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33. 名誉の負傷

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結局俺が帰宅したのは日が暮れてかなり時間が経ってからだった。ギルベルト様を招待することについて本当はエリーナに一言声をかけてから手紙を出すつもりだったが、ギルベルト様に今日中に声をかけると告げてしまった手前、職場から招待の言葉と日程調整したい旨をしたためて郵送に出した。

屋敷に到着して、もう寝る直前のエリーナにギルベルト様のことを伝えると、エリーナの反応は俺の想像していたものとは全く違った。何かに怯えるように顔をこわばらせて、それからはっとしたように現実に戻ってきた。

「うん、分かった。教えてくれてありがとう」
「……呼ばない方が良かったか?会いたくないなら、あんたがいない日に設定するよ」
「大丈夫。違うの。楽しみだよ」

顔が暗すぎてその言葉を全く信じられない。俺は寝台に腰掛けて、エリーナの顔をじっと見つめた。

「エリーナ、王妃様とルビー様の用件はユリウス王太子とのことだけじゃなかっただろ。何があったかもう少し教えて欲しい。ちょっと前まで、ギルベルト様に会える日は嬉しそうにしてたよな。何を言われたんだ?」
「……」

エリーナは無言のまま目を伏せた。

「……王妃様達の言葉は、自分でギルベルト様と一緒に過ごした時間より重いのか?ギルベルト様よりも王妃様のことを信じてる?」

自分のことをそのまま直接聞く勇気がなく、ギルベルト様の話にすり替えた。エリーナははっとした顔をして、それから俯く。

「……ごめんなさい」

謝罪は肯定と一緒だ。そのことに心臓が痛むが、ここで話を終わりにするつもりはなかった。

「それは何について謝ってるんだ。俺に説明ができないことか?あんたもマリアみたいに口止めされてる?」
「……!ううん、私は……、私……」

エリーナは自分のことを守ろうとするように、自分の手を握った。何かに怯えているみたいに。

「エリーナ」

エリーナの肩がびくっと跳ねた。追い詰めすぎたことに気付いた。

「……ごめん。責めるつもりじゃなくて、ただ本当に……」

心配しているし、エリーナがずっと暗い顔をしているのが気になる。ただ以前と同じように笑って欲しいと思っているだけなのにそれを伝えるのが難しい。

俺は言葉で人を言い負かすのは得意だけど、寄り添って言葉を引き出すような話し方はたいして上手くない。これ以上エリーナを傷つけて取り返しがつかなくなる前に、今日は引くことにした。

「こんなふうに詰められて話せるわけないな。俺が自分の気持ちを落ち着けるために知りたいだけだ。ごめんな」
「……!」
「……寝ようか。おやすみ」
「ま、待って」

サイドランプに手を伸ばすと、エリーナが俺を制止した。

「違うの、あの……私、おじさまが、お母様の婚約者だったって聞いて!それで、どういう顔をして会えばいいか分からないの」
「……?お母様って言うのは、今の王妃様じゃないよな。前の王妃様?」

エリーナは頷いた。

「前王妃とギルベルト様が婚約者だったけど、陛下と結婚したってことか?」
「うん。……ルビー様は、お父様が……元々王太子妃候補のお母様に興味がなかったのに、後天的に魔力が強くなってから、おじさまの婚約者だったお母様を娶ったって言ってた」

俺には馴染みのない話だが、王侯貴族にとって幼い頃に親が勝手に婚約者を決めて、その家の都合に合わせて途中で婚約者を変えるなんて話は別に珍しいことじゃないはずだ。エリーナが何を気にしているのか分からない。

「それで、エリーナが心配してるのは……自分がギルベルト様に恨まれてるんじゃないかってことか?自分の婚約者を奪った陛下と前王妃の娘だから?そんな人じゃないと思うけど。いつも優しいだろ?」

エリーナははっと顔を上げた。

「そ、そこまでは……。私、私は、お父様とお母様は愛し合ってたと思ってたの。でもそうじゃなかったらって思ったら……私、お母様に恨まれてたんじゃないかって……」

エリーナの目から涙が落ちた。

「私……お母様は、私の出産が原因で亡くなってるの。私、望まれてもなくて、お母様の命も奪って……そんなの、生まれてこない方がよかったんじゃないかって、思って……」
「エリーナ」

エリーナの手を握ろうとして、途中で手を止めた。

「そんな悲しいこと言うなよ。出産で母親が亡くなるのはよくあることだけど、それで子どもを恨むのは間違ってる」
「……」
「エリーナを産むことを決めたのは前王妃だろ。今エリーナが生きてるってのは愛されてたって証拠にはならないのか?」
「……愛してなくてもできるよ。そうしなきゃいけなかったらするしかないの」

最後の言葉はエリーナ自身に向けられているようだ。俺との結婚自体は記憶喪失前とはいえエリーナの意思だったけど、その後は国王陛下の意向で、望んでないのに俺と子どもを作ろうとしてた。

エリーナが感じている不安に対して、俺が言えることは少ない。亡くなった王妃の気持ちなんて知るわけないし、知る術がない。

「確かめてみるか」
「え?」
「ギルベルト様と、陛下に……生きてるのは二人だけだから、二人にしか話は聞けない。前王妃のことをどう思ってて、前王妃が二人に対してどんな人だったか聞いてみるか?」
「……やめて!知りたくない」
「じゃあどうするんだ?もう死んでる人間があんたのことをどう思ってたか、ずっとこの先悩みながら、一生暗い顔して過ごすのか?恨んでたかもしれない、愛されてないかもしれないって。そんなの誰にも分かんないよ。なんで今目の前にいる人間より、もう口も聞けない人間のことばかり気にするんだ」
「……!」

エリーナが目を見開いた。俺は自分の口から出た言葉をものすごく後悔していた。俺自身がエリーナの表情が暗いことに焦って、何もできないことが不安で、そのせいで出てきた攻撃的な言葉だ。寄り添う気もなくて、ただエリーナを追い討ちで傷つけた。

「……ごめん。傷つけることを言いたかったわけじゃない。最悪なこと言ったと思うけど、心配してるんだ。王妃様達が来てから、あんたは全然笑わないし……」

気持ちを落ち着けるために深く呼吸した。もう遅いけど、エリーナに微笑みかける。

「不安に思ってることを話してくれてありがとう。追い討ちかけるようなことしてごめん。反省する。ただ、生まれてこなきゃよかったなんて本当に言って欲しくないんだ。俺はあんたに会えてよかったし、幸せに生きてて欲しいと思う。俺はエリーナのこと愛してるよ」

エリーナの反応が怖くて言えないと思っていた言葉は、本当にすんなりと口から出てきた。どういう反応をされるかという不安も湧き上がってこない。エリーナが俺の言葉をどう思おうと、俺がエリーナを大切に思ってることは変わらないし、それでいいと思った。

エリーナは拒否するでもなく、嬉しそうにするでもなく、ただ申し訳なさそうな顔をした。

「テオ……ありがとう。気を遣わせてごめんね」
「……」

(は?気を遣って愛してるなんて言うわけないだろ。こっちは本気で言ってんだよ)

どうしてこんなに人の好意に鈍いのかと呆れてしまうけれど、今までエリーナの近くで、エリーナに愛を教えてくれる人がいなかったなら仕方ないのかもしれない。両親はもちろん、兄弟との仲も悪くて、他は使用人だけだ。ギルベルト様はエリーナに好意的だけどいつもそばにいてくれる人じゃない。

「テオの……言う通り、もう会えない人が私をどう思ってるかなんて、気にしても、仕方ないね」

俺は自分の口が滑らかに言葉を紡げることを少しだけ後悔した。こんな時に正論を言ってもただエリーナを傷付けるだけだ。死人と話せないことも、気にしても仕方ないことも、エリーナは自分で分かってる。

「……それは、……俺はそう言ったけど、それってあんたの方は王妃様が好きだってことだろ。その気持ちは大切にしていいと思う。大事な人だからどう思われてるかすごく気になるんだよな。あんたが不安に感じた気持ちまでなかったことにする必要はないよ」
「……」
「ただ、エリーナの人生は続いてるんだから、気持ちを持っていかれすぎないようにしてほしい。気分が沈んだら、今持ってるものに目を向けてほしい。そう言いたかったんだ。伝わるかな。また余計なこと言いそうだ」

今エリーナが持ってるものの中に、俺からエリーナに対しての気持ちも入っている。それを思い出して少しでも楽になってくれたら嬉しいけれど、今までこんな感情を抱いたこともなかったし、どう伝えていいか分からない。

「テオ、ありがとう」

エリーナは微笑んだ。

「いつも、私の気持ちを汲み取ろうとしてくれて、本当にありがとう。テオと話すと、気持ちが楽になるよ」
「本当か?結構言い負かしてあんたを黙らせてる気がするけど……」

エリーナはゆっくり首を振った。

「そんなことない。そういう時は私に新しい考え方を教えてくれてるだけだし、そのあといつもフォローしてくれてるよ」
「……それでありがたいって思えるのがすごいな。俺だったら、なんだこいつ次は絶対黙らせてやるって思うよ」

エリーナは目を丸くして、それから声を出して笑った。

「……っふふ、だからテオは口喧嘩が強いんだね」

エリーナがまた俺との会話で笑顔を見せてくれたのが嬉しくて、感情が溢れそうになる。

「エリーナ」
「……?」
「抱きしめて寝たい。他のことはしないって約束する」

腕を広げると、エリーナはしばらく無言で俺を見つめてから、少しだけ距離を詰めた。

「腕が痛くなっちゃうよ」
「いいよ。それはあれだ、……名誉の負傷ってよく言うから」

エリーナは菫色の瞳を瞬きして、それからまた笑った。
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