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4 黄昏の青
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バンッ!
まだ興奮冷めない酒場に、突然勢い良く扉が開く音が響いた。
ソモルは、びくりと振り向いた。
見ると扉の外には、白髪の老人を先頭にして、数人の黒服の男がずらりと構えていた。
「やはり、姫様!」
それはラオン直属のジイやと、その部下たちだった。ジュピター発の貨物船の行き先からマーズに目星をつけたジイや一行は、繁華街周辺を捜索していた。そして酒場の扉から洩れたラオンの歌声を聞きつけ、ここへ駆けつけたのだ。
「ゲッ! ジイ!」
ほろ酔い気分も、一気に冷めていく。
「えっ……姫? ジイ?」
ソモルは少々混乱しながらも、ラオンとジイや一行を交互に見た。
いきなり現れたこの場に相応しくない仰々しい一行に、酒場の客たちがにわかにざわめく。今夜は一体、何が起こっているのだ。
「姫様、探しましたぞ! どうぞ、お城へお戻り下さい! 王様、王妃様もご心配されております!」
ジイやが、今にも泣きそうな顔で懇願した。とにかく姫を説得して、なんとしてでも城に連れ帰らなければ。
ラオンは、視線だけを動かしソモルを見た。
「……ソモル、ここ、裏口はある?」
悟られないように、ラオンが囁く。
「あっ、ああ……、カウンターの横の出口の先に……」
ラオンはカウンターの方に視線を動かした。細く、暗い通路が見える。
「よしっ!」
ラオンは気合いを入れると、突然入口の扉、ジイや一行の後方を指差して叫んだ。
「あ~! 向こうに本物のラオン姫が!!」
「何ですとっ! 本物の姫様!!」
ジイやたちが仰天して振り向いた隙に、ラオンは裏口通路に向かって駆け出した。
「あっ、待て」
ソモルは頭がごちゃごちゃのままどうすべきか判らず、とりあえずラオンの後に続いて走り出した。
「あっ、お待ち下さいっ! おいっ、お前たち、姫様が逃げたぞ!」
騙されたと気付いたジイやは、慌てて部下たちを指示する。店内に雪崩れ込んできた数人の黒服の連中に、客たちは驚いて身を低くする。
皆、ヤバい事に巻き込まれるのはごめんなのだ。マスターも、その様子を黙して見ている。この酒場のマスターは恐ろしく無口で、必要最低限以外はほとんど声を出さない。
ラオンはすでにすいすいと裏口を抜けると、通りを走り出していた。大勢で細い通路に押しかけた黒服たちは、かなり遅れをとってしまった。その情けない部下の様に、ジイやは苛立ちをあらわに拳を握り締めた。
まあ、あんな嘘に騙されたジイやも悪いのだが。
裏口の戸も、大人は屈まなければ通れない高さだったので、これまたずいぶん時間を喰ってしまい、すっかりラオンの姿を見失ってしまった。
その間にラオンは、この街の通りに詳しいソモルに先導され、夕闇にまだ賑わう繁華街をすり抜け、家々を横切り、かなり遠くまで逃げおおせていた。まばらにすれ違っていた人々の姿もなくなり、あるのはラオンとソモル、二人の影だけになっていた。
「あ~っ、もう限界っ!」
息を切らし必死にソモルの背を追いかけていたラオンは、足をがくりと折り曲げ崩れると、そのまま草の上に倒れ込んだ。
「なっさけねえなあ、大丈夫か、姫さん」
ソモルは腰を下ろすと、ラオンの顔を覗き込んだ。ラオンは頬を真っ赤にし、額に玉の汗を浮かべながら、ぐったりと苦笑う。
こんなにたくさん走ったのは、初めてだった。城暮らしのラオンは、運動といったら乗馬や軽く剣術をたしなむ程度である。走るのはどうやら苦手らしい。ラオンは自分の不得意分野を苦く噛み締めた。
荷物運びなどで体力には自信があるうえ、悪さばかりして散々逃げ回って足を鍛えたソモルには到底判らないだろう。
横たわった草のひんやりとした冷たさが、火照った背中に気持ち良かった。
「ところで、ここは……?」
ラオンは寝転んだまま、辺りを見回した。そこは、乾いたこの星では珍しく豊かな樹々の居並ぶ、小高い丘の上だった。街からは、ずいぶん離れたようだ。
「へへん! 俺の住処さ」
ソモルは得意気にそう云った。
ラオンはごろんとうつ伏せになると、ソモルが親指で指している方向を見た。大木の下、かなりおんぼろの小屋がある。
「へえ」
ラオンは疲れも忘れて起き上がった。好奇心のおもむくまま、小屋に駆け寄り戸を開く。中は子供二人も入ればいっぱいになってしまう程の小振りな造りではあったが、ラオンの眼には充分魅力的に映った。
粗末な寝床と小さなチェスト以外、何もない。自分一人の、自由な小屋。
「凄いね! ソモルはここで一人で暮らしてるの?」
「まあな。……雨が降ると、面倒だけどな」
確かに、天井辺りに古くなった木が朽ちてできたまばらな隙間がある。幸いこのマーズは月に一度雨が降るか降らないかという気候なので、雨漏り対策の苦労は然程でもない。
そしてラオンが何より眼を奪われたのは、その丘から見渡す景色だった。街全体やその先に広がる砂漠まで一望できる程の眺めは最高で、まるでここにある全てを自分の手の中に入れたような気分になる。
しかもその頭上を振り仰げば、彼方まで続く空。マーズの空は大気の影響で、昼間赤く、夕暮れは青に染まる。まだ赤の残る空が、地平線から仄青い夜の色に染まっていく。黄昏と夜が交差する時刻。天の綾なす、優雅なほんの刹那の色彩。
ラオンは空が全て夜の色に変わるまで、感嘆しながらその眺めを楽しんでいた。
ソモルは内心、変な気分だった。
ラオンの事は、最初からおかしな奴だと思っていた。ラオンの素性を知ってから、その思いは更に強くなったような気がする。
ソモルの先入観では、お姫様というのは皆ワガママか、静々とお淑やかなイメージしかなかった。だがラオンには、そのどちらも当てはまらない。片鱗すらない。
素直に目の前の事に感動し、驚いたり笑ったり、普通の子なんかよりもずっと敏感で新鮮だ。とにかく、今までに出会った事のないタイプだった。ラオンを見ていると、いつまで経っても退屈しない気さえする。
日常をぼんやりとやり過ごしていたソモルの心に、鮮やかな刺激を与えてくれた。
ソモルはまるで、珍しい動物でも見るような眼差しでラオンを見ていた。
―あの動作といい、大きな真ん丸い眼といい……。
ソモルは、尚もじーっとラオンを観察する。
―まるで……まるで、リリンキャットみたいだ。
ソモルの脳裏に、ある動物の姿が浮かんだ。それは、ジュピターの原生林に生息するという小動物だった。姿形はリスそっくりだが、目元は何処となく猫という感じだ。耳の形はジュピター人そのままなので、ジュピター人はこの動物から進化したと云われている。
まあ可愛い動物なので、似ていると云われても悪い気はしないだろうが。
振り向いたラオンの顔が、あまりにも自分の思い描いていたリリンキャットそっくりだったので、ソモルは思わず吹き出しそうになった。だが、辛うじて堪える。
この姫様に粗相をしたら、あのジイやたちに何をされるか判らない。ソモルはこの発見を、自分の心の中だけに仕舞う事にした。
「いいなあ、ソモルは」
風を受けながら、ぼそっとラオンが呟いた。
「えっ」
聞き間違いだと思い、ソモルが訊き返す。
「だって、ソモルは自由なんだもの」
自分を見詰めるラオンの翡翠の瞳に、星が宿ったような気がした。
「この星に生まれてこの星に生きて、たくさんの人たちと語らって、自由に駆けて。僕は、今日の今日まで一人で城の外にすら出た事がなかったんだ」
ソモルは、真顔でラオンを見詰め返した。
夜の薄闇が、二人を黒く包み込んでいく。
羨ましい。
ソモルは今まで一度だって、人に羨まれた事はなかった。ましてや巨大惑星の姫であるラオンの口から聞く事になるとは思ってもみなかった。ずっと最下層に近い生き方をしてきたソモルの方が、他人を羨み欲する側だったから。
いくら欲しても手に入れられないものばかり、ソモルは横目で見送ってきたのだ。ラオンはきっと、その全てを持っている。そう思っていた。
「僕はね、父上と母上の為に、幻の遊星ミシャにある、クピトという宝石を手に入れようと思って、内緒で城を抜け出してきたんだ」
「クピト……」
聞いた事もない、星と宝石の名前だった。
「僕の父上が伝説好きで、いつか話してくれたんだ。僕のラオンって名前も、古の惑星の名前から貰ったんだって。遠い昔に滅びたその星の言葉で、夢って意味があるんだって……」
ラオンは遥か遠くを見るような眼で、そう語った。
ラオン。
その綺麗な響きと意味は、紛れもなくこの姫に相応しいとソモルは思った。
「クピトは愛を司る宝石だって、父上が云ってた。それを手にした恋人は、永遠に尽きる事のない愛を得るんだ」
永遠の愛。
まだ愛という感情の意味を知らないソモルには、思い描いてみる事すら敵わなかった。それを語っているラオンすら、まだ知らぬ感情なのだ。だが、父上と母上の姿を思い浮かべれば、想像する事はできる。
「それを、喧嘩してしまったお二人に差し上げようと思って……。でも……もしかするとそれは口実で、本当はただ、僕は一人で城の外へ出てみたかっただけなのかもしれない。自由に、誰にも気兼ねする事なく……。それを、父上と母上を口実にして……僕は……」
ラオンの大きな眼からは、今にも涙が零れそうだった。夜の帳の中で、ソモルにはそう見えた。
生まれてこの方、ラオンは誰にも反抗した事もなかったのだろう。きっと些細なワガママですら。少なくとも、両親には。
普段だったら、ソモルが嫌気の差すくらいの良い子ちゃんだった。優等生面した人間を、ソモルは一番嫌った。それくらい天の邪鬼になってしまう程、ソモルは奥歯を噛み締め生きてきたのだ。
だがどうしてだか、ラオンは全く憎めなかった。したたかな良い子のフリではない。本当に苦しんでいる。両親を悲しませてしまった事を、本気で悔やんでいる。
そんな素直な心に、ソモルは初めて触れた。
「……気にすんなよ! 子供ってのはな、少しくらい親に心配かけるもんなんだよっ」
ラオンの傍に寄り、ソモルがぽんっと肩を叩いた。
驚く程、薄い肩。この小さな背中で、将来はあの巨大惑星を背負っていくのだろうか。今のほんのちっぽけな身体からは、未来のその姿は想像できない。
この小さなラオンの背中に隠れた、大きな大きな未来。多くの者たちの、希望。
この宇宙の行く末も、恐らくはこの姫に全てかかってくる。自分ならきっと、その重みに押し潰されてしまいそうに苦しいだろう。
ソモルは、小さく息を洩らした。
「……ま、俺なんかが偉そうな口利ける立場じゃねえけど」
ラオンが、ソモルの顔を見上げた。その視線に何だか耐えきれず、ソモルは勢い良く草の上に腰を降ろした。
「……俺、両親居ないからさ」
まだ興奮冷めない酒場に、突然勢い良く扉が開く音が響いた。
ソモルは、びくりと振り向いた。
見ると扉の外には、白髪の老人を先頭にして、数人の黒服の男がずらりと構えていた。
「やはり、姫様!」
それはラオン直属のジイやと、その部下たちだった。ジュピター発の貨物船の行き先からマーズに目星をつけたジイや一行は、繁華街周辺を捜索していた。そして酒場の扉から洩れたラオンの歌声を聞きつけ、ここへ駆けつけたのだ。
「ゲッ! ジイ!」
ほろ酔い気分も、一気に冷めていく。
「えっ……姫? ジイ?」
ソモルは少々混乱しながらも、ラオンとジイや一行を交互に見た。
いきなり現れたこの場に相応しくない仰々しい一行に、酒場の客たちがにわかにざわめく。今夜は一体、何が起こっているのだ。
「姫様、探しましたぞ! どうぞ、お城へお戻り下さい! 王様、王妃様もご心配されております!」
ジイやが、今にも泣きそうな顔で懇願した。とにかく姫を説得して、なんとしてでも城に連れ帰らなければ。
ラオンは、視線だけを動かしソモルを見た。
「……ソモル、ここ、裏口はある?」
悟られないように、ラオンが囁く。
「あっ、ああ……、カウンターの横の出口の先に……」
ラオンはカウンターの方に視線を動かした。細く、暗い通路が見える。
「よしっ!」
ラオンは気合いを入れると、突然入口の扉、ジイや一行の後方を指差して叫んだ。
「あ~! 向こうに本物のラオン姫が!!」
「何ですとっ! 本物の姫様!!」
ジイやたちが仰天して振り向いた隙に、ラオンは裏口通路に向かって駆け出した。
「あっ、待て」
ソモルは頭がごちゃごちゃのままどうすべきか判らず、とりあえずラオンの後に続いて走り出した。
「あっ、お待ち下さいっ! おいっ、お前たち、姫様が逃げたぞ!」
騙されたと気付いたジイやは、慌てて部下たちを指示する。店内に雪崩れ込んできた数人の黒服の連中に、客たちは驚いて身を低くする。
皆、ヤバい事に巻き込まれるのはごめんなのだ。マスターも、その様子を黙して見ている。この酒場のマスターは恐ろしく無口で、必要最低限以外はほとんど声を出さない。
ラオンはすでにすいすいと裏口を抜けると、通りを走り出していた。大勢で細い通路に押しかけた黒服たちは、かなり遅れをとってしまった。その情けない部下の様に、ジイやは苛立ちをあらわに拳を握り締めた。
まあ、あんな嘘に騙されたジイやも悪いのだが。
裏口の戸も、大人は屈まなければ通れない高さだったので、これまたずいぶん時間を喰ってしまい、すっかりラオンの姿を見失ってしまった。
その間にラオンは、この街の通りに詳しいソモルに先導され、夕闇にまだ賑わう繁華街をすり抜け、家々を横切り、かなり遠くまで逃げおおせていた。まばらにすれ違っていた人々の姿もなくなり、あるのはラオンとソモル、二人の影だけになっていた。
「あ~っ、もう限界っ!」
息を切らし必死にソモルの背を追いかけていたラオンは、足をがくりと折り曲げ崩れると、そのまま草の上に倒れ込んだ。
「なっさけねえなあ、大丈夫か、姫さん」
ソモルは腰を下ろすと、ラオンの顔を覗き込んだ。ラオンは頬を真っ赤にし、額に玉の汗を浮かべながら、ぐったりと苦笑う。
こんなにたくさん走ったのは、初めてだった。城暮らしのラオンは、運動といったら乗馬や軽く剣術をたしなむ程度である。走るのはどうやら苦手らしい。ラオンは自分の不得意分野を苦く噛み締めた。
荷物運びなどで体力には自信があるうえ、悪さばかりして散々逃げ回って足を鍛えたソモルには到底判らないだろう。
横たわった草のひんやりとした冷たさが、火照った背中に気持ち良かった。
「ところで、ここは……?」
ラオンは寝転んだまま、辺りを見回した。そこは、乾いたこの星では珍しく豊かな樹々の居並ぶ、小高い丘の上だった。街からは、ずいぶん離れたようだ。
「へへん! 俺の住処さ」
ソモルは得意気にそう云った。
ラオンはごろんとうつ伏せになると、ソモルが親指で指している方向を見た。大木の下、かなりおんぼろの小屋がある。
「へえ」
ラオンは疲れも忘れて起き上がった。好奇心のおもむくまま、小屋に駆け寄り戸を開く。中は子供二人も入ればいっぱいになってしまう程の小振りな造りではあったが、ラオンの眼には充分魅力的に映った。
粗末な寝床と小さなチェスト以外、何もない。自分一人の、自由な小屋。
「凄いね! ソモルはここで一人で暮らしてるの?」
「まあな。……雨が降ると、面倒だけどな」
確かに、天井辺りに古くなった木が朽ちてできたまばらな隙間がある。幸いこのマーズは月に一度雨が降るか降らないかという気候なので、雨漏り対策の苦労は然程でもない。
そしてラオンが何より眼を奪われたのは、その丘から見渡す景色だった。街全体やその先に広がる砂漠まで一望できる程の眺めは最高で、まるでここにある全てを自分の手の中に入れたような気分になる。
しかもその頭上を振り仰げば、彼方まで続く空。マーズの空は大気の影響で、昼間赤く、夕暮れは青に染まる。まだ赤の残る空が、地平線から仄青い夜の色に染まっていく。黄昏と夜が交差する時刻。天の綾なす、優雅なほんの刹那の色彩。
ラオンは空が全て夜の色に変わるまで、感嘆しながらその眺めを楽しんでいた。
ソモルは内心、変な気分だった。
ラオンの事は、最初からおかしな奴だと思っていた。ラオンの素性を知ってから、その思いは更に強くなったような気がする。
ソモルの先入観では、お姫様というのは皆ワガママか、静々とお淑やかなイメージしかなかった。だがラオンには、そのどちらも当てはまらない。片鱗すらない。
素直に目の前の事に感動し、驚いたり笑ったり、普通の子なんかよりもずっと敏感で新鮮だ。とにかく、今までに出会った事のないタイプだった。ラオンを見ていると、いつまで経っても退屈しない気さえする。
日常をぼんやりとやり過ごしていたソモルの心に、鮮やかな刺激を与えてくれた。
ソモルはまるで、珍しい動物でも見るような眼差しでラオンを見ていた。
―あの動作といい、大きな真ん丸い眼といい……。
ソモルは、尚もじーっとラオンを観察する。
―まるで……まるで、リリンキャットみたいだ。
ソモルの脳裏に、ある動物の姿が浮かんだ。それは、ジュピターの原生林に生息するという小動物だった。姿形はリスそっくりだが、目元は何処となく猫という感じだ。耳の形はジュピター人そのままなので、ジュピター人はこの動物から進化したと云われている。
まあ可愛い動物なので、似ていると云われても悪い気はしないだろうが。
振り向いたラオンの顔が、あまりにも自分の思い描いていたリリンキャットそっくりだったので、ソモルは思わず吹き出しそうになった。だが、辛うじて堪える。
この姫様に粗相をしたら、あのジイやたちに何をされるか判らない。ソモルはこの発見を、自分の心の中だけに仕舞う事にした。
「いいなあ、ソモルは」
風を受けながら、ぼそっとラオンが呟いた。
「えっ」
聞き間違いだと思い、ソモルが訊き返す。
「だって、ソモルは自由なんだもの」
自分を見詰めるラオンの翡翠の瞳に、星が宿ったような気がした。
「この星に生まれてこの星に生きて、たくさんの人たちと語らって、自由に駆けて。僕は、今日の今日まで一人で城の外にすら出た事がなかったんだ」
ソモルは、真顔でラオンを見詰め返した。
夜の薄闇が、二人を黒く包み込んでいく。
羨ましい。
ソモルは今まで一度だって、人に羨まれた事はなかった。ましてや巨大惑星の姫であるラオンの口から聞く事になるとは思ってもみなかった。ずっと最下層に近い生き方をしてきたソモルの方が、他人を羨み欲する側だったから。
いくら欲しても手に入れられないものばかり、ソモルは横目で見送ってきたのだ。ラオンはきっと、その全てを持っている。そう思っていた。
「僕はね、父上と母上の為に、幻の遊星ミシャにある、クピトという宝石を手に入れようと思って、内緒で城を抜け出してきたんだ」
「クピト……」
聞いた事もない、星と宝石の名前だった。
「僕の父上が伝説好きで、いつか話してくれたんだ。僕のラオンって名前も、古の惑星の名前から貰ったんだって。遠い昔に滅びたその星の言葉で、夢って意味があるんだって……」
ラオンは遥か遠くを見るような眼で、そう語った。
ラオン。
その綺麗な響きと意味は、紛れもなくこの姫に相応しいとソモルは思った。
「クピトは愛を司る宝石だって、父上が云ってた。それを手にした恋人は、永遠に尽きる事のない愛を得るんだ」
永遠の愛。
まだ愛という感情の意味を知らないソモルには、思い描いてみる事すら敵わなかった。それを語っているラオンすら、まだ知らぬ感情なのだ。だが、父上と母上の姿を思い浮かべれば、想像する事はできる。
「それを、喧嘩してしまったお二人に差し上げようと思って……。でも……もしかするとそれは口実で、本当はただ、僕は一人で城の外へ出てみたかっただけなのかもしれない。自由に、誰にも気兼ねする事なく……。それを、父上と母上を口実にして……僕は……」
ラオンの大きな眼からは、今にも涙が零れそうだった。夜の帳の中で、ソモルにはそう見えた。
生まれてこの方、ラオンは誰にも反抗した事もなかったのだろう。きっと些細なワガママですら。少なくとも、両親には。
普段だったら、ソモルが嫌気の差すくらいの良い子ちゃんだった。優等生面した人間を、ソモルは一番嫌った。それくらい天の邪鬼になってしまう程、ソモルは奥歯を噛み締め生きてきたのだ。
だがどうしてだか、ラオンは全く憎めなかった。したたかな良い子のフリではない。本当に苦しんでいる。両親を悲しませてしまった事を、本気で悔やんでいる。
そんな素直な心に、ソモルは初めて触れた。
「……気にすんなよ! 子供ってのはな、少しくらい親に心配かけるもんなんだよっ」
ラオンの傍に寄り、ソモルがぽんっと肩を叩いた。
驚く程、薄い肩。この小さな背中で、将来はあの巨大惑星を背負っていくのだろうか。今のほんのちっぽけな身体からは、未来のその姿は想像できない。
この小さなラオンの背中に隠れた、大きな大きな未来。多くの者たちの、希望。
この宇宙の行く末も、恐らくはこの姫に全てかかってくる。自分ならきっと、その重みに押し潰されてしまいそうに苦しいだろう。
ソモルは、小さく息を洩らした。
「……ま、俺なんかが偉そうな口利ける立場じゃねえけど」
ラオンが、ソモルの顔を見上げた。その視線に何だか耐えきれず、ソモルは勢い良く草の上に腰を降ろした。
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