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SSS小話置き場

マダム・ヴァイオレットとミューズ

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「ギンギラ色つきクリスタルを胸元につけてなんて、まったく趣味が悪いったら! あれで子爵夫人なのかしらね?」

 店の二階のサロンにて。
 迫力のある紫のドレスから出た紫のしまの尻尾をブンブンと揺らして、マダム・ヴァイオレットはぶつぶつと文句を言う。

「マダム、せっかくのご紹介の夫人のお耳に入ったら……」

 店の支配人のピノが茶色の短い犬の尾をいささか不安げに半分たらしながら言う。相変わらず生真面目な男だことと思いながら、マダムは二階の窓を指さす。

「そのご夫人なら金ぴか馬車に乗ってお帰りになったわよ」

 まったく金にあかせた馬車を見たときから、嫌な予感はしていたのだ。

────もっとも、最近の貴族やブルジョアなんてあんなのばっかりだけど。

 まあ、ブルジョアの夫人の紹介ということで、初めからわかりきっていたことなのだ。子爵夫人といっているが、その夫人も元は同じブルジョア娘。多額の持参金で貴族に成り上がった元は成金だ。
 マダムは新進気鋭のドレスデザイナーだ。まだ未婚であるがマダムと呼ばれている。彼……ではない……彼女? の山猫族の紫色の毛並みに大柄な身体。ド迫力の紫色のドレスに圧倒される者は多い。
 とはいえ、そんな奇抜な外見をしのぐ、今までにないドレスは人々の目を惹いて、またたくまにマダムはこのサンドリゥムの王都の大通りに店を持つことが出来た。
 それもこれも裏ではこうやって文句をいいながらも、客の注文を取り入れてきたからだ。もっと派手に、もっと豪華にクリスタルのビーズや珍しい南国の極楽鳥の羽をちりばめて。夜会で誰よりも目立つ様に……と。
 もちろん自分のドレスの意匠は崩さぬよう最大限の工夫はしているし、茶会や夜会でのマダムのドレスの評判は上々だ。
 初めはブルジョアのみだった顧客も、こうして徐々に貴族階級まで広がってきてはいる……。
 が……。

「まったく、自分がその極楽鳥や孔雀にでもなったつもりかしら? いくらまとうガワが金襴豪華だって、中身が伴わなきゃ道化の仮装と一緒なのに」

 「いささか辛辣すぎではありませんか?」とピノは顔をしかめる。それに「ふぅ……」とマダムはため息をつき。

「だけどねぇ、求められるのが誰よりも目立ちたいばかりに頓知気な、派手派手なのばかりじゃあ。さすがのあたしの創作意欲だって萎えるわよ」

 「ま、マダムの想像力が枯れるなど、そ、それは大変なことなのでは!」とピノは慌てている。まったく心配性な男だ。

「大丈夫よ。あたしの服への情熱はそんじょそこらで失われることはないわ」

 この外見のせいで、ゲテモノだなんだと言われながら、それでも針一本でのし上がってきた『彼女』は強いのだ。

「とはいえ、本当のあたしの服を着こなしてくれる、美の女神ミューズはいないものかしらね」

 ふう……とマダムはため息をついた。





 見つけたわ! 見つけたわ! あたしのミューズ! 



 それは話題の勇者王子とその英傑である剣士の結婚式のパレードだった。
 兎族の珍しい男子であることは知っていた。しかし、通り過ぎる屋根無しの馬車ごしに見たその美貌にマダムの目は釘付けになった。
 純白の髪に透き通るような白い肌。紅を差さずともくっきりと赤い唇。硝子のように繊細で儚げな横顔。
 だけれども、真っ直ぐ前を見る石榴ざくろ色の瞳の鋭さよ。それはまるで気高い孤高の鷹のようだった。

 そして、熱狂した人々に押し流されるがまま王城の前庭へとなだれこんで、遠目にみたバルコニーでの純白のドレス? 姿。
 黒狼の勇者王子と見つめ合った瞬間、鋭い石榴色の眼差しがとろりと蕩けて優しいものになった。王子に引き寄せられて、二人の唇が重なった瞬間歓呼の声はいっそう高まった。
 メゾンへと戻ったマダムは、時も忘れて紙にペンを走らせた。思い浮かべるのはあの白く美しい兎族の青年? だ。

 純白の衣装はたしかに彼に似合っていた。白以外はあり得ないだろう。だけど白にも色々な色はある。温かなクリーム、清冽な青みがかったもの、それに合わせるのは硬質なクリスタルもいいが、丸みを帯びた真珠もいい。
 それから形は? 彼が着ていた上着の長い裾にボーンをいれて広がったデザインは、ドレスのスカートを模したものだろう。たしかにあの華やかさは似合っていたし、彼にしか着こなせない。
 だけど、もっと自分ならば工夫してみせる。あくまで紳士服でありながらも、花をまとったように華やかであの兎族の青年に似合うような。そう、あの清冽な眼差しと、そして愛する人を見つめたときには柔らかな、そんな二つの顔のそのままの純白で気高く柔らかな意匠。

 いつもの自分ならば、もっと奇抜な形になっただろう。だけどそれはそれまでそれを着る者を想定してなかった。そして注文主はもっと派手に……とマダムに要求した。
 だけどこれは違う。やっと見つけたミューズに捧げるためのものだ。
 自分の美の女神ミューズ に。

 夢中なって書き上げたときには、窓の外は夜が白々と明けていた。

 そして他のドレスの注文製作のあいだに、マダムは自分一人の手で、そのドレスを仕上げた。微妙なドレープのラインは他のお針子に任せられないと思ったからだ。
 なにより、これは自分だけの手で作りたかった。初めてドレスを手がけたときの気持ちのように。あのときの斬新なドレスは、散々な非難を浴びたけれど、自分は負けることはなかった。

 これもまた……。

 完成した服をマダムはグロースター公爵夫妻へと『献上』した。



 王宮から使いが来たのは、それから三日後のことだった。
 こちらが勝手に献上したもの、返事は期待していない……などとはマダムは思っていなかった。
 自分の服は必ず目に留まるはずだとの絶対の自信があった。なぜならあれは、ミューズに捧げた彼に一番似合うものなのだから。

 通されたサロンには黒と白の見事な一対がいた。勇者王子……グロースター大公閣下を名乗ることになった黒狼の閣下は普段の政務用のすっきりとした意匠の黒の上着の姿だ。
 結婚式のときの銀の軍服も良く似合っていた。しかし、今は政務官、いずれは宰相となると言われている彼は、軍服からこのような宮廷服を着るのが日常となるだろう。
 となれば夜会などでもこれからは軍服ではなく、コート、ウェストコート、ブリーチズの姿となる。やはり彼ならば黒や灰色がかった銀が良く似合う。それは隣の『白』をまとった見事な一対となるに違いない。

 マダムにとってのミューズは白の青年であるが、こちらの黒の番の衣装もまた手がけてみたいと思った。二人並んでこその一つの作品を作ってみたいと。

 そして、その『黒』の隣に腰掛ける『白』。

 今日の姿の普段着である、水色のゆったりとしたチュニックに白のパンツ、それに茶のブーツ姿だ。なるほどやはり淡い色が良く似合うのね……とマダムは目を細める。白に淡い水色、薔薇色、黄色とそんな差し色の衣装が次々に思い浮かぶ。これだけ創作意欲が沸き立つなんて、やはり彼は自分のミューズだわ! と思う。

 それに……。

 青年の白い耳の根元に揺れている、大粒の宝石のピアス。あれは夕日のパパラチアだ。あれだけで丘の上の小さな豪邸一つ買えるほどの価値がある。
 当然、夫である大公閣下からの贈り物だろう。宝石の値段で愛の重さなどは量れないことは、人生経験の長いマダムだって知っているが、それでもこれが大公閣下の妻への最大級の愛の印なのはわかる。

 金色の金木犀の花が大粒の宝石からこぼれるように落ちて、かすかにしゃらりしゃらりと綺麗な音を立てる様がとても可憐なピアスだ。このキツイ眼差しの青年にしては可愛らし過ぎる。だが、繊細で儚い顔立ちには良く似合う。
 ああ、このパパラチアにも合う服を作りたいと、やはりむくむくと創作欲が湧き上がってくる。白に金は当然として、長く引いた裾に薔薇色の夕暮れの色を淡く裾に向かってだんだん濃く入れたら、どうだろう? 

「あなたの献上品だが、私もスノゥも大変気に入った。斬新ではあるがスノゥにとても似合っていた。あれはたしかに我が妻のための夜会服だ」

 大公の口から発せられた低い美声にマダムの心は震えた。青年を最も愛する彼からの賛美なのだ。なによりも間違いがない。
 そして、白の大公配の口からは。

「いや、まあ……たしかにあのドレス……じゃない、夜会服を見たときはすごいとは思った。誰が見たって見事な一品だ。意匠だけでなく、一針一針の縫製もな。あんな自然な波みたいな感じは並の腕で出来るものではない」

 その言葉にもマダムは満足した。今まで相手にしてきた成金ブルジョアやその成り上がり貴族ならば、マダムの意匠の斬新さと派手さばかりを求めて、その作品を創り上げる職人の腕に目を留めるものなど一人もいなかった。
 やはり、あたしのミューズだとマダムは心の中で賛美したが。

「しかし、あれはドレス……じゃなくて、男の服だよな? 少し、いやかなりレースが多いというか、フリフリだし、腰にでっかいリボンがあって、俺に似合うとは……」

 「いや、似合う」「とてもお似合いのはずですわ!」二つの声が重なって、白兎の青年は驚いてその石榴色の男性にしては少し大きな瞳を見開く。

「あれはお前に良く似合っていた。試着したときに衣装係の女官達も褒め讃えていたではないか」

 大公殿下が重々しく言う。それに青年は「いやありゃ世辞……」と言いかけたところに、さらに黒狼の大公様は。

「まったく服が素晴らしいことはわかっているのに、お前は自分のこととなるととたん目が曇るな」

 「これからはお前の身を飾る物のことは私と他のものに任せておけばいい」とぴしゃりという夫に妻は、心持ちぷくりと頬を膨らませて「横暴だぞ……」とつぶやく。
 マダムはそれを見て『あらあらまあまあ』と内心で微笑ましく思う。常には鋭い眼差しで世間を見ている青年が、夫にはこんな風に子供みたいな表情を見せるのか? とそれも愛よね……と。

「これの式典用と夜会用の服をとりあえず五着ほど頼みたい」
「え? 多すぎじゃないのか? たいだい金が……かかる」
「大公家を立ちあげるための予算は、すでに国庫から出ている。当然お前の衣装代もだ。そもそもあの婚姻用の衣装の他には、今のお前には式典用の服も夜会用の服もないのだぞ。大公配がその普段着で公の場に出るわけにはゆくまい?」
「…………」

 そう言われて青年がぐぬぬと押し黙るのに、マダムは「ご用命確かにうけたまりました」と承知したのだった。
 ちなみに『青年』と思っていたスノゥが、純血種であるマダムの歳とそう違わないと知って、ちょっとびっくりしたのは後のこと。
 それから、半年後の式典。安定期に入り、少しふっくらとしたお腹を隠すような大公配の華麗にして優美な夜会服は大変な話題を呼んだとか。

 それから夫人達の夜会服の流行はただ奇抜な派手派手しさを求めるものではなく、優雅で洗練されたものになっていく。もちろん、その先端を走るのは白兎の大公配とその息子の兎達のまとう、マダムの衣装だ。



 やがて、マダム・ヴァイオレットの名は服の世界に革新をもたらしたとして後の世で、伝説となる。
 もちろん、彼女にその啓示をもたらした、ミューズの名とともに。




   END



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