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5話 あなたは私の 私はあなたの
しおりを挟む緊急警報は鳴り続けていた。しかも何秒かに一回目の前が赤く点滅する。
それは人間だった頃やったゲーム画面のエフェクトに怖いくらい似てた。残りHPが少なくなると視界が赤く点滅するあの感じだよ。
いままでどんなにへろへろになってもこんな風になったことは無かった。あのカースに死ねって言われた時でさえ。
【侵入者ユーヴュラによって核を侵食されています。廃除しますか】
ユーヴュラは何をしてるんだよ。ダンジョンをどうするつもりなんだよ。
泥の中に引きずり込まれてぬるぬる落下していく感じがあった。苦しくないし服が汚れるわけでもない。
俺のダンジョンなのに、恥ずかしながら最下層まで行ったことは無い。上から1階層と2階層は洞窟中でしか生えない薬草があるし、子供達が入っても危険がないかユーヴュラと確認して歩いたけど、3階層はいきなり広くなってるし、暗いし高低差とか穴があってひ弱な俺では危なくて探検してないんだよ…。それに表層部でするとこが多かったからな。文字教えたり、料理したり、邪魔だって言われながら一緒に建材運んだりしてさ。
地下は寂しいし一人でいるのは嫌だったんだよー。でもこんなことなら見ておくんだった。
後悔先に立たずだよぉ。
警報はまだ【廃除しますか】って語りかけてくる。
ユーヴュラを廃除なんて、出来るわけがない。そもそもそれが出来るんだったら初めて会ったあの日に子供のユーヴュラを頭からぱっくんちょしてたわ。
落ちて落ちて10階層も超えてまだ落ちる。旧い街と繋がって捧魂された威力を改めて思い知った。
形の無い魂を吸収しただけでこうなのだ。
ダンジョンの中で血肉を備えた冒険者が死んだら…。想像するのも恐ろしい。肌の上に留まった雫にさえならない血でも、葉っぱや布切れで拭いて棄てられた血でも吸収しちゃうと、体の奥底が喜ぶんだ。焼け付いた砂漠で一滴の水を得たようになっちゃうんだよ。
どんなに人間みたいに暮らしても俺は魔物だった。
「反撃くらいしてみたらどうですか」
聞き慣れた声が響いた。
誰だよお前は。
最下層に落ちきったのか、そこにはちょい悪どころではなく凄く悪い顔をした男がいた。街で肩がぶつかったら、こちらが誠心誠意謝っても絶対難癖付けてきそうな意地悪そうな顔だった。
街の人が着てる衣服とは異なる冒険者の装いだ。
「ダンジョンを奪われそうになってるのに何をしているんですか」
それなのに声が、俺の知ってる優しいユーヴュラのままだ。
「お前こそ何してんだよ」
「何をしているように見えますか?ダンジョンを征服しようとしているんですよ。核ごとね。ダンジョンの力を使わないなんて勿体ないでしょう。力さえ使えれば老いた体さえ全盛期に戻れる。どうしたんです、反撃しないんですか?この状態でも上の人間を皆殺しにして取り込めますよ」
ユーヴュラの足元から槍の刃先のように尖った岩が幾つも勢い良く飛び出て俺の眼前に迫った。
避けようと思った瞬間、岩壁が地面からせり出す。そして槍を受け止めてぼろっと崩れた。
なんなんだ。
こんな事出来るなんて。
し、知らなかった。
それよりユーヴュラがおかしい。変だよ。そんなこと言う奴じゃないだろうお前。
『上の人間を皆殺しにして取り込む』なんてそんなこと!!
「ダンジョンに血を捧げて親和率があがったらこんな事が出来るようになったんですよ。私もダンジョンの一部だとようやく認められたようです。何を惨めに膝をついているんですか。反撃も出来ないんですか?」
親和率ってなんなんだ。どうして洞穴管理人の俺よりユーヴュラの方が力を使いこなせてるんだよ…。
地面に膝をついてユーヴュラを見上げて、分かりきった答えにたどり着く。
だってダンジョンの発展に一番貢献してるの誰だよ。膨大な魂を捧魂したのは誰だよ。手筈を整えたのも実行したのもユーヴュラだ。俺だって何もしなかったわけじゃないけど…。
「ダンジョンが欲しいなら、やる。お前が大きくしたようなものだし全部やる。ユーヴュラのダンジョンでいい、だから皆殺しなんてそんな恐ろしい事…言わないでくれ」
ユーヴュラが今まで何を考えていたのかなんて全然分らなかった。好意で協力してくれてるんだと思っていた。脳天気に甘えていた。ダンジョンが欲しいなら直ぐにあげたのに。
視界を忙しなく脅かしていた赤い点滅が消えた。
「ダンジョンをやる?……………もう私の物です」
【侵入者ユーヴュラに核を占領されました。ダンジョンが制圧されました。ダンジョンがユーヴュラの支配下に置かれます】
ユーヴュラの声と無機質な警報が同時に耳を襲った。
ユーヴュラを見上げた姿勢のまま俺は固まった。それっきり警報は聞こえない。地面についたままの手足が泥のように重い。石像になったみたいに動かない、動けない。俺はダンジョンの従属物としてユーヴュラの支配下に置かれたのか?
それでもいい。
ユーヴュラ、皆殺しなんてやめてくれ、みんなを傷つけないでくれ。
「こんな空っぽなダンジョンに何の価値がありますか?こんなものを私が欲しがるとでも?」
ユーヴュラは笑っていた。どこか狂気的な乾いた笑いだった。足音を響かせて近づいてきて俺の頭を撫でた。いつもと同じように俺のもつれた髪をすくように。その固い指が奇妙な感じに脳髄まで入り込んだ気がした。箪笥の奥に畳んでしまって、もう買った事さえ忘れた服を全部引き出されて、他人に見せないように隠しておいた物まで引き出されて晒されているような…。き、記憶を読まれてる……?俺達が出会った記憶まで全部遡るようにして全部ユーヴュラに見られているようだった。
見るな!
勝手に見るな!
見られたくないものがたくさんある。
恥ずかしくて顔から火を吹きそうなのに芯から冷たい。
「ああ、嫌だ。あんな些細な事で私は全てを狂わされたのに、あなたはあんなことをされて愉しんでいるし」
あんなことってなんだよ!?魔王やカースの事なら不可抗力だ。反論したい。でも口が動かない。
ユーヴュラは俺の体からゆっくり指を引き抜いて俺の顎を掴んだ。小さな子供の頃のユーヴュラとチョイ悪親父姿しか知らない俺には、目の前にいるのが同一人物だとは思えなかった。男の目の奥で嵐が渦巻いているようだった。
「腹がたってしょうがない」
ユーヴュラの発言に何か言い返したかったけど唇が動かず声も出なかった。でも目に水の膜を張ったみたいに視界がぐにゃぐにゃに歪んだ。
ごめん。ごめんユーヴュラ。
もしもう一度同じ事があっても俺は目の前にいるのが子供だったらきっと同じ事をしてしまう。食べたり出来ない。
「私はこれから酷いことをしますよ」
ユーヴュラは優しい声で告げた。
魔王!魔王様!!ユーヴュラを止めて、みんなをどこか遠くへ逃して。俺が心の中で叫んだのに返事をしたのはユーヴュラだった。
「私がここにいるのに魔王におねだりですか、本当に許せませんね…」
時間がありませんね、とユーヴュラは地面についたままの俺の手を取った。俺の手は人間の皮膚の色をしていなかった。ダンジョンの床と同じように黒っぽく、触れられている手の感触すら分からない。
ユーヴュラが石を取り出して俺の手に持たせた。冬空みたいな重い灰色の石だ。誰かさんの目の色そっくりな丸い石だ。
ユーヴュラが手を添える。地面が激しく揺れてどこかが崩れた。みんな逃げてと心の中で叫ぶ。ユーヴュラやめてくれと懇願する。ただの揺れではない、地面が裂けて崩れる。手の中の石が虹のような煌めきをまとった。捧魂がされたのだと直感で悟った。今手の中にあるの、俺が統治権を失った核だった。ユーヴュラの物になった核だ。ユーヴュラが命じて、たくさんの命を奪った。
ユーヴュラやめてよ。
やめて。
やめて。
願うことしかできないってなんて無力なんだろう。
ユーヴュラがダンジョンを作り変えているのがわかるのに、ダンジョンの従属物になっている俺は置物同然で何も出来ない。
瞬きもできない目から涙がぼろぼろと落ちる。
ユーヴュラは微笑みながら涙を舐めた。俺は顔を背ける事もできない。
石はどこからか光を当てられたように輝き、その間中地面はぐらぐらと揺れ続けた。
「あなたが初めて吸った血は私の物で、あなたの側に一番長くいたのも私です。でも別の誰かがあなたに寄り添えば、一番長く寄り添った事実は無かった事になってしまう。あなたは忘れやすいから。だからこうする事にしたんです。本当はあなたを自由にしてあげたかったけれど、あなたとダンジョンを切り離す事は出来ないから。ダンジョンの真なる主が命ずる。譲渡後も核を傷つける者を即時廃除し吸収せよ」
俺は途中からユーヴュラの言っている事が理解出来なくなっていた。
【ダンジョンの全ての権能がユーヴュラから譲渡されました】
警報がさらにおかしな事を宣言した。俺の手がゆっくりと人肌の色を取り戻す。
「…ユ…ーヴュラ?」
ユーヴュラは若い姿で俺に口付けをして、俺の手の中にある黒い石を噛んだ。灰色ではなく、俺の目の色になった黒い石に。
【核が攻撃されました。前任者の命により侵入者を廃除します。親和率が高く即時廃除できません。硬化開始】
「だめ!」
またあの赤い点滅が視界を占領した。脈より早く激しく点滅する。
「攻撃なんかじゃない、やめろ、停止しろ、やめろ」
【解除…できません。前任者の命令により解除不能】
全ての権能を譲ると宣言したくせに、ダンジョンは俺の言うことを聞かなかった。
ユーヴュラは核を持った俺の手に指を重ねて、話す時間が出来て良かったと微笑んだ。
良い訳が無い、警報が止まらない。硬化がどうの、親和率がどうだの煩い。命令が解除できない。
「これであなたの一番になったでしょう?」
ユーヴュラは頭がおかしいに違いないなかった。狂ってしまったに違いなかった。こんな馬鹿なことをして。こんな事をしなくったってずっと俺の一番だったのに。
「あなたのダンジョンを征服した一番で、初めてあなたの核を奪った男になったでしょう?それから一番最初にここに血肉を捧げる人間になります」
ユーヴュラの姿が足元から石のように硬化して、見慣れぬ若い顔から笑いじわが刻まれた俺が大好きな男の顔に戻りつつあった。
警報は鳴り続けて、視界は赤く点滅して、涙で歪んだ。
旧街から離れた墓地を壊して吸収しただけで、生きている者は誰も傷つけていませんとユーヴュラは言った。
でもそれから続く言葉は、俺に魔物として生きろと願うものだった。
「これからこのダンジョンで誰が命を落としても、あなたが奪ったたわけではないし殺したわけでもありません。どんなに危険で悪辣なダンジョンと呼ばれても、そこに挑戦した者の自己責任です。あなたが傷つく必要はない。私が生きた者は決して戻れぬ凶悪なダンジョンをここに組み上げたから。あなたが生き続ける限りあなたは私の一番で、私はあなたの…」
この世界の何処かにいる神様はやっぱり残酷で、ユーヴュラの言葉を最後まで紡がせてはくれなかった。
崩れた砂がばらばらと足元に散らばる。
それが俺が一番大好きな男の最期だった。
応援ありがとうございます!
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