みにくい凶王は帝王の鳥籠【ハレム】で溺愛される

志麻友紀

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【31】海の音が聞こえる地下牢

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 連れ込まれた場所は、隠し扉の向こうにある通路。なるほどこれならばハレムの外の厳重な警備もかいくぐって、十数人の武装した男達が入れたはずだ。

「首尾良く連れてきたようだな」

 地下と続く階段をいくつか降り、通路はいつのまにか岩石をくりぬいた洞窟のようになっていた。
 地下のはずなのに、片方の壁には高い位置に鉄格子のはめられた小さな窓があり、そこから陽光が差し込んでいた。どうやらここは宮殿が建つ海峡の地下の岩盤を掘り進めた場所らしい。その証拠に潮騒のうねりの音が聞こえる。
 そして分厚い鉄の扉が開いた、その前に見覚えがある男が立っていた。王侯や大臣のように派手に着飾った姿。それは宦官長や、母后用人に許されたものだ。
 ベルガンの顔を真っ直ぐ見て、ラドゥは「なぜだ?」と訊ねた。彼はにたりといやらしい笑みを浮かべ。

「どうせ死ぬお前に話しても無駄なことだがな。もっとも苦しませて殺して、死体を見せしめにせよというのが、あの方のご希望だ」
「あの方とは“前母后”のことか?」

 その問いにベルガンは答えなかった。「お前も不運だな」と続け。

「帝王の寵愛を受けたばかりに、逆にあの男は苦しまずに一瞬で殺されているだろうよ。常勝の銀獅子もまさか、己の宮殿の床に転がるとは思うまい」

 なるほどアジーズにも刺客が送られているということか。ハレムだけではなくこの宮殿中に隠し通路は張り巡らされているに違いない。
 それを知るのはこの王宮に暮らす帝王に母后、それにその近くに仕える宦官長と用人あたりに代々伝えられてきたということか。おそらくは王族の逃走用。
 前母后の差し金で、現帝王であるアジーズには当然伝えられていないだろう。
 しかし、いくら不意打ちとはいえ、あの男が刺客などにやられる姿を、ラドゥには想像出来なかった。
 「ははは……」と笑い出したラドゥに「殺される恐怖に気がおかしくなったか?」とベルガンが面白くもなさそうに言う。

「騒がないのはいいが、恐怖で歪み、泣き、許しを請う姿を見るのも、ここに封じ込めた者を見る、毎度の楽しみだというのに」
「趣味の悪いゲスが」
「なんだと!」
「それに残念ながら、帝王は死んでいないぞ。あの男はこの宮殿の地下に封じられている、凶王と同じく“不死”だからな」

 ラドゥの言葉に男達がわずかに動揺した。その隙を狙い、ラドゥは傍らのシニチェリの男の腰から短剣を引き抜き、自分の腕を掴む男の手の甲をしたたかに切りつけた。

「痛っ!」
「殺すな! 捕まえろ! その者はご命令どおりの方法で、死体を銀獅子の横に並べてさらしものにせねばならん!」

 前母后の命令に絶対服従の彼らは、彼女の“ご希望のやり方”で自分を殺さなければならない。ラドゥは男達の伸びる手をひらりひらりと舞うように躱し、短剣でしたたかにその手の甲や腕を傷つけた。まったく滑稽なことだと思う。

「うわっ!」
「助けが来たのか!?」

 自分を大きな身体で守るように立ちはだかったのは、四角い大きな身体の耳の聞こえない宦官。「ナスル」とラドゥが名を呼べば、聞こえていないだろうにちらりと彼が振り返る。
 「俺もいますよ」というピエールに「お前もいたのか」とラドゥは返した。「ひどいですよ」と彼はぼやく。
 黄のシニチェリ達が斬りかかって来るが、彼は素手でそれに応じた。剣を怖れることなくその巨躯に似合わず、素早く避けてその重い拳で彼らを打ちのめす。ピエールはそのナスルの大きな身体を盾にするようにして、シニチェリ達に剣を突き出し翻弄していた。戦いに卑怯もなにもない。

 ラドゥも普段からの動きで、この宦官に武道の心得があるのはわかっていた。彼の役目は召使いとしてだけでなく、貴人の警護の役目もあるのだろうと。
 しかし、いくらナスルが武の達人であろうとも、これが帝国最強と謳われるシニチェリの軍団か? とうずくまる黄色のカフタンの男達を見て、ラドゥは思う。
 そういえば、黄のシニチェリは宮殿の警護。親衛隊のきらびやかな服を式典でまとう飾りだと、元は黒のシニチェリの軍団長のバルラスが言っていたことを思い出した。

「たった二人になにをしている! 全員で体当たりでもなんでもして、そこの寵姫イクバルを牢屋に押し込めろ!」

 ベルガンの命令に黄のシニチェリ達が一斉にラドゥへと殺到する。それをナスルがその大きな身体で壁となってかばうが、さすがの数に彼もよろめき、岩牢の中へとラドゥとともに押し入れられる。ピエールも巻きこまれて「あわわ」なんて声をあげている。さらには勢いあまって数人の黄のシニチェリ達も中へはいってきた。
 同時にガチャンと鉄の扉が閉まる音が響いた。ベルガンの「じわじわ水を入れて恐怖に泣き叫ぶ様子を見るつもりだったが、水門を全開にしろ!」という声が響く。
 岩牢の中に共に入ってしまったシニチェリ達はあわてて「開けてくれ!」と叫ぶが、その声は無視されて、どうっと水が流れ込んでくる。彼らの悲鳴が狭い岩牢に反響する。

「ふはは! すぐに海の音が聞こえる牢で処刑された死体の出来上がりだ!」

 上の階へとあがったのだろう。頭上からベルガンの笑い声が響く。
 海の音が聞こえる地下牢。凶王と呼ばれたラドゥは元々この地下牢に放り込まれるはずだった。
 ここに入れられることは、そのまま死を意味する。
 なぜなら水門を開けば、牢に入れられたものはひたひたと押し寄せる海水に追い詰められて、やがて溺死するからだ。
 この極刑はただの死罪よりも、恐ろしく帝国において不名誉な刑とされている。
 その寵姫の水死体を、惨殺された帝王の横に並べて見せしめにするとは、まったくあの女妖の趣味の悪さがわかるというものだ。
 溺死の恐怖におののく様を見て楽しむといっていたベルガンもだ。だいたい仲間だったシニチェリ達も見殺しにするとは。

「やりすぎたか……」

 あのデブを挑発しすぎた……とラドゥは反省などはしない。ただ海水が押し寄せてくるのはどうしたものか? と思う。
 そのとき身体がふわりと浮いた。ナスルがラドゥの細い身体を持ち上げたのだ。みるみるうちに、その彼の巨躯の胸まで水が来る。しかし、ナスルはまったく動じることなく、ラドゥの身体をさらに両腕で高々と持ち上げた。彼の首まで水が来て、さらに顎がつき、そして口と鼻が海水に浸かる。さすがにごぼりと彼はむせた。
 騒いでいた黄のシニチェリ達はとっくに海水の中だ。彼らは黄色のカフタンの上から、儀典用のきらびやかな甲冑を身にまとっていた。それが重しとなって浮かびあがることが出来ない。
 それはラドゥを頭上に抱えているナスルも同じ。

「おい! ナスル、俺を放り投げろ。そしたら水の上に顔出すことが出来る!」

 聞こえないのはわかっているから、放せと彼の腕を叩くが、この巨躯は微動だにしない。すでに海水はナスルの頭の上まで隠してしまっている。
 ピエールはといえば「俺は泳ぎが苦手なんだよ!」と言いながらも犬かきよろしく浮かんでいるから、大丈夫だろう。
 やはりそれよりナスルだ。

「ナスル!」

 もはや、呼吸なんて出来ないだろうに、彼はラドゥの身体を頭上にかかげ続けている。しかし、元々溺死の処刑用に作られた部屋だ。その天井は低く、かかげられたラドゥの身体も手を少し伸ばしただけで天井につく。ひたひたと自分の足を海水が濡らすのをラドゥは感じた。部屋が海水に満たされるのは時間の問題だった。
 しかし、唐突にその海水はひいた、鉄の扉が開かれてそこから海水があふれだす。その放出の勢いのまま、ナスルとラドゥもそして「うわ~ッ!」とピエールの声が響く。

「ラドゥ!」

 海水とともに部屋の外へと出ると、太い腕にすくいあげられ、抱きしめられた。その腕の力強さと胸の温かさに、ラドゥはほう……と息をつく。

「アジーズ」

 名を呼んで、そういえばこの男の名を口にしたのは初めてだったな? とぱちぱちと瞬きした。そして、すぐに周りを見る。

「ナスル!」

 みれば巨躯は海水に濡れた岩盤の地面に横たわっていた。周りに同じく黄のシニチェリ達が転がっているが彼らはぴくとも動かない。
 黒のシニチェリがナスルの周りを囲み、胸を押さえるとごほごほと水を吐き出した。「息を吹き返しました」の言葉にほっと息をつく。

「自分が海水に沈むのにも構わず、俺を支えてくれた」
「あとで褒めてやらねばならんな」

 アジーズの続けての「お前はすぐにハレムに戻って」の言葉にラドゥは首を振った。

「あの女妖のところに行くつもりだろう? 俺も行く」
「……退かない頑固者の顔だな」

 ラドゥが紫の瞳で決意を込めて見れば、アジーズは苦笑する。そして、ラドゥをいったん床に下ろして、自分のカフタンを脱ぐとそれで自分の濡れた身体を包みこんだ。彼の腕に再び抱きあげられ包まれて、そこで自分が濡れて少し冷えていたと自覚した。





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