった美顔が言葉以上に語っていた。


「さっき、加勢をしてくれた“礼"だ……」


 少し、悲しい目をして久美子が言った。唇にもしてやりたいと思ったが遠慮した。八つも年下の子供にすることではない。










「困ったなァ……」


 久美子の青い4WDスポーツの中で、隼人が呟いた。頭上の電光掲示板を見ての言葉だ。現在、S市内の国道上で信号待ちである。


「どうしよう……」


 と、隼人。奈美坂精神病院へと繋がる県道が、がけ崩れで通行止めとのことだった。遅くなったので久美子が車で送ろうとしたのだが、あいにくの事態である。大雨はいまだ、勢い衰えず。フロントガラスのワイパーが忙しく回る。


「野宿かなァ……」


 その隼人の言葉を聴き、ステアリングを握る久美子も深刻に考えた。今から宿が取れるかどうかはわからない。そもそも、子供一人を泊めてくれるものだろうか。奈美坂へ行ける道は他にもあるのだが、うんと遠回りをすることになるため、かなり時間がかかる。びしょ濡れであるため、風邪をひかせてしまうかもしれない。車内の暖房がフル回転している。


「はぁ……」


 と、隼人の溜息。ひょっとしたら、本当に野宿を覚悟しているのかもしれない。


(宿がとれず、かと言って野宿をさせるわけにもいくまい。車中泊では暖がとれない。店はどこも閉まっている上、奈美坂への帰路は絶たれた。なにか良い案はないものか……)


 真面目に考える久美子。あれこれと思案を巡らせるが、自身も戦闘と寒さで疲労しているせいか、適切な考えが浮かばない。


 助手席に座る隼人を見た。少女にしか見えない少年である。彼を男と見破れる者など、首払村の“神"以外にいないだろう。


 久美子はふと、さきほどのバロンの台詞を思い出した。


 “小僧、やってくれるじゃねぇか……“


 あの男、なぜ隼人が“少年"だとわかったのか?


 そのとき、久美子の脳内電球が光った。ようやく、名案を思いついたのだ。


「私の部屋に泊まるか……?」


 無口なこの女が人に訊ねることは極めて珍しい。それを聞き、隼人が笑顔で頷いた。野宿を免れ、ほっとしたのだろう。
 
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