みにくい凶王は帝王の鳥籠【ハレム】で溺愛される

志麻友紀

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【23】后対決

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 ラドゥは自分の決定に早速後悔していた。

 母后など怖くはない。しかし、会う“仕度”がこんなに面倒くさくなるとは思わなかった。
 「さっそくお着替えをいたしませんとね」とムクタムに言われたときに、嫌な予感はしたのだ。ハマムに放り込まれたのは、鍛錬で汗をかいていたのだからわかる。薔薇のシャボンで侍女達に身体を洗われるのも、肌と髪に香油を塗り込まれるのも、まあ“慣れ”た。

 問題はそのあとだ。

 緋色のつやのある地に黄金の蔓花模様が織り込まれたカフタン。女性用の扇型に広がった袖口には、いつものように西大陸渡りの繊細なレースの飾り袖がふんだんに使われていた。そのうえに、垂れ下がる袖に飾り紐がつけられて、そのさきに大粒のエメラルドが揺れる。
 黄金の髪はゆるく結い上げられて、南洋の黒真珠でかざられた。さらに頭にはいつも以上に宝石で飾られた、まるで宝冠のようになったつばなしの小さな帽子フェズが載せられる。中央には小さな卵ほどの大きさがあるルビーが輝いていた。その重さだけで、首と肩が辛くなりそうだ。
 「庭でちょっと会うだけなのに、こんなに着飾る必要はないだろう?」とラドゥがぼやけば、「あります!」とムクタムがすかさず答える。

「これは母后様との“勝負”ですよ! あちらも当然、孔雀のように着飾って来られるに違いない! お方様はそのままでも十分にお美しいですが、ええ、お帽子の中央を飾る宝石一つの格だって、負ける訳には参らないのです!」

 ふんす! と鼻を膨らませてムクタムは言いきる。そもそもこんな衣装をよくすぐに用意出来たなと、ラドゥが訊ねれば。

「それはお方様が陛下の“正妃”となられる為に以前から……おっとこれは内緒でしたな」

 としゃべり過ぎる男は「うっかりうっかり」などと言っている。なにか理解しがたい言葉だったが、きかなかったことにしよう。
 そして、靴もまた黄金貼りの宝石をちりばめたものだった。そのうえに、この高いかかと。こんなものを履いて、自分は歩いたことがないぞ……と思ったが。

「さあ、お方様、こちらへ」

 侍女二人に両手をもたれれば歩けないこともない。そのうえ、椅子から立ち上がって三歩もいかぬうちに目の前の用意されたのは。
 輿だった。こちらも緋色の布と黄金とで絢爛豪華に彩られている。
 こんな高いかかとの靴で歩くなど苦行でしかなかったので、大人しく腰を下ろした。その輿を屈強な宦官達が持ち上げる。
 回廊から中庭へと出れば、ナスルがいつものように大きな日傘を輿の上へとさしかけた。それもいつもの傘ではなく、四隅に飾り紐と大粒の瑠璃の石が揺れる。
 その輿の両わきに腰に剣を下げたピエールとバルラスが並んだ。
 まったくどこまでも豪奢壮麗すぎて芝居がかっているな……とラドゥは内心で嘆息するのだった。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 糸杉の庭。

 そのハレム側の高い壁の前には、ずらりと黒のシニチェリの軍団が居並んでいた。黒い衣をまとった彼らが並ぶ姿は、まるでそれそのものが壁のようだ。 彼らの前には、日よけだけの天幕が張られ、その中央には、赤の布に金泥にかざられた椅子が置かれていた。赤と金の色あいは帝王の玉座にそっくりであるが、あちらの飾りの意匠が獅子や竜なのに対して、こちらは薔薇や蓮にチューリップラーレといった、いかにも女性らしいものだ。
 黒のシニチェリの反対側、旧宮殿の壁の前には黄色の儀典服に身を包んだ黄のシニチェリが居並ぶ。その前にも同じような天幕と、同じような椅子があった。ただしその椅子は金の装飾はあっても、繻子の布の色は帝王の深紅ではなく、母后を現す赤茶であったが。

 ハレムと旧宮殿から出てきた輿を、黒と黄のそれぞれの軍団を囲む。ラドゥと、前母后サフィエが侍女に手を取られて、天幕の椅子にそれぞれ腰掛けたのもほぼ同時。
 ラドゥの腰掛けた椅子の両わきには、バルラスとピエールが守護するように並ぶ。あちら側の椅子には、腰に金ぴかの鞘の剣を帯びた屈強な宦官二人が同じように立つ。
 広い庭を挟んでラドゥは母后と向かいあった。アジーズの“祖母”にしたらずいぶんと若いな……と思う。見た目だけなら四十前後というところだが、あとで歳を聞いて驚いた。五十は超えているということだ。美容専用の侍女達を幾人も抱えていて、美貌への執着は人一倍ということだ。

 たしかに若き日の“美貌”がうかがえる容姿ではあった。高く結い上げた金茶の髪に、つり上がった青の瞳。さぞやその当時の帝王に愛された寵姫であったのだろう。
 もちろん、いまでも美人ではある。年相応、いや年より若作りなのだろうが、そこには年月という“貫禄”が加わっている。

 “母后”としての“威厳”というべきか。

────たしかにこれは若い娘なら、ひとにらみで震え上がる女妖だな。

 先帝の酒呑みサリドどころか、大宰相に大臣もこの前母后には頭があがらなかったという話だ。
 ラドゥはといえば、こちらを真っ直ぐ見ている母后の強い視線を、つまらなそうに眺めただけだ。とはいえ、いまは美しい少女のような……いや、少女そのものの姿だ。はたからみると、愛らしく“きょとん”と見返したように見えたという。
 「あの母后様の恐ろしい鷹のような鋭い視線を受けても、物怖じせずに無邪気にふるまうお方様は、まこと小鳥のように可愛らしい、まさしく高貴な姫君そのもので」とムクタムがあとでまたうるさく語っていたが、それはどうでもいい。





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