きつねのこはかえりたくない

小目出鯛太郎

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やまがみ

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「チャイロおいで、ここにお座り」

 主人に呼ばれて、チャイロはふすまの影から顔をのぞかせた。
 新しい辛子色の着物と夜空に星が散ったような帯を締めてもらい、よそ行きの格好でちょこんと主人の斜め後ろに膝を折る。
 チャイロの横には能面のような表情のらせつが座る。

「らせつは今日変な顔してる」
「変な顔も何も生まれつきこの顔だ」

 なんとなくらせつは機嫌が悪そうだなぁと、チャイロは早くも足を投げ出したくなるのを我慢してもぞもぞと尻を動かした。しっぽのおさまりが悪いような気がして膝立ちになる。

 主人の肩の向こうに黒い影が静々と山を降りて来るのが見えた。
「前庭を荒らされはしたけれど、詫びに来ると言うのだからまぁ、こちらとしても断る理由はないからねぇ」

「そんなもの断れば良かったのです」
 主人の言葉にふん、とらせつは横を向いた。

 チャイロは不機嫌そうならせつの顔を眺めて、それから黒い影に目をやった。

 前のように木を薙ぎ倒したり、地響きを立てることもなく尻尾を振り回すことも毛を逆立てることもなく黒いのに雪が降るよりも静かに山神は屋敷の前に現れた。
 黒い着物の合わせ目から、ひょっこりと狐が顔を覗かせる。

 主人が作ったあの縫いぐるみの狐だった。

 ふわふわだった毛皮が少しへたっているのは撫で回されるか何かしたのだろう。ぴょんと飛び降りると弾む鞠のようにチャイロの主人の膝の上に座り込んだ。

「…誤ちとはいえ、山に住まう狐が山神のやしろを焼いてしまったことは申し訳なく思う。それから俺が怒りに任せてこの屋敷の周りを荒らしてしまった事もすまなかった。崩れた所を直そうと思っていたが、もう修理してあった。…社は建て直すことができる。荒れた山神も俺が喰い治めた。なぁ、チャイロは死ななくていけなかったか?死なずに他に責任の取りようがあったように思う。その偽物は返すからチャイロを俺に返してくれ」

 チャイロは膝立ちのまま、主人の衣の端をきゅっと掴んだ。
 山神となった黒い影の声はチャイロが聞いたこともないような暗く沈んだ悲痛な声だった。

「何もしなくても良いから、帰って来て欲しい」


「チャイロは山に帰りたいかい?」
 主人の問いかけにチャイロはぶるぶると震え首を横に振る。
 もう狐の姿にもなれず爪も牙もない姿で山に戻りたいとは思わなかったし、美味しい食事や温かい寝床、綺麗な着物を識ればなおさら山に戻りたいとは思わなかった。

「お前が欲しいものはなんでもやるし、俺の元へ来ればおまえを自由にしてやれる」

 チャイロはほんの少し考え込んで乾いた唇をぺろりと舐めた。
 戻るかどうかを検討したわけではなかった。

 自分の中の残り少ない記憶を総ざらいしてみたのだ。

 胸の内に残るのは寂しさや悲しさだった。もしチャイロが死なずに生きていれば山神となったクロガネの言葉に喜んだかもしれなかったが今聞いても虚しいだけだった。

「ええと…前は欲しかった、優しくして欲しかった。今はごしゅじんさまとらせつがいっぱい良くしてくれるから、このうちの子になって良かったの。自由じゃなくて、繋がれてるのがいいの。だから山には帰らない」

 言い切ったものの顔をあげるのが怖くて、チャイロは主人の背中に顔を押し当てた。草むらに飛び込むように絹のように長く艶やかな髪の間に隠れてしまいたかった。




 
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