グレースケールとマチエール

Submissivedog

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高橋 翠の場合

素描のパレット

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”いい子でいるように”、”余計なことは言わない”、”守ってくれるのは自分と家族だけよ”…そんなことを言われ育ってきた18年間が僕にはあった。地域の人にあいさつは必ずしていたし、おばあちゃんの家に行ったとしてもずっとニコニコして正座して大嫌いな野菜ジュースを流しこみながら、従姉妹と比較されて評価されて帰る。きっとこれは、僕が幼馴染についていったのが悪くて起こったことだけれど子供の僕に知る由もなかったもっとも辛かったのが遊んでくれていた従姉妹が、実は僕と兄さん、姉さんまでも嫌われていたことをおばあちゃんから聞いたときだった。それもあっておばあちゃんの家に行くのはめっきり減った。
僕は三兄弟で、稲荷とうかは僕の6つ上で、兄の熊月ユウゲツとは10つ離れている。年齢はとても離れているものの、両親の二人とも共働きだったから兄さんと姉さんがお世話してくれたことは数多くあったようだった。僕が小学校に上がるころには姉さんは中学校に行っていたし確か兄さんは高校生だったような気がする。幼稚園とかは遊び相手はほとんど兄さんが多くてゲームやご飯作ったりするのも一緒だったし、料理を覚えたらお弁当だって作ってあげていた。
今思えば、理不尽さを感じていた頃楽しく生きて来られたのも兄さんのおかげもあったかもしれない、姉さんには使いっ走りにされていてあまり何かした思い出というのはない。というのも、姉さんは地元では一番偏差値の良い高校、兄さんは二番目に良いところに受かっていたことから度々比較されたり、どうして上の二人はすぐ出来たのに…とよく胸元をちくり、ちくりと刺されたものである。勝手に期待され思った成果が出なければ絶望されるなんて理不尽な世界に生れ落ちてしまったのだろう二人にはそれぞれに高い能力があったからできたことだと思うけれど、僕は見いだせなかった。
そんな僕だけれど、幼馴染とか恩師のおかげでよい大学に今通っている自分の苦手な場所でわざわざ地に足を付けて学んでいるきっと本当に恵まれた人からすれば論外なのかもしれないけれど何もない人が得られたらそれはきっと才能なのだと、僕は思いたい。僕は弱い存在だ、すぐに今すぐにでも消えてしまいたいだなんて言いたくなる本当は中身のない人間。
けれども、僕は周りの評価のためにずっと背伸びをしてきたのだからもうふらつくことも倒れこむこともできない。ここまできたのならもう進むしかない、心にしょうがないと言い聞かせるようにしながらこれからのことを見据えてバイトとして本屋で働くことができ内心ほっとしていたものの、まさか自分の知らない自分に出会うとはこの時思ってもみなかったのである。
「ああ、高橋君このあと君の歓迎会するから終電の時間を確認しておいてくれないかな」
「あっ、はい、着替えたらお伝えしますね」
「じゃあ私は戸締り確認とかしておくから慌てず来なさい」
パタン、と休憩室を後にした40歳に差し掛かる店長、柳 秀三やなぎ しゅうぞうさんを横目に、僕は更衣室に入って自分のロッカーの前にたどり着くと、ガタンと金属質な扉を開けてしゅるり、と首元の縛りを解いて一息吐いて、筋金入りの猫背をあらわしていく。きちんと畳んでリュックにしまいながら、ジャケットを羽織って手提げかばんを肩にかけながら更衣室の忘れ物チェックと戸締り、ついでに休憩室の電気を消すと店長と合流して大きな通りを通ってタクシーを拾うと都会とはいえ広々とした居酒屋へとたどり着き、多少の緊張とワクワクで胸をたからせながら店長の後をついていくとすでにスーツ姿の大人たちと、自分と同じような大学生の装いの先輩であろう人に目線を注がれ思わず店長の後ろに隠れるような形をとりながら、形式的な挨拶をしながら席につき歓迎会といいつつうちで扱っている出版社の人たちと数か月に一度居酒屋で飲み会をするそうだ。僕の勤め先の本屋では、長年本を売りつつけていたり販売を受け持ったりなどと縁があって呼ばれているそうで僕も参加することになったということらしい。
「こちらは山河出版の社長さんで、君の好きなあのー‥」
「こんばんは、柳さんところのバイトの子だね?私は田中、よろしく頼むね」
「こっ、こちらこそよろしくお願いします、あの、高橋 翠です。店長の柳さんところでお世話になっています」
よく聞く出版社の名前だけでもすごいのに取締役だったり、なんだったりと役職持ちの方ばかりでかなり僕も緊張したものの、今までに自分よりも高齢な方との会話や受け答えなどが多かった経験もあってなんとか差し支えなく接することができひと段落済んだかと思い、麦茶をいただいてカラカラに乾いた喉に潤いを与えていき一息ついていると遅れてきたのか、すっと障子を開ける音が聞こえ誰が来たのだろうと目をやると一気に体温が下がったかと思えば体中の血液が沸騰したかのように吹き出し、あまりの身体の急速な変化にヒュッと音を鳴らしながら持っていた麦茶を落としそうになりながらもなんとか机に置くものの頭は真っ白で、目が離せなかった。
こんな感覚は初めてであるのに、本能が驚き、歓喜し、狂乱しそうになるのを抑えるのに必死にさせる理性がなくなるかのような、これはまさしく嵐というよりかは台風だった。
黒髪にワックスで整えられながらも程よく崩れたオールバックに、黒いスーツが形どる存在感の大きさなどはもちろん、顔がとても良いのだ。良いとしか言えないほどの語彙力しかなくなる、本当に老若男女問わずに惚れられそうなその顔立ちに加え僕はもっと別なものを見出していたと思うのだ。
ーーー…ああ、これが”峰”だ、と。至高なる存在、もしくは陶酔する、下手をすれば狂わせそうなものである。僕が求めていたものが目の前にあるそう僕は確信した時だったと思う。

今までに心奪われると謳われる映画や、絵画や、水族館だって見てきたけれど言葉にするまでに喉をつっかえて出てきはしなかった。それは、誰かの意見に否定することを恐れて閉じてしまった小さな瞬間全てが僕にずっとくすぶり続けたのだろうと、一瞬の瞬間に僕は脳の停滞を知った。
挨拶もそこそこにして、田中さんから名刺を受け取りつつ有名な出版社、明確な地位がそこには記されていて名刺が不思議と重く感じながらまじまじと見ていると、店長から初めての名刺だなと笑われながら丁寧に持っていた小さめのファイルにそっとしまっておきその後はでは、と立ち去る姿を目でなぞりながら周りに漂うアルコールの香りに酔いしれながら、そっと渡されたオレンジジュースの音を鳴らせた。
「高橋君、なんでも好きなのを食べなさい」
「ありがとうございます、ささみと飲み物追加でお願いします」
「わかったよ、他にも頼むけれど好きなだけ食べていいさね」
店長にメニューをもらって悩んだもののいつも食べているようなものをお願いしたけれど、他にも気になっていたものを頼んでもらったのを申し訳なく思いつつサムギョプサルとか、チーズとガーリックバゲットとか美味しい塊を一心に頬張っているといつの間にか各自挨拶を終えたのかいろんな人がグループを成していろんな痴話とか新しい作家について、売上とかビジネスについて僕の頭上を飛び交っていた。気分転換に緑茶を頼んで待っていると、吐息といろんな香水に混じって思わず胸が高鳴り、存在が確かにここにいると思わずにはいられないような香りに思わハッとして隣を見ると田中さんが少しネクタイを緩めながらメニューを見ていたので
「あ、あのっ、良ければ僕が頼みましょうか。僕の飲み物が来るのでその、時に…」
「気にしなくてもいいんだよ、でも気持ちだけ受け取ろうかな」
流し目で見つめられてじわじわと熱くなりながら思わず、すみません…と縮こまっていると大きな手でポンポンと優しく撫でられ思わず目を輝かせていると目を細めて笑ってもらえたのがうれしくて思わず僕も頬を緩ませて微笑んでいた。そうしているうちに、頼んだ緑茶が運ばれてそのついでに田中さんが注文を頼んで待っている間ささやかながらも大学とか、どんなことを学んでるとか、田中さんの学生時代とか、最近のこととか話して過ごした。
「あっ、いけない…そろそろ寮に戻らないと管理人さんに心配かけちゃうな」
「ああ、そうか高橋君はそろそろ時間だったね気を付けて帰るんだよ」
「はいっ、今日は本当にありがとうございました。また機会があればよろしくお願いします」
会場の皆さんに一言挨拶すると皆さんに見送られながら賑やかな場所を離れて電車に乗り、今日は楽しかったないいところにバイトで入れたなと心躍らせながらいつも静かで平凡な帰路が今日が非日常で明日には日常に戻ってくるのだと、非日常に絡みついてくるのだ。管理人さんに、帰宅したことを伝えて部屋に戻って備え付きのお風呂にお湯を貯めながらほとんど見直しだけの課題をやり終えて明日の準備として、明日の天気予報と予想気温をみて服装を揃えて、必要な教材と筆記用具、明日は一つ荷物が多いのを忘れずに揃えてパソコンのメールをチェックしてからリュックにしまい込む。リュックは重いものを入れないと腕にあとが残ると怒られるし、運ぶのだって楽だから愛用している。セカンドバッグは手提げの少し大きいもの基本は水筒とか筆記用具とかお財布とか、すぐ取り出してよく使うものを入れている。…さて、あとはブルーカット用の眼鏡も手入れするために機械にかけておいたら、脱衣所に行って服をすべて脱いで、この時の気分は神話の伊邪那岐みたいに穢れを濯ぐみたいな気分で、束縛しているものから解放された気分で頭から足先まで全部洗い流してそっと髪をかき上げてみる
「…さすがにあの人みたいにはかっこよくはならないな」
鏡に映った自分に苦笑いしながら、草の香りで落ち着ける入浴剤を落とし込んで世界を回すみたいに混ぜ込んでそこにそっと自分を浮かべる
「今日はいろんな人、いろんなことがあったな…田中さんを見たときの、あの何とも言えない感情はなんていうんだろう…」
ぽつりぽつりと言葉と落としながらこんなことが前例にないのだから、と悩みながら自分の知る限りの言葉を並べてみる。憧憬?懸念?カリスマ性?…でも、僕の感じたあの頂を、峰を見た感覚はどれにも当てはまらない…酔狂の方がまだ近い、どうして話して数分としか知りえないのに高揚できるのか…峰や頂上は何かにおいてのトップ確かに田中さんは企業でも役付きだからトップだけれどそれなしでも惹かれるものがあると僕は言える。
「これは、まるで恋…のような、服従?従いたい…って待て待て僕は何を言ってるんだ…!」
あの人は男の人で、僕も男であって…もちろんこの現代では同性愛の受け入れや偏見の目の減少とかあるけれど、まだまだ浅いから難しいけれど、僕はどちらを好きかはわからない一度も恋も何もしたことはない、友達はよくしていたけれどみんな楽しそうでいいものだなあとは思っている。
「きょ、今日はいろんな人と話して疲れただけだろうし、そろそろ寝ないと…」
ざばっ、と自分から広がる波紋に自分の動揺を乗せながらぽたぽたと零れ落ちるしずくを丁寧に拭い、髪や肌の手入れもそこそこにして、寝巻を着て窓を少し開けて初夏の香りを感じながら、ちらりと短い針が日付が変わる前の時間を指しているのを見てネコクサに電気を消してもらい、羽毛布団の海へと沈み込んだ。
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