【完結】鉄のオメガ

志麻友紀

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【2】オペラハウスにシルベット その2

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 手を伸ばさないアンドレアスにかわり、自分が贈ったものだがローランの手が、しゅるりとリボンを開く。あけた箱にはジュストコールにシャツに飾り衿や袖、キュロットの一揃えがはいっていた。もう一つの小さな箱には、ジュストコールの葡萄色の赤紫に合わせて靴もだ。

「オペラ観劇の付き合いにいただく品としては、高価すぎます。買い取らせてください」
「男が誘った相手に対しての贈り物だよ。素直に受けとっておきなさい。いくら掛かったんですか?なんて訊くのは、野暮というものだよ」
「…………」

 弁舌鮮やかなこの辣腕弁護士に口では敵う気がしない。「早くしないと開演時間に間に合わない。オペラ見たくないの?」と言われて、仕度することにする。お金云々の話は、そのあとでいい。

 居間から、仕度のために寝室へと移れば、ローランも後ろからついてきた。寝室の入り口の扉に寄りかかるようにして、こちらの着替えを見ている様は、まるきり閨房で仕度する女主人を見つめる、愛人みたいじゃないか。もっとも、この男はこんなことを毎日してるだろうから、アンドレアスについてきたのも、つい……のクセのようなものだろう。

 アンドレアスとしてもオメガではあるが、いつまでも発情期の来ないような出来損ない。男同士、シャツ一枚の姿を見られたって、別に恥ずかしくもない。男性使用人の手を借りて、飾り衿のレースに袖をつけて、ジュストコールに袖を通す。
 驚くことに、上着はアンドレアスの細い体型にぴったりだった。いつ計ったんだ?と思うほど。
 「ねぇ」とローランが声をかける。姿見の鏡越しアンドレアスは彼を見る。

「もう少し太ったほうがいいんじゃないかな?」
「別に食事には苦労してませんが」

 亡命してから美食とはいわないが、明日のパンに困るようなこともなかった。衣は新調出来なかったが、さすがに飢えるような待遇は受けてはいなかった。
 だからアンドレアスが細いのは純粋に体質だ。

「コルセットも締めてないのにその細腰、つかんだら風に揺れる百合のごとく、ぽっきり折れてしまわないか心配だよ」
「そのお言葉は、今、意中のご婦人に言ってください」

 「俺の今の意中は君なんだけどね」という戯れ言はさらりと無視することにする。従僕が差し出した、かつらを手にとろうとして「待って」と扉からいつのまに移動したやら、ローランの手に止められる。

「今夜は鬘も眼鏡もなし。公式な舞踏会でもないんだから」
「そうでしたね」

 しかし、かつらがないのはいさかかこころもとない気がした。せめて眼鏡だけでも……と傍らの小卓の上にあるそれに手を伸ばそうとしたら「これもダメ」と手を握られた。

「綺麗な顔を隠す必要はないよ。そもそもこの眼鏡は素通しだろう?君、目はいいだろう?」
「普段は必要ありませんね」

 「さあ、急がないと開演時間が迫ってる」とその手を取られたまま、アンドレアスは馬車に乗り込んだ。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 席は平土間席かとおもったら、バルコン席が取られていた。シャンパンで軽く喉を潤し、アンドレアスはオペラに見入った。
 実は初めて見る。筋書きは繰り返し読んだ古典の悲劇で頭に入っているが、そこに見事な歌に、幕間のバレエがはいると、本で想像するのとは違う景色が見えるようだった。

 観劇の邪魔にならない程度に「今夜の歌姫は調子がいい」や「あの真ん中の風の精が売り出し中のエトワールだよ」というローランが、耳元でささやく言葉にうなずく。
 そんなバルコニーの二人を、劇場に詰めかけた人々が注目していることに、アンドレアスはまったく気づかなかった。

 彼の美貌が翌日の社交界の一番の話題だったなんて、翌日からはまた奇人館に引きこもった彼は当然知らず。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 オペラ座をあとにして「ちょっと寄らないかい?」と言われてうなずいたのは、ふわふわとした劇の余韻が残っていたからだ。
 つれて来られたのは凱旋門公園に開かれた夜会やオペラ帰りの貴族やブルジョア相手のカフェ。「待ってて」とローランは言い残し、彼自ら馬車を降りて店の中へと。

 すぐに戻って来た彼の両手には小さな二つの銀器があった。そこにこんもりと盛られたレモンの氷菓シルベット
 「劇がはねたあとのお楽しみだよ」そんな言葉ともに渡された、口にしたシルベットはさらりと溶けてレモンの甘酸っぱさがさわやかで、たしかに劇場の熱気で火照った頬が、冷まされるようで心地よい。

 「また来ようか?」と言われて素直にうなずいてしまうほど、今夜の劇とそのあとのシルベットは美味しかった。
 そして、アンドレアスを小さな家へと送り届け、その玄関先で「また、約束だよ」とその手の甲に貴婦人にするように口づけて、彼は馬車に乗って去っていったのだった。

「……今日はなんだったんだ?」

 従僕の出迎えをうけて家のなかにはいって、アンドレアスは首をかしげたのだった。
 オペラ座での二人と、カフェ前に馬車を留めてシルベットを楽しむ二人は、そのアンドレアスの美貌とともに、翌日の社交界の話題となった。





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