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高橋 翠の場合

縦と横の日常

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ピピッという音とともに、僕の意識は覚醒へと引っ張られる、昨日の非日常から強制的に両腕を引っ張られて日常と向き合わなければならない。

『6時30分、起床時刻ですマスターカーテンを開けますのでウォーキングの準備をなさってください。』
「ぅん…わかってる…」

動きたくないと反抗する身体を無理やり起こしながらひとつあくびをして、それなりにベッドメイキングを終え服を軽装なものに着替えて、一階に降りてリビングにおいてあるポットでお湯が沸くのを待ちつつ、戸棚からお気に入りの紫の缶を取り出しはちみつとミルクを手早く出してティーカップに茶葉を添えて、熱湯で香りを楽しみ十分な量を濯いだら金色の水滴を一つ落とし白を加えて仕上げにはちみつで光沢を出す。これを少し時間をかけて飲んだ後は30分のウォーキングに踏み出し、近場の公園、川沿い、カフェと回って寮に帰ってきて軽くシャワーを浴びるのが僕の日課。今日は授業が一限目からあるから、用意しておいた服を着てリュックを背負って朝ごはんを食べながら大学へ向かう。牛乳パックとサンドイッチだからいつも食べやすくしてくれる厨房の人にはいつも感謝しているし、美味しいのだから本当に頭が上がらない人でもある…この前は雨で風邪ひいたらおかゆなんて用意してくれた。
「今日帰れるのは夕方か…お昼何にしよう」
一日というのもあっという間で、教室移動なども含め教授の一日のまとめなどしていたらすっかりお昼時になっていたので、学食の山菜うどんと辛子明太子おにぎり一つを頬張っていると同じクラスの吉田 玲がやってきて隣で食べ始めた。

「おー、高橋お疲れ様~!人多いから見失って焦ったわぁ」
「お疲れ様、今日は一緒に食べれて嬉しいよ」

カツカレーとサラダをもりもり食べる様を見て、今日も元気だなぁと考えているうちに僕もぺろりと食べ終わると玲も食べ終わってごちそーさん!というと一緒に返却口に食器を返して、一緒に心理学の授業を満腹の眠気に耐えつつ夕方になるまで必修と選択の授業を終え、あとは静かな場所か自習室で勉強してあーでもない、こうでもないって話しながらなんとか解いてそのあとは途中まで一緒に帰って家に帰る。そんな日常が僕の毎日で変わり映えのないのが、たまらなく寂しい時もジワリと暖かくなる時もあって、今日は帰りに本格的な卵サンドイッチのふわふわなものを携えて帰ってきた。冷蔵庫にあるオレンジジュースをグラスに注いでこっそりと頬張って、夕ご飯までのつなぎにして今日出たばかりの課題に取り掛かる。今日出た問題であるとか知識だとかは、当日に入れておかないと先延ばしにして痛い目を見るし、不安なことはない方がずっと楽しく過ごせる。
夢中で課題をしていても、やはり集中力は切れてしまうもので…7割程度終わってくると身体の巡りも呼吸も悪くなってくるので、一度椅子から立って背伸びして気の抜けた声を出して緊張をほぐすのが地味な楽しみでもある。

「んんっ……んぅぁ…!」

一気に脱力して薄目で天井を見つめ、すっと水に溶けるような感覚で目を閉じて感覚に身を任せる。一気に全身の血のめぐりがよくなったような心地よいじわじわとくる刺激に何となく笑みを浮かべながらちらりと時計に目をやるとすっかり夕食の時間になっていた。この量では自分で好きな時間食べれるように、あとはレンチンすればいい状態でプレートに乗っていたりセルフサービスになっている便利な形式になっている。そろそろ食べておこうかな、と席を立ってて階段を下りて自分の名前の書いてあるプレートを受け取ってレンチンしながら今日のお味噌汁とご飯をよそってお茶とかも入れているうちにすっかり温めきって丁度いい感じに食べ時になるのだ。
今日はガーリック強めの塩コショウのシンプルな味付けのされたハンバーグ、海藻サラダ、ブルーベリーヨーグルトにきゅうりの漬物…暖かいご飯とわかめベースのお味噌汁が今日一日の終わりをいやすように胃を占領して、満たしていく感覚はなかなか素敵な感覚だ…食べきってしまうのはあっという間で、食器を洗いつつ部屋に戻って残りの課題を済ませて置きあとはお風呂掃除をして…お湯を貯める間に床に運動用のカーペットをひいて程よく疲れさせるために筋トレとストレッチして程よく息があがったところで、念のために部屋の鍵が閉まっているのかどうかの確認とお風呂のお湯を止めて今日はラベンダーの香りがする入浴剤を湯舟にそっと手放してあとは、いつものことをするだけ。毎日いろんなことで人はストレスと不安定な場所に挟まれてまとわりつかれて生きているのだから、抜け出すために様々なことをするけれど僕の場合は”これ”になる…カーペットにそっと横になるとヘッドホンをつけてタプタプと音を鳴らしながら動画を開く。
ほんの少しの静寂があった後に耳を重点的に、聞かせるような通り抜けるゾクゾクとした感覚に思わず身体をびくつかせながら緊張気味の自分を落ち着けさせるためにつばを飲み込んで、再び動画の内容に聞き入る。その耳に届く声は深くて低くて、夏にとても濃く香る金木犀のようなむせかえりそうなほどに甘くて酔いしれないなんて考えられないこの感覚がたまらなく高揚させるいわゆるASMR、本当に知らない誰かでも声だけは確かに側にいて自分のすべてを見透かされて弄ばれつつも声の主という名の暖かく力強い腕の中という檻の中の箱庭を感じることができる…誰にも頼ったり弱音を吐けない自分にとっては唯一の救いであって、貯め続けたすべてをようやく解き放てるような場所である。甘やかすような声で囁くうちに自分の値踏みをさてつつ、確実に落そうとしているとわかっていながらも逃れられない矛盾に焦がれながら、自分でそれとなく熱くなった部分に触れているうちに口が半開きになって、どんどん脳内で今ある情報に様々な欲望を肉付けしていって自分のくすぶるものを早急に運んでいく。まるでそこに空いたバケツを一生懸命走って別の場所に届けるようにしながらかけていけるように段々脳内でびりびりとした感覚で包まれていって、時期に身体のこわばりを感じながら喉から漏れそうな声を必死に抑えてカーペットにぐったりと転がる。長距離を走り切った時のような高揚感にひたりつつ常備している水をある程度飲み切ってしまったらあとは頭からつま先まできれいにしてしまえば、あとはゆっくり湯船でついさっきのことを思い出してじわりとあつくなるところを頭を振って忘れるようにしてぶくぶくと水面を揺らして、さっきの気持ちを吐き出しきっていく。あとは寝るだけ、これが僕の日常人は必ず隠しているものはあるこれがばれるとかなんだとかあってはならない、僕としての存在を守るためにも必要なことではある。
髪やら歯磨きやら明日のために準備を終わらせてしまったら、あとは寝てしまうだけだが明日は夕方にバイトで書店に行くくらいしか予定がないので遅めに起きてしまおうかなと思いつつ、時間まで図書館でいろんなものを読み漁りたいななんて考えているうちに、アラームをすべてオフにしてから部屋に差し込む光を見つめながら眠りに落ちた。くすぶる何かに気づかないように落ち着けるようにと勤めていないと、自分の中に飼う何かが出てきそうになるのが怖くなる。さっきまで耳に籠った燻っている声の甘さの余韻、それのせいかこの夏40度なんていくこの国をさらに暑くさせるようなものを聞いたからか変な夢を見た気がするがそっと鎮火した

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