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9.最もたいせつなもの(アルティリア視点)

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 隣で寝息を立てる愛娘の顔を見ながら、私は考える。
 今まで私は、この子にどれだけ寂しい思いをさせてきたのだろうか。

「んんっ……」

 私は、ゆっくりと彼女を抱き寄せる。
 とても温かくて柔らかいその体は、少し力を入れると壊れてしまいそうだ。
 そんな小さな体に、私は大きなものを背負わせてきた。今までの人生において、私は母親としてこの子に何をしてきたのだろうか。

「……駄目ね」

 私は、負の感情を断ち切った。
 自己嫌悪に陥るのは簡単なことだ。ただ、それは無意味なことである。どれだけ自分を責めても、過去は帰って来ないのだ。
 だから私は、未来を考えなければならない。これからの行動が私にできる償いであり、反省なのである。

「……でも、少なくともこの子と接することは私にとっては罰にならないわね」

 温もりを感じながら、私は幸せを実感していた。
 この子の傍にいてこんなにも幸せになれるのだから、これを償いなどとは思えない。
 それなら私は何をするべきなのか、その答えはもうわかっている。

「彼と向き合うことからも、私はずっと逃げてきたのでしょうね……」

 ファルミルは、私と夫が手を取り合うことを望んでいるのだろう。
 夫が妻を愛して、妻が夫を愛して、夫婦が子供を愛する。この子が望んでいる家族は、そういう形であるはずだ。
 ただ、私と彼とは政略結婚だった。お互いに好意を寄せていた訳ではない。いや、どうなのだろうか。私はもしかしたら、少なからず彼に惹かれていたかもしれない。

「……」

 私は、かつて自分が学生だった頃に出会った少女のことを思い出していた。
 いや、少女というのは正しくない。彼女は私と同い年なのだから、今はもう立派な大人になっているはずだ。

「あなたならきっといいお母さんになっているのでしょうね……悔しいけれど、想像できてしまうわ。それに、今となってはあなた程に誇り高き人はいなかったようにも思える」

 私はその少女のことを快く思っていなかった。その理由は単純で、私の夫となる人物が彼女に惹かれているような気がしていたからだ。
 実際に惹かれていたと私は思っている。彼が彼女を見る時の視線には、羨望と熱が混ざっていた。あれは恋をしている目だったと思う。
 ただ、結局の所、彼女は別の男性と結ばれた。もしもあの時彼女が彼を選んでいたなら、私はどうしていたのだろうか。

「嫌がらせをしていたのかしらね……ああ、でも、もう一度やり直せたとしても、彼を取られる訳にはいかないわね」

 私は、もう一度最愛の娘の顔を見る。夫を取られてしまったら、この子とは出会うことができなくなってしまう。それだけは絶対に嫌だ。
 夫には悪いが、振られてくれて本当によかった。きっと、今は彼もそう思っているはずだ。それだけはわかる。なぜなら、ファルミルのことを大切に思う気持ちは、彼も私と変わらないと知っているからだ。

「そうよね……知っているのよ。あなたが私の最も大切なものを最も大切だと思っているということを」

 ファルミルが階段から転げ落ちた時、私は動揺していた。動揺して焦って混乱して、正気でいられなかった。
 そんな私に代わって、彼はファルミルを助けてくれたのである。私を宥めて、使用人達に指示を出して、私のせいではないとそう言ってくれたのだ。
 それは、彼にとってファルミルが大切だったからそうしたのだろう。だが、それは私にとって何よりも嬉しいことだった。私の命よりも大切なものを救ってくれたのだから。

「……」

 そんなことを考えながら、私は目を瞑った。
 ゆっくりと深い眠りに落ちていく。隣にファルミルがいるからか、とても安心できる。
 私の胸にある思いは、なんなのだろうか。その思いをどうすればいいのだろうか。その答えは、未だに出ていない。
 だが、いつか答えを出さなければならないのだろう。この気持ちと向き合っていくことも、私の償いなのだから。
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