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業の国
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しおりを挟む「…ねぇそれで何をしに来たの?何かようなの?あの、ご飯でも食べていく?」
クルスには七番目と呼ばれた少年が怯えた栗鼠か兎のように見えた。
「いや、もう帰るから良いよ」
「喰っていけよ」
思わぬ所から圧がかかった。ズオルトは抱いていた少年の額にまた軽く口をつけると、下ろして軽く尻を叩いた。お前の作る料理は絶品だからな、是非とも喰わせて自慢してやらなくちゃ、さ、食卓に準備して。そこにいるズオルトは、クルスを強姦した男とはまるで別人のようだった。
七番目に笑いかけてせきたてる。長閑な牧場にでもいる子羊と牧羊犬のようだった。
さまざまな感情が押し寄せてきて、クルスは返事もで出来ずに立ち竦んだ。それでも喘ぐように言った。
「いや、帰るよ。行かなくちゃいけないところが」
「喰っていけ」
命じることに慣れた声。
椅子に座らなければ、犬のように這わせて喰わせてやる、と声なく唇が動いた…。…ようにクルスには見えた。酷い目にあったせいで、目の前の男がどんなに愛想良く他者に接していても全て悪魔の企みのように見えてしまう。
不意にズオルトの目が何色か分からなくなった。炎の赤のようにも割れた岩の裂け目の暗闇にも似て、鋼の刃よりも冷たく計算高いものに感じた。クルスは声をあげて抵抗しようとしたが、ふらつくように椅子の背もたれを握り、崩れるようにそこに座った。
出される食事が犬の煮込みでも、人の頭蓋の器に何かの臓物が盛られても驚くものかと心の中で悪態をつく。
「あのねぇ、オレンジが酸っぱくて今日のソースがいまひとつなんだけど…」
「壺の砂糖を使えばいい」
「ええーだって、真っ白な砂糖だよ?こういうのは高いんでしょう?」
心の荒れるクルスを他所に甘えた声のやりとりが聞こえる。
「ひとつかみだけ残してくれたら、全部使ってもいいぞ。残りの白砂糖はデザートにふりかけるからな」
視界いっぱいの緑は広い草原のようで、降り注ぐ日差しはやわらかく、食卓の上はすぐにでも食べられる新鮮な果物や菓子、籠いっぱいの焼き立てのパン、瑞々しく生けられた花。
七番目の上気した幸せな笑顔に明るく弾む声。
ズオルトの事さえなければ、ここは幸せな食卓そのものなのに。
無惨に引き裂かれた骸から芽吹いた木々が緑の壁を作り、吊るされたものの髪が蔦として生い茂り、吹けば消えてしまうような命の蝋燭の光に照らされ、食卓の上は朽ちて、乾燥して、摘めば砂と塵に崩れそうな廃棄物が山と乗せられ、籠いっぱいのパンは、今まで断ち落とされた誰かの頭、生けられた花は切り落とされた誰かの両手を束ねた物に見えてしまう。
ここで何かを口にしたら、そのままどろどろと口から崩れてこの澱んだ部屋の一部に溶けて混ざってしまいそうな気がした。そして永遠に抜け出せず腐った血と膿と汚泥の中で溺れ続けなければいけないような…。自分でも恐ろしいほどの被害妄想だった。少なくとも七番目の笑顔に全く嘘はなく、おそらくズオルト以外の者に料理を提供するのは、初めてではないかと思うほど恐縮し、恥ずかしがり、「これはね、死んだお母さんが作り方を教えてくれたとっておきの料理なんだよ。その…口にあうと良いんだけど」ともじもじと皿に取り分けて出してくれた時。クルスは七番目の足に縋って謝りたくなった。
…それだけ、不気味な事を考えてしまったのはズオルトにされた事が恐ろしかったからだ。
七番目に警告するべきだった。少なくとも自分がズオルトにされた事を。だが幸せそうな信頼しきった顔を見ると、細い腕が躊躇いがちにズオルトの服の裾を握り、男の頷き一つ、笑顔ひとつで一喜一憂するのを見ると、とても己の身に起きた不幸をここで語る事が出来なかった。
出された料理は鶏肉の詰め物で、米や野菜のかわりに切った堅焼きパンとバターをたっぷり詰めて焼いたものだった。その堅焼きパンを切り分けてからもう一度焼き直すのでさくさくと食べやすく、鶏肉の旨味を吸って本当に美味しく仕上がっていた。皿の端に塗られたオレンジのソースもほどよい酸味と甘さが口をさっぱりとさせて、それは七番目の作る幸せの味なのだな、とクルスは少年を見つめた。
「デザートはお前にオレンジのソースと白砂糖をまぶそうかな」
そう言ってズオルトが七番目に口づける。
「ごちそうさま」
クルスは席を立った。元よりここでゆっくりするつもりなどなかったのだ。
本当に美味しかったよと、真っ赤になっている七番目に告げる。
椅子から立ち上がった時に、強く背中を押された。前のめりに倒れる!とクルスは身構えたが、前には何もなかった。食卓も花も少年も緑の壁も消え去り、何処か見慣れたような闘技場の壁があるだけだった。
「何も盗まず、良い子にしていれば、ずっとここにいられるんだよね?」
不安げな少年の声が囁きのようにどこからか響いた。
「そうだとも。ずっとここにいても良いのさ。お前は俺の…を……から……………か…」
さらさらとこぼれ落ちるようにズオルトの声は何かに掻き消されて、クルスの耳には届かず、ただなんとも言えない不安を抱えてクルスはその場を後にした。
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