31 / 41
【31】海の音が聞こえる地下牢
しおりを挟む連れ込まれた場所は、隠し扉の向こうにある通路。なるほどこれならばハレムの外の厳重な警備もかいくぐって、十数人の武装した男達が入れたはずだ。
「首尾良く連れてきたようだな」
地下と続く階段をいくつか降り、通路はいつのまにか岩石をくりぬいた洞窟のようになっていた。
地下のはずなのに、片方の壁には高い位置に鉄格子のはめられた小さな窓があり、そこから陽光が差し込んでいた。どうやらここは宮殿が建つ海峡の地下の岩盤を掘り進めた場所らしい。その証拠に潮騒のうねりの音が聞こえる。
そして分厚い鉄の扉が開いた、その前に見覚えがある男が立っていた。王侯や大臣のように派手に着飾った姿。それは宦官長や、母后用人に許されたものだ。
ベルガンの顔を真っ直ぐ見て、ラドゥは「なぜだ?」と訊ねた。彼はにたりといやらしい笑みを浮かべ。
「どうせ死ぬお前に話しても無駄なことだがな。もっとも苦しませて殺して、死体を見せしめにせよというのが、あの方のご希望だ」
「あの方とは“前母后”のことか?」
その問いにベルガンは答えなかった。「お前も不運だな」と続け。
「帝王の寵愛を受けたばかりに、逆にあの男は苦しまずに一瞬で殺されているだろうよ。常勝の銀獅子もまさか、己の宮殿の床に転がるとは思うまい」
なるほどアジーズにも刺客が送られているということか。ハレムだけではなくこの宮殿中に隠し通路は張り巡らされているに違いない。
それを知るのはこの王宮に暮らす帝王に母后、それにその近くに仕える宦官長と用人あたりに代々伝えられてきたということか。おそらくは王族の逃走用。
前母后の差し金で、現帝王であるアジーズには当然伝えられていないだろう。
しかし、いくら不意打ちとはいえ、あの男が刺客などにやられる姿を、ラドゥには想像出来なかった。
「ははは……」と笑い出したラドゥに「殺される恐怖に気がおかしくなったか?」とベルガンが面白くもなさそうに言う。
「騒がないのはいいが、恐怖で歪み、泣き、許しを請う姿を見るのも、ここに封じ込めた者を見る、毎度の楽しみだというのに」
「趣味の悪いゲスが」
「なんだと!」
「それに残念ながら、帝王は死んでいないぞ。あの男はこの宮殿の地下に封じられている、凶王と同じく“不死”だからな」
ラドゥの言葉に男達がわずかに動揺した。その隙を狙い、ラドゥは傍らのシニチェリの男の腰から短剣を引き抜き、自分の腕を掴む男の手の甲をしたたかに切りつけた。
「痛っ!」
「殺すな! 捕まえろ! その者はご命令どおりの方法で、死体を銀獅子の横に並べてさらしものにせねばならん!」
前母后の命令に絶対服従の彼らは、彼女の“ご希望のやり方”で自分を殺さなければならない。ラドゥは男達の伸びる手をひらりひらりと舞うように躱し、短剣でしたたかにその手の甲や腕を傷つけた。まったく滑稽なことだと思う。
「うわっ!」
「助けが来たのか!?」
自分を大きな身体で守るように立ちはだかったのは、四角い大きな身体の耳の聞こえない宦官。「ナスル」とラドゥが名を呼べば、聞こえていないだろうにちらりと彼が振り返る。
「俺もいますよ」というピエールに「お前もいたのか」とラドゥは返した。「ひどいですよ」と彼はぼやく。
黄のシニチェリ達が斬りかかって来るが、彼は素手でそれに応じた。剣を怖れることなくその巨躯に似合わず、素早く避けてその重い拳で彼らを打ちのめす。ピエールはそのナスルの大きな身体を盾にするようにして、シニチェリ達に剣を突き出し翻弄していた。戦いに卑怯もなにもない。
ラドゥも普段からの動きで、この宦官に武道の心得があるのはわかっていた。彼の役目は召使いとしてだけでなく、貴人の警護の役目もあるのだろうと。
しかし、いくらナスルが武の達人であろうとも、これが帝国最強と謳われるシニチェリの軍団か? とうずくまる黄色のカフタンの男達を見て、ラドゥは思う。
そういえば、黄のシニチェリは宮殿の警護。親衛隊のきらびやかな服を式典でまとう飾りだと、元は黒のシニチェリの軍団長のバルラスが言っていたことを思い出した。
「たった二人になにをしている! 全員で体当たりでもなんでもして、そこの寵姫を牢屋に押し込めろ!」
ベルガンの命令に黄のシニチェリ達が一斉にラドゥへと殺到する。それをナスルがその大きな身体で壁となってかばうが、さすがの数に彼もよろめき、岩牢の中へとラドゥとともに押し入れられる。ピエールも巻きこまれて「あわわ」なんて声をあげている。さらには勢いあまって数人の黄のシニチェリ達も中へはいってきた。
同時にガチャンと鉄の扉が閉まる音が響いた。ベルガンの「じわじわ水を入れて恐怖に泣き叫ぶ様子を見るつもりだったが、水門を全開にしろ!」という声が響く。
岩牢の中に共に入ってしまったシニチェリ達はあわてて「開けてくれ!」と叫ぶが、その声は無視されて、どうっと水が流れ込んでくる。彼らの悲鳴が狭い岩牢に反響する。
「ふはは! すぐに海の音が聞こえる牢で処刑された死体の出来上がりだ!」
上の階へとあがったのだろう。頭上からベルガンの笑い声が響く。
海の音が聞こえる地下牢。凶王と呼ばれたラドゥは元々この地下牢に放り込まれるはずだった。
ここに入れられることは、そのまま死を意味する。
なぜなら水門を開けば、牢に入れられたものはひたひたと押し寄せる海水に追い詰められて、やがて溺死するからだ。
この極刑はただの死罪よりも、恐ろしく帝国において不名誉な刑とされている。
その寵姫の水死体を、惨殺された帝王の横に並べて見せしめにするとは、まったくあの女妖の趣味の悪さがわかるというものだ。
溺死の恐怖におののく様を見て楽しむといっていたベルガンもだ。だいたい仲間だったシニチェリ達も見殺しにするとは。
「やりすぎたか……」
あのデブを挑発しすぎた……とラドゥは反省などはしない。ただ海水が押し寄せてくるのはどうしたものか? と思う。
そのとき身体がふわりと浮いた。ナスルがラドゥの細い身体を持ち上げたのだ。みるみるうちに、その彼の巨躯の胸まで水が来る。しかし、ナスルはまったく動じることなく、ラドゥの身体をさらに両腕で高々と持ち上げた。彼の首まで水が来て、さらに顎がつき、そして口と鼻が海水に浸かる。さすがにごぼりと彼はむせた。
騒いでいた黄のシニチェリ達はとっくに海水の中だ。彼らは黄色のカフタンの上から、儀典用のきらびやかな甲冑を身にまとっていた。それが重しとなって浮かびあがることが出来ない。
それはラドゥを頭上に抱えているナスルも同じ。
「おい! ナスル、俺を放り投げろ。そしたら水の上に顔出すことが出来る!」
聞こえないのはわかっているから、放せと彼の腕を叩くが、この巨躯は微動だにしない。すでに海水はナスルの頭の上まで隠してしまっている。
ピエールはといえば「俺は泳ぎが苦手なんだよ!」と言いながらも犬かきよろしく浮かんでいるから、大丈夫だろう。
やはりそれよりナスルだ。
「ナスル!」
もはや、呼吸なんて出来ないだろうに、彼はラドゥの身体を頭上にかかげ続けている。しかし、元々溺死の処刑用に作られた部屋だ。その天井は低く、かかげられたラドゥの身体も手を少し伸ばしただけで天井につく。ひたひたと自分の足を海水が濡らすのをラドゥは感じた。部屋が海水に満たされるのは時間の問題だった。
しかし、唐突にその海水はひいた、鉄の扉が開かれてそこから海水があふれだす。その放出の勢いのまま、ナスルとラドゥもそして「うわ~ッ!」とピエールの声が響く。
「ラドゥ!」
海水とともに部屋の外へと出ると、太い腕にすくいあげられ、抱きしめられた。その腕の力強さと胸の温かさに、ラドゥはほう……と息をつく。
「アジーズ」
名を呼んで、そういえばこの男の名を口にしたのは初めてだったな? とぱちぱちと瞬きした。そして、すぐに周りを見る。
「ナスル!」
みれば巨躯は海水に濡れた岩盤の地面に横たわっていた。周りに同じく黄のシニチェリ達が転がっているが彼らはぴくとも動かない。
黒のシニチェリがナスルの周りを囲み、胸を押さえるとごほごほと水を吐き出した。「息を吹き返しました」の言葉にほっと息をつく。
「自分が海水に沈むのにも構わず、俺を支えてくれた」
「あとで褒めてやらねばならんな」
アジーズの続けての「お前はすぐにハレムに戻って」の言葉にラドゥは首を振った。
「あの女妖のところに行くつもりだろう? 俺も行く」
「……退かない頑固者の顔だな」
ラドゥが紫の瞳で決意を込めて見れば、アジーズは苦笑する。そして、ラドゥをいったん床に下ろして、自分のカフタンを脱ぐとそれで自分の濡れた身体を包みこんだ。彼の腕に再び抱きあげられ包まれて、そこで自分が濡れて少し冷えていたと自覚した。
76
あなたにおすすめの小説
【完結】冷酷騎士団長を助けたら口移しでしか薬を飲まなくなりました
ざっしゅ
BL
異世界に転移してから一年、透(トオル)は、ゲームの知識を活かし、薬師としてのんびり暮らしていた。ある日、突然現れた洞窟を覗いてみると、そこにいたのは冷酷と噂される騎士団長・グレイド。毒に侵された彼を透は助けたが、その毒は、キスをしたり体を重ねないと完全に解毒できないらしい。
タイトルに※印がついている話はR描写が含まれています。
ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学時代後輩から逃げたのに、大人になって再会するなんて!?
灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。
オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。
ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー
獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。
そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。
だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。
話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。
そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。
みたいな、大学篇と、その後の社会人編。
BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!!
※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました!
※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました!
旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」
ざこてん〜初期雑魚モンスターに転生した俺は、勇者にテイムしてもらう〜
キノア9g
BL
「俺の血を啜るとは……それほど俺を愛しているのか?」
(いえ、ただの生存戦略です!!)
【元社畜の雑魚モンスター(うさぎ)】×【勘違い独占欲勇者】
生き残るために媚びを売ったら、最強の勇者に溺愛されました。
ブラック企業で過労死した俺が転生したのは、RPGの最弱モンスター『ダーク・ラビット(黒うさぎ)』だった。
のんびり草を食んでいたある日、目の前に現れたのはゲーム最強の勇者・アレクセイ。
「経験値」として狩られる!と焦った俺は、生き残るために咄嗟の機転で彼と『従魔契約』を結ぶことに成功する。
「殺さないでくれ!」という一心で、傷口を舐めて契約しただけなのに……。
「魔物の分際で、俺にこれほど情熱的な求愛をするとは」
なぜか勇者様、俺のことを「自分に惚れ込んでいる健気な相棒」だと盛大に勘違い!?
勘違いされたまま、勇者の膝の上で可愛がられる日々。
捨てられないために必死で「有能なペット」を演じていたら、勇者の魔力を受けすぎて、なんと人間の姿に進化してしまい――!?
「もう使い魔の枠には収まらない。俺のすべてはお前のものだ」
ま、待ってください勇者様、愛が重すぎます!
元社畜の生存本能が生んだ、すれ違いと溺愛の異世界BLファンタジー!
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
神様の手違いで死んだ俺、チート能力を授かり異世界転生してスローライフを送りたかったのに想像の斜め上をいく展開になりました。
篠崎笙
BL
保育園の調理師だった凛太郎は、ある日事故死する。しかしそれは神界のアクシデントだった。神様がお詫びに好きな加護を与えた上で異世界に転生させてくれるというので、定年後にやってみたいと憧れていたスローライフを送ることを願ったが……。
転生したらスパダリに囲われていました……え、違う?
米山のら
BL
王子悠里。苗字のせいで“王子さま”と呼ばれ、距離を置かれてきた、ぼっち新社会人。
ストーカーに追われ、車に轢かれ――気づけば豪奢なベッドで目を覚ましていた。
隣にいたのは、氷の騎士団長であり第二王子でもある、美しきスパダリ。
「愛してるよ、私のユリタン」
そう言って差し出されたのは、彼色の婚約指輪。
“最難関ルート”と恐れられる、甘さと狂気の狭間に立つ騎士団長。
成功すれば溺愛一直線、けれど一歩誤れば廃人コース。
怖いほどの執着と、甘すぎる愛の狭間で――悠里の新しい人生は、いったいどこへ向かうのか?
……え、違う?
沈黙のΩ、冷血宰相に拾われて溺愛されました
ホワイトヴァイス
BL
声を奪われ、競売にかけられたΩ《オメガ》――ノア。
落札したのは、冷血と呼ばれる宰相アルマン・ヴァルナティス。
“番契約”を偽装した取引から始まったふたりの関係は、
やがて国を揺るがす“真実”へとつながっていく。
喋れぬΩと、血を信じない宰相。
ただの契約だったはずの絆が、
互いの傷と孤独を少しずつ融かしていく。
だが、王都の夜に潜む副宰相ルシアンの影が、
彼らの「嘘」を暴こうとしていた――。
沈黙が祈りに変わるとき、
血の支配が終わりを告げ、
“番”の意味が書き換えられる。
冷血宰相×沈黙のΩ、
偽りの契約から始まる救済と革命の物語。
BLゲームの展開を無視した結果、悪役令息は主人公に溺愛される。
佐倉海斗
BL
この世界が前世の世界で存在したBLゲームに酷似していることをレイド・アクロイドだけが知っている。レイドは主人公の恋を邪魔する敵役であり、通称悪役令息と呼ばれていた。そして破滅する運命にある。……運命のとおりに生きるつもりはなく、主人公や主人公の恋人候補を避けて学園生活を生き抜き、無事に卒業を迎えた。これで、自由な日々が手に入ると思っていたのに。突然、主人公に告白をされてしまう。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる