ワンダープラネット《やんごとなき姫君と彷徨える星の物語》

遠堂瑠璃

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3 酒場の少年

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「ねえおじさんたち、僕も仲間に入れてよ」

 ラオンはそう云って、手のひらににぎっていたコインを見せた。一瞬眼を丸くした男たちは、互いの顔を見合せると、同時にぷーっと吹き出した。
 顔を赤くして大爆笑。酒が入っているせいか、だいぶ陽気だ。

「おいおいおじょうちゃん、これは子供の遊びじゃないんだぜ」
「そうそう、おこづかいぜ~んぶなくして、泣きべそかくだけだぜ」

 笑い過ぎて涙目のまま、男たちが忠告ちゅうこくする。

「そんなの、やってみなくちゃらないよ」

 ラオンは空いていた椅子を引くと、ポンと腰掛けた。ラオンにはだいぶ高い椅子いすの上で両足をぶらぶらさせながら、早速手札さっそくてふだ催促さいそくする。

「おいおい本気かい? 子供だからって、手加減はしねえぜ」

 三人の男は参ったなぁという苦笑いを浮かべると、仕方なくラオンをまじえてカードを切り始めた。

 ところが数分後、男たちはすっかり度肝どぎもを抜かれる羽目はめになった。
 圧倒的あっとうてきなラオンの一人勝ちに、三人は次々に持ち金を失い、とうとう全員無一文にされてしまったのだ。
 すっかり酔いも覚めてしまった男たちは、まるで悪い夢でも見たような表情で口をぽっかり開けたまま茫然あぜんとしている。まあ、無理もないが。

「じゃあね、ありがとうおじさんたち」

 ラオンは椅子からポンと飛び降りると、上機嫌に手を振った。三人の男はまるで疫病神やくびょうがみでも見送るような眼差まなざし。
 ラオンはけた札束を無理矢理ポケットにねじ込むと、まだ空いていたカウンターの席に飛び乗るように腰掛けた。

「ワインお願い。上等の一番辛口の赤でね」 

 気分を良くしたラオンが、グラスを拭いていた白ヒゲのマスターに声をかける。ワインはラオンの大好物だ。ジュピターの人間にとってアルコールは、子供の頃からたしなむ日常の飲料なのだ。
 アフタヌーンティーならぬ、アフタヌーンアルコール。
 頬杖をついて、BGMのジャズのリズムを指先で刻みながら、悠々ゆうゆうとワインを待つ。

 そんなラオンの背中を、先程から獲物えものねらうような視線でうかがう少年が居た。
 夜の空に星が射したような深い瞳、首筋にかかる程の長さの青い髪、少し汚れた埃っぽい服に身を包んだ少年。生意気そんな顔の鼻の上の辺りには、二本に交差した傷痕きずあと
 少年の名はソモル。ラオンよりもふたつ歳上の十三歳。
 砂漠近くの集積所で日雇ひやといいの荷物運びをしているソモルは、仕事終わりにこの酒場に荷物を届け、そのまま夕飯にありつくのが日課だった。ついでに店の掃除なんか手伝えば、ほとんどただ同然で食事にありつける。
 今日もいつものように荷物を届け、食事後のミルクを一杯やっていたところ、先程のラオンの健闘振りを偶然眼にする事になったのだ。
 
 ソモルの鋭い眼が、ひっそりとした光を宿してラオンを捉える。金儲けに全てを捧げるソモル少年にとっては、ラオンは絶好の獲物なのだ。

『へへっ、すげえゾ、すげえ! あのチビを上手く丸め込んで利用すれば、絶対大儲けできるぜっ! それも、半端じゃないくらいになっ』

 ソモルの腹の内である。
 ラオンがたった今大勝ちしたばかりの所持金を頂戴してしまえば一番手っ取り早いのだが、年寄り子供(この場合、自分より年下の)を大事にする主義のソモルには、それは自らのモットーに反する行為なのだ。
 ソモルは残っていたミルクを一気に飲み干すと、機嫌良く席を立った。そしてカウンターまでやって来ると、さりげなくラオンの隣の椅子に座る。ラオンは相変わらず指先でリズムをかなでながらご満悦まんえつの様子。
 ソモルは早速、ラオンの横顔を覗き込むようにして話しかけた。

「俺、ソモルってんだ。君ってばすごいね! 大人相手に完全一人勝ちだったじゃん」

 いきなり警戒けいかいされてはいけないので、いつものソモルの口調より、少々甘ったるく話す。はたから見ると、まるでナンパのような素振そぶりだ。
 ラオンは、たった今その存在に気づいたように、ソモルに視線を向ける。同時にマスターが、注文のワインをカウンターのラオンの前に置いた。

「いつもギャンブルとかで、こんなにツキまくってんの?」

 舌舐めずりする猫のようなソモルの眼が、ラオンの顔色をうかがう。

「ううん、け事なんてしたの、今日が初めてだよ」
「……えっ、嘘だろ?」

 ソモルが、想定していたシナリオの何処どこにもなかった返答に、一瞬調子を狂わす。

「本当だよ。ただ、ジイやたちがいつもやっているカードゲームを見てて、コツを覚えちゃっただけなんだ」

 ラオンが早速注文のワインを飲んで、もうちょっと辛いのにすれば良かったと後悔しながら云った。舌先の刺激が物足りない。

「……へえ、じゃあ君のおじいさんは、カードゲームが相当強いんだね」

 気を取り直してソモルがたずねる。なんとかしてこちらのペースに乗せなければ、作戦が成り立たない。

「ん? 僕のおじい様は、ギャンブルなんてなさらないよ」
 
 グラスの赤ワインを揺らしながら、ゆったりとラオンが答える。

「……だって今、じいさんがギャンブルいつもやるって……」

 ソモルのシナリオが、どんどん崩されていく。

「それはジイや! 僕のおじい様は、れっきとした紳士なの!」

 ラオンは祖父の不名誉ふめいよ誤解ごかいに少しむっとしたような口調で云うと、もう一口ワインを飲んだ。ソモルは一瞬眼を白黒させていたが、呼吸をととのえるように一度つばを呑み込むと、再びラオンに尋ねた。

「あの、失礼だけど、君のお家って……」

 ラオンが、きょとんとして正面からソモルを見た。アルコールのせいか、眼元がほんのり赤い。

「ジュピターの城に決まってるじゃないか」

 当たり前じゃないか、という口調でラオンは云った。ソモル、応える台詞せりふがない。
 ぼんやりと気分が良いせいか、みずから素性をばらしてしまった事も気にせず、ラオンはサービスのナッツを口にしている。
 ソモルは思考も追いつかぬまま、ただ口を開けてラオンを見詰めていた。そんなソモルを気に留めるでもなく、ラオンはグラスのワインをグッと飲み干すと、にっこりと微笑ほほえんだ。ソモルも、何故なぜだかつられてにっこりと笑った。
 ラオンは一度満足気にうなづくと、軽やかにスイッとカウンター席から降り立った。あざやかなマントを揺らしながら、ふらりふらりと仄暗い酒場の店内を歩いていく。

「……なんだ、冗談か……」

 残されたソモルは、一人でそう納得なっとくした。
 ラオンの飲み干していった空のワイングラスのふちに、照明のだいだいの光が美しく輪を描く。

「へへっ、当たり前じゃねえか、あんなの、冗談に決まってるよな」

 ソモルは独りごちると、勝手にそういう事にしてしまった。

「あ、それはそうと、あいつは……」

 ソモルがぼんやりしている間に、確か何処かへ歩いていった。ソモルは、キョロキョロとラオンの行方を探した。
 遠目にも目立つ紅の頭は、すぐに見つけられた。ワインのせいですっかり気分を良くしたラオンは、店内の中央の小さなミュージックステージのど真ん中に立っていた。
 颯爽さっそうとステップを踏みながらくるりとターンすると、ラオンは頭ひとつ分高いスタンドに差されたマイクを手に取る。そして店内に流れ続けるジャズピアノの音楽に乗せて、調子良くスキャットを歌い始めた。

 酒をかっ食らい豪快ごうかいに笑っていた者、ゲームに負けてむせび泣いていた者、無心に夕飯をき込んでいた者、店に居た者たち全てが、思わず手を止め中央ステージに顔を向ける。

 なんと耳に心地好い、なめらかな声。日々のあきないで荒くれ疲れた心のささくれを、柔らかく撫でいやすような、極上ごくじょうのスキャット。普段は滅多めった動揺どうようしない酒場のマスターまで、グラスを拭く手を止めてラオンの歌に聞き惚れている。この酒場『ファザリオン』を開いてずいぶん長いが、今までこのステージに立ったとびきりの歌い手たちよりも、格段に素敵な歌声だった。
 ラオンの声の響きに、聞く者全ての心が震えた。感極まって涙する者まで居る。ソモルですら、呼び止めようと伸ばした手が、行き場を忘れて宙を彷徨さまよっている。

 一曲終わり、ラオンの歌声も消えるようにフェードアウトしていく。
 誰も音を立てる者は居ない。
 ラオンは澄まし顔のまま、片手に帽子を持つ真似まねをして、満員の観衆かんしゅうにペコリとお辞儀じぎをした。あちらこちらからまばらに起こった拍手は、あっという間に激しい雨のような大歓声になっていた。立ち上がり拍手をしながら、アンコールを求める者たちまで居る。
 ラオンはその声に応じる事なく、マントをひるがえしてピョイッとステージから飛び降りた。まだ鳴り止まぬ拍手の中、気紛きまぐれな猫のように優雅ゆうが歩調ほちょうでソモルの前までやって来ると、寸分すんぶん邪気じゃきもない顔でニコリと笑った。

 ―こいつ、本当にただ者ではないのでは……?

 戸惑いと確信に揺れながら、ソモルはラオンと向かい合ったまま立ち尽くした。

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