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おチビちゃんは悪いおじ様と恋をしたい!【ザリア編】
【5】よくある話
しおりを挟む「きゃあ!」
令嬢達がカフェを出た、その瞬間だった。
垂れた犬耳の令嬢が悲鳴をあげたのは、一番先に店を出た彼女の前に、黒い影が飛び出してきたからだ。小さな手がぬうっと伸びて、彼女のスカーフの胸元から何かを引きちぎり逃げていった。それこそ目にも留まらぬ速さで。
「ブローチがないわ!」
彼女が泣きそうな声でいう、犬族の護衛の騎士二人が右往左往するなか、いち早くその黒い影を追いかけたのはザリアだった。
黒い影は裏通りへとはいった。小さな影はすばしっこくて、裾がすり切れて元の色もわからないような色あせたマントのフードを目深に被っているために、種族はわからない。
ただザリアよりも小さな背丈からして明らかに子供だ。そんな子供がどうして強盗まがいのことを? と疑問に思うけれど、それより盗られたブローチを取りもどすことが大事だ。
裏通りの迷路みたいな細い路地をかけていく小さな姿を追いかけて行く。ザリアでさえ一瞬でも気を抜いたら見失いそうな素早さだ。これではたしかに腕は確かでも大柄な犬の騎士達では、とっさにこの小さな怪盗? に対処出来なかったのがわかる。
さらに驚いたことに、その怪盗は裏路地で幅が狭いとはいえ、運河をぴょいと跳び越えて向こう岸に渡ったのだ。運河の幅は大人の男の背の高さほどで、単純に距離だけなら跳べないことはないが、そこが水をたたえた運河ということで、躊躇する者は多いはずだ。
実際、運河を跳び越えて着地した向こうで、小さなマント姿はフードの影からちらりとこちらを見た。跳び越えてみるなら跳び越えてみろとばかり。
なるほどこうやって追っ手をまいていたのかと、ザリアは思いながら、追いかける速度を落とすことなく運河をびょんと跳び越えた。
それに小柄な姿はぎょっと肩を跳ねさせて、再び逃げようとする。ザリアはあともう少しで追いつくところまで迫り、口を開く。
「そのブローチはあの子のお母様の形見なの! 返して!」
あの垂れた犬耳の令嬢がブローチをザリアが褒めたら「亡くなった母が大切にしていたんです」と嬉しそうにいっていた。
前を駆けていた小さな姿の足がぴたりと止まって振り返る。
「それは本当か?」
やはり子供の少年の声だ。それにザリアはうなずく。
「そうだよ。それはあの子の大切な宝物だ。だから返して」
手を差し出せば少年は一瞬戸惑ったように身体をゆらしたが、素直に返してくれなかった。
「嘘だ! お前達、貴族は嘘ばっかだ! なにが母親の形見だ! こんなもの、こうしてやる!」
「あ!」
少年は唐突に叫ぶと、運河に向かって何かを放り投げた。ぽちゃんと音がするのにザリアは呆然とするが、迷いは一瞬だった。
「ざまぁみろ! え?」
少年のやけっぱちの声は戸惑いへと変わる。
ザリアが羽織っていたマントを脱ぎ捨てて、運河に飛びこんだからだ。
細いとはいえゴンドラが行く水路の水深は深く、ザリアの身長では立つことは出来ない。そのうえ海水混じりの水は濁っていて、潜って泥が積もった運河の底に目をこらしても見えない。
ザリアは息継ぎのために一回水面に顔をあげた。「ま、待てよ!」と少年の慌てた声が聞こえるが、それは無視して再び潜る。彼がそのあいだに逃げてしまうかもしれないが、今はそれよりあの子の形見のブローチを探すのが先だ。
すると、突然大きな手に肩を掴まれて引き上げられた。小さなザリアでは足が付かなかった運河も、父ぐらいの身長がある彼では肩ぐらいの水深で、そのまま横抱きにされる。
「運河はこのガトラムルの名物ではあるが、そこでの遊泳はあまり推奨はしないな」
「ロッシ!?」
なぜこの人がここに? とびっくりする。それも自分と一緒に運河に飛びこんでいるなんて。ご自慢の黒い装束もぐっしょり濡れてる。
「ほ、ほら!」
運河の傍らの道に立っている少年が差し出した手には、探していたブローチがあってザリアは目を見開く。
「さっき投げたのは小石だ! 本気で飛びこむなんてお前は馬鹿か!」
「よかった!」
少年の罵りの声など聞こえず、ブローチをじつと見つめたザリアはホッと息をつく。
「本当に運河の底に沈んじゃったのかと思ったんだよ。あの子はお母さんの残してくれた宝物だっていっていたから」
そして、本当によかったと満面の笑みを浮かべる間近な少年のその顔を、金色の瞳を見開いたロッシはじっと見つめたのだった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
ずぶ濡れになったザリアをロッシが少年を伴って向かった先は、すぐ近くの裏路地にある小さな神殿が併設された建物。
ロッシ達を出迎えた老婦人は二人の姿に驚いて、すぐになかへと案内してくれた。同時に一緒についてきた少年に向かい「マルコ! またあなたは、なにかしたのですか?」と怒っていた。フードをとった姿は黒猫の耳があった。あの少年の名はマルコというのか。
とりあえず身体を温めてとザリアは客室にあるお風呂に押し込められた。たしかに運河の水はちょっと……いや、だいぶ臭かったので助かった。髪と身体を洗って外へと出れば、部屋に新しい着替えが置かれていたので、それを著て階下へと降りる。
「ああ、取り急ぎ用意させたんだが、よくにあっている」
階段を降りたところでロッシがいた。彼もまた新しい黒服に着替えていた。黒い髪がかすかに濡れて色が濃い。
あの運河でずぶ濡れになって自分を見る姿は、いつもはあげている前髪が降りていて、ちょっと若く見えたのに残念だな……と思う。
この建物は孤児院なのだとロッシは説明してくれた。“とある人物の神殿への喜捨”によって作られた施設だとも。
「マルコは最近引き取られたばかりだ。一年ほど前に母親を亡くして、それからずっと盗みをして暮らしていた」
それで未だその盗みグセがぬけなくて、この孤児院を管理する院長を困らせているのだとも。
「それからこれを」
「あ」
それは少年が盗んだブローチだった。綺麗なハンカチに包まれたそれを、ザリアは「ありがとう」と大切に受け取る。
「マルコから話は聞いたが、それは君の物ではなく、他の令嬢の母親の形見だときいた。それであんな汚水の運河に飛びこむなんて」
「だって、あの子にとっては大切なお母様との思い出だっていってた。無くしたら可哀想だもの」
ザリアが当たり前のことのように答えれば、ロッシが金の瞳でじっとこちらを見つめてきて「マルコのことだが」と切り出す。
「この孤児院だが、現在は私が支援している」
「あなたが?」
「ああ、君に出会ったあの日も、ここからの帰りだったんだ」
たぶんこの孤児院をロッシが、いやドージェであるガルゼッリが支援しているのは、公には内密にしているのだろうと、ザリアには察しがついた。だからあの日、彼は裏路地にいたことを秘密にしてくれと、自分に口止めしたのだとも。
なにか事情があるのだろうけど、話してはくれないだろうな……とザリアは少し寂しく思ったが。
「本来なら子供とはいえ、マルコのしたことは立派な犯罪なうえに、この大陸会議の賓客である君達を害したのだ。本来ならば重罪人として裁かれるところだが……」
「僕もあんな小さな子にひどい罰なんて求めてないよ。ブローチは僕が追いかけたら相手が驚いて投げて返してきたことにするから」
それにあわてて運河に落っこちて、ドゥーチェに助けられました……なんて、父や兄の心配性もうるさいし
、アーテル兄がからかってくるだろうな……と遠い目になる。
「だけど、あの子に会ってお話がしたい。いい?」
「しかし、なにぶん躾が出来ていない子供だ。君に失礼があったら……」
「それも怒らないって約束する。僕はどうしてあの子がこんなことをしたのか知りたい」
この孤児院をロッシが支援しているということは、保護されたあの子が衣食住に不自由にしているとは思えない。それにあんな大通りの目立つ場所で“わざわざ”貴族の子女の物を盗むなんてだ。
「これまでもあの子は同じようなことをしていたんじゃない?」
「ああ、これほど目立つことではなかったがな」
貴族やブルジョア達を狙って、その本人や馬車から小物をかすめ盗ることを繰り返していたという。だいたいそう高価ではないものなので、やられた貴族やブルジョア達も腹は立てても、あえて訴えるなんて、逆にみっともないと放置されていたのだという。
「さらにあの逃げ足だ。本人は絶対に捕まることはないと、妙な自信をもっていてな。周りの大人がいくら注意しても盗みグセが治ることがなかった」
「でも、僕に捕まりかけたけど……」
「ああ、いつか大事になれば、私もかばいきれなくなると、このあいだマルコには警告したばかりだった」
これにはロッシも苦虫をかみつぶしたような顔だ。
「どうしてあの子はあんなに貴族を恨んでいるの?」
「彼の父はこの都市に遊学にきていた貴族だという話だ。彼の母はいつかは彼が自分とマルコを迎えにきてくれると、病床でそう繰り返しながら亡くなったらしい」
その男が本当に貴族かどうかだったかも怪しい。だがマルコの母親は、その“嘘”を信じ続け、来ない相手を待ち焦がれて亡くなった。
「純粋な娘が悪い男に騙される。よくある話だよ」
どこか切ない微笑を浮かべてロッシはいった。
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