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第三章 怪奇、幽霊学習塾! 退魔剣客ふたたび
第40話 期待と失望
しおりを挟む従兄の手の感触は、どこかくすぐったく、そして、生暖かった。決して不快なものではない。むしろ、もっと触ってほしかった。
(自分は“淫乱"な子供なのだ……)
小学生である久美子は、今、はっきりと自覚した。“この先"に何があるのか期待すらした。大人ならば、皆がしていることである。遅いか早いかの差ではないか。ただ、それだけのことだ。
だが、彼の手が下着の裾から侵入してきたとき、さすがに身を固くした。最初に指先で臍を愛撫された。窪みを確認するかの如く丁寧に……
(兄さん……私の胸は、まだ小さいですわ……)
なぜか、そんなことを思った。たしかに膨らんではいない。
(幻滅しないかしら……?)
少女だから当然なのだが、それでも久美子は未成熟な己の身体を恥じた。大人でないことを後悔した。いや、小学生の子供だから、このような事態になったのか。従兄の“趣味"などは知らない。
だが、久美子の心配は杞憂にすぎなかった。彼の手がゆく先は上ではなく“下"だったのだ。なんと、パンツの中に指先を滑り込ませてきた。
(ああ……)
もはや観念していた。抵抗しようなどとはしない。
(兄さん、そこを触られたら、本当に、お嫁にいけなくなりますわ……“責任"とってくださるの……?)
久美子の期待の先……従兄の指先がたどり着く果て……少女は大人の階段を昇ろうとしていた。
だが、従兄は身を離した。そのまま寝返りをうち、こちらに背を向けた。
(なぜ?なぜですの……?)
久美子は失望した。彼とのセックスは直前にあったはずである。それなのに、果たされることはなかった。
ソファーの上で目が覚めた。また、座ったまま眠っていたらしい。悪い癖だと自覚しながら、久美子は奥二重の美しいまぶたをおさえた。太腿に従兄からの手紙がのっている。
(兄さん……)
久美子は、それを手にとった。
(なぜ、他のひとと結婚してしまったの……?)
当時、従兄に交際相手がいることは知らなかった。大学卒業後、彼は東京で公務員となった。今では子供が二人いる。平穏な家庭を築いていた。
東京でおこなわれた結婚式には久美子も参列した。新郎の控え室に入ったときのことは、今でも憶えている。
“やあ、来てくれたんだね"
タキシード姿の従兄は、立ち上がり、出迎えてくれた。
“綺麗になったね、久美子……"
彼は成長した従妹を絶賛した。ミッション系の高校の制服に身を包んだ久美子は、圧倒的な美貌を手に入れていた。もちろん、子供のころから美しかったのだが、思春期に入ると色香を醸し出すほどになっていた。どこに行っても、誰に会っても、まずは外見から褒められた。
ふたりが会うのは久しぶりのことだったが、たまには電話でやりとりをしていたものである。この時期の久美子は既に退魔士になっていた。退魔資格を得たとき、従兄は、上等のボールペンと万年筆をお祝いに贈ってくれた。幼い久美子に字の書き方を教えてくれたのは彼であった。
結婚式は盛大におこなわれた。ウェディングドレスを着た花嫁は平凡な女だった。取りたてて美しいわけでもなく、実家が金持ちだったというわけでもない。ただ、良く気がつく人だという。男という生き物は、伴侶にこういうタイプを選びたがるものなのかもしれない。
“彼女が従妹の久美子だよ。まぁ、妹みたいなもんかな"
従兄は花嫁に対し、久美子のことを、そのように紹介した。幼かったころの自分で自慰をし、小さかったころの自分の身体をまさぐった男が、である。
“よろしく、お願いしますね。久美子さん"
花嫁はそう言って笑顔で頭を下げた。どこか家庭的な味のある女だ。高校生の久美子は、そういう魅力を持たなかった。
ぼんやりと手紙を眺めながら、昔のことを思い出す時間とは貴重なものなのだろうか。久美子自身、まだ、過去にすがるような年齢ではないが、人間、老若問わず記憶を辿ることはするものである。涙を流すことはない。既に、過去のことだった。従兄は、今では良き夫であり、良き父となっていた。
なぜ、あのとき、彼は自分を抱かなかったのか?それは今でも考えることであるが、結局、自制と常識が勝ったのではないかと思っている。当時の久美子は小学生。ぎりぎりのところで、理性が働いたのだろう。
(抱いてくれても、よかったのよ……)
現実にならなかったから、そう思えるのかもしれない。もし、本当に抱かれていたら……イフを想像することは楽しいが、大学生と子供では異常な関係となる。
実現しなかった代わりに、久美子は男どもにいやらしい目で見られることが好きな女になった。従兄が自分の下着をかぶり、自慰をしている姿を目撃したとき、彼女の性癖は行く方向性を決めた。街を歩けば、すれ違う誰もが私のはしたない姿を想像する。その視線が快感になっていた。
もっとも、今は誰とも恋愛をする気はない。馬鹿な男どもに対しフェロモンをふりまくだけで、だが、触らせることなどしない。そんな優越が好きだった。
ソファーを離れ、久美子は姿見の前に立った。自身の美貌を確認する。
(そろそろ、誰かのものになってみる?)
鏡の中の自分に問いかけた。もっとも、それは冗談である。部屋着の中にしまってある極上の身体は、いまだ処女だ。奪う可能性があった従兄は、自分から身を引いた。
ふと、この部屋で唯一、“同衾"した少年のことを考えた。少女のように美しい彼の唇を吸いながら、道具で自慰にふけったのは、つい、こないだのことである。
(なぜ、彼のことを思い出したのかしら……?まだ、子供よ……)
久美子は首をひねった。もちろん、姿見の中の美しい鏡像も同様に……
三月某日。残念ながら、暖かいのは今日までのようである。予報によると、明日から数日は冷えこむらしい。一部の道路で凍結のおそれあり、とあった。だが、本当にそうなるのかと疑うほどに穏やかな日である。温暖を通り越して、少し汗ばむ陽気だ。
嵐の前の静けさ、という言葉は、こんな日を形容することも出来るものだろうか。この時期にしては風がない。空気の流れを感じないせいか、余計に陽射しが強く感じられる。
バーニング・ゼミナールのそばに小さな公園がある。開花予想を下旬に控えた桜は美しく咲き誇るため、その生涯の大半を眠りに費やすものだが、勉学に励む少女は、一日の大半を努力に費やすものなのか?友村早苗はベンチに座り、参考書を広げていた。教室が開くまでは、もう少し時間がある。
人の気配を感じたのか?ふいに彼女が見上げると、胸の谷間のあたりに十字架をぶら下げたブラウス姿の美しい女が立っていた。その清楚さ、その色香。いずれ訪れる春を待ちきれず、舞い降りた桜の精だと言われれば信じてしまうだろう。それほどの美貌である。
「こんにちは、天宮先生」
と、挨拶した早苗の顔を見ると、久美子は余計に不憫に思った。険のある造作は、母親の友村芳恵にそっくりだからである。
ぱたん、と音をさせながら閉じた参考書を赤いランドセルにしまう早苗。彼女は立ち上がり、この場を去ろうとした。
互いの体が触れそうな距離ですれ違ったとき、ほのかに風がおきた。これから“敵対"する間柄であることを、揺れる空気が教えてくれたのだ。久美子には、そう思えた。
「そろそろ行かないと遅刻しますよ、天宮“先生"」
と、言い残し、早苗は歩きはじめた。
「幽霊の正体は、君か?」
振り向いた久美子は、赤いランドセルを背負う少女の背中に訊いた。
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