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7. 意思

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私が目を覚ますと、部屋は暗かった。オレンジ色のランプの色がぼんやりと見えて、だんだんと焦点が合うと、メイドのセアラがいるのが分かった。

「……セアラ」
「奥様」

セアラは40代の中頃で、二人の娘がいる。エリーナが王城で暮らしていた時から継続して勤めてくれているメイドだ。
エリーナは本来なら王女という立場上、貴族の娘を侍女として控えさせているはずだ。しかし、過去のエリーナのわがままのせいで侍女は続かず次々首になり、今やなりたいという娘もいない。外聞のために数名の名前だけ借りている状態になっているようだ。
若いメイドもいじめられて続かなかったので、エリーナのことを昔から知っているのはセアラだけだ。

「……旦那様は?」
「シレア卿の元へお出かけです。奥様がお目覚めになったらなにかお食事をと仰せ使っておりますが、いかがなさいますか?」

シレア卿というのはテオドールの上司のアーノルド騎士団長のことだ。気を失う直前、自分が錯乱状態になってこの世界にいないお母さんのことを叫んでいたことを思い出した。また迷惑をかけてしまった。

それから、今の父親である国王陛下の冷たい視線と叩かれた頬の痛みが蘇ってきた。不出来な娘で、国王を悲しませてきたという事実が私の身体を重くする。私もエレーナも、親を悲しませることしかできない娘だ。本当になんの役にも立たない。

頬に手を当てると腫れは引いていた。国王の視線が脳裏から離れず、呼吸が苦しくなる。国王は前王妃のエレノア王妃を愛していて、彼女との間に生まれたエレーナを愛そうとしていた。それに応えられず期待外れなことをして、見捨てられてしまったのは私が役に立たないからだ。私がちゃんとしてないから。

「はっ……はぁ……っ」

短くなる呼吸を落ち着けようと胸に手を当てて深呼吸すると、セアラが背中に手を当ててくれた。

「奥様」
「……ごめんなさい。大丈夫」
「……なにか、温かい飲み物を用意いたしましょうか?」
「ええ、……ううん、飲み物じゃなくて豆のスープがいい。昔風邪を引いた時に作ってくれたような」
「……!」

エリーナは食が細く、その上偏食家だ。その中で珍しく美味しいものとして記憶しているのが、豆をくたくたになるまで煮たミルク味のスープだった。
幼い頃に風邪を引いて、いつもよりさらに食が細くなっていたエリーナが食べたものだった。

「少し時間がかかりますが……」
「構わないわ。そんなにお腹は空いてないの」
「かしこまりました。お待ちくださいね」

セアラは優しく微笑むと、お辞儀をして部屋を去った。私が前世の記憶を取り戻したせいで、セアラにとってはいきなり主人の人格が変わってしまったように見えると思うけれど、彼女の態度は昔から一切変わらない。仕事として必要な時に必要なだけ助けてくれる彼女の働き方は心地よかった。

しばらく待っていると料理が運ばれてきて、行儀悪く寝台の上でそのまま食べた。それから寝支度を整え、おとぎ話を集めた本を開く。

孤児院で子どもたちと共通の話題になればいいと思って求めた本で、役に立つことはなかったけれどそれなりに面白い。
おとぎ話に出てくるお姫様は皆美しく清らかで、彼女たちは運命の恋に落ちて幸せになる。前世で読んでいた話と、この世界にあるおとぎ話にそう変わりはない。

お姫様の相手はいつもお姫様の美しい心と美貌に惹かれて、やはり彼らも恋に落ちる。私とテオドールのように、王女が相手を脅して連れてくる話など、もちろん存在しない。

エリーナが、身も心も清く美しいお姫様なのかと言われると、多分エリーナを知っている国民のほとんどは首を横に振る。

私は、たくさんの男の人を求めてきたエリーナの身体について、汚いとは思わなくなっていた。彼女自身も気付いていなかった叶わぬ恋や、誰からも必要とされない喪失感を抱え、自分自身も自分の心や身体をどう大切にして良いか分からなかった幼い彼女が、誰かに求められて認められる手段として自分でこの方法を選んだ。
他の方法を誰かが教えてあげられたらよかったけれど、だからと言ってエリーナを汚れているとか、かわいそうだと思うのは違う気がする。他の誰がどう感じたとしても、エリーナである私は、自分の選択をかわいそうだと思ってはいけない。

だから、私にとってエリーナは美しい王女だ。その上で、テオドールにはふさわしくないと思う。テオドールが私を助け、気遣うたびに、早くこの人を自由にしなければという焦燥感が湧き上がる。テオドールには、本当に愛する人を妻に迎えてほしい。

財産と地位のある男性にとって、複数の妻を迎えたり、離婚や結婚を繰り返すことはさほど珍しいことではない。それは相手が王女であっても同じだ。国王の逆鱗に触れないようにすれば、今の状態を変えることは不可能じゃない。

(子どもができて国王の気がそれれば、どうとでもなる)

冷静になって今日の話を振り返れば、国王は非常に成果主義的な考えだった。性格的には激情型でも、メリットとデメリットを考えて冷静な判断をくだせる人だ。彼がエレーナに求めていることは王室に魔力の強い子どもを残すことで、それ以上でも以下でもない。

今の私にできる唯一のことは、早く王子を産んで、テオドールと縁を切ることだ。そのためには彼の協力が不可欠で、それはそう難しくないことに思えた。彼は、自分の人生をめちゃくちゃにした王女でさえ憎み続けられないほどのお人好しで、頼まれたら断れない性格だから。

(早く、お役目を果たさなきゃ)

私はテオドールが帰宅する前に、セアラに声をかけた。



テオドールは深夜の屋敷が静かになった頃に帰宅した。寝支度を整えて寝室に入ると、まだ起きている私を見て意外そうに目を丸くした。

「もう起きてて大丈夫なのか?」
「はい……あ、うん」

口調を直すように言われたことを思い出して、どれくらいカジュアルにするべきか迷いながら話す。

「あの、テオドー……テオ」
「うん」

私がテオ、と呼びかけると、どこか嬉しそうに頷く。本当に人が良すぎる。

「さっきは、取り乱してごめんなさい。昔のことを思い出して少し混乱してしまって」
「いいよ。落ち着いたならよかった。一つ話したいことがあるんだが、疲れてなければ今話してもいいか?」
「うん」

テオドールは頷くと、少し落ち着かない様子で寝台に座った。

「これは強制じゃなくて提案だ。考えて欲しいんだけど」

テオドールは話しながらサイドテーブルに目線を移し、その上にある水差しとグラス、それから一本の薬瓶を目に入れた。視線が止まるとともに口も止まる。

「あれは……」
「セアラに持ってきてもらったの。前に使ったものと同じだって」

あれは、初日にテオドールが用意していた薬で、自分の意思に反して身体を反応させるには必須のものだ。いつも2つ用意されているグラスは1つだけになっている。テオドールの沈黙は、私の意思が伝わったことを示している。
テオドールは眉を顰めた。

「今日明日の話じゃないから、今日は休もうと言っただろう。あまり自分を痛めつけようとするなよ」
「大丈夫なの。私の身体は男の人を受け入れるのに痛みを感じたりしない」

私としては経験したことはないけれど、エリーナの記憶は残っている。エリーナが行為に痛みを感じたのは遠い昔のことが最後だ。
テオドールは傷ついた顔をした。

「そういう痛みの話をしてるんじゃない。心が疲れてる時に、それ以上負担をかけようとするなってことだ」
「今日と明日と明後日で、私が感じることは同じだよ。役目を果たさなきゃって思う。今日じゃないなら、今度はどうやって、いつまで誤魔化すの」

私の指摘に、テオドールは目を見開いた。

「あんたの言うことは一理ある」

サイドテーブルの上にある薬瓶に手を伸ばしてそれを持ち上げる。そして、魔力を込めてその瓶を割った。

「えっ」

パリンと音がして、液体がカーペットに滴る。その滴った薬は、テオドールが空気中を指で混ぜるようにすると消えてしまった。

「でも気に入らない」
「なっ……」

予想していなかった反応で、口をぽかんと開けてテオドールを見てしまった。

「お、お願い……」

願えば頷いてくれる、という認識は間違っていて、テオドールは鼻で笑った。彼は確かに心優しく人が良いが、意思が強くて態度は悪い。なんでもハイハイと言うことを聞いてくれるわけではなかった。

テオドールは初日と同じく私の肩を押した。私はそのまま寝台に仰向けに倒れる。テオドールはその上に馬乗りになると、私の目元に手を添えた。

「震えてる。あと、泣いてるよ。気付いてるか?」
「え?」

私は自分の指を見た。確かに手が細かく震えていて、唇に手を当てると唇も震えていた。そしてそのまま手を目元に滑らせると、指先が濡れる。

「これは、私……違うの、ちゃんとできる、から……!」
「黙って」
「んっ」

唇が押し付けられ、思わず息を止める。この前のように舌が割り入ってくることはなく、唇はすぐに離れた。

「ごめん、俺とキスするのは嫌なんだったな。もうしないと約束したのに、悪かった。次はしない。本当だ」
「あ……」

口移しで魔力を移管した時、受け入れられない自分の心と続きを求める身体がバラバラになってしまったようで耐えがたく、私は泣いて逃げ出したのだった。あれはテオドールを拒否したわけではなくて、愛情のない口付けでさえ感じてしまう自分のことを恥じたのだ。
テオドールは私の首筋に軽く歯を立てた。

「ひっ……!」
「ひっ、って……それで、本当に大丈夫かよ」

テオドールは、上半身の寝衣を脱いだ。私の意識がある中で、目の前で男性の上半身裸を見たのは、中学校の水泳の授業が最後だった気がする。
自分と明らかに違う身体の厚みに恐怖心が湧いてくるが、同時にエリーナの身体はそれを見て期待している。

結論、テオドールは私の意思を尊重して、今日役割を果たさせてくれるつもりであると理解した。自分の思っていた通りにはなったけれど、展開は異なる上、実の所私は本当に心の準備ができていたわけではなかったらしく、今更逃げ出したい気持ちになっている。
みじろぎしてもなんの意味もなく、テオドールに肩を押さえられてしまった。私は往生際悪く、逃げる理由を探していた。

「く、薬、くすり、溢れちゃった、のは……」
「いらない。あんなものなくてもあんたを抱ける程度には情が移ってる」

テオドールは私の頬を指の甲で撫でた。

「馬鹿だな。優しくしてやろうとしてるのに、どうしてそれを退けるんだ?」

頬を撫でた手が、私の耳に触れ、それから首筋に降りてくる。優しくくすぐったい動きにぞわりと鳥肌が立った。

「エリーナ、今日は、あんたは間違いなく国王陛下の圧力で俺に抱かれたがってるよな。でも俺は違う。陛下に『早く済ませろ、さもなくば死ね』と言われても、今日はあんたに触ろうとは思ってなかった」

テオドールの手が首筋から胸のあたりまで降りてきて、寝衣越しに心臓に触れた。気を失うのではないかと思うほど早く脈打っている鼓動が伝わっているだろう。テオドールの指が、鎖骨の下あたりに、痛いくらいに沈む。

「だからこれは俺の意思だよ。あんたが引き出したんだから、それをちゃんと受け止めろ」
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