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第三章
【唐津篇】
しおりを挟むあまりの血みどろぶりで、そろそろ輸血できないと相当にまずいことになっている。どうにかしないことには身動きが取れない……こんなことでは、この『競艇放浪記』を書き進めることはできないぞ、というので気まずいおもいをかなりして、とりあえず沈まないように手当てしたが、そんなことばかりでは先は覚束ない。
焦る気持ちがわたしを突き動かして、ここ一週間ほどで九州から関門海峡を越えたところにまで競艇場を求めて駈けずり回った。
しかし、焦ってるとロクなことにはならない。舟券の買い方もどこかいつもとは違ってくるものだ。そして貧すれば鈍する結果を招いては、せっかく一時的にでも閉じた傷口をわざわざ開いて塩を塗りたくり悲鳴を上げそうなことになってしまう。
そんなときにである。隣国で、いきなりの砲撃戦が起こった(当時)。わたしはこうして何某かの文章を綴るためのアホーな博奕旅が続けられる平和が日本では長く続いてくれること、彼の地では戦渦が広がらないことをこころから祈った。
勝負事は好きだが、武器によって奪う命の数で白黒をつける勝負は願い下げである。しかし、人間というのは同じような失敗の歴史をくり返している、まったくアホーな生き物だ。
ともかく、年末の賞金王決定戦への最後のトライアルになるSG戦が開催された(当時)唐津までたどり着くことができた。唐津に来るのはこれで2度目になる。
前回のときは暑い季節で、色あざやかなボディアートが見える格好をしたバカがいたため、入口で「申し訳ない。墨の入った人は遠慮してもらってるんですよ」と、あやうく断られそうになった。
佐賀まで遥々やって来て…なにしてるんだかである。わたしはステキな龍が躍っている両腕が隠れるようにシャツを羽織らせると「これならいいよね」と、半ば強制的に警備員の責任者らしき人物の顔をタテに振らせた経験があったので、今回はその手の失敗はないような人物と同行した。
今回の参戦は準優勝戦があった5日目。本場は一大イベントを盛り上げようとする姿勢がうかがえるのだが、都会にある競艇場とは違い、どこか洒落っ気が足らず野暮ったく感じるのは偏見のせいではない。
開催期間は連日、タレントや歌手のトークショーやミニコンサートに、お笑い芸人の舞台や流行のB級グルメ屋台が数々出店といったイベントやファンサービスが。だいたいそういう催し物はどこでも同じなのだが何かが違う。
おそらく、演出するセンスというものが影響しているのだろう。芦屋でもそうだが、唐津も周囲は緑に囲まれていて、なんとものんびりした空気が漂っている。それを「ゆるさ」と感じるのか、おおらかでよいとおもうのかは個人の嗜好ということにする。あまり唐津の人たちを敵に回したくはないし。
そんなことよりも、である。唐津競艇場は基本的なファンへの配慮という点が欠けてはいないか。喫煙、禁煙のエリアを一般席の1、2階で分けて、1階は座席横に灰皿があって煙草を呑みつつ水面の闘いを観戦できるのは愛煙家にとってありがたいが、どうして場内でビールくらい売っていないのだろう。
大半のファンが車で来場する立地だということもあって配慮しているなら余計なお世話である。飲酒運転で痛い目に遭うかどうかなんて自己判断、自己責任というものだろう。日本はどうしてこう市民を子ども扱いするように過剰な気配りをしてくれるのか。いや、気配りというよりも見下しているようにおもえる。
「下々の民は愚かであるから、我々が啓蒙してやらねばならぬ」という御上意識が鼻白むくらいにあるとはおもいませんか、みなさん。などと誰にというわけでもなく、わたしは競艇場で独りごちていた。
熱いレースに乾いた喉をビールで湿らせながら観戦するという、正しい楽しみ方をファンから奪ってどうしようというのか。運転する人しない人くらい決めてますよ「常識的」なモラルを持つ人たちは。
さらにである。普通はどこの本場でもある、お茶や冷水のサービスがないとは驚かされた。何度もくり返すが公営ギャンブルほど詐欺みたいにえげつない博奕にわざわざ足を運んでまで遊びに来てくれてるというのにだ。
ちゃんと言うのは憚れる裏街道の人間が開いている盆だけでなく、外国のカジノなんかでも茶どころかビールやカクテルから、ワインにウイスキーなどなどアルコール類はもちろん、ちょっとした食事までもが無料サービスで出してくれるのが当たり前だ。
いずれ別の機会に話をするが、いかにも胡散臭い豪華なギフト本を作ってネット投票や電投のお得意様につけ届けを贈るようなことをするよりも、基本的なサービスというものが新しいファン獲得にも役立つとおもうのだが。しかし、わたしは立派な贈答品くらいはもらってもバチが当たらないくらい貢献しているのは間違いない。
どうも愚痴っぽくなるのは、勝負の結果がよくないことも影響してるのかもしれない。しかし、わたしはこれほど痛い目に遭っているときでも、勝ち負けだけに拘っていられない悪い癖がある。
たぶんダメだろうなぁとわかりつつも、気になる選手や贔屓のレーサーの名前が出走表で目に止まると、ついつい買ってしまうのだ。ここらへんが勝負師としては甘いと自覚している。
例えば今回だと大阪のホープである石野選手だ。今年SGを初載冠した(執筆当時のことで、いまや大阪を代表する艇界のトップレーサーに)28歳の若者は、出身地らしい浪花節な泣ける話を背景に持っている。また、わたしが大阪に長く住んだことがあるのも贔屓をしてしまう原因のひとつにあるかもしれない。
いずれまた石野選手にまつわるサイドストーリーは紹介するが、こういう癖も勝負運の流れである「潮目」がいいときは、よい結果へと結びつくものだが、いったん悪い方に流されると悉くつまずく要因になってしまうものだ。
とまれ唐津の準優戦、優勝戦があった2日間は若干のマイナスというのが勝負の結果であった。納得がいかなかったので、わたしは帰る道すがら携帯電話で、PCがあるところまでもどってからはネットでGⅢレース優勝戦があった若松と、ヒラ戦(一般戦)の準優戦だった住之江で最後の最後まで粘って、なんとか収支をプラスへと持っていった。
それからレース場のイベント担当者さんへ。鉄火場には冒頭の画像に映ってるようなオネーチャンをたくさん置かないでもらいたい。勝負と艶気は両立ができないというのは大昔からの鉄則なのだから。あ、だから逆に客をたぶらかし、かっぱぐことを考えてのことか。
(今回は最後までボヤキといけずな物言いになってしまった)
つづく
※このエッセイは約10年前に書いたものに手を入れて掲載しています。
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