1 / 1
猫に賄賂
しおりを挟む
「果穂ちゃん、おかえりー!」
繁忙期を終えた金曜夜。
ぐったりしながら駅の改札をくぐった瞬間、声をかけられた。
駆けよってくるのは金髪にスーツの男性――どうみてもホストである。
「ひとの最寄り駅で営業しないでくれる?」
「ホストじゃなくて七央だってば。あれ、果穂ちゃん疲れてるね」
「金曜夜に元気なのはホストぐらいよ」
冷たく言って、帰路を急ぐ。
わかりやすい拒絶にも、七央はまったく気にするようすがない。
なにが楽しいのか、にこにこと私の隣をついてくる。
「ぼくが元気なのは、果穂ちゃんに会えたからだよ。――あ、忘れてた!」
嫌な予感に、歩くスピードをあげる。
早足をとおりこして競歩になっている私の前に、七央がすばやくまわりこむ。
通せんぼするように立ちはだかり、いきなり腰を90度折り曲げた。
「疲れた果穂ちゃんも美人で大好きです! ぼくと付き合ってください!」
「却下」
「あ、今で50回目のおことわりだ。記念に果穂ちゃんちでお祝いしよう」
へらりと笑う顔は軽薄なホストそのもので、私はあきれてため息をついた。
七央と出会ったのは、二か月前。
雪がちらつく繁忙期の夜、終電で最寄り駅のプラットホームに降りると、どこからかDeepARの曲が聞こえた。
DeepARとは、私が中学のときから好きなマイナーなロックバンドだ。
発信源は、イスに酔いつぶれていた金髪の男性からで、着信音らしく不自然なところで曲が途切れた。
ちいさな最寄り駅は、夜は駅員が不在だ。
凍死されるとファンが減るので、警察に通報した。
かけつけた警察官から、簡単な事情聴取をされ――てきとうにハイハイと返事をした。
相手がお礼をしたいと言ってきた場合、貴女のことを教えてもいいですか、という質問の時、わたしは部屋でひとりで待っている愛猫モカのことしか考えていなかった。
その三日後、駅で会った彼にお礼を言われ、DeepARの話題で盛り上がり、一緒にラーメンを食べにいった帰りに、いきなり告白された。
すぐに断り、それで疎遠になると思いきや、次の日もまた駅で会って告白された。
断り続けること50回――。
今日も彼はめげずに私のあとをついてくる。
「うちには入れないって言ってるでしょ」
「うん、言われてる。人見知りの猫がいるからだよね?」
「わかっているなら帰りなさい」
「せっかくの50回記念を、ひとりで祝えっていうの? 記念品も準備したのに?」
思考が読めず、いぶかしげに七央を見返す。
彼が笑って、なにかをとりだした。
「じゃーん! DeepARのインディーズ時代のセカンドアルバムでーす!」
手を伸ばすと、サッと頭上にかかげられる。
「記念品なんでしょ!?」
「50回振られた、ぼくの記念品だね」
「どこで手に入れたの」
「中古ショップでたまたま見つけた」
「――うそでしょ!?」
インディーズ時代のアルバムは希少で、探しているがなかなか見つからない。
特にセカンドアルバムは発売数がすくなく、ファンの間ではまぼろしのアルバムと呼ばれている。
「おねがい! それ貸して!」
「でもな~、希少なプレミア物だしな~」
「じゃあ買い取るわ。いくら?」
「値段の問題じゃないでしょ?」
「そうだけど!」
金髪ホストのくせに正論をふりかざしてくる。
「果穂ちゃんちで一緒に聞こうよ」
「だからうちには人見知りの――」
「猫が嫌がったら、アルバムを置いてすぐに帰るから」
「……なにをたくらんでいるの?」
「チャンスが欲しいだけだよ」
そういって、アルバムを見せつけるようにかかげてくる。
生で見るジャケット写真は神がかっている。さすがDeepAR。
この機会を逃すと、次はいつこのアルバムに会えるかわからない。
疲れ切った金曜夜、心身ともに癒しを求めている。
そしてうちの猫は凄まじいほどの人見知りだ――つまり勝算は高い。
「……ほんとうに猫が嫌がったら帰るんでしょうね」
「もちろん!」
私は息をはいて、七央をうちへ案内した。
「――うそでしょ!?」
築浅のデザイナーズマンションでペット可。
お気に入りの玄関で、私は茫然とたちつくしていた。
愛猫モカが、甘えた声をだして七央にまとわりついている。
黒いスーツには、めだつほど白い猫の毛がついている。
ありえない現実に、おもわず七央につめよる。
「どういうことよ!」
「動物に好かれる体質なんだ」
「ずるい!」
「果穂ちゃん。約束は守らなきゃね」
かかげられたのはDeepARのアルバム。
「チッ、入りなさい」
「わーい! おじゃましまーす」
七央のあとをモカがついていくのを、複雑な気分でながめる。
「果穂ちゃん! おなかすいたし早く食べよう!」
呼ばれてリビングに行くと、七央がコンビニで買った商品をテーブルに並べ終えていた。すばやい。
「お酒まで買ったの?」
ビールやカクテルまである。
「果穂ちゃんもどうぞ」
「こんな状況で、飲むはずないでしょ」
「せっかくの金曜夜だよ? 一緒にダラダラしようよ」
「七央が帰ってからダラダラするわ。はやくDeepARを聞かせなさい」
「これ、ジャズテイストなの知ってる?」
「ええ。メンバーのおじさんがやっているバーのBGM用に作ったんでしょ?」
「さすが果穂ちゃん。その世界観を最大限に楽しむには、お酒がかかせないと思わない?」
一理ある。でも自分のことを好きな男の前で酔えるほどバカではない。
悩む私に、七央がつけたす。
「一筆書こうか? 手を出したら、ぼくの全財産をあげますって」
「ホストのお金は怨念がこもってそうだからいらない」
「だからホストじゃないってば」
七央が苦笑して、名刺を見せる。
書かれていた社名は、有名な外資系投資銀行だった。
「――うそでしょ!?」
「本当だよ。年収はそこそこもらってる」
内ポケットから万年筆を取り出し、名刺の裏に『果穂ちゃんに手を出したら、ぼくの全財産をあげます』と書いて、私に渡した。
「――DeepARに乾杯」
七央がビールを開けて、誘うように缶をかたむける。
私はテーブルのカクテルを開けて、七央が持つビール缶に軽くぶつけた。
DeepARは、やはり最高だった。
独特の世界観がつくりこまれていて、お酒を飲みながら聞くのにぴったりの神曲ばかりだ。
少しばかり飲みすぎたが、手を出さない約束をしたので大丈夫だろう。
それより、七央とは一緒にDeepARを楽しめる友人のままでいたい。
「――どうしたら七央はあきらめてくれるの?」
直球の問いに、七央がぱちぱちとまたたいた。
「うーん。ぼくはきれいなお姉さんが好きだから、思いっきりダサい格好をして幻滅させればいいと思う」
こいつ酔っているな、と思った。
そして後で思えば、このときの私も酔っていた。
「……それもそうね」
せっかくの金曜夜、自宅でだらけるのに何を気にすることがある。
「じゃ、着替えて化粧おとしてくるわ」
「いってらっしゃーい」
洗面所で化粧を落とし、ジャージに着替える。
ただのジャージではない。
中学の時のエンジ色のジャージだ。
鏡で全身を確認し、うなずく。
すっぴんに芋ジャージは、干物女のマストアイテムだ。
胸を張って部屋に入ると、ビールをのんでいた七央が私を見てむせた。
「か、果穂ちゃん、それ……」
「中学の時の芋ジャージよ」
ほこらしげに告げると、七央がたのしそうに笑い出した。
「ちょ、よく見せて。すげぇ」
「どう? 幻滅した? 家ではいつもこれよ」
「うん。これは百年の恋も冷める――どころか燃え上がるね」
気付くと、床に押し倒されていた。
「……は?」
「シンプルに興奮する」
「――ジャージが!? そういう性癖なの!?」
「ぼくの名刺、ちゃんと見た? 本名は黒崎七央っていうんだけど」
「見たわよ。黒崎……くろさき?」
「うん。中学で果穂ちゃんとずっとDeepARの話をして、二年の夏で転校した黒崎だよ」
思い出した。
私がDeepARにハマるきっかけとなった同級生、黒崎君を。
彼は頭が良くてやさしくて大人で、女子生徒のあこがれだった――もちろん、私も。
「……ほんとうに、黒崎くん?」
七央がうなずく。
「身元も判明、職業も判明、あと気になることは?」
「待って! 手は出さない約束――」
「手を出したら、ぼくの全財産をあげるって約束だよ。どうせ結婚したら、夫婦の共同財産だ。DeepARのアルバムも」
「……結婚前の財産は、個人のものよ」
「わあ、博識。じゃあ結婚祝いにプレゼントするね」
「そういうことじゃ――」
七央が、私の唇にひとさしゆびを押しあてた。
「中学のときから、ずっと好きでした。ぼくと付き合ってください」
「……ずるい」
「よけないと、同意と見なすよ」
ゆっくりと七央の顔がちかづいてくる。
かかったままのDeepARの曲がしっとりと耳になじんで、私の頭をしびれさせた。
―*―*―*―*―
にゃあん、と白猫が甘えて鳴く。
果穂ちゃんが寝ていることを確認し、そっとベッドから抜け出した。
「きみのおかげだ」
ぼくはくすりと笑い、ポケットからフリーズドライのササミをとりだす。
国産チキンを使った猫用のおやつで、友人の猫が大好きなものだ。
それをスーツのありとあらゆるポケットに忍ばせ、ダメ押しで着ている服すべてにその匂いをこすりつけておいた。
人間にはバレない程度に、猫は反応する程度に。
おかげで、人見知りの猫は懐いた――ように見せかけられた。
「きみの手を借りた恩は忘れない。一生かけて返していくよ」
まずはひとつ、とササミを献上する。
すぐにハグハグと食べる白猫を見て、ベッドで眠る彼女を見やる。
彼女の居場所はずっと把握していたが、会うのは仕事で結果を残してからだと決めていた。
営業成績がトップになった夜、彼女が使う最寄り駅で酔ったふりをして、フェイク着信のアプリでDeepARの曲を流し、賭けをした。
「幸せにしてあげる。きみも、きみのご主人様もね」
モカにこっそり笑いかける。
幸運の白猫は首をかしげて、にゃあん、と次のササミをねだるように鳴いた。
繁忙期を終えた金曜夜。
ぐったりしながら駅の改札をくぐった瞬間、声をかけられた。
駆けよってくるのは金髪にスーツの男性――どうみてもホストである。
「ひとの最寄り駅で営業しないでくれる?」
「ホストじゃなくて七央だってば。あれ、果穂ちゃん疲れてるね」
「金曜夜に元気なのはホストぐらいよ」
冷たく言って、帰路を急ぐ。
わかりやすい拒絶にも、七央はまったく気にするようすがない。
なにが楽しいのか、にこにこと私の隣をついてくる。
「ぼくが元気なのは、果穂ちゃんに会えたからだよ。――あ、忘れてた!」
嫌な予感に、歩くスピードをあげる。
早足をとおりこして競歩になっている私の前に、七央がすばやくまわりこむ。
通せんぼするように立ちはだかり、いきなり腰を90度折り曲げた。
「疲れた果穂ちゃんも美人で大好きです! ぼくと付き合ってください!」
「却下」
「あ、今で50回目のおことわりだ。記念に果穂ちゃんちでお祝いしよう」
へらりと笑う顔は軽薄なホストそのもので、私はあきれてため息をついた。
七央と出会ったのは、二か月前。
雪がちらつく繁忙期の夜、終電で最寄り駅のプラットホームに降りると、どこからかDeepARの曲が聞こえた。
DeepARとは、私が中学のときから好きなマイナーなロックバンドだ。
発信源は、イスに酔いつぶれていた金髪の男性からで、着信音らしく不自然なところで曲が途切れた。
ちいさな最寄り駅は、夜は駅員が不在だ。
凍死されるとファンが減るので、警察に通報した。
かけつけた警察官から、簡単な事情聴取をされ――てきとうにハイハイと返事をした。
相手がお礼をしたいと言ってきた場合、貴女のことを教えてもいいですか、という質問の時、わたしは部屋でひとりで待っている愛猫モカのことしか考えていなかった。
その三日後、駅で会った彼にお礼を言われ、DeepARの話題で盛り上がり、一緒にラーメンを食べにいった帰りに、いきなり告白された。
すぐに断り、それで疎遠になると思いきや、次の日もまた駅で会って告白された。
断り続けること50回――。
今日も彼はめげずに私のあとをついてくる。
「うちには入れないって言ってるでしょ」
「うん、言われてる。人見知りの猫がいるからだよね?」
「わかっているなら帰りなさい」
「せっかくの50回記念を、ひとりで祝えっていうの? 記念品も準備したのに?」
思考が読めず、いぶかしげに七央を見返す。
彼が笑って、なにかをとりだした。
「じゃーん! DeepARのインディーズ時代のセカンドアルバムでーす!」
手を伸ばすと、サッと頭上にかかげられる。
「記念品なんでしょ!?」
「50回振られた、ぼくの記念品だね」
「どこで手に入れたの」
「中古ショップでたまたま見つけた」
「――うそでしょ!?」
インディーズ時代のアルバムは希少で、探しているがなかなか見つからない。
特にセカンドアルバムは発売数がすくなく、ファンの間ではまぼろしのアルバムと呼ばれている。
「おねがい! それ貸して!」
「でもな~、希少なプレミア物だしな~」
「じゃあ買い取るわ。いくら?」
「値段の問題じゃないでしょ?」
「そうだけど!」
金髪ホストのくせに正論をふりかざしてくる。
「果穂ちゃんちで一緒に聞こうよ」
「だからうちには人見知りの――」
「猫が嫌がったら、アルバムを置いてすぐに帰るから」
「……なにをたくらんでいるの?」
「チャンスが欲しいだけだよ」
そういって、アルバムを見せつけるようにかかげてくる。
生で見るジャケット写真は神がかっている。さすがDeepAR。
この機会を逃すと、次はいつこのアルバムに会えるかわからない。
疲れ切った金曜夜、心身ともに癒しを求めている。
そしてうちの猫は凄まじいほどの人見知りだ――つまり勝算は高い。
「……ほんとうに猫が嫌がったら帰るんでしょうね」
「もちろん!」
私は息をはいて、七央をうちへ案内した。
「――うそでしょ!?」
築浅のデザイナーズマンションでペット可。
お気に入りの玄関で、私は茫然とたちつくしていた。
愛猫モカが、甘えた声をだして七央にまとわりついている。
黒いスーツには、めだつほど白い猫の毛がついている。
ありえない現実に、おもわず七央につめよる。
「どういうことよ!」
「動物に好かれる体質なんだ」
「ずるい!」
「果穂ちゃん。約束は守らなきゃね」
かかげられたのはDeepARのアルバム。
「チッ、入りなさい」
「わーい! おじゃましまーす」
七央のあとをモカがついていくのを、複雑な気分でながめる。
「果穂ちゃん! おなかすいたし早く食べよう!」
呼ばれてリビングに行くと、七央がコンビニで買った商品をテーブルに並べ終えていた。すばやい。
「お酒まで買ったの?」
ビールやカクテルまである。
「果穂ちゃんもどうぞ」
「こんな状況で、飲むはずないでしょ」
「せっかくの金曜夜だよ? 一緒にダラダラしようよ」
「七央が帰ってからダラダラするわ。はやくDeepARを聞かせなさい」
「これ、ジャズテイストなの知ってる?」
「ええ。メンバーのおじさんがやっているバーのBGM用に作ったんでしょ?」
「さすが果穂ちゃん。その世界観を最大限に楽しむには、お酒がかかせないと思わない?」
一理ある。でも自分のことを好きな男の前で酔えるほどバカではない。
悩む私に、七央がつけたす。
「一筆書こうか? 手を出したら、ぼくの全財産をあげますって」
「ホストのお金は怨念がこもってそうだからいらない」
「だからホストじゃないってば」
七央が苦笑して、名刺を見せる。
書かれていた社名は、有名な外資系投資銀行だった。
「――うそでしょ!?」
「本当だよ。年収はそこそこもらってる」
内ポケットから万年筆を取り出し、名刺の裏に『果穂ちゃんに手を出したら、ぼくの全財産をあげます』と書いて、私に渡した。
「――DeepARに乾杯」
七央がビールを開けて、誘うように缶をかたむける。
私はテーブルのカクテルを開けて、七央が持つビール缶に軽くぶつけた。
DeepARは、やはり最高だった。
独特の世界観がつくりこまれていて、お酒を飲みながら聞くのにぴったりの神曲ばかりだ。
少しばかり飲みすぎたが、手を出さない約束をしたので大丈夫だろう。
それより、七央とは一緒にDeepARを楽しめる友人のままでいたい。
「――どうしたら七央はあきらめてくれるの?」
直球の問いに、七央がぱちぱちとまたたいた。
「うーん。ぼくはきれいなお姉さんが好きだから、思いっきりダサい格好をして幻滅させればいいと思う」
こいつ酔っているな、と思った。
そして後で思えば、このときの私も酔っていた。
「……それもそうね」
せっかくの金曜夜、自宅でだらけるのに何を気にすることがある。
「じゃ、着替えて化粧おとしてくるわ」
「いってらっしゃーい」
洗面所で化粧を落とし、ジャージに着替える。
ただのジャージではない。
中学の時のエンジ色のジャージだ。
鏡で全身を確認し、うなずく。
すっぴんに芋ジャージは、干物女のマストアイテムだ。
胸を張って部屋に入ると、ビールをのんでいた七央が私を見てむせた。
「か、果穂ちゃん、それ……」
「中学の時の芋ジャージよ」
ほこらしげに告げると、七央がたのしそうに笑い出した。
「ちょ、よく見せて。すげぇ」
「どう? 幻滅した? 家ではいつもこれよ」
「うん。これは百年の恋も冷める――どころか燃え上がるね」
気付くと、床に押し倒されていた。
「……は?」
「シンプルに興奮する」
「――ジャージが!? そういう性癖なの!?」
「ぼくの名刺、ちゃんと見た? 本名は黒崎七央っていうんだけど」
「見たわよ。黒崎……くろさき?」
「うん。中学で果穂ちゃんとずっとDeepARの話をして、二年の夏で転校した黒崎だよ」
思い出した。
私がDeepARにハマるきっかけとなった同級生、黒崎君を。
彼は頭が良くてやさしくて大人で、女子生徒のあこがれだった――もちろん、私も。
「……ほんとうに、黒崎くん?」
七央がうなずく。
「身元も判明、職業も判明、あと気になることは?」
「待って! 手は出さない約束――」
「手を出したら、ぼくの全財産をあげるって約束だよ。どうせ結婚したら、夫婦の共同財産だ。DeepARのアルバムも」
「……結婚前の財産は、個人のものよ」
「わあ、博識。じゃあ結婚祝いにプレゼントするね」
「そういうことじゃ――」
七央が、私の唇にひとさしゆびを押しあてた。
「中学のときから、ずっと好きでした。ぼくと付き合ってください」
「……ずるい」
「よけないと、同意と見なすよ」
ゆっくりと七央の顔がちかづいてくる。
かかったままのDeepARの曲がしっとりと耳になじんで、私の頭をしびれさせた。
―*―*―*―*―
にゃあん、と白猫が甘えて鳴く。
果穂ちゃんが寝ていることを確認し、そっとベッドから抜け出した。
「きみのおかげだ」
ぼくはくすりと笑い、ポケットからフリーズドライのササミをとりだす。
国産チキンを使った猫用のおやつで、友人の猫が大好きなものだ。
それをスーツのありとあらゆるポケットに忍ばせ、ダメ押しで着ている服すべてにその匂いをこすりつけておいた。
人間にはバレない程度に、猫は反応する程度に。
おかげで、人見知りの猫は懐いた――ように見せかけられた。
「きみの手を借りた恩は忘れない。一生かけて返していくよ」
まずはひとつ、とササミを献上する。
すぐにハグハグと食べる白猫を見て、ベッドで眠る彼女を見やる。
彼女の居場所はずっと把握していたが、会うのは仕事で結果を残してからだと決めていた。
営業成績がトップになった夜、彼女が使う最寄り駅で酔ったふりをして、フェイク着信のアプリでDeepARの曲を流し、賭けをした。
「幸せにしてあげる。きみも、きみのご主人様もね」
モカにこっそり笑いかける。
幸運の白猫は首をかしげて、にゃあん、と次のササミをねだるように鳴いた。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
甘い束縛
はるきりょう
恋愛
今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。
※小説家なろうサイト様にも載せています。
6年分の遠回り~いまなら好きって言えるかも~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
私の身体を揺らす彼を、下から見ていた。
まさかあの彼と、こんな関係になるなんて思いもしない。
今日は同期飲み会だった。
後輩のミスで行けたのは本当に最後。
飲み足りないという私に彼は付き合ってくれた。
彼とは入社当時、部署は違ったが同じ仕事に携わっていた。
きっとあの頃のわたしは、彼が好きだったんだと思う。
けれど仕事で負けたくないなんて私のちっぽけなプライドのせいで、その一線は越えられなかった。
でも、あれから変わった私なら……。
******
2021/05/29 公開
******
表紙 いもこは妹pixivID:11163077
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる